white minds

第三十一章 証‐4

 走り続けて、ようやく人らしき影を見つけたのはしばらくたってからのことだった。
 肺を焦がすような熱い空気の中、仲間であるときつが構えているのが目に入る。
「ときつ!」
 アキセは叫んだ。だが彼女は振り向かなかった。低い姿勢から素早く地を蹴ると、迫る魔族を紙一重でかわし、その背中に雷の矢を打ち込む。
 頭蓋に響くような悲鳴が上がった。そのまま地面に伏す魔族へ、ときつはとどめの一撃を食らわせる。
 そこでようやく敵の影が途絶えたのだろう、彼女はアキセへと顔を向けた。服も頬の土で汚れており、呼吸はやや乱れている。だが疲れてはいてもいつもの強気な表情だった。
「遅いっ!」
「っていきなりそれかよ!?」
「いいから後ろ、そこにサホがいるから」
 ときつはまなじりをつり上げて後方を指さした。振り返ればやや離れたところ、屋根のなくなった建物の中に人々の姿がある。彼らを囲むように巨大な結界が張ってあった。その前に、崩れた壁に寄りかかってサホが座り込んでいる。
「サホ!」
「アキさん?」
 走り寄りながら呼びかけると、弱々しい声が返ってきた。周囲に魔族の気がないことを確認し、アキセは傍に駆けよると膝をつく。
「子どもをかばってやられたって聞いて」
「かばったという程じゃないです。私がドジ踏んじゃっただけです」
 見上げるようにして、サホはゆるゆると首を横に振った。その銀色の髪に所々赤が混じっていた。彼はおもむろに視線を落とす。
 右の上腕が、真っ赤だった。そこが斬られた場所なのだろう。うす灰色の上着を鮮血が染め上げ、見るだけで痛々しかった。
 出血は止まっていない。それでも傷口を塞ごうと努力した結果なのか、意識があるのは幸いだ。
 アキセは後ろに隠れている人々を一瞥し、安堵の息を吐き出す。
「この結界は?」
「私が張ってます。こんな状態じゃ戦えませんから、せめてみんなが戦闘に集中できるようにって」
 微笑むサホを、アキセは驚愕しながら見つめた。出血が多いということは、すなわち体中を巡る精神の量も減っているということだ。そんなときに技を使うなど、命を縮めているに等しい。
「サホっ」
「同じ失敗は繰り返しちゃ駄目なんですよね? 一般人を守るために、これ以上私たちが傷つくのは得策じゃありません。大丈夫です、すぐに滝先輩たちが戦闘を終わらせてくれますから」
 アキセは、はっとした。彼女は信じているのだ。仲間たちがその役目を果たしてくれることを、戦闘がすぐに終わることを。
「だからアキさんはこの結界の反対側をお願いします。レグルスさんが苦戦してますから」
 青い顔でサホはそう言った。浮かべた微笑は彼を後押しするためだろう。置いていきたくないという気持ちと信じたいという気持ちが、彼の判断を鈍らせる。
 その時、小さな悲鳴が鼓膜を振るわせた。
「ときつさん!」
 サホの涙混じりの声に誘われるように、アキセは慌てて振り返った。
 前方を見やれば、三人の魔族にときつは囲まれていた。
 そのうち一人の青年の剣が、彼女の腹部を貫いている。剣が引き抜かれると同時に、ときつは地面に崩れ落ちた。まるで人形のように、力無く。
「ときつ!」
 だが続けて繰り出されたとどめの一撃を、透明な結界が弾き返した。目を見開いた魔族三人が、アキセたちの方を振り返る。
「サホ?」
 ときつの方へと、サホの左腕が伸びていた。結界は彼女のものだった。
 魔族たちはときつに背を向けると、一歩ずつこちらへ近づいてくる。アキセはゆっくりとその場に立ち上がった。
 早く戦闘を終わらせなければ、誰かが死ぬ。
 額を汗が伝っていった。
 この場を助けてくれる者は誰もいない。いつものように先輩たちが駆けつけてくれることも、神の誰かがやってくることもない。
「死なせるわけにはいかないんだっ」
 向かい来る魔族へ、アキセは鉄のかたまりを向けた。
 悲鳴が、辺りを突き抜けた。




 砂埃が目に痛かった。曇った空の下、激しい戦闘を物語る音だけが耳に届く。
 シリウスの前にはシンが立っていた。片膝をついた状態で剣を支えにし、よろよろと立ち上がる。先ほど受けた光弾が効いたのだろう。精神系のものらしく、見た目以上のダメージがあるはずだ。
「シリウスさんは、他の援護に回ってください」
 しかし拳で汗をぬぐいながら、シンは一言そう告げた。その袖、背中、あらゆる場所に赤い染みが付いている。呼吸も荒い。
「いいのか?」
 何故とは聞かず、シリウスはただそれだけを問い返した。戦局はやや彼らの方が優位だが、それはシリウスがいるからに他ならない。彼がいるから致命的な一撃を浴びせられずにすむのだ。体力を回復する時間もできる。
「行ってください」
 だがシンは端的にそう答えた。二人の目の前では、リンの生み出した風の竜とレシガの操る家々の破片が、轟きながらぶつかり合っている。レシガはどうやら精神系と土系が得意なようだった。自分で動くのが面倒だからだろうか、とにかく周りのあらゆる物を彼女は武器としていた。破壊された家々も例外ではない。
「そうだな、お前たちなら大丈夫だな」
 シリウスは微苦笑を浮かべた。
 転生神がいつどうやってその力を取り戻すのか、記憶を取り戻すのかは誰も知らない。だが今二人が確実にその道を歩んでいることを、シリウスは感じ取っていた。
 思いが彼らを強くするのか。いや、思いはただきっかけに過ぎない。それはおそらく記憶へと繋がる扉なのだろう。記憶は、奥底に眠る力を呼び起こす。
「死ぬなよ」
 彼はそう言い残すと、大きく地を蹴った。背後から聞こえる了承の声が、耳に強く残る。
 レシガは決して本気で仕掛けてはこなかった。勝とうとしない相手の懐へ飛び込むのは容易ではない。
 不利と判断すればあっさりと後退し、かといってその場を抜け出すことを許してはくれないのだ。言うならば、彼女はこの戦闘に最も適した戦い方を実行していた。
「これ以上人間に被害が広がれば我々の負けだ。何より、神技隊に死者が出る」
 言い聞かせるようにシリウスはつぶやいた。
 戦渦の広がり、人々の悲鳴、段々と薄れていく技使いたちの気。限界がすぐそこまで近づいてきていることは、誰もが理解していよう。
 一瞬の判断、それが命取りになる。幾度となく仲間を失ってきた彼には、それが痛い程よくわかっていた。だから耳障りな爆裂音が背中に降りかかっても、振り向かなかった。
 転生神は希望。
 それは見せかけでも飾り物でもない。彼らは自分の足で立つことのできる者たちだ。それを二人ともわかっているのだろう。
 シリウスは迷わず精神を集中させた。
 目指すはすぐ側にある西の街、魔族の集中している場所だ。ここからなら転移ですぐ駆けつけられる。
「死ぬなよ」
 祈るような言葉を残し、彼の姿はかき消えた。

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