white minds

第三十四章 それぞれの戦い‐6

 誰の目にもとまらない高い塔の上に、ラグナは座り込んでいた。何を思って人間がこんな物を作ったか彼は知らない。既に管理することも諦めたのか、人気のない塔に目をくれる者はいなかった。
 ひょっとしたら遥か高い空を目指したのかもしれない。薄青い空までほんのちょっと手を伸ばせば届きそうな気がした。
「いや、そんなこと馬鹿げてるな」
 ラグナは苦笑する。手が届くはずないのだ。それはまやかしで、幻想で、実際空などというものは存在していない。その先には宇宙が広がっているだけだ。地上と宇宙のちょっとした隙間に、何かがあると思っているだけだ。
「それにしても、何でまた下の野郎ってのは向こう見ずっちゅうか馬鹿なのかねえ、おい」
 先ほど強制送還した者たちの顔を、彼は思い出す。何故止めるのだと訴え、嘆き、悲しむ。自分に都合のよい命令しか信じない者たちだ。
「中間ってのはそれだけで苦労するっていうのに。ああ、上に立ってもそれは同じか」
 結局大人数の統制をとることが難しいのだ。皆が皆、それぞれの考えを持って行動している。恨みや、愛や、悲しみを抱えて、目の前にある現実と向き合っている。
「恨みってのはおっかねえや」
 彼は苦笑した。神が憎い、愛しき者を奪ったあいつらが憎い。そう皆声高に叫ぶ。ラグナにもその気持ちがわからないわけではなかった。かわいがっていた部下たちが何人殺されたのか、数えたくもない。
「でもよお、それでも上の命令は上の命令だ。大体オレの命令のせいであいつら、死んだみたいなものだからな」
 じゃあ自分が憎いのかと、問われれば首を傾げざるを得なかった。それでは死んだ者たちの思いを否定することになる。彼らは『ラグナ様のためなら』と言いながら戦ったのだ。
 殺さなければ殺される。双方がそう思っていれば、それは真実になる。殺し合いは憎しみ合いへと繋がり、戦いは終わらなくなる。
 憎しみは確かに多量の精神を生み出すから、量さえあればいい魔族にとっては害には成らなかった。もっとも、彼にとっては『まずい』食べ物でしかないが。
「あの技使いや転生神たちが暴れてくれてるおかげで戦火は収まりかかってるが……あいつらに暴れられると死人が出るんだよなあ」
 彼はため息をついた。戦いの理由などどうだっていい。だが戦闘が続いている限りは死者が出るのだ。いつかは、終わらせなければならない。どう控えめに考えても新たな命が生まれるより散っていく命の方が多いのだから。
「レシガが起きてくれりゃあいいのに」
 塔の上から、彼は下を覗き込んだ。汚れた服を着込んだ人間たちがせわしなく行き来しているのが見える。皆魔族の影に怯えながら、日々生きていくだけで精一杯なのだ。他者を気にする余裕もないし、ましてや役にも立たない塔の上を気にする暇はない。
「あいつがいりゃあ、少しはあの馬鹿どももおとなしくなるのになあ」
 嘆いても仕方ないとはわかっていた。それでもこれだけ飛び回ると愚痴も言いたくなる。
 彼は空を見上げながらふと眉をひそめた。
「あ?」
 この気はレシガのか?
 彼は口を閉じるのも忘れて顔をしかめた。
 精神を集中させればそんなことは明白だった。彼女が目覚めた、そして今この神魔世界にやってこようとしている。自然と口の端がにやりと上がり、目が細くなった。
「ったく寝坊だなあ、おい。でも正直来てくれるとありがたいぜ」
 空の一点を見つめながら彼は立ち上がった。こうもタイミングがいいと何故だか不思議な気分になる。まるで心の中を見透かされたかのようだ。
「では面倒くさがりの象徴様を迎えに行くとするかなぁ。一人だとさぼりそうだからな」
 当人に聞かれたら確実に機嫌を損ねるであろう言葉を吐き、彼は飛び上がった。
 その姿は偽りの空へと、すぐに溶け込んでいった。




 夜が来るとさすがに神技隊も寝ないわけにはいかない。適当な宿を取ったレーナは小さくため息をついた。
「部屋は二つだから男女別だな」
 そう告げるとアースが不満そうな顔をするのが視界の隅に映る。とにかく後でな、と言いたいところだが今は無理なので黙っておく。
「ジュリさんとレーナさんと一緒っ!」
「おい、すずり。迷惑かけるなよ」
「かけないよ! もう子どもじゃないし」
 宿屋の主人に前金を渡すと、彼は階段の上を指さした。どうやら空いている部屋は二つしかないようだ。勝手に行けということか。
 言い合うすずりと陸を引き連れるようにして、レーナは歩き出した。よつきがなだめながらアースを促しているのがちらりと見える。
 木造の宿は古びていて、階段は歩くだけでぎしぎしと鳴った。よくあることなので彼女は気にしないが、ジュリの顔は曇っている。地球にあるどの建物よりも確かに華奢だった。
 宇宙は、いつだってこうだった。
 レーナは複雑な気分で階段を上っていった。地球は恵まれていた。少なくとも生きるのに精一杯の宇宙の人々よりは、平和に暮らしていた。それは今も変わらず、この木の音が象徴している。
 だが思ったよりも部屋は綺麗だった。窓はきちんと磨かれているし、最低限の家具も揃っていた。本来はどちらとも二人部屋だが、寝ないメンバーが二人いるので問題はない。階段からすぐというのが普通の客にとっては難点かもしれないが、下が騒がしくもないため気にする必要もなかった。
「じゃあ奥が女部屋でそっちが男部屋な」
 レーナは後方を振り返ると、微笑んでそう言った。すぐに陸が指定されて部屋へと入っていき、それによつきが続く。
「これで休めるね」
「ええ、そうですね」
 すずりとジュリも中へと入っていった。もう夜も遅く、皆疲れ切っているはずだ。宿屋の主人も寝る頃らしく、あくびをかみ殺しながら奥の部屋へ入っていくのが目に入る。
「あれ? レーナさんは?」
 部屋に入る気配のない彼女へ、すずりが怪訝な顔を向けた。レーナは手をひらひらとさせながら曖昧な微笑みを浮かべる。
「われは散歩してくる。辺りを探るついでにな」
「休まないんですか?」
「これくらいなら必要ない。慣れているからな」
 レーナはそう告げると隣にいるアースを見上げた。返ってくる答えはわかりきっているが、それでも彼女は笑顔で聞いてみる。
「で、アースはどうする?」
「お前を一人で行かせるわけないだろう」
「やっぱりそうか。じゃあ行こう、下はもう誰もいないみたいだし」
 何かあったら戻ってくるから寝ているようにと告げて、レーナとアースは宿を出た。外には人気がなく、昼間は賑やかだった通りもひっそりとしている。
「昼と夜とではこんなに違うんだな」
「ああ、明かりがもったいないからみんな早く寝るのさ。何だかんだ言いながら宇宙にいる者は貧乏だ。地球よりはずっと貧しい」
 レーナはゆっくりと歩いた。店が建ち並ぶ通りには石が敷き詰めてある。その感触を確かめながら、彼女はただひたすら歩を進めた。
 アースは黙ってついてきていた。何か言いたそうだが、言い出せないようだ。何を聞きたいのか予想はつくから、彼女はあえてどうしたとは聞かない。
「レーナ」
 だがそのままなわけでもなかった。名前を呼ばれて彼女は振り返った。小首を傾げて微笑めば、彼の大きな手が頬に触れてくる。
「何を隠してる?」
「隠してはいないが?」
「じゃあはぐらかそうとしている。ごまかそうとしてるな。何がある?」
 瞳を覗き込まれれば彼女に逃げる手段はなかった。それだけのことなのに体が動かなくなるのだ。何とか目を逸らしても、すぐ傍から視線が注がれているのがわかる。
「んー言葉にしづらいんだよな」
「曖昧なままでいいから話せ。気になるだろ」
「それが難しいんだ……ってわかった、話すから止めろ。こんなところで気が抜けないんだ、お願いだから」
 口づけされそうになり、彼女は慌てた。腰は引き寄せられたままだがとにかく手で突っ張ってそれを阻止する。宇宙は地球より危険だ。意識が持っていかれるのはどうしても避けたかった。必死になる彼女へ、彼の重い息がかかる。
「お前はそうやってすぐ嫌がるな」
「だから、そういうことされると集中切れるんだって言ってるだろう。今は危ないところにいるんだ、わかるか? だから駄目、とにかくその、もうちょっと待て」
 アースは顔をしかめた。おそらくもうちょっととはいつまでだ、と言い返したいのだろう。実際ここしばらく宇宙と地球の行き来や封印の騒動で緊張の途切れる間がなかった。今後いつ落ち着ける時が来るのか、考えない方がいいくらいだ。
「……わかった。じゃあ隠さず話せ」
 アースは諦念の声音でそう言い切った。レーナはほっとすると突っ張っていた手の力を弱める。相槌を打ちながら、彼女は言葉を選んで口を開いた。
「話すから話すから。ただ、何かが起こる予感がするんだ。その何かに『彼女』が怯えてるんだ」
「彼女?」
「われの中にいる、闇歴に関わる存在。前にも言ったろう?」
「ああ、その『彼女』のことか」
 アースはうなずいたが、腕の力はゆるまなかった。離す気はないらしい。仕方ないので彼女はそのまま腕の中に収まっておいた。抱き寄せられたままでは話しづらいのだが、抗議しても聞いてはくれそうにない。
 それでも感じる体温は温かくて懐かしくて、心地よかった。考えてみれば二人きりというのも久しぶりな気がする。体の力が抜けそうになるのは癖にも近かったが、彼女はそれを何とか堪えた。気を抜いてはいけないのだから、せめてきちんと立っていないと。
「そう。たぶんもう時間がないんだ。『彼女』は何か焦ってて、怖がっていて、それがわれにも影響している。いや、もうわれと『彼女』に垣根はないから、われが不安になってるってことでいいのかもな。だが、その理由がわからなくて辛い」
 そう言うと抱きしめる腕の力が強くなった。彼からの返事はなく、ただ風が通り抜けていく音だけが聞こえる。
 考えれば道のど真ん中だったな。
 彼女はぼんやりと思った。誰もいないし気の気配すら近くにはないからいいが、危険な行為には違いない。
「アース、目的忘れてないよな? 止まってては意味ないんだ、歩こう。なあアース」
 とりあえず声をかけてみたが動く様子はなかった。彼女は嘆息すると、彼の肩に手のひらをそっと触れさせる。
「なあアース、一つ、お願いがあるんだ」
 静かに切り出すと、抱きしめる力がゆるんだ。声音が変わったことに気づいたのだろう。彼女は何とか彼の顔を見上げるようにすると、ふっと顔をほころばせる。
「何があっても、何が起こっても、あいつらの傍にいてやってくれ」
「あいつら? お前じゃなくてか」
「うん、あいつら。われに、ってのは言わずもがなだろう?」
 くすりと笑ってもアースの眉は寄せられたままだった。それでも彼は小さくうなずき、腕の力を抜く。
 ようやく解放された彼女はそっと離れると、できるだけ穏やかな微笑を浮かべた。心配するとわかっていてもやはり心配させたくはない。
「じゃあ行こうか」
 彼が言葉を紡ぎ出す前に、彼女は歩き出した。夜の風を切るのは心地よく、自然と足は速くなる。
 ごめんな、アース。いつも臆病で。
 彼女は心の中でつぶやいた。
 背後で聞こえたため息が、胸に痛かった。

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