white minds

第三十章 宇宙へ‐5

 突然飛び込んできた光が瞼の裏に焼き付いた。
 薄闇に慣れてしまったせいだろう。目の奥がずきりと痛む。
「その二人をたたき起こせ。運ぶのは面倒だ」
「いいんですか?」
「すぐ側まで彼らが来ている。逃げ出すことはできないだろう」
 かすかに目を開けて辺りを確認すれば、ランプを持った男が二人、扉の前に立っている姿があった。光はこのランプのせいだろう。コスミはどうすべきか思案した。どうやら引き渡しとやらの時間らしい。
「わかりました、たたき起こしますね」
 若い男の声がした。木の軋む音が大きくなり、それが次第に近づいてくる。
 コイカはまだ気を失ってるの?
 彼女は視界の端に、うずくまるようにして倒れているコイカの姿を発見した。気絶したふりならば手はあるが、本当に意識がないなら動いても意味がない。
 どうしよう。
 焦ってはいけないとわかっているのに鼓動が早くなった。汗がにじみ、握った手のひらに溜まっていく。
「おいこら、さっさと起きろ」
 声と同時に、彼女の体は乱暴に床から引きはがされた。縄のこすれる音がし、ぐるぐるにされた体がひどく痛む。縄の端を掴んでいるのだろう。中途半端な体勢に堪えきれず、彼女はうっすらと目を開けた。視界の端に顔をしかめた男の様子が映る。
 まだ若い、おそらく二十をすぎたくらいだろう。怯えを押し隠せないのか近寄らずににらみつけてくるその男が、彼女の決心を後押しした。
「起きたか」
 彼がそうぶっきらぼうな声を発した時だった。彼女は全神経を手のひらに集中させるかのように、ただそこだけに意識を向けた。
 刹那、斜め後方へと薄水色の球が飛び出した。
 それは床を突き破り、水しぶきを上げる。
「うわっ!?」
 驚いた男が手を離した。床へと重力に引かれるまま落ちた彼女は、横へごろりと転がりコイカの傍による。
「こいつっ!」
 怒りの声は、しかし途中で別の音にかき消された。小さなきしみの後、鼓膜を突き破らんとする破裂音が辺りを覆い尽くした。
「ぎゃああっ」
「崩れるぞ!」
 男たちの悲鳴がかすかに聞こえた。弱っていた小屋に致命的な一撃が加わったのだ。壁が、屋根が、ぼろぼろになった木々が彼女たちの上に覆い被さってくる。
「こ、コスミ先輩?」
 隣に転がっていたコイカが、恐る恐る顔を上げた。コスミは彼女に微笑みかけ、ほんの少しうなずいてみせる。
 二人の丁度真上には小さな結界が存在していた。こうなることは予想済み。これくらいの対応なら咄嗟にだってできる。
「あの人たちがいなくなったら、どうやって縄をはずすか考えようね。威力をうまく制御すればできるかもしれないし」
 そう言ってコスミは視線を辺りにさまよわせた。木の破片に覆われて外がどうなっているのかは定かでない。
 しかし――
「あ」
 コイカが小さな声をもらした。気配が、強い『気』が近づいてきていた。
「こ、この気は魔族!?」
 コスミも喉を鳴らし、コイカと目を合わせる。このままでは戦えない。相手が魔族ならどれだけこちらの気を隠したとしても、逃れられるとは思えなかった。縄をはずそうと二人は必死になるが、そううまくはいかない。
 気はさらに近寄ってくる。そして恐れていたことがその次の瞬間現実のものとなった。
「!?」
 小屋のあった場所へと炎の球が近づいてくるのを、コスミは見た気がした。実際は感じ取ったのだが、この際そんなことはどうでもよかった。
「結界!」
 慌てた彼女は結界をさらに強化する。上だけではなく囲むように張られた結界が、炎と衝撃から二人の身を守った。
「ほほう、本当に技使いなのか」
 だがもちろん、それで全てが終わるわけではなかった。燃える木の破片、黒く立ち上る煙の先から、男の声がする。体をよじって何とか膝で立つと、コスミはその声の方をじっとにらみつけた。飛び交う火の粉が煙の中輝いている。
 黒一面の中から現れたのは、萌葱色の髪をした青年だった。それだけで人間ではないと断言できる容姿だ。無論その気が如実に彼の正体を語っているのだが。
「こ、コスミ先輩っ」
 泣きそうな顔でコイカが上体を起こした。彼の後ろにも数人の魔族の気が、確かに存在していた。姿はまだ見えないが複数なのは間違いない。飛んで逃げられる状況でもなかった。
「技使いがこの辺嗅ぎ回ってるって話本当だったんだなあ。ってことは地球から来たってのも本当なのかな? まあいいや、オレらは仕事果たせばいいんだからな。プレイン様のご機嫌損ねなきゃいいわけだし」
 興味深そうにその男は口の端を上げた。余裕があるためだろう、右手をぶらぶらとさせて嬉しげな様子だ。煙がやや落ち着いてくるとその姿はさらにはっきりとしてくる。浅黒い肌に水色の瞳。その双眸は二人を真っ直ぐ捉えていた。
「ど、どうするんですかっ?」
 うわずったコイカの声がコスミの喉を鳴らせた。彼女の額から汗がこぼれ落ちていく。
 どうする?
 そう彼女が自らに問いかけた時、事態は急変した。
「ぐわああっ!」
 情けない悲鳴が、辺りに響き渡った。それは男の後方、他の魔族が待機していたと思われたいた所からだ。
「何だっ!?」
 慌てた男が後ろを振り返る。目を白黒とさせるコイカの隣で、コスミは大きく息を吐き出した。
「ど、どうしてここに……?」
 呆然としたつぶやきがもれる。
 黒い煙の先には、見知った気が存在していた。
「地球の技使いってのを甘く見ないで欲しいわねえ」
 からかうような軽やかな声が、動揺する魔族たちへと注がれる。すると不意に強い風が吹き、辺りの空気を一瞬で浄化した。
 そこに立っていたのは、頼もしい仲間たちの姿だった。
「り、リン先輩!」
「救世主参上ってところ? ごめんね待たせちゃって」
 リンがにこりと微笑むと同時に、その背後にいる魔族をシンの一撃が葬り去る。彼が光の粒子となり消え去った後には、残された一人の魔族――萌葱色の髪の男が体を震わせていた。
「あーあ、僕たちの出番はなさそうだね」
 後方で腕組みをしていたミツバが、隣のホシワへとそう愚痴をもらしている。だがそんな言葉も聞こえていないのか、男は一歩一歩後ずさりながらシンたちへと視線を向けていた。その瞳は滑稽な程揺れている。
「悪いけど、コスミたちを脅かしたんだからそれ相応の報いは受けてもらわないとね」
 リンの不敵な声は、男の断末魔の悲鳴にうち消された。
 彼女の放った青白い光の筋が、一瞬で戦いを終わりへと導く。
「す、すごい……」
 全てを呆然と見つめていたコイカから、感嘆のため息がもれた。




「どうして先輩たちがここにいるんですか?」
 縄をほどくリンに向かって、コスミは素朴な疑問をぶつけた。
 煙が晴れてみればここが山の中なのだとわかる。崖にほど近いちょっとした原っぱに、小屋は建っていたようだ。
 コスミにあわせて座り込んでいたリンは、ちらりと視線を上げた。それから柔らかに微笑んで、おもむろに口を開く。
「人捜しが大変だーって緊急要請がかかったから来たのよ。梅花が巨大結界強化してくれたし、基地のおかげで宇宙だって何てことないからね。まあレーナが飛ばしてくれたからこんなに早かったんだけど」
 縄を完全に解き終わり、リンは後方へと一瞬顔を向けた。それにならって見てみれば、辺りの様子をうかがうレーナの姿がそこにはある。
 二人を助けにやってきたのはリン、シン、ホシワ、ミツバ、ダン、レーナの六人だった。魔族の数が少なかったので何の苦もなかったのだが、念のためだということだ。もちろん移動には転移を使ったらしい。だからレーナがいるわけだが、それでもコスミは何だか悪い気がしてくる。
「じゃあ私たちのせいなんですね」
 ぽつりとそうもらすと、リンの軽い鉄拳がその頭に下された。慌てて見上げれば困ったように微笑まれてることに気づき、コスミは小首を傾げる。
「そういうこと言わないの。仲間を助けるのは当たり前でしょう? プレインが宇宙で本格的に動き出したのは確からしいから、丁度いい時期だったのよ」
 コスミは小さくうなずき、隣にいるコイカへと目を移した。先に縄を解かれた彼女は、今はぐったりとした様子でその場に座り込んでいる。
「あ、そうだ! たくたちがっ」
 ふとそこで重要なことを思い出し、コスミは声を上げた。するとリンはにっこり微笑み、彼女の肩を軽く叩く。
「それなら大丈夫よ、今はジュリたちと一緒みたいだから。たぶん私たちの気が一緒だってわかったから、そのまま真っ直ぐ帰ってるでしょうね」
 リンの言葉にコスミは安堵のため息をもらした。皆が無事だとわかったら途端に涙がこみ上げてくる。
「よ、よかったあ」
「本当よかったわ、みんな無事で。じゃあそろそろ戻りましょうか? あんまり長居すると他の魔族に気づかれるかもしれないしね」
 コスミは何度も相槌を打ち、リンと一緒に立ち上がった。見守っていたミツバたちもその気配に動き出す。
「コイカ、立てる?」
 そう声をかけてコスミはコイカの方へと手をさしのべた。それまでうなだれていた彼女が、ゆっくりと頭をもたげる。
「あ、は、はい。大丈夫です」
「あらら、コスミも先輩らしくなったわねえ」
 手を借りて立ち上がるコイカ。そんな二人を見つめてリンはくすりと笑い声をもらした。頬を染めながら眉をひそめて、コスミは口を開く。
「まだまだですけどね」
 心の底から絞り出した言葉に、リンはそれ以上何も言わなかった。
 吹き荒ぶ風が、草の上を撫でていった。

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