white minds

第三十一章 証‐8

 戦いが終わったのだと気づいたのは、魔族が現れなくなってしばらくしてからのことだった。
 くすぶった火を足で踏み消しながら、よつきは広場を目指して歩いていく。
「魔族の気が減ってますもんね。爆発音も聞こえませんし」
 つぶやきながら彼は歩いた。土や灰で汚れたままだが、気にせず歩を進める。広場にはジュリがいるはずだった。魔族が現れない隙を利用して、傷ついた一般市民の手当をしているのだ。戦闘だけでも手一杯のはずなのに、よくやると彼は思う。
「え?」
 だが廃墟と化した広場には、予想外の光景が広がっていた。壊れた噴水を囲むように人々がうずくまり、うめくような声を発している。しかし彼が注目したのはそこではなかった。隅の方に膝をついたジュリ、その前には倒れて動かない仲間たちの姿がある。
「ジュリ!」
 駆けよりながらよつきは叫んだ。疲れ切った足はもつれそうになるが、それでも懸命に走る。
「よつきさん?」
 顔を上げて、ジュリが慌てたように振り向いた。血のこびりついた袖はまくられ、髪は乱れ、疲れが滲み出た瞳をしていた。それでも彼女の手のひらからは、淡い光がもれていた。治癒の技だ。その光は倒れているサツバへと注がれている。
「ど、どうなってるんですか?」
「レーナさんたちが運んできました。どうやら戦闘は終わったみたいなのですが、重傷人が相当いるようです。とりあえず応急処置として傷口を塞いでいます。とにかく出血を止めるのが先決ですから」
 おそらくレーナは転移を使って運んできたのだろう。一瞬のことだから気づかなかったのだ。ファラールのあちこちに散らばった神技隊を運んでくるのは、転移を使える者だけだ。
「一度シリウスさんが来たので、たぶんもうすぐ梅花先輩たちを連れてきてくれますよ。治療人員が増えます。まあ、それまで皆さんが耐えてくれるといいんですが」
 ジュリの顔が曇った。彼女一人では限界がある。それでも今はその限界までやらなければならないと覚悟しているからなのか、弱音は一切もらさなかった。
「状況はわかりました。で、わたくしができることって何かありますか?」
 よつきはそう尋ねたが、返答に窮することは予想できた。運び込まれたのは皆治癒の技でも使わない限り危険な者たちだ。擦り傷、切り傷くらいなら何とかなるが、それ以上のことを彼はできない。
 ジュリは寂しそうに首を横に振る。
「いいえ。ただ傍にいてください、私が倒れないように」
 彼女はいたずらっぽく微笑んでそう答えた。彼は何も言えず、目を細めてうなずく。
 仲間の到着を待つだけの時間は長かった。ジュリは黙ったまま、ひたすら治癒の技をかけ続けている。空気が重い。肺に入る空気その物は熱いのに、感じるのは底冷えするような冷たさだった。
 うめき声が、時折耳に入る。それが誰のもらした声なのか判別はできなかった。うずくまった人々なのか倒れた仲間たちなのか、感覚が鈍っているせいもあるのだろう、よくわからない。
 血の臭いがする。焦げた木の臭いに混じってそれはあちらこちらに漂っていた。
 目眩がしそうになる状況だった。
 そんな中、ひたすら仲間が来るのを待ち続ける。
 見知った気が近づいてきたのは、それからしばらくたってからのことだった。数人だということくらいしか始めはわからなかったが、次第にそれがシリウスたちのものであるとよつきは気づいた。自然と頬がゆるむ。
「遅れてすまない」
 彼らが辿り着いたのはそれから十分後のことだった。どうやらかなりの距離を飛んできたようである。考えてみれば、他人を転移させるという無謀な行為ができるのはレーナくらいなのだ。
 シリウスに続き梅花、青葉が地上に降り立つ。
「手伝うわ、ジュリ。もう少ししたらリン先輩も来るから」
 そう言って梅花が傍に膝をついた。左腕がほとんど動かないらしく真っ赤に染まっているが、その割りには元気な様子である。
「イーストはさくっと退散してくれたから早く来られたんだ。まあ近かったからってのもあるけど。シンにいたちはもうすぐかな?」
 よつきの横に座り込み、青葉がそう言った。さらりと出てきた五腹心の名前に、よつきはやや目を見開く。
「イースト……というのは、確か部下付きでしたよね?」
「そうそう、あのフェウスとかいうやつ。まあでも梅花がいたからな、平気だったけど」
「え?」
「精神系の大技はそれだけでかなり牽制になるんだ。相手が慎重ならなおのことな」
 説明しながら青葉は梅花たちの方を見た。それにつられる形でよつきも二人の方を見る。
 予想以上に転生神としての目覚めは進んでいるらしい。そのことを実感しながら、よつきは内心で感嘆のため息をついた。
 いつの間にか知らない世界がすぐそこにあるような気分だ。
「もうすぐレーナが来るぞ」
「え? 本当ですか、シリウスさん」
 シリウスの言葉に顔を上げると、彼は空の彼方を見つめていた。何か感じるらしい。灰色の雲に覆われた空には、鳥の気配も全くない。
「かなりの人数を一挙に連れてくる気だ。場所を空けておけ」
「む、無茶苦茶ですね」
「来るぞ」
「もうですか?」
 衝撃が訪れたのは、言葉が放たれるか否かという時だった。背中に何か大きなものが落下してきたようで、彼はくぐもった悲鳴をもらす。
「ああっ、ごめんなさいよつき先輩! 退きたいのは山々なんですが自分ではもう動けないんです」
 泣きそうな声が頭上から降りかかった。この声はサホだ。怪我している彼女をゆっくり自分からのけると、彼はよろよろと上体を起こす。
「大丈夫ですか、サホさん? まあ女性ならまだましだったというところでしょうから、気にしないでください」
 手をひらひらとさせながら、よつきは隣にいる青葉を見た。アースとアキセに踏みつぶされている彼は、無惨な姿となっている。しかもアースの腕にはぐったりとしたときつが抱かれていた。合計三人分の重みは相当だろう。
「青葉が死にかけてしまったが、とりあえず転移は成功だな」
 爽やかな声が聞こえた。そう言いながら辺りを見回したのは、レーナだった。やや離れたところに着地した彼女の周りには、ホシワやミツバ、ダン、すい、ユキヤやあけり、雷地たちの姿がある。
「お、お前なあ」
「苦情は後だ。出血のひどい者の手当だけはしておいた、後は頼めるか? 梅花」
 青葉のうめきは無視して、レーナは梅花たちの方へと歩み寄った。よつきは無意識にその様を目で追う。
「ええ、もちろん」
「その間に他の者を連れてくる。全員揃ったらとりあえず基地まで移動させよう。とにかく輸血が必要だし、精神の補給もいる」
「レーナは平気なの? 私は腕以外大丈夫だけど」
「体力尽きても精神は有り余ってる」
 とてつもない会話だと、よつきは思った。何ら変哲のない様子の彼女でさえ、体力はもうないのだ。無論精神が有り余るという事態も異常ではあるが。
 そこへときつを寝かせたアースが、青葉をまたいでやってくる。アキセはというと青葉の隣で何度も頭を下げているところだった。
「行くのか? レーナ」
「すぐ行く。重傷人はあとコイカくらいだが、レンカが倒れたままだ」
 アースの声に、レーナは振り返った。真顔であるというだけでこれほど緊迫感を出せるのは、普段が普段だからだろう。
「時間も、治療人員も、血も何もかもが足りない。誰が死んでも駄目なんだ。だから早く行かねばならない」
 切実な声に、言葉を挟める者はいなかった。
 彼女たちの姿が消えるのを、ただよつきは見守る。
 うめき声はまだ続いていた。

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