white minds

第三十章 宇宙へ‐7

「ここが宇宙だなんて、信じられないよなあ」
 ベッドに腰掛け、窓の外を眺めながら青葉はぽつりとそうもらした。部屋の様子も、空気も、地球にいた頃と全く変わらない。違いはおそらく窓から見える景色ぐらいだろう。上も下もない黒い空間というのは目にする度に不思議であった。
「そうね、でも仕方ないわよ。途中までずっと転移で来たんだから」
 彼の隣には白い顔をした梅花も座っていた。地球で巨大結界の補強という大仕事を終えたためか、やや疲れているようだ。だからこそ彼は監視という名目で引き連れているのだが。
「ああ、そうだよな」
「この二時間程じゃない、宇宙飛んでるのって」
 にこりと彼女は微笑んだ。その様子を視界の端に入れながら、彼は内心でため息をつく。
 部屋に二人きりというのはよろしくない状況だった。皆が無事だったと聞いた今となってはなおさらだ。理性を総動員しても思わず右手が伸びそうになる。
 指先が、彼女の長い髪をさらりと撫でた。
「ん?」
「あ、いや、気分とか大丈夫か? 顔色まだあんまりよくないけど」
 彼女が小首を傾げると、彼は慌てたようにそう付け加えた。無防備な笑顔はさらに悪い。
 いつからこんなに笑うようになったんだろう。
 彼は胸中で疑問の声を上げた。
 レーナと出会って柔らかくなって、基地で過ごすようになって人当たりがよくなった。でもこれだけ微笑むようになったのは……何がきっかけだろう? 最近ではレーナと大差ないんじゃないかと思うくらいの笑顔率だ。
「私は大丈夫よ。青葉? どうかしたの?」
 不思議そうな彼女の瞳が彼を見上げた。どうやら心境が顔に表れていたらしい。彼は首を横に振りながら彼女の頭に手を載せる。
「いや、何でもない」
「何でもないことないでしょう? 何考えてたの?」
 彼女はその手をゆっくりのけると、やや顔をしかめてそう尋ねた。だがその手の行く末が問題だった。下ろされたのはベッドの端、彼女の膝のすぐ側だ。
「あーいやー、別に大したことじゃなくて」
「じゃなくて?」
「うーん、お前よく笑うようになったなあって」
 一瞬彼女は目を丸くした。それから右手をあごにあてて斜め上を見る。肩にかかっていた髪が滑り落ち、ふわりと揺れた。
「そうかな? でも笑った方がいいって言ったの青葉じゃない」
「え?」
 彼は思わず声を上げた。柔和に微笑みかけるようにした彼女は、その反応にまた小首を傾げている。
「お、お前はいつの間にそんなかわいらしいことを言うようになったんだっ」
「ええっ? ど、どの辺がかわいらしいのよ?」
「わからないならいい。でも無理するなよ」
「無理なんてしてないわよ。自分ではそんなによく笑ってるだなんて思ってないんだから」
 彼女はくすくすと声をもらした。彼もつられて笑いながら、おもむろに彼女の腰を引き寄せる。力一杯抱きしめるとほんのりとした香りが鼻孔をくすぐった。彼女が戸惑ったように身じろぎする。
「青葉?」
「梅花がそんなこと言うのが悪い」
 間近から瞳を覗き込んで、彼はそう告げた。不思議そうに瞬きをする彼女の頬に、左手でそっと触れる。
 だが――――
「青葉ー、梅花ー!」
 部屋の外からかかった声が、彼の動きを凍らせた。続けてドンドンと戸を叩く音が聞こえてくる。
「もうすぐ到着だから司令室集合だって」
 声の主はリンだった。彼は心の中で舌打ちしながらゆっくりと腕の力を抜く。どうやら目的の星アーデスが近づいてきたらしい。
「どうやら休憩も終わりみたいね」
 彼女は立ち上がり、彼へと双眸を向けた。苦笑いを必死に押し殺して彼も腰を浮かす。
「だな。あー残念」
 おどけた声が部屋の中に吸い込まれていった。




 司令室のモニターには青い星が映っていた。地球と同じく水が多い珍しい惑星らしいが、それも北に偏っているようだ。
「着陸っていうか着水はどうするんですか?」
 前方に座っていたアキセが振り返り、レーナの方へと顔を向けた。機械類全般に強いらしい彼は船の操縦を任されている。といっても基本は自動に近いのでそれほど苦はないのだが。
「ああ、そのまま突っ込めば勝手に制御してくれるから」
 案の定返ってきたのはそんな答えだった。つくづく何を想定して作った基地なのか疑問になってくる。
「だがまあ念のため席についてくれよ?」
 アキセが前方へ視線を戻すと同時に、レーナは周りの者にそう言った。到着間近となった今、基地内の者は全員ここに集められている。だが半分程がファラールにいるため窮屈な印象はない。
「席足りるのか?」
「二階の分もあるだろう? この人数なら十分だ」
「ふーん、意外にあるんだな」
 尋ねた滝はそれまで通り中央の椅子で腕組みをしていた。飛び立った当初こそ複雑そうな顔をしていたが、それにも慣れたらしい。長年培われてきた上に立つことへの適応能力というものは、なかなかすごいようだ。彼は周囲をぐるりと見回す。
「それにしてもここまでよく魔族に見つからなかったな」
「この辺は人間の行き来も多い地区なんだ。直接見かけさえしなければこの船がとんでもないものだなんて気づきはしない。ファラールの方が目立ってるしな」
 彼のぼやきにすぐレーナが答えた。見かけなければ、ということはそれなりに気などは隠せるようになっているらしい。
 モニターいっぱいに青い星が広がった。うっすらとかかった雲が優雅な印象を与え、ともすれば魅入られそうになる。
「海へ降りたら南へ向かう。それからすぐに神界に顔を出してみよう」
 静かになった室内に、彼女の声が染み渡った。滝は顔だけでその方を振り返る。
「いきなり飛び込んでって大丈夫なのか?」
「お前たちは転生神だぞ? 当たり前だろう」
「でもオレらの顔知れ渡ってるようには思えないし」
「今のお前たちなら威厳があるから大丈夫だ。特にレンカや梅花あたりは申し分ないだろう」
 その言葉につられて彼はレンカと梅花を見た。まだ席についてなかったレンカは彼のすぐ傍にいる。穏やかながらも不敵なものを感じさせる微笑みは、確かに効果がありそうだ。非常に心強い。
 梅花はというと青葉とともに脇の方の席に座っていた。疲れがまだ残っているらしく顔色はよくないが、それでも凛とした瞳には輝きがある。何より青葉がいれば心配はないだろう。最近は仲むつまじいらしく、滝もほっとしているところだった。
「確かに大丈夫そうだな」
「だろう? あ、どうやら大気圏が近いらしいな」
 船の動きがやや遅くなった。体勢を整えているらしい。まだ立ったままだった数人が動き出す気配がした。後ろの壁にいるアースや、微笑むレーナに動く様子はないが。
「お久しぶり、アーデス」
 艶やかな一言が、レーナの口から放たれた。
 青い星は悠然と彼らを迎え入れようとしていた。

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