white minds

第二十九章 過去からの使者‐3

 目覚めた時、ひどく胸騒ぎのする朝だとレンカは思った。嫌な予感とまではいかないものの、何かすっきりしないものが胸の奥に引っかかっている。
「おかしいわね」
 ベッドから体を起こし立ち上がると、カーテンの隙間から外を覗く。昇り始めた太陽が草木を照らして、清々しい朝を演出していた。
「魔族はおそらく動かないだろうって話だし、今日でレーナも完全になるのに。まあよつきたちから連絡はないけど……」
 心当たりはなかった。宇宙組に何かあったとしたら話は別だが、しかし嫌な予感とまではいかないのだから命の心配はないだろう。
 ならば何故?
 自分に問いかけてみても答えは出ない。ただもやもやとした気持ち悪いものが奥底に巣くっているだけだった。気持ちが悪いがこれはどうしようもない。
 仕方なく彼女は身支度を整えることにした。答えが出るのはまだ当分先だろうし、朝ご飯の準備もしなくてはいけない。そろそろ早起き組の者たちが食堂に現れる頃だ。
「レーナがいれば、何か聞けるかもね」
 だがその期待も虚しく、レーナの姿は食堂には見あたらなかった。そこにいたのは梅花だけで、朝の心地よい静けさが辺りには満ちている。
「あっ、レンカ先輩、おはようございます」
「ええ、おはよう」
 彼女はそのまま厨房へと入り、気を取り直して支度を始めた。今日は何にしようかと考えながら、巨大な冷蔵庫の中身を確かめる。
「具合でも悪いんですか?」
「え?」
 ふとかけられた問いに、彼女は思わず気の抜けた声を発した。先ほどまで窓際でパソコンと向き合っていた梅花が、カウンターから顔を覗かせている。
「覇気が足りません、それに顔色がよくないです。体調悪いなら代わりますよ?」
 気遣わしげな黒い瞳を、レンカは見つめた。そうだ、レーナでなくても目的は達せられるのだ。彼女だって感じ取ることのできる人間……否、神なのだから。
「ねえ梅花、今嫌な予感を感じる?」
 問いに問いで返したレンカに、梅花は一瞬目を丸くした。それからゆっくり首を横に振り、おもむろに口を開く。
「いえ、これといったものは。ただ地球も宇宙も気の流れが乱れていて嫌な感じはします。大きな動きはないんですが、気にはなりますね」
 なるほど、ではこの胸騒ぎもそのせいだろうとレンカは結論づけた。理由が見えてくれば、喉の奥に引っかかったような気持ち悪さも少しは軽減した気がする。
「……え?」
 だが笑顔で相槌を打とうとして、彼女ははたと我に返った。今聞き捨てならないことを耳にした気がする。何気なくだが、とても重要なことを。
「どうかしたんですか?」
「梅花……あなた今、『宇宙も』って言った?」
 尋ねれば梅花は素直にこくりとうなずく。
 今のところ地球外の気を感じ取れるのはレーナくらいだった。ひょっとしたらアルティード辺りもできるのかもしれないが、あのユズでさえ広い宇宙で気を探知するのは難しいらしかった。それを今彼女はごく当たり前のように口にした。
「最近は近隣なら特に意識しなくても感じられるんですよね。さすがに遠くはきついですが」
 そう言って苦笑する梅花は前よりもずっと強い印象がある。今にも消えそうな儚さが薄れたといったところか。まとめられていない黒髪が肩から滑り落ち、カウンターを撫でた。
「そう言えば最近梅花朝ご飯食べてないわよね」
「あれ? そうでしたか?」
「昼もよく抜いてない? 夜は青葉に引きずられて来てるけど」
 それでも以前よりもずっと元気そうなのは、彼女が人外の者になりつつある証拠だろう。いや、アユリとしての力を取り戻しつつあると言うべきか。
「アユリを受け入れてから、何だかさらに人間離れしてきてるみたいです。でも食べなかったり寝なかったりすると怒るんですよね、青葉」
 梅花は困ったように微苦笑した。それは以前よくレーナがしていた表情で、それを考えると何だかおかしくなってくる。どうしてこうも似てくるのか不思議で仕方がない。
「私も滝にそれとなく言われたわねえ。ふーん、仲良くやってるのね、安心した」
 レンカは穏やかな笑みを浮かべ、長い髪を後ろへとやった。胸の奥のつかえは取れないものの、仲間がいるというのは嬉しい。周りとかけ離れたところにいるのには慣れてはいたが、それでも滅入っている時には心強かった。
「仲良くという基準がわかりませんが、まあそれなりに」
 そう梅花が口にした時だった。
 突然遠くに気の乱れが生じ、体の中を衝撃のような者が走り抜けていった。
 内に眠る何かが危機感を訴えている。空間のきしみを感じ取るかのように、耳の奥がつんと痛くなった。
 何か起きた。
 二人は顔を見合わせ、うなずきあった。違和感が体を浸食し、気持ちの悪さを加速させる。
「おかしいですね」
「ええ」
 そう口にしながら走り出したが、他に起きてくる者の気配はなかった。それも仕方がない。何故なら危険を知らせるはずの警報が鳴っていないのだから。
「この気は……魔族じゃありませんね」
「神?」
「おそらく。妙ではありますが」
 二人は司令室へと飛び込み、辺りに視線を巡らせた。そこにいたのは案の定、レーナとアースだけである。シフトが崩れた今は、こんな時間に待機している者はほとんどいない。
「レーナっ」
「わかってる、今調べてるところだが、どうやらナイダの谷の中だな」
 珍しくパネルに向かっているレーナは、早速事態を調べているようだった。その隣ではアースが仏頂面で腕組みしている。
 いいところを邪魔されたのね。
 何となく予想がついてレンカは笑い声をもらしそうになった。同じとも別とも言える彼の性格は、代を経るごとにわかりやすさと激しさを増しているように思える。
「神?」
「だろうな。だが妙だな、こんなところで」
「神側は動きそうなの?」
「今のところそれらしい兆候はない。奴らの関知するところではないのかもしれないな」
 梅花と目を合わせて、レーナは気難しい顔をしていた。予想のつかない事態は判断に困るのだろう。小首を傾げると同時に、頭の上で結ばれた髪がその動きにあわせて揺れる。
「だが放っておくわけにもいかない」
 彼女がそうつぶやいた時、扉が軽く開く音がした。
 その方を一瞥すれば、入ってきたのは慌てた様子の滝である。
「滝、起きたの?」
「支度してたところだ。まさか朝っぱらからこんなことになるとは思わなかったけどな」
 彼は真っ直ぐ部屋へ入ってくると、レンカの隣に立って苦笑を浮かべた。こんなとき、以前のようにきちんと見張っている者がいればよかったと思う。
「仕方がない、誰かが様子見しに行くしかないな」
 そう言いながらレーナは席を立った。四人の怪訝な視線が集まり、彼女は小首を傾げる。
「何だ?」
「もしかしてレーナが行くの?」
 梅花がそう尋ねると、当たり前のごとく彼女は首を縦に振った。アースの顔があからさまに険しくなるのが、皆の視界の端に映る。
「青葉がいないからオリジナルは駄目だ。だが人数も必要だ」
「ってことは……」
「オリジナル以外は行かねばなるまい。ここで待機していてくれるか? 梅花」
 レーナの微笑みに、すぐさま梅花は相槌を打った。異変を探るのに心許ない人数だが、面子としては申し分ないとも言える。
「じゃあすぐに向かいましょう」
「そうだな」
 梅花を残して、四人は司令室を飛び出した。
 ナイダの谷では、いまだに気味の悪い気の渦が巻き起こっていた。

◆前のページ◆   目次   ◆次のページ◆

このページにしおりを挟む