white minds

第三十二章 歪みし始まり‐11

 一体どれだけの魔族を相手したのか、何度剣を振るったのかわからなかった。疲労を訴える体を叱咤激励し、シンはひたすら前へと走る。
 隣にいるリンもかなり疲れているようだった。それもそのはずだ、たかってくる魔族を広範囲の技で葬り続けてきたのだ。この大人数に太刀打ちできたのは彼女がいたからと言って過言ではない。
 だが後少し。
 ようやく視界に五腹心の姿が入ってきた。荒れ地の中にプレインが立ち、その傍に神妙な様子のレシガがたたずんでいる。
「イーストっ!」
 レーナの声がして、反射的にシンは横へ飛んだ。彼のもといた場所へ氷の矢が数本突き刺さる。地が凍り付き、ひび割れるような不気味な甲高い音を発した。
「これ以上は通せないんだよ、悪いね」
「イーストにラグナ、フェウスか……」
 体勢を立て直して見やれば、レーナの前にイースト、ラグナ、フェウスが立ちはだかっているところだった。三人がかりで足止めする気らしい。周りで魔族を蹴散らしていたアースが、事態に気づいて駆けよってくる。
「また嬢ちゃんの相手か、オレ苦手なんだけどなあ」
「仕方ないだろう? ラグナ。五人のうち二人あてるとなると、確率は高いんだよ。君は強いし」
 構える神技隊らに対して、五腹心の様子は気楽なものに見えた。だが彼らの放つ気がそうではないのだと訴えかけている。鋭さを秘めた気が肌に突き刺さり、シンは身震いした。
「いいかシン、リン。とにかくプレインかレシガ、どちらかに一太刀でも浴びせられれば我々の勝ちだ」
 イーストらをにらみつけながら、前にいるレーナは言った。シンはうなずき、リンと目配せをする。
 五腹心らはレーナを恐れている。それは明白だった。彼らは全力で彼女の動きを止め、その攻撃がプレインたちへ及ばないようにとするだろう。
 やるのは自分たちだ。
 それだけはここへ辿り着く前からわかっていた。彼女が自分たちを選んで時点で想像できた。今五腹心の相手ができてかつ遠距離、広範囲の技が使えるのは自分たち……否、リンしかいない。
「リン、無理するなよ」
「わかってる、雑魚は任せる」
 そう声を掛け合うと同時に、ラグナが動き出した。レーナめがけて長剣を振るい、雄叫びをあげる。
 さすがにここからではプレインたちを攻撃することはできない。もっと近づく必要がある。剣を携えながら道となりうる場所を、シンは探した。
「ちっ、うるさいっ」
 だが悠長に探している場合でもなかった。隙あらば襲いかかってくる下級魔族は、強くはないが面倒な相手だ。時間がないのにと、シンは苛立たしげに舌打ちする。レシガのまとった気の流れが、その時が近いことを告げていた。
 レーナたちの戦闘をかいくぐるようにして走り、彼は手のひらから巨大な火の竜を生み出した。それを縦横無尽に這わせながら前への道を切り開いていく。焦るラグナの声が背後から聞こえてきた。突破されるぞ、と叫んでいる。
 でもレーナとアースがいる、ここまではこない。
 彼はそれを確信していたからこそ振り返らなかった。それは隣にいるリンも同じだった。視線の先にあるのはプレイン、レシガだけ。
「くるっ!」
 小さくリンが声を上げるのとプレインが動くのとは同時だった。彼はその場を動かず黒い光弾を放ってくる。
「破壊系!?」
 光弾を食い尽くした炎竜は無惨にも消え去った。この感触、色はおそらく破壊系の技だ。だがリンは迷わず跳躍し、彼らへ向けて右手を突き出す。
「風よっ」
 か細い手から生み出されたのは強力な風、精神そのものを揺さぶるような青白い風だった。仲間も巻き添えにする可能性があるため普段は使えない。目の前にいるのが敵だけだから可能なのだ。
 プレインが目をむき、咄嗟に結界を張った。彼の目の前に傘状に見えない膜が出現する。
「甘いわね」
 だがその結界を回り込むように風は突き進んだ。痛みを堪えるようなくぐもった声が、強風の中聞こえてくる。
「やった――」
 だが歓喜の声を上げようとしたシンは、それをすんでのところで飲み込んだ。周囲を圧倒していた風が止み、目の前に火柱が立ったような錯覚を覚えた。
 何だ?
 声が出ない。それでも瞼を閉じることなく、彼は真正面を見据えた。目に映ったのは異様な光景だったが、記憶の中の一シーンと酷似していた。
 プレインの肩を貫く手があった。褐色の肌に長い指、それを止めどなく溢れる鮮血が染めている。レシガの手だ。
「少し早いけれども」
「ああ」
「全てを私に任せてちょうだい」
「もとからそのつもりだ」
 プレインの肩口から赤々とした血とともに、目には見えないはずの精神が沸き出していた。それはレシガの肌を這うように彼女へと真っ直ぐ伸びている。貫かれているのはプレインなのに、彼女の方が苦痛に顔をゆがめていた。身に余る程の精神が体を蝕んでいるのだ。
 前へ進みたい。進んで止めなければならない。
 そう体へ命じるが、意のままにはならなかった。まるで重い石を乗せられたように、金縛りにでもあったように体がいうことを聞いてくれない。プレインから溢れ出す精神が圧力となって、動きを封じてるのだ。
「あなたの命をもらうのだから、何が犠牲になっても成功させる」
 苦痛を堪えながらレシガは口の端をあげた。返り血で紅く染まった唇が妖艶に光り、金色の瞳が揺れることなく世界を見据えている。
「無茶だレシガっ!」
「駄目だ!」
「止めろっ!」
 後方から制止する声が次々と上がった。そこにはラグナの声も含まれていた。それでも彼女はためらうことなく、もう一方の手を天へと掲げる。地響きが起こり、シンは思わず膝をついた。
「扉よ、今ここに開かん」
 彼女の言葉が鍵となった。あまりの揺れに視界がぶれて、何が起こってるのか一瞬わからなくなる。プレインの微笑が残像として目に焼き付き、続いて白と赤の光が荒野を焼き尽くしたように見えた。空間が歪んだ感覚がし、今までにない吐き気に襲われた。体の中からねっとりした何かに浸食されているようだ。
「シンっ」
 嘔吐感に耐えていると、リンの腕が左手にからみついてきた。するとやや気持ち悪さが安らいで、いつの間にか閉じていた瞼をおそるおそる開く。
「あれは……」
 それまで何もなかったはずの空間に、ぽっかりと黒い穴が開いていた。既にプレインの姿はどこにもなかった。穴の前にはレシガがたたずみ、血の滴る腕を力無く下ろしている。
 彼女の長い髪が不意に揺れた。穴の中からゆるやかな風が吹き出しているように、ワインレッドの髪がゆっくりとなびき出した。
「来るぞ」
 背後からレーナの声がして、彼はおもむろに振り返る。光の鞭を器用に操ってイーストの動きを封じた彼女は、もう一方の手でラグナの剣を握りしめていた。無論血は溢れ出していたが気にした様子はない。その傍にはフェウスを羽交い締めにしたアースの姿もあった。
 四人の目は、穴の向こうを捉えているようだ。
 ひたりと、水の中を歩くような足音がする。遠慮がちに近づいてくる気配が、確かに感じられる。
「ベルセーナ様」
 レシガの声につられて、シンはもう一度黒い穴を見た。そこには今まで存在しなかった青年がたたずんでいた。
 太陽を思わせる明るい金髪は短く切りそろえられていて、熟した果実を思わせる瞳は瑞々しかった。年の頃は二十代半ば、やや大柄な青年である。服装はどことなくイーストと似ており、純朴さの中に爽やかな雰囲気をかもし出していた。
「ベルセーナ様っ!」
 後ろからイーストの声が聞こえる。しかし辺りを見回す青年――ベルセーナには困惑した表情しか浮かんでいなかった。封印の解けた喜びもなければ、部下と顔を合わせた感激もない。ただ彼は戸惑っているようだった。
「ベルセーナ様?」
 力つきたのか膝をついて、レシガが彼を見上げる。そこでようやくベルセーナの視線が彼女へ注いだ。彼はねぎらうように頭に手を載せると、柔らかい笑みを浮かべる。
「レシガ、ありがとう。お前は少し休め……と言いたいところだが一つ聞きたいことがある」
 小首を傾げるようにして、ベルセーナは口を開いた。
「どうして彼らは戦っているんだ? どうして神と魔族が、戦っているんだ?」
 その問いに答えられる者は、その場にはいなかった。
 いや、まだ『存在』してはいなかった。

◆前のページ◆   目次   ◆次のページ◆



このページにしおりを挟む