white minds

第三十二章 歪みし始まり‐4

 ケイルに案内された青葉と梅花は、神界の奥へと歩いていた。先ほど別れたサライゼルとジーリュの姿は振り返ってももう見あたらない。
「血液の方はどうなってるんですか?」
 端的に青葉は尋ねた。そのために条件を呑んだのだ。このまま届けるのが遅れて取り返しのつかないことになっては、本当に意味がない。
「今手配している。ラウジングが先導して持っていくはずだ」
 先頭を行くケイルは振り向かずに答えた。ほっとすると同時に青葉は申し訳ない気分になる。神技隊と関わったばっかりに、どうにもラウジングは雑用が増えている気がする。今も必死に駆け回っているのだろう。
 三人が向かう先、そこにはアルティードがいるはずだった。子どもの作り方を教えてもらう、という何とも奇妙な目的のためだ。
『神の子どもとは、どうやって作るのですか?』
 直球に梅花が尋ねた時のケイルたちの顔は今でもはっきりと浮かぶくらいだった。困り切ったような呆れたような、それでいてどこか恥ずかしげな表情を浮かべていた。
『実際、我々の中でそれを実践した者はほとんどいないのだ。知識としては知っているが、子をもうけた者はいない』
 その衝撃的な返答が、妙な顔の理由だった。ここ数百年、否、ここ数千年子どもをつくった神はいないそうだ。
『子どもというのは、関係を複雑にする要因の一つなのだ。この限られた人数のなかでそれを次々と行うのは正直危険だ』
 ケイルはそう付け加えた。その意味がいまいち青葉にはわからなかった。だがとにかく、適切な助言ができる神がいないことだけはよくわかった。そこで出たのがアルティードの名前である。
『アルティードならあの未来から来た神から聞いているはずだ』
 未来から来た神、それはユズのことだ。彼女なら確かに知っているだろうし、誰か彼かに得意げに話していても不思議ではない。
 だから彼らはアルティードへ会うために歩いていた。ケイルがいるためか他の神の視線があるが、それでもびくびくする必要性がないのは嬉しい限りである。
 奥へ進むに連れて見かける神の姿は減っていった。白い廊下、壁は同じだが、道幅が狭くなっていく。
「もうすぐだ」
 ケイルがささやくように言った。言葉通り、アルティードの気はすぐそこにあった。青葉は梅花と顔を見合わせ、うなずきあう。
「来たか」
 少し歩いたところで、彼らが声をかける前に目的の人物は姿を現した。奥まった部屋の中から顔を出し、アルティードは静かに微笑んでいる。
「その顔は、もう全てを知っているようだな」
「知っているわけではないさ。ただお前たち三人がここに来たとなれば、理由は予想つくがな。子どものことだろう?」
 ケイルの言葉に尋ね返すアルティード。その瞳にはどこか苦々しい色が宿っていた。青葉はやや顔をしかめると、ケイルとアルティードとを交互に見る。
「アユリの子をとお前たちが口にした時点でこうなることは予測済みだ。しかし決意した以上私がどうこう言うことではない」
 アルティードは寂しげに口の端を上げると、手招きをした。そのまま部屋の中へと入る彼を、青葉たちは追っていく。
 そこは思った以上に薄暗かった。数少ない明かりに照らされた部屋は妖艶な空気すら放っている。窓らしきものもなく家具とおぼしき物もほとんどない。簡素な部屋だが、そこには不思議と温かなぬくもりが感じられた。
「ケイルは下がってくれないか?」
「何?」
「集中するためだ。お前がいては二人もリラックスできないだろう」
 詰め寄ろうとするケイルを、やんわりとアルティードは制した。あからさまに眉をひそめたケイルは、それでも何も言わずに渋々と部屋の外へと出ていく。
「すまなかったな」
 ケイルの足音が遠ざかると、開口一番に彼はそう述べた。青葉と梅花は顔を見合わせて、その言葉の意味を考える。
「我々は君たちを困らせる要求しかできないらしい。いきなりこんなことを言われても、動揺するだけなのにな」
 アルティードの気遣いに二人は頬をゆるめた。心の内を安堵が埋めていく。何があっても味方なのだと、思わせるのに十分な温かさがそこにはあった。彼がいるなら大丈夫だ。波立った心が次第に収まっていく。
「いいえ、もう決めたことですから」
 梅花がゆっくりと首を横に振った。決意した彼女にもう迷いは見られなかった。アルティードの瑠璃色の瞳が、気遣わしげに彼女を見つめる。
「それで、あの」
「ああ。子どもの作り方、だったな」
「はい、お願いします」
 深々と梅花は頭を下げた。それにならって、慌てて青葉も軽く礼をする。
「そんなかしこまることはない、大したことはないのだから。今何か一つ、大切な物を持っているか?」
 尋ねるアルティードに、梅花と青葉は不思議そうな視線を向けた。言葉を選んでいるのかやや瞳を伏せて、アルティードは一旦間をおく。
「我々が子をなす場合、何か種となる物に自らの情報を注ぎ込むのだ。できればそれは思い入れのある物がいい。特に二人ならばなおさらにな」
 梅花と青葉は再度顔を見合わせた。地球に戻ってきてすぐ神界へとやってきた。今手にしている物など何もない。
「あっ」
 だが不意に梅花が声を上げた。青葉が首を傾げると、彼女は自分の髪を束ねていた山吹色のリボンを手に取る。
「これじゃあ、駄目ですか?」
 彼女は恐る恐るアルティードに尋ねた。優しく微笑んだアルティードは、静かに首を横に振る。それにあわせて流れるような銀の髪がさらりと音を立てた。
「もちろん大丈夫だ。ユズだって使っていたのはペンダントだからな」
 細い手に握られたリボン、それは青葉にも見覚えがあった。彼女の誕生日に彼があげたものだ。まだシークレットに選ばれて数ヶ月の、丁度今から二年程前のことになる。
「梅花……」
「これなら思い入れあるし。なくなっちゃうのはちょっと寂しいけど、子どものためなら仕方ないものね?」
 小首を傾げて微笑む彼女は、いつも以上に可愛らしく見えた。
 これをあげた時はまだ彼女は硬い顔をしていた。それでもかすかに驚いていたのを、彼はよく覚えている。
『プレゼントとか、もらったの初めてだわ』
 ぽつりとつぶやくようにそう言って彼女はリボンを凝視していた。今思い返せばまるで遠い日のできごとのようだ。
「種となる物さえあれば十分だ。あとは思いを、願いを、力にして込めればいい。我々の核となるものは精神だからな」
 言葉を続けるアルティードに二人はうなずいた。結局よくわからない説明だが、実践あるのみということだろうか?
「内にある核を取り出すイメージを持て。大丈夫だ、失敗した者の記録は今までない」
 アルティードの口調に若干のからかいが混じっていた。思わず二人の口から微苦笑がもれる。
 愛を。祈りを、願いを。
 新たな命への誓いを。
 部屋の中に、淡い光が灯った。
 その時世界は、呼応するように震えていた。

◆前のページ◆   目次   ◆次のページ◆

このページにしおりを挟む