white minds

第三十章 宇宙へ‐2

「たく先輩、大丈夫ですか?」
 かけられた言葉に、たくは弱々しく微笑んでうなずいた。もたれかかった木の冷たさが、時折遠ざかる意識を何とか繋ぎ止めている。彼の目の前には心配そうにする雷地の姿があった。どうやらバランスの中ではまとめる立場にあったらしく、いきなりの状況変化にも対応してくれる頼もしい後輩だ。金髪にも近い明るい茶髪が、ともすれば硬くなりがちな彼の印象を和らげている。
 たくは自らの太股に視線を落とした。適当に巻き付けた布が赤黒く染まっている。出血は何とか止まったようだが、力が入らないことには変わりなかった。動かせば痛いし、何よりしばらく放られていたのが問題だ。傷はそれほど深くなかったものの、出血量が思ったよりもまずい域に達しているのだろう。
「雷地こそ大丈夫か?」
 尋ねると雷地ははにかむような笑顔で相槌を打った。見たところはどこにも怪我はないようだが、彼が頭を強打されてるのをたくは見ている。
「オレは石頭なんで」
「でも帰ったら一度ちゃんと診てもらわなきゃな」
「ええ、帰れたら。まずはそこが重要です」
 二人は辺りを見回した。視界に入るのは緑だけで、道らしきものは見あたらない。少なくとも宿の近くには森らしきものはなかったはずだ。襲われてからどこをどう運ばれたかは覚えてないが、小さな山の中じゃないかと思われた。山なら幾つかあの近くにもあった。
「どうしてオレたちは放られたんでしょう」
 片膝をついて、雷地はふうと息をもらした。疲れがにじんでいるのか顔色はよくないが、その茶色い瞳にはまだ生気が宿っている。
「たぶん、運ぶのが面倒だったんじゃないかな。どこへ連れていくつもりだったかは知らないけど、途中で諦めたんだろう」
「ああ、なるほど。女性の方が軽いですしね」
 雷地はその場に座り込むと微苦笑を浮かべた。右も左もわからないところへ放り出された彼らと違い、コスミとコイカの姿はどこにもなかった。そのまま連れていかれたのだろう。無事でいてくれと願う他に、彼らにできることはなかった。
 ここがどこなのかすらわからないのだから。
「ああ、マツバ」
 そこで足音を聞きつけ、雷地が立ち上がった。彼が振り向いた先には、肩先の葉を振り払う青年の姿がある。雷地と同じバランスの一人だ。やや長めの髪に無感情な瞳、物静かな青年で、人懐っこい者ばかりのバランスではやや浮いている。
「ここから北へ真っ直ぐ向かえば、道らしきものに突き当たる。だけどその途中に急な崖があって……」
 マツバはその物言わぬ視線をたくへと向けた。雷地は髪をかきむしるようにして、大仰に嘆息する。
「たく先輩には無理、か。でも飛んで運べば大丈夫じゃないのか? ああ、目立って魔族に見つかる危険性もあるのか」
 ファラールでの魔族の行動は地味なものだった。なかなか表へは現れず、裏でひっそりと活動している。だがその方が人間の恐怖をあおれるし、何より足取りを掴むのが困難だった。いるにはいるが、どこで何してるかわからない輩が相手だと、対策も取りづらい。
「ここからシリウスさんたちの所まで……どれくらいあるかにもよる。すぐ行って戻ってこられるようなら誰か一人が知らせに行く方がいいけど」
 淡々とした口調でマツバが述べた。誰にしろ一人になるのは危険だった。その時間はできるだけ短い方がいい。雷地はうなずき、たくと視線を交わらせる。
「みんなが気を隠してるからな、魔族に見つかると困るから。この状況じゃ互いを見つけるのは難しいよなあ」
「じゃ、じゃあ……」
「三人で、とにかく道のあるところまで行こう。オレも全く歩けないわけじゃないし」
 慌てる雷地を制して、たくは立ち上がった。木の幹にもたれかかるようにして体を起こし、刺された左足をかばって立つ。不安定なその様子に雷地は顔をしかめていた。マツバからは何の感情も読みとれないが。
「幸いジュリとかサホとか、気の関知に優れてる人は無事なんだから、もしかしたら見つけてくれるかもしれないし」
 励ますようにそう言って、たくは笑った。空元気なのはわかっているが、雷地は何も言うことができない。
「そうですね、確かあけりも気の探知は得意ですし。少なくともオレたちがあっちを見つけるよりは、可能性が高いでしょう」
 冷静なマツバの言葉が、弱っていたたくを勇気づけた。頼ってばかりではいられないけれど、一人で気張る必要もないのだ。三人で力を合わせれば、何とかできる気がする。
「では行きましょうか。とにかく合流を目指して」
 雷地のかけ声で、彼らはゆっくりと歩き始めた。




 奥の部屋から出てきたシリウスは、複雑な顔をしていた。嬉しいとも悲しいとも何とも言えない表情を浮かべて、腕組みしながら斜め下を見つめている。
 古い教会の床はぎしぎしと鳴り、彼の足音にあわせて不器用な旋律を奏でた。壊れかけた長椅子の一つに腰を下ろし、彼は一つ大きなため息をつく。
 すぐにでも声をかけようと思っていたよつきは、その様を見て躊躇した。隣に座るジュリと目を合わせて、どうするべきか尋ねあう。
 何かあったんでしょうか?
 ただ報告するだけのはずですよね?
 目でささやきあっても答えは出てこない。仕方なく決意したよつきは立ち上がり、シリウスへと近づいた。幸いにも気配に気づき彼が顔を上げてくれたので、名前を呼ぶ必要はなかったが。
「シリウスさん、話はどうだったんですか?」
 単刀直入によつきは尋ねた。シリウスは地球と連絡を取るために部屋へと入ったはずだ。
 奥の小部屋は各神界との連絡用になっている。人一人入れるかといった狭さだが、魔族に見つからないよう仕掛けを施すにはそれが限界なのだそうだ。本来神界というものは、それぞれの星から繋がった亜空間を利用するのが一般的らしい。だがそれも神がほとんどいなくなってしまったファラールでは無理なのだそうだ。
「全てを話してきた」
「全てを? 何か言ってましたか? その……馬鹿野郎とか」
「いや、行くしかないか、と言っていた」
 苦笑混じりの言葉に、よつきは首を傾げた。行くしかない、それは、つまり、来るということだろうか?
 思考が停止しそうになるのを彼は感じる。言葉の意味がいまいちよく飲み込めなかった。
「ええっ、来るんですかっ!?」
 そんな中、シリウスの声にいち早く反応したのはユキヤだった。そばで耳を澄ませていたのだろう、驚きに口を大きく開いて何度も瞬きをしている。
 来る。彼らが来る。それはつまり、神技隊が宇宙に揃うわけで――
「って本当ですか!? 正気ですか!? それちゃんと確かめたんですよねえ?」
 慌てたよつきも同じように声を上げた。
 それでは二手に分かれた意味がない。地球の守りがおろそかになってしまうし、考えれば宇宙へ来る手段だってもうないはずだった。宇宙船はぼろぼろのばかりで、それでもましな奴は既に彼らが使ってしまったのだから。
「確かめた、正気かとも聞いた。だがレーナははっきり行くと言い切っていた」
「そんなの許されるんですか? それに何より手段がないじゃないですか、無理ですよ」
「よつきさん、レーナさんはやると言ったらたぶんやります」
 混乱するよつきの肩を叩いたのはジュリだった。複雑そうな、先ほどのシリウスと同じような表情を浮かべた彼女は、ゆっくりと頭を横に振っている。
「ジュリ……」
「巨大結界を補強してくるらしい。六時間後には、というのはその準備も含んでるのだろう」
 落ち着きを取り戻したよつきを一瞥し、シリウスはそう付け加えた。信じがたいといった気持ちは彼も同じなのだろう。それを感じ取り、よつきはうなずく。薄暗い教会に一瞬の沈黙が生じた。
「船は、どうするとか言ってました?」
 素朴な疑問をよつきはぶつけた。椅子から腰を上げ、シリウスは短い前髪をかき上げる。深い青色の髪がさらりと音を立てた。
「例の、お前たちの基地。あれが船になるんだそうだ」
「え? ええっ? あ、あれがですか?」
「そう、あれがだ。しかも六時間ということは、どうやら転移してくるらしい。まったく、どこまで常識を破れば気がすむんだろうな」
 驚きや呆れを通り越すと笑うしかないらしい。シリウスの顔を見つめながら、何となくよつきはそんなことを思った。隣へと視線を送れば、ジュリは何か考え込んでるのか気難しい顔をしている。辺りを目だけで確認すれば、心配そうな瞳が彼らに向けられているのがわかった。
「転移って……あの瞬間移動のことですよね? 基地ごと、ってことでしょうか」
 おもむろに顔を上げて、ジュリがそう尋ねた。答えようとするシリウスの唇から、かすかな苦笑がもれる。
「そういうことだろう。ここまで六時間というからには、普通に飛んでくるわけではあるまい。一回か二回は転移しなければ無理だな。本当、あいつは何者なんだ」
 問いかけるような眼差しに、よつきもジュリも言葉を失った。二人に答える術はなかった。知っていることはあまりに少なくて、あまりに断片的で、何か言おうにも形をなさない。ただ瞳を揺らすだけで口を開かない二人に、シリウスは自嘲的な笑みを浮かべる。
「ああ、悪かった。お前たちだってそれが知りたいんだよな。それに今はもっと重要なことを考えなければならない。捕まった者たちの救出だ」
 その言葉で二人ははっと我に返った。そうだ、今は捕まった仲間たちをとにかく助け出さなければならないのだ。考えるのはその後でいい。
「あいつらが到着する六時間後まで、人間たちが悠長に待っていてくれるとは限らない。あいつのように気を一発で探る、というのは無理にしろ、動いておかなければな。手遅れにならないように」
 辺りで成り行きを見守っていた者たちを、シリウスは順に見回した。それから優雅な微笑を浮かべてゆっくりと口を開く。
「ここから気の探索だ。彼らが聞き込みに行った地域は大体わかる。そこから移動できる範囲にむけて徹底的に精神を集中させよう。見知った気を見つけるのは、お前たちも得意だろう?」
 それはある意味無謀な策だった。だが聞き込みに回るよりははるかに有意義だった。この星の人間が当てにならない以上は、信頼できるのは自分たちの感覚だけだ。
「そうですね、とにかく精一杯やってみましょう」
 応えるよつきの顔には、微苦笑が浮かんでいた。
 静寂が、辺りに満ちた。

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