white minds

第二十九章 過去からの使者‐1

 滝は大きく息を吐き出し、指定席と化した椅子へと腰下ろした。今し方メデスという星から、無事よつきたちが旅だったとの報告を受けたところだ。その後のことは不明だが、シリウスと一緒だというから大丈夫だろう。どうやら最新の船に乗り換えたようだし、何の心配もない。
「よかったな、無事辿り着けたようで」
 その後ろでは今日で十二になるレーナが腕組みしていた。見た目は微妙な年頃だが、昨日の戦闘でその強さは既に証明されている。そのせいもあるのだろうが、さらにアースたちとの仲が妙なことになっているらしい。先ほどアース不機嫌警告を口にしていた青葉の様子を思い出し、滝は口の端に苦い笑みを浮かべた。
 どんなときでも些細なことの方が問題のようだ。神の戦力増強はもっぱら神関係改善にあてられる、という言葉も、あながちはずれではないらしい。しかもそれが精神の量、ひいては技の強度にも影響するというから驚きである。まあまとめる側に立ってしまえば、非常に頭の痛い問題ではあるが。
「何か、悩みがあるのか?」
 突然かけられた問いかけに、彼は目を丸くした。それまで爛漫な笑みを浮かべていたレーナが、少し顔を曇らせて目を細めている。
「いや、特に……」
「ならそんな顔するな。上に立つなら不安はできるだけ押し隠せ、でもって信頼できる数名にだけ話せ。上の不安は下へ伝染するんだからな」
「……オレはいつから上に立つことになったんだ」
 レンカは今食堂で昼の準備をしているはずだった。そう思い、だが念のためいないことを確認して、彼は首の後ろを軽くかく。司令室にいるのは彼とレーナ、そしてモニターの前にいる梅花だけだ。最近見張り制度が崩壊しているせいで、もっぱらこのメンバーでいることが多い。
「じゃあ信頼できるお前だから聞くけど」
「うん?」
「転生神が記憶を取り戻すことってあるのか?」
 率直な疑問に、レーナはうなった。ちらりと梅花が振り返ったのがわかるが、彼はあえて押し黙ったまま待つ。レーナは眉根を寄せながら言葉を選んでいるようだった。
「リシヤたちは思い出さなかった。だが未来にいるキキョウは……全てを思い出した。だから取り戻すことはある、とだけ言っておこう。どうすれば思い出すかなんてのはわからないがな」
 ゆっくりと首を横に振る彼女を、彼は見つめた。彼女の口にするわからないは、何故だか信用ならない。
「それはつまり、可能性はあるってことか?」
「ああ、可能性としては」
 確認する彼に、彼女は呼応する。
 すると不意にその瞳に不可思議な色が宿った。居心地が悪くなり、彼は唇を結んで足を組み直す。心の奥を見透かされたような気になる、恐ろしい眼差しだ。彼女の唇がゆっくりと動き出す。
「なるほど、そういうことか」
「いや何だよ、そういうことかって」
「レンカが思い出しかけてる、そういうことだろう?」
 彼はぎくりとし、背もたれにぴたりと背中をつけた。何故こうも早くばれるのだろうかと、何か失言はしていないかと顧みてみたが、心当たりはなかった。彼女はくすりと笑い声をもらし、くるりと半回転する。
「顔に書いてあるぞ? お前はレンカのこととなると妙なくらいわかりやすい」
「……とても馬鹿にされる気がするんだが」
「そんなことはないさ、羨ましいよそういうのは」
 揺れる黒い髪に彼は目をやった。以前と違い結ばずにいるせいか、その長さはいやに際だつ。当人によると、結んでいると戦闘態勢になりやすくて成長が促進されるらしい。納得しにくい理屈である。
「記憶が戻っても、なくなっても、変わりはしないさ。問題はない、そうだろう?」
 しかしその言葉に素直にうなずくことができなかった。記憶が戻っても、それでも自分は同じようでいられるのか。彼女は同じようでいるのか。同じように接していられるのか。予想がつかなかった。
 だがすぐに彼ははっとする。
「れ、レーナ」
「うん? 何だ?」
「いや、その、アースたちのこと……」
 それ以上は言えなかった。何をどう言っていいかわからなくて、口が動かなくなる。するといつの間にか傍に来ていた梅花が、ゆっくりとレーナの肩を後ろから抱いた。
「滝先輩、大丈夫ですよ。レーナはレーナだから」
 その声は穏やかで温かで、優雅でさえあった。春の朗らかさと秋の憂いを秘めたものだった。彼は口角を上げて椅子からほんの少し背を起こす。
「なるほど、信頼できる数名なわけだ」
 こみ上げるおかしさを喉の奥に押し込めて、彼は目を細めた。
 世界は日の光を浴びていた。笑い声が重なり、彼の鼓膜を心地よく揺らした。




「何でオレが話し相手しなきゃいけないんだろう……」
 食堂のカウンターに突っ伏しながら、青葉はため息をついた。彼の前にはとうに冷めたコーヒーが、カップの中でかろうじて香りを漂わせている。
「まあまあいいじゃないの。ほら、前みたいに顔あわせるたびに口喧嘩よりはましでしょう?」
「いや、ましですが……だけど、これは」
 カウンターの奥、厨房ではレンカが笑顔で昼食を作っていた。今日の昼は炒飯らしい。窓際の席には北斗とサツバが陣取って、できあがりを今か今かと待ちわびている。
「何かわかんないことがあったら聞けと言ったのはお前だ」
「うわー何か言い方がかわいくない。いや、かわいくても困るけど」
 そして青葉の隣にいるのは、明らかに不機嫌顔のアースだった。一応年齢としては十九であまり青葉と背も変わらないが、体格にはやはり少し差がある。彼が不機嫌なのは見慣れたものだが、しかし相手をしなければならないというと話は別だった。そんなときは大体レーナが、もしくは他のビート軍団が何とかしてくれていたものである。
「まあまあ二人とも、落ち着いて落ち着いて」
 取り持っているのはレンカに他ならないが、青葉にとっては助け船にはならなかった。解決策は提示しない、ただ他へと被害が広まるのを防いでいるだけだ。
「とりあえずあいつがわれを知っていて、われがあいつを覚えていない理由は何となくだがわかった。だが何故それでわれは避けられなきゃならない?」
「いや、避けてないと思うけど」
 青葉は突っ伏したまま手をひらひらとさせた。むっとしたままのアースは頬杖をつき、不満げな瞳を彼へと向ける。
「じゃあ何故あんな微妙な顔して微笑む? 何故一言二言でさっさといなくなる?」
「そりゃあ、お前がアタックしすぎだからだろう。十二歳の女の子に言い寄るな、危険だぞそれ」
 青葉はカップを持ち上げて、またそれをカウンターへと置いた。アースの眉がぴくりと跳ね上がるが、レンカは何も言わずに炒飯を作り続けている。
「中身は以前と変わらないんだろう? 何が危険なんだ」
「そうだけど……でもやっぱりまずいだろう、色々。後たった四日なんだから待ってやれよ」
 まるで不毛な争いだと青葉には思えた。四日後には意味のないものになる。だがアースはその答えだけでは満足しそうにないし、かといって誰か代わってくれそうな人も見あたらなかった。
 梅花ー、と心の中で呼んでみるが、来てくれるわけがない。
「えーとじゃあ単刀直入に聞いてみるけど、レーナのこと好きなのか?」
「無論」
「うわあ、ものすごい直球だ。確かにこれなら微妙な顔して笑うかもしれない」
 頭を抱えたいと彼は本気で思った。行動力と素直さは、代を経るごとに増している気がする。これならさすがのレーナも対応に困るだろう。
「あ、梅花が来たわよ」
 そこへ本物の助け船が現れた。レンカの声に従って入り口の方を見やれば、にっこり微笑んだ梅花の姿が目に映る。青葉は勢いよく立ち上がり、彼女のもとへと駆け寄った。
「梅花っ! 何というか、ものすごくありがとうっ。オレは今すっごく感謝してる」
「ええっ、ちょっと青葉なに、どうしたの?」
 思い切り彼女を抱きしめると芯から安堵がこみ上げてきた。背後から逆効果でしょう、というレンカの鋭い指摘が聞こえてきた気もするが、それも意識の片隅からすぐに消えてしまう。
「アースをどうにもできなくて困ってるんだけど」
「アース? ああ、なるほどね」
 背中に突き刺さる視線に、仕方なく彼は腕をといた。梅花は全てを理解したらしく、頬に指先を当てながら微苦笑している。
「わかった。レンカ先輩呼びに来たんだけどついでにアースもつれてくわ。そのかわり青葉、メユリちゃんの勉強見てあげてくれない? 約束してたの」
 彼は大仰に相槌を打った。この場から逃れられるなら、勉強見るくらいなんのそのだ。
「じゃあ青葉、そっちはよろしくね」
「おうっ。そっちもよろしくな」
 足取り軽く彼は食堂の扉を開けた。背中越しにアースをなだめすかす声が聞こえ始め、レンカの笑い声まで耳に入ってくる。
 でも昼食中にレンカ先輩呼び出すなんて……何かあったんだろうか?
 ふと気になり、彼は廊下の途中で彼は立ち止まった。そういう事態は記憶にはない。しかしかといって今戻るのは別の意味で危険だ。
 まあ後で聞けばいいか。
 彼は再び歩を進め始めた。扉の閉まる音が、静かな廊下にかすかに響いた。

◆前のページ◆   目次   ◆次のページ◆

このページにしおりを挟む