white minds

第三十三章 流れゆく時の中で‐5

 イーストは森をさまよっていた。
 魔族界は元々自然に溢れる場所だ。最近でこそ荒れ果てた大地や鬱蒼とした空ばかりだが、かつては青い空に緑豊かなのどかな空間だった。
「ベルセーナ様はどこへ行かれたんだ?」
 探し物だと言って突然いなくなった主を、彼は捜していた。気からこちらの方にいるとはわかっているが、森があるだけで特にめぼしい物はないはずである。
 何を探すしているのだろう?
 それが気になった。やはり兄弟たちの封印を解く手がかりだろうか。それとも他にわからないことがあるのだろうか。だが何にしろこの方角というのが腑に落ちない。
 木々の合間を抜けて、ひたすらイーストは歩いた。辺りを確かめながら、ベルセーナの気を目指して進んでいく。
「あれは」
 すると緑の中に見慣れない塔が立っていた。石造りだが高さはあまりなく、ずんぐりといった印象を受ける。所々を蔦に覆われているためか、森に溶け込んでいるようだった。
「こんな場所にこんな物が?」
 イーストは顔をしかめる。広い魔族界全て知っているなどいうことはないが、この辺りは割とバルセーナたちが立ち寄っていた場所だ。当然五腹心である彼自身も足を運んだことはある。
 ベルセーナの気は、塔の中にあった。戸惑いつつもイーストは入口を探し、無事それを発見する。ぽっかり開いた口に足を踏み入れれば、湿った空気の匂いが鼻についた。どこからか風が吹き込んでいるのか、空色の髪がふわりと揺れる。
「ベルセーナ様」
 控えめに呼びかけてみても返事はなかった。薄闇に目が慣れれば、そこには大量の本が積まれていることがわかる。イーストは足下に落ちていた一冊を手に取った。すすけた赤表紙のそれには、精堂陣の名が記してある。
「まさかここは……」
 精堂陣の図書庫。
 彼ははっとした。噂には聞いたことがある。何でも書き留めることが好きな精堂陣は、自分専用の図書庫を持っていると。おそるおそるページを繰ると、黄ばんだ紙に流れるように字が刻んであった。
「赤き主が消えた時、世界が震えた。それが彼のせいなのか、それとも悲しむ白き主のせいなのかはわからない」
 そこに記されていた一節を、イーストは声に出した。
 赤と白、それはこの間ベルセーナが口にしていたのと同じだ。息を呑めども鼓動は早くなり、彼は本を閉じて足下に置く。
「イースト」
 そこへ声がかかり、さらにイーストは慌てた。今のはベルセーナだ。声が聞こえてきた方を振り向けば、階段から降りてくるベルセーナの姿が目に入る。
「ベルセーナ様」
「どうかしたのか?」
「はい。ちょっとお話ししたいことがと思って捜してました」
 軽く会釈すると、ベルセーナの手に数冊の本があるのが見えた。探し物というのはその本らしい。顔を上げるとイーストは訝しげに小首を傾げた。こんな時期に昔の本を引っ張り出すというのが解せない。
「そうか、悪いな」
「ベルセーナ様、探し物というのは――――」
「ああ、これだ。精堂陣様の最初の方の日記だな。精堂陣様のことだから、ちゃんと注釈があるだろうと思ってな」
 それは黒表紙の薄い本だった。奥にしまわれていたのか埃などで汚れた跡がない。探すのにずいぶん時間がかかっただろうと思いながら、イーストは近づいていく。
「注釈ですか?」
「ああ。白き者とは一体どんな者なのか、確かめたくてな」
「ではまだ彼女のことを気にしているのですか?」
「オレは一度見かけたことがある気がするんだ、彼女を。いや、彼女たちを。だから余計に気になってな」
 それはあまりに衝撃の発言だった。目を見開いたイーストはその場に立ちすくむ。ベルセーナが封印されたのは、闇歴の最中だ。
「ああっ、そうでした。彼女は転生神アユリのクローンでもあるんです。だからそんな気がするんでしょう。記憶にあるのは彼女ではなく、アユリに転生した神の方なのでは?」
 止まりかかった思考を回転させて、イーストは破顔した。レーナが生まれたのはベルセーナが封印されてからずっと後だ。彼女を見たことなどあるはずがない。
「そうか」
 ベルセーナは考え込むようにうなずくと、一番上に持っていた本を一ページめくった。イーストはそんな彼をじっと見つめる。
「彼女は名を記すだけで力を持つ。故にここでは白き主と呼ぶ。それにならって我らが主を黒き主、あちらが主を赤き主と呼ぶことにする。白き主は純粋なる存在なので、白の世界を出ることは稀だ。彼女が世界を渡ればそれだけで未熟な世界は引きずられ、歪んでしまう。故に右腕である白の少女を使いとして出している」
 ゆっくりとベルセーナは声に出して読んだ。そこには先ほどイーストが読んだ白の主、赤の主のことが書かれている。白き主、赤き主、青き主。そして白の少女。
「ベルセーナ様、では黒き主というのは」
「我々、つまり魔族の頂点に立つ者、と考えていいだろう。だからおそらくあちらというのは神で、赤く主というのは神の頂点だろう。だがこの白がわからない。もう一つ別の存在があるのはわかるのだが、何であるかがわからない」
 ベルセーナはかぶりを振った。精堂陣には理解できるのかもしれないが、彼らにはわからなかった。おそらく前提となっている知識が違うのだ。誰に向けて書かれたものかもよくわからない。
「赤き主が赤の世界にいることは稀である。彼はほとんど白の世界にいる。また黒き主もそれは同じで、ほとんど白の世界にいた。赤の世界にいるのは後に生まれた赤き者たち、黒の世界にいるのは後に生まれた黒き者たち。先に生まれし者たちが白の世界にいた。私は白と黒の世界を行き来していた」
 そこまで読むとベルセーナは口をつぐんだ。額にしわを寄せて、何かを考え込んでいる。イーストはただベルセーナが唇を動かすのを待った。
「今のはつまり、魔族界に住むのは後に生まれた魔族で、神界に住むのは後に生まれた神といっているのか。白き者を含め上位の者は、白の世界にいると」
「では白の世界というのは?」
「おそらく、オレが知っている『あちらの世界』だと思う。神と魔族がいて人間のいない世界。時が流れているのか疑問になる世界。時折精堂陣様がつれていってくださった、世界」
 そう言うベルセーナは遠い瞳をしていた。おそらく『あちらの世界』を思い出しているのだろう。イーストの行ったことないもう一つの世界を、彼は知っているのだ。
「白の世界は美しい世界だった。だが問題があった。あの男――この流れで言えば青き者――のいる海と近すぎるのだ。彼は純粋なる存在故に海を出ることができないが、その力は近くにある空間へと優々と伸びる。白の主はそのことに怯え、赤き主の思いに応えられないでいた」
 そこまで読んでベルセーナは眉根を寄せた。
 青き者。また新たな存在が登場してしまった。彼はこの前赤と黒の他には白しか知らないと言っていたから、これを目にするのは初めてなのだろう。その知識さえなかったイーストには同じことなのだが、彼には衝撃のようだった。
「青き者か……」
 ベルセーナはため息をついた。どうやら精堂陣の日記はさらに続くらしい。
 この塔にある本全てがそうなのだと思えば、当然読む気は薄れていった。だが神と魔族、そしてそれ以外の者たちについて書かれているなら、すなわちこの本は闇歴をあかすものだということになる。何だか泣きたくなってイーストはベルセーナを見上げた。
「この日記には番号が記してあるが、残念ながらその順には並んでいない」
「それはつまり」
「番号通り揃えなければ意味がわからないということになる。揃えてもわかるかどうかは怪しいが。しかも二階以降は厳重に結界に守られていて、中へ入るのも一苦労だ。まるで何かから守ろうとしているみたいだな」
「守る……」
 言葉が途切れ、湿った空気の中沈黙が訪れた。結界が厳重なら下級魔族が入ることはまず不可能だろう。そうまでして何を守りたかったのか、何を記しておきたかったのか。散乱しているのは何故なのか。
 考えると不気味な気分になり、イーストは自らの腕を抱くようにする。
 まるで真実を隠そうとする者がいるかのようだ。
「とりあえずオレたちだけで探すしかないな」
「そうですね」
 鬱々とした感情を押し殺して、イーストは静かにうなずいた。
 闇歴に本当は何が隠されていたのか、今程知りたくないと思ったことはなかった。

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