white minds

第三十五章 目覚めた歴史‐5

 地球へ向かってからもう五時間以上が過ぎた。いまどの辺りにいるのか、地球まではどのくらいなのかは全くわからない。小さなモニターは黒い空間を映すばかりで、時間すら表示してくれなかった。最新式のわりにはその辺りが不親切である。
「リンも寝た方がいいんじゃないか?」
 背中から声がかかり、リンは振り返った。後ろの壁際にいる滝が、腕を組んだまま微笑している。
「冗談言わないでください、滝先輩。この状況で寝られる程、私神経太くないんで」
 リンは苦笑すると右手を軽く挙げてひらひらとさせた。その眼差しはすぐ後ろで眠る者たちに向けられている。
 狭い空間に押し込められるという不快な現状を打破する、その手っ取り早い方法は寝ることだった。疲れも溜まっているのだろう。しばらくは緊張していた者たちもうつらうつらとし、数時間たった頃にはかなりの者が眠っていた。
 だからこそ一番後ろにいる滝やレンカの顔もよく見えるのだ。
「神経太いっていうか責任感の問題だろう」
「まあそうかもしれませんね。一応、この船借りたの私とシンですから」
 彼女は隣にいるシンを一瞥した。アキセと話していた彼は、視線に気づいたのか不思議そうに振り返る。
「あ、ごめん。別に何でもない」
 何かあったのかと問いかける瞳に、リンは首を横に振った。だがシンが安堵の笑顔を浮かべる前に、突然レンカが声をもらした。
「あっ」
 息を呑む彼女の方へと、リンは顔を向けた。壁際にいるレンカは口を閉ざし、視線を一カ所に固定させていた。その眼差しを追うようにリンは目線を移す。
「レー……ナ?」
 アースの腕の中で、かすかにレーナの瞼が動いたように見えた。それは本当に小さな変化だったが、今まで身じろぎ一つしなかったのだ。アースも目を見開いて彼女を凝視している。
「ん……」
 今度は確かに動いた。その白い指先が床へと下ろされた。それからゆっくりと頭が動いて、瞼が開かれる。
「レーナ」
 アースの声に、彼女ははっとしたようだった。ぼんやりとしていた瞳に光が宿り、辺りへと視線をさまよわせる。
「レーナ、大丈夫なの?」
 リンは尋ねた。本当ならすぐ傍へ行きたいところだが、眠っている仲間が邪魔でそれもできない。それは滝たちも同じらしく、じれったそうな顔で口をつぐんでいた。レーナは弱々しくうなずくと、不思議そうに目を瞬かせる。
「ここは?」
「ここは宇宙船の中。今地球に向かってるところよ」
「地球?」
「そう。地震が起きて空間が歪んで、大変なことになってるから。一度戻った方がいいって」
 軽く説明すると、レーナの顔色は明らかに青くなった。
 何かまずいのだろうか?
 そう問いかける間もなく、彼女は勢いよく立ち上がった。驚いたアースが手を離して、口を何度も開閉させる。
「レ、レーナっ?」
「まずい、かなり歪んでるな。止めなくては」
「ど、どうかしたの?」
 尋ねたものの、返答はないような気がした。レーナの瞳はどこか遠くを見ているようで、思い詰めた色を宿していた。慌てて立ち上がったアースがそんな彼女の腕を取るが、何も言わない。血が出るのではと思う程噛まれた唇が痛々しかった。
「……歪みを止めに行ってくる。お前たちは先に地球へ戻っていてくれ」
 ようやく開かれた口から紡ぎ出されたのは、予想外の言葉だった。その場で起きていた者全員が、一同に息を呑む。
「なっ、お前何言ってるんだ!?」
「悪いアース、放してくれないか? 歪みの原因に心当たりがある。だから止めてくる」
「一人でか?」
「一人じゃなきゃ駄目なんだ。だからお前たちは先に戻っていてくれ。すぐに……そう、三日後には戻る」
 三日後。
 それはさらに皆を動揺させた。それだけの時間をかけて彼女は一体何をしようというのか?
「レーナ、本当に一人じゃなきゃ駄目なの?」
 リンはもう一度問いかけた。転移のことを考えれば、確かに彼女一人の方が負担は少ないのだろう。だが歪みを止めるだなんて、危険なことに決まっている。
「一人じゃなきゃ駄目なんだ。お前たちは地球へ戻って、基地に隠れていてくれ。そう、特にレンカや滝は」
 レーナはそう言うと、壁際にいるレンカたちへと眼差しを向けた。彼女がどんな顔をしているのか、リンからではわからない。だが微笑んでいるのだろうと、何となく予想できた。言い聞かせる時、彼女は必ず微笑む。
「ではな」
 その言葉を最後に、レーナの姿はかき消えた。あっと言う間だった。残像も気配ももうどこにもない。彼女がもといた場所を、皆は呆然と見つめる。
「な、何が起きてるんだ?」
「わからないわ」
「ですよね」
 事態を飲み込めないぼやきだけが、狭い室内を埋め尽くした。
 だが転移ができない以上、誰も彼女を追いかけることはできない。ただ宇宙船に乗って、地球を目指すしかないのだ。
「まったく、本当にあいつは一人で出歩くのが好きだな」
 アースのつぶやきに、誰もが苦笑を禁じ得なかった。




 人のいない通りをシリウスは歩いていた。人々は空間の歪みなど感じられないから、おそらくは地震のせいなのだろう。怯えているらしく、誰も家に閉じこもって出てきてはいないようだった。
「妙な地震だったからな」
 彼はつぶやいた。
 揺れるというよりはうねると表現した方が近い。まるで自分の存在ごと何か大きな手によって引き延ばされているような感覚だった。恐れるのも無理はない。
「しかし、ネオン連合に来たからといって何がわかるわけでもないな。あいつがいたのは……確かこの辺りだったと聞くが」
 顔をしかめて彼は立ち止まった。何かが起きた痕跡のようなものは感じられない。他の星より歪みがやや強いといったぐらいか。
 風が、彼の青い髪を揺らしてゆく。ため息がもれるばかりで、手がかりは全く掴めなかった。だからといって次に行くべきあてもない。
「シリウス!」
 だが突然名前を呼ばれて、彼は慌てて振り返った。声に聞き覚えがあった。いや、だからこそ驚いた。
「レーナか」
 そこには起きているはずのない少女が立っていた。顔色は悪いが瞳には力があり、今にも倒れそうな様子はない。だがどうしてここにいるのだろう?
「気がついたのか?」
「つい先ほどな。話があって来た」
 困惑しながらも冷静な声で返すと、彼女は真顔のままうなずいた。その細い手に袖を掴まれて、さらに彼は戸惑う。いつもと同じはずなのに何かが違った。その何かの正体がわからず、言葉を放とうにもうまく出てこない。
「お願いだからとにかく落ち着いて聞いてくれ」
「お、落ち着くのはお前の方じゃないのか?」
「残念ながらわれは落ち着いている。ただ、何から話せばいいのか迷っているんだ」
 シリウスは辺りに視線をやりながら、とりあえず彼女を壁際まで移動させた。誰もいないから道の真ん中だろうと問題はないのだが、気分の問題だ。無人の店の横で、二人は向かい合う。
「それで、話とは何だ?」
「思い出したんだ、闇歴の記憶を。しかしわれはこれからすぐある場所へ向かわなければならない。だから万が一のために、お前に話しておこうと思う」
 レーナの言葉を、彼は顔をしかめながら反芻した。思考が全くついていかない。疑問ばかりがわいてくる。
 彼女は記憶を失っていたのか? それも闇歴の記憶を持っていたのか? 彼女が生まれたのは闇歴の後のはずで、その頃のことなど知るはずがない。
「ちょっと待てレーナ」
「待てない、時間がないんだ。何故われがそんなこと知ってるのかって話は今からする。順を追わないと多分理解できない」
「では何故私にする?」
「お前も、関わっているからだ」
 そこでレーナは、一旦口を閉ざした。知らない間に掴んでいた細い肩から、シリウスはゆっくり手をのける。
「私が、関わっている……」
「そう、お前だけじゃないけど。でも今話せるのはお前しかいない。レンカたちに今話すのは、ある意味危険だから」
 彼女は切なそうに笑った。その理由が何となく彼にはわかった。
 また彼女は仲間たちに何も告げず危険な場所へ赴こうとしているのだ。それが今できる最大限のことだから。後で責められることは、重々承知で。
「私なら大丈夫なのだな?」
「お前は記憶を失っただけだから、思い出しても力が暴発することないだろう」
「そうか」
 彼は薄く微笑みを浮かべた。
 その可能性を、考えてこなかったわけではない。他の神と違って、彼はある時を境に記憶が欠如していた。記憶が曖昧なわけではない。ぷつりと途切れているのだ。
 自分が本当は何かを知っているのではと、幾度となく考えてきた。だがその片鱗を掴むことはできなかった。少なくとも今までは手がかりになるものすら見つけられなかった。
 だが今、それを彼女がはっきりと持っている。
「では話を聞こう」
「ありがとう」
 彼女は頭を傾けると、柔らかに微笑んだ。いつも彼女が神技隊らに向けている、見慣れた表情だ。
 変わっても変わらないか。
 彼は独りごちた。何かを思いだしたところで自分が別人になるわけではない。何を聞いても驚くまいと、彼は覚悟した。
 だが彼女が紡ぎ出したのは、驚くべき物語だった。
 始まりの終焉が近いと、告げる物語。

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