white minds

第三十一章 証‐9

 しばらくもたたないうちに、神技隊全員が顔を揃えることとなった。震える人々からやや離れたところ、広場の端に彼らは固まっている。
 まともに会話ができる者が少ない中、重い空気が辺りに立ちこめていた。苦しげな呼吸、すすり泣きが時折耳に入ってくる。
「戻るのか?」
 その沈黙をうち破ったのはシリウスだった。比較的健康そうな彼は、同じく普段通りの様子をしているレーナへそう問いかける。
「ああ、とりあえず基地へ行く。このまま放っておけば死者が出るからな」
 ホシワの額に手を当てていた彼女は、答えながら立ち上がった。
 気絶している者が半数、出血のひどい者がその半数もいる。今のところ誰も死んでいないのは奇跡としか言いようがなかった。もっともその奇跡は傍にいた仲間たちの努力が導いたものだが。
「それにこの人数分の輸血は無理だ。一旦地球へ戻るしかない」
 レーナは真っ直ぐシリウスを見つめた。彼女の足下には倒れたホシワ、うずくまったミツバ、気を失ったときつがいる。その後ろにはさらに多くの傷ついた者たちがいた。
 力を使い果たしたのか、滝の腕の中でレンカは硬く瞳を閉じたままだ。サツバは死んだように冷たくなっているし、北斗は身動き一つしない。ローラインやダンたちはもう動けない。アサキやようたちも座り込んだまま立ち上がることができなかった。
 体力が、精神力が皆尽きかけている。既にどちらかが尽きてしまった者もいた。シンたち転生神のように立ち歩くことができる者はほんのわずかだった。それこそ『神』だからかと思いたくなるような状況だ。
「そうか、地球へ戻るか」
 彼女の言葉で、シリウスは言わんとする『全て』を理解した。自嘲気味な微笑みを浮かべた彼は、左手を軽く挙げる。
「わかった、私は残って後かたづけをしよう。さすがにこのまま放っておけば、奴らの目的が勝手に達成されるからな。見せかけもしておく」
「ありがとう」
 レーナは微笑んだ。
 五腹心はまだ気づいていない。神技隊たちがこれほどまで傷ついてることを、人々が恐怖に固まりきっていることを。
 今はまだ彼ら自身が恐怖に覆われている、だからまだいいのだ。しかしそれが長続きするとは限らなかった。少しでも早くファラールを立ち直らせ、そして気づかれないよう図らなければならない。今この場でそれができるのはシリウスだけだ。
「上手くやってくれよ」
「そっちもな」
「いきなり飛び出してきた身だからなあ、苦しいとは思うが努力してみる。まあオリジナルたちがいるからな、心配はしてない」
 レーナは梅花を一瞥した。疲れ切った顔色でそれでも凛とした彼女は、サツバへと精神を注ぎ込んでいる。血はすぐさま確保できないが、精神ならばこの場でも何とかなるからだ。巨大結界を強化したことで、彼女のアユリとしても目覚めは進んできている。
「転生神が、いるからか」
 一瞬シリウスは複雑そうな顔をした。目覚めは常に危険と隣り合わせにある。産の神々が何か言い出すのではないかと彼は不安だった。だが言ったところで仕方がない。血がなければ確実に死ぬ者がこの場にはいるのだから。
「だからそちらはよろしく頼む」
「言われなくとも、これが本来の仕事だからな。我々が生き残るための」
 彼は踵を返した。一刻を惜しむように足を踏み出すと、振り返らずに走り出す。星中の混乱を収めるなど尋常なことではなかった。だが彼は一つ切り札を持っていた。人々が一つの希望を持ち続けていることを、よく知っていた。
「救世主も、これだけ利用されれば本望かな」
 小さくなる後ろ姿を見送りながら、レーナは一言そうもらした。薄紫の光、それは『伝説』にある救世主の証。リシヤの光はきっと人々に希望を与えてくれるだろう。それは恐怖や混乱を打ち消す材料になる。
「ありがとうな、レンカ」
 彼女のつぶやきに、答える声はなかった。レンカは眠ったままだった。
 煙を含んだ風が、辺りを通り抜けていった。




 そこは森の中だった。穏やかな風に揺れる木の葉が、光を浴びて青々と輝いている。木々の隙間から見える空は透き通るような青で、誰もいないというのに気分を高揚させるだけの力を十分に持っていた。
「ここは、どこ?」
 だが彼女は何故自分がここにいるのか知らなかった。今までどうしていたかもわからなかった。気づけばここにいた。見覚えのない風景はに戸惑いながら、彼女はゆっくりと歩を進めてみる。
「誰もいないの?」
 呼びかけても声は返ってこなかった。胸がざわざわとする。足を取られないよう気をつけながら辺りを見回したが、揺れる木以外は見あたらなかった。
「どうして私はここにいるの? そもそも私って誰なの?」
 不安が胸を圧迫する。考えれば考える程わけがわからなくて泣きたくなった。今まで何があったのか全く思い出せない。まるで見知らぬ世界に突然放り込まれたような感覚。
 自然と足が止まった。どこへ行っても仕方がない気がした。森が続くばかりで誰の姿もなく、状況が改善される兆しはない。
「どうして……」
 だが彼女の感覚は、すぐに何かを捉えた。
 声が、いや、音がする。懐かしい音だ。否、音ですらないのかもしれない。木の葉のざわめきに混じって聞こえるこの『音』は、他のどんな気配よりも真っ直ぐ頭へ響いてくるようだった。
「誰かいるの?」
 震える唇で言葉を紡ぎ出す。
「誰かいるのか?」
 同じような問いかけが、背後から聞こえた。彼女は慌てて振り返る。
 そこにいたのは、男だった。見たことがないのに、懐かしいと感じさせる青年だった。木に左手をあてて訝しげな顔でこちらを見ている。右手には剣が握られていて、その切っ先が地面へと向けられていた。
「魔族? じゃないよな、神? にしては気が変だ」
 彼は顔をしかめながらそう言った。そのどちらの単語も彼女には聞き覚えがながった。首を傾げるしかない彼女に、彼は一歩近づいてくる。だが彼女は動けなかった。
 どうしてだか、先ほどよりもずっと泣きたくなった。胸の奥がずきりと痛んで、頭が痺れるようだった。
 会いたかった、会えてよかった。
 そう思ってしまう。会った記憶はないのに泣きたくなる程嬉しい。
 おかしい、自分はおかしい。わかっているけれどどうしようもない。彼が近づいてくるのを、彼女は立ちつくしたまま見つめた。
「……会ったこと、あるか?」
 彼が不思議そうな顔でそう問いかけてくる。どきりとした。同じ感覚を彼も持っているのだろうか? それとも自分の記憶にはないだけで、会ったことがあるのだろうか?
 問いかけに彼女は答えることができなかった。ただ首を傾げて、微笑むことしかできなかった。
 微笑むべきだとわかっていた。彼と離れてはいけない、警戒されてはいけない。何故だかそう強く思う。自分のことなのにさっぱり意味がわからない感覚だった。
 腕を伸ばせば剣の切っ先が届くその一歩手前の距離で、彼は立ち止まる。
「会ったこと、ないのかしら?」
 彼女はそう問い返した。彼は目を見開き、左手をあごにあてる。悩んでいるようだった。不思議な沈黙が辺りを覆い、鼓動を早める。
「ホワ……あ、いや、うーん、リ、リシ、リシヤ?」
 突然飛び出した名前に、二人は目を丸くした。聞き覚えのある音の並びだったが、だが決定的な何かを欠いている気がした。彼はというと意識していなかった名前を口にしたことに、ひどく驚いているようだったが。
「何でオレそんな名前を。そんな奴いたか?」
「いいわ、それで。とりあえずリシヤでいい」
「えっ?」
 彼女は微笑んだ。彼と離れるべきではない。そして名はできるだけ『近い』方がいい。それならば彼の口から出たリシヤという名前を、受け入れるべきだ。それは確かな信念のように胸を覆っていく。
「私はリシヤ」
「リシヤ? 神なのか? 魔族じゃあないよな。ひょっとして戦闘で記憶失ったとかか?」
「そう……なのかもしれない。何も覚えていないの」
 そこだけは正直に述べた。彼の顔に気の毒そうな色が浮かぶ。敵ではないと認識してくれただけでなく、同情までしてくれているらしい。
 彼が一歩、近づいてくる。
「怪我とかは?」
「してない、みたいね」
 そこで始めて彼女は自分の姿を見下ろした。茶色い髪はさらり長く伸び、薄青色の服は汚れ一つ見あたらなかった。倒れていたというわけでもなさそうである。
「そうか、よかった。ああ、オレはヤマト」
 彼は微笑んでそう名乗った。何も疑問は感じていないようである。彼女はこくりとうなずき、何と答えるべきか悩んだ。ヤマトという名にやはり聞き覚えはない。
「じゃあとにかくみんなのところへ戻ろう。魔族がいないとも限らないし、見た目は平気でも精神の方にダメージ受けてるかもしれない」
 探るように辺りに目を配ると、彼は左手を彼女の方へと伸ばした。そのまま手を掴むと、彼女が予想してたより強い力で引き寄せる。
「えっ?」
「急ごう、いいな」
 ぐいと力強く引っ張られ、彼女は思わずよろめいた。それと同時に世界が揺らいだような気がして、視界が急に薄暗くなる。
「リシヤ?」
「あ、ごめんなさい」
「大丈夫か? やっぱりどこかやられてるんじゃ……歩けるか?」
 景色はどんどん色を失いぼやけていった。支えられていることを感じながらも、急速に意識は落ちていく。
 どうしてこんな時に?
 力を使いすぎたから。
 疑問と同時に答えが胸に浮かんできた。不思議だ。自分なのに自分ではないみたいだ。何がどうなってるのか、さっぱりわからない。
「リシヤっ!?」
 最後に聞いたのは、慌てたヤマトの呼び声だった。
 無の空間へ、すぐにその意識は放り出された。




 薄紫色の光は、救世主の証。
 薄紫色の光は、希望の証。
 薄紫色の光は、白き者の証。
 彼女の力の、証。

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