white minds

第三十二章 歪みし始まり‐7

 ナチュラル五人を引き連れて、シンたちは修行室へと向かっていた。そこには軽い調整中の青葉がいるはずだった。
 滝はレンカのもとにいるし、ジュリは休養中。起きていてなお知り合いとなると、実はほとんどいない状況なのだ。そもそも元気にしている人が少ない。ならば希望に添って連れていくのが妥当だろう。
「シンさん、兄さんは元気なんですか?」
 怪我人が多いと聞いたからなのだろう、不安げに陸がそう尋ねてきた。記憶にあるよりはずいぶん大人になったが、まだどことなく素直さを感じさせる顔立ちだった。変わっていないのだなと思いつつ、シンは首を縦に振る。
「あいつは元気さ、他の奴らにわけてやりたいくらいにな」
 実際そうだった。驚くべき体力と回復力には毎度舌を巻く。この戦力不足を考えればありがたいことだが、それでも妙な気分ではあった。
 ああ、人間じゃないんだからそれでもいいのか。
 シンは心の中で小さくつぶやく。彼自身もそうなのだが、いまいち実感はなかった。それに比べて青葉やレンカは人間離れが激しく、すんなりと納得することができる。
 修行室の扉を開けると、そこには眩しい程の白い世界が広がっていた。その中央辺りに、二人の男が立っているのが見える。
「青葉!」
 声をかければ一方が振り向いた。汗をぬぐいながら目を瞬かせ、言葉を失っているようだ。
「兄さん!」
 すぐ後ろから陸が飛び出した。駆けよる後ろ姿からでも、その喜びがひしひしと伝わってくる。
「あえぇ? 陸!? 何でお前ここに――」
「聞いてないの兄さん? オレたちもこっちに合流できることになったんだよ」
 青葉の言葉を遮るようにして、陸はそう声を上げた。腕にしがみつくようにしてゆさゆさと揺らすと、その次の瞬間、そのままの状態で石のように固まる。
「どうかしたのか?」
 異変かと慌てたシンは、彼らの方へと駆けよった。後ろでは同じようにナチュラルの四人が立ちつくしており、声一つもらしていない。
「兄さんが……二人?」
 呆然としたつぶやきを、陸は発した。そこでようやくシンも彼らが固まった理由に気がついた。
 青葉の隣にいたのはアースだ。振り返ったアースは、怪訝そうな顔で陸と青葉とを見比べている。調整の相手をしていたらしい。
「兄さんの、偽者?」
「誰が偽者だっ」
「あーなるほど、アースのことか。って聞いてなかったのか? ったくミケルダさんも説明が甘いよなあ」
 疑わしげな陸、不機嫌なアース、納得げな青葉の視線が交錯した。どうやらビート軍団についての説明はなかったようだ。ゲットやバランスの時は何事もなかったことを考えれば、三度同じ説明をするのが面倒だったとしか考えられない。
「こいつはアース。まあ何というか……生き別れの双子みたいなもの?」
「そんなっ! じゃあ本当に兄さんが二人ってことに」
「あーその辺は気にするな。適当にアースさんとでも呼んどきゃいいから。詳しい説明は……そうだな、レーナからでも聞いておいてくれ」
 適当に青葉ははぐらかした。彼も説明は面倒だったのだろう。シンは苦笑しながら青葉を小突くと、入り口傍で立ち止まっているナチュラルたちにを手招きした。
「青だー!」
「本物だ!」
「うっわー、ひっさしぶり」
「青ー!」
 すると突然時が動き出したかのように四人が走り出した。一人取り残されたリンが微苦笑しているのが視界の端に見える。
「ってーかお前らも一緒か!? お前ら五人か!? うわーそれは不安な部隊だなあ」
 ナチュラル五人に囲まれた青葉が、もみくちゃにされながら声を上げた。青葉が命の恩人などだと、ここへ来る前に話は聞いていた。なんでも子どもの頃穴に落ちたところを助けてもらったらしい。その後妙な仲間意識が芽生え仲良くなったんだとか。それがまさか神技隊に選ばれてまで一緒だとは驚きである。
「人気者だなあ、青葉は」
「オリジナルが人気とは……嵐でも来るのか?」
 から笑いにも近いシンの声と、本気で心配しているアースの声が重なった。年下の面倒見がよいのは知っていたが、これほど慕われていたとは意外である。
「何だか色々前途多難っぽいわねえ」
 近づいてきたリンが、含み笑いをもらしながらそうつぶやいた。シンは同意せずにはいられなかった。
 説明しなければならないことはたくさんある。たった数年、だが数年。変化は驚く程に生じているのだから。
「以前を知っていればこそ、か」
 ぼやくような言葉は白い空間に吸い込まれていった。




 青葉に続いて陸は歩いていた。彼の後ろにはさらにすずりがついてきており、辺りを物珍しげに見回している。
 基地内を案内してもらうのが目的だった。人数が多すぎるからという理由でナチュラルの残りの三人――ヨシガ、ゴウク、シンセーはシンに案内してもらっている。
「すごい」
「だろう? これがほんの数週間で建ったんだからすごいよなあ」
 陸のもらした感嘆の声に、青葉は自分のことのように自慢げに答えた。記憶にあるよりも兄の後ろ姿は小さく見えた。よく考えれば自分が大きくなっただからなのだが、それでも違和感がある。
「ここが入り口、でこっちが司令室」
 そう説明しながら青葉は一つの部屋へと入っていった。大きな扉の先には、やや広めの空間が広がっている。
「ここが――」
「おっ、梅花! こっちに来てたのか」
 ここが司令室か、というつぶやきを青葉が打ち消した。軽い足取りで駆けよるその先には、一人の少女が椅子に腰掛けている。
「人がいるところの方が機嫌がいいのよ、だから連れてきたの。青葉に似たんじゃない?」
「オレ? いやあ、そうかなあ。オレは梅花に似てくれた方が嬉しいんだけど」
 少女の腕の中には、うす桃色の布に包まれた赤ん坊がいた。やや離れた陸からでもわかるが、目の大きい可愛らしい赤ん坊だ。
『青葉に似てる』
 陸の思考は一瞬停止した。その言葉をかみ砕くように反芻すると、座っている少女の視線が彼の方へ向く。鼓動が跳ねたような、そんな気がした。
 黒曜石のような黒い瞳、肩を滑り落ちる長い髪。白い肌は血管が透ける程で、華奢な体つきの少女だった。不思議そうな、それでいて穏やかに微笑む表情から目を離すことができない。
「青葉、あの二人は?」
「二人? ああ、陸とすずり。新しく加わったナチュラルの二人さ。他にも三人いるけどシンにいが案内してる」
 彼女の問いかけで、青葉は再び陸たちの方を見た。今まで見たことがない程嬉しそうな顔だった。さらに鼓動が跳ねて、手のひらに汗がにじむ。
「陸、すずり。こっちが梅花であっちのモニターの方にいるのがよつきだ。よつきは第十九隊ピークスで、梅花はオレと同じシークレット」
 青葉が紹介すると、それまでコンソールに向かっていた金髪の男性が振り返った。彼がよつきらしい。穏和な笑顔を浮かべると、ひらひらと手を振ってくる。
「よろしくお願いしますね。って青葉先輩、梅花先輩の紹介が足りないんじゃないですか?」
 よつきはそう言うと、いたずらっぽい瞳で青葉を見た。青葉は後頭部をかきながら口角を上げている。
「あーそうだよな。えーと陸、心して聞けよ? 梅花はオレのパートナーで、んでもってこの赤ん坊がオレたちの子で桔梗。ごめんな、いきなり姪っ子できてて。いきなりおじさんってよく考えたらちょっとショックだよなあ」
 照れ笑いを浮かべながら、まくし立てるように青葉はそう告げた。やっぱり、と陸は胸中でつぶやく。
 青葉が女の子を連れてるのを、見たことがないわけではなかった。会わせようとはしなかった、それでも何回か見かけたことはあった。
 でもこんな風に笑ってなかった。
 陸は拳を握る。
 悲しいわけではない。苦しいわけでも悔しいわけでもない。なのに胸がざわめいてどうしようもなかった。まるで目の前にいるのが別の人物のように感じられてならなかった。
「おい、大丈夫か? 陸」
「え? ああ、ちょっとびっくりしただけ」
 心配そうな青葉へ、陸は何とか微笑して答えた。笑わなければと、心のどこかが叫んでいた。硬く握った拳がかすかに震える。
「あっ」
 だが不意に、驚いた顔で梅花が手を伸ばした。同時に扉の開く気配と走り去る足音が聞こえた。
「すずりっ!?」
 青葉の呼び声にはっとして、陸は振り返る。すぐ後ろにいたはずのすずりの姿がなかった。閉まりかけた扉の先から音だけが聞こえてくる。呆然と立ちつくした陸は、すぐに追いかけることすらできなかった。
「青葉、行ってあげて」
「え? いや――」
「早く」
「お、おうっ」
 動けない彼の横を青葉が走り抜けていった。それを目で追うと、ようやく金縛りにあったようだった体が軽くなる。
 行かなくては。
 陸も駆けだした。もやもやとした気分を抱えながらそれでも走らずにはいられなかった。小さくなった青葉の背を、彼はひたすら追いかけた。

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