white minds

第三十二章 歪みし始まり‐1

 小刻みな揺れが収まった。目を開ければ、モニターには懐かしい光景が映し出されている。
 そよ風に揺れる草原。よく晴れた空はどこまでも続くようで、流れる雲も輝かんばかりの白さを際だたせている。初夏を感じさせる、心晴れる景色だ。思わず顔がほころんでいくのがわかる。
「着いたのか?」
「ああ、着いたんだ」
 司令室のど真ん中には、レーナが立っていた。その隣にはアース、そして席を立ったばかりの青葉が静かにたたずんでいる。
「そっか、ようやく地球に戻ってきたのか」
 青葉は安堵のため息をついた。宇宙にいたという実感は少ないが、それでも見慣れた風景はやはり落ち着く。少なくともファラールの街よりはずっとほっとさせてくれた。
「だが安心するのはまだ早いぞ。これから血の確保を試みなきゃならない」
「血の確保?」
「輸血用のだ。いくら優秀な技使いでも、治癒の技だけで増血させるのは難しい。この人数ならなおさらだ」
 首を傾げる青葉へ、レーナは厳しい表情のままそう答えた。多量の出血は神や魔族でさえその命を奪いかねないのだ。彼女の瞳の鋭さが、現状の重みを如実に語っている。
「あ、当てはあるのか?」
「今のところないな、神界以外は」
 返答は絶望的といってもよかった。神々にことわりなく地球を飛び出したのは、ついこの前のことだ。転生神を地球から出すなとあれほど言われていたのに、あっさりと飛び出してしまった。巨大結界は強化していったが、彼らはさぞ怒っていることだろう。アルティードたちはともかく、産の神が黙っているとは思えない。
「確実に、交換条件が出されるわね」
 そこへ口を挟んだのは梅花だった。青白い顔で隅の席に腰掛けていた彼女は、立ち上がって三人のもとへ行く。眉をひそめた青葉がその肩に手をのせた。だが彼女は首を横に振り、その手をやんわりとのける。
「そういうところだから、いえ、そういう者たちだから」
「そうだな、代わりに、という話になるな」
 レーナが相槌を打った。その顔が若干苦悩に歪んでいるのは、誰に条件が出されるかわかっているからだ。そんな彼女に梅花はにこりと微笑みかけると、ゆっくりと口を開く。
「私が行くわ」
「おい梅花! お前まだ――――」
「私しかいないでしょう? 転生神じゃなきゃ駄目なのよ。レンカ先輩は倒れたままで滝先輩は動けないし。リン先輩たちはまだ認知されていない」
 慌てる青葉へ、梅花は言い聞かせるようにささやいた。青葉の動きがぴたりと止まり、居心地の悪い沈黙が訪れる。
「大丈夫、私にはあなたがいるから」
 梅花は落ち着いた声音でそう言った。固まっていた青葉は脱力したようにうなだれ、その右手を彼女の頭へと乱暴にのせる。
「お前はその一言が遅いんだよっ。オレの存在忘れられたかと思うから」
「そんなことあるわけないでしょう? 何の心配してるのよ、青葉。だからとにかく神界へ行くのよ。産の神たちを何とか言いくるめないと」
 微苦笑した梅花は肩をすくめながら、青葉とレーナとを交互に見比べた。レーナは承諾を伝えるように、一度大きくうなずく。
「すまない、オリジナル。青葉、一緒についていってやってくれるか?」
「当たり前だろ! 言われなくても一緒に行くって」
「頼もしいな。連れ去られないように注意してくれよな」
「え?」
 微笑むレーナを、青葉は見つめた。神秘的な光をたたえた黒い瞳が、かすかに揺れている。
「彼らが欲しているのは転生神だ。ちゃんと戻ってこいよ」
 ようやく彼は、彼女の言わんとすることを飲み込んだ。無事帰ってくること、それは現状を考えれば最重要事項である。
「わかってる」
「大丈夫よ、レーナ。私はもうアユリでもあるから」
 答える青葉、梅花の声に、レーナはもう一度相槌を打った。
 ドアの開く気の抜けた音が、耳に残った。




「でも本当に二人だけで大丈夫なのか?」
 ずんずん進んでいく梅花を、青葉は追った。レーナの手前笑顔で承諾したものの、不安は残ったままである。
「大丈夫よ。これ以上人数はさけないわ」
 しかし彼と反して梅花は落ち着いていた。後ろ姿からはただ決意が滲み出ていることしか、感じられない。
 二人は真っ直ぐ宮殿を目指していた。風は強く、音を立ててなびく草の間を足早に歩けば、時折ごうっといううなりが聞こえてくる。もう初夏だというのに気温も低かった。空は晴れているものの、モニター越しに感じたような汗ばむような陽気でもない。まるで先行きの不安を表しているかのようだ。
「オレたちだけで神界に入れるのか?」
「それくらい何とかできるわ」
 梅花は振り向かなかった。だからどんな表情をしているのかわからなかった。先ほどまで死にそうな顔色だったとは思えない足取りではある。
 宮殿へ続く道の途中には門番がいる。彼女はその男に紙切れを見せつけると、何も言わずに通り過ぎた。彼も慌ててついていく。
 おそらく通行証だ。ジナル族以外では、神技隊を名乗るか特別な証書がない限りここを通ることはできない。それこそレーナのようにいきなり神界へ転移でもしなければ行けないのだ。
 宮殿へ入ると、そこではひっきりなしに人々が行き来していた。立ち止まることのない彼らの眼差しが、一瞬だけこちらへ向けられる。
「四階だから」
 梅花はささやくようにそう言うと歩き始めた。青葉は黙ってついていくだけだが、降り注ぐ視線が気になって仕方がない。進めば進む程先ほどよりも強くなっている気がする。
 勝手に宇宙へ言ったことがばれているのだろうか? それとも基地が突然消えたことが怪しまれているのだろうか?
『気』に含まれる感情に彼は疎かったが、かろうじて彼らの放つ驚きは読みとることができた。今梅花はそれを痛い程に感じ取っているのだろう。
 階段を上れば、人の目は少なくなった。通りかかる人の数が減ったからだ。
「中央会議室から神界へ上がるから」
「え? あそこからか」
「そう、続いてるの」
 梅花がちらりと振り返った。微笑むとまではいかないが、思ったよりも柔らかい表情だ。青葉はうなずき、彼女の手を取る。
 だが、切迫した呼び声が二人の足を止めた。
「梅花!」
 それはリューの声だった。背後を見やれば、息を切らして走り寄る彼女の姿が見えてくる。結い上げられた茶色い髪はやや乱れており、その慌てぶりがうかがえる。彼女が近づいてくるのを、黙って二人は待った。
「梅花っ、どこへ、行こうとしているの?」
 信じられないといった顔で、リューは尋ねた。彼女へと向き直った梅花は、表情を崩さずに口を開く。
「中央会議室、その『上』です」
「正気なの!? ことわりなくそんなところへ行くなんて、いくらあなたでも許されないわよ」
「リューさん」
 すがりつくように、リューは梅花の両手を取った。困ったように微笑んで、梅花は小首を傾げる。
「ただでさえ、みんなあなたたち神技隊を疑っているのに」
「リューさん、私たちはもう上の駒でも何でもないんです」
「またあなた、そんなことを」
「私は梅花ですが、でもアユリです。彼らと同じ場所に立つことのできる存在です。だからもうリューさんは私のことをかばったり心配しなくてもいいんですよ」
 それは言い聞かせるような声音だった。まるで本物の『女神』のようだと青葉は思う。今彼女は梅花としてではなく、アユリとして語りかけている。希望の象徴として、光として崇められた転生神がここにいる。
「だからリューさん、ここを通してください」
「梅花……」
「もうリューさんが責任を取る必要はないんです。この件は全て、私が引き受けるんですから」
 リューは力無くその手を離した。梅花は振り返ると、青葉に向かって微笑みかける。
「どうやら私たちは相当疑われているみたいよ。早く行かないとね」
 悪戯っぽく告げる彼女に、彼はただ首を縦に振ることしかできなかった。強いな、と心の中で唱えながら。
 リューを置いて、二人は歩き出した。
 足音が、静かな廊下に響き渡った。

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