white minds

第三十五章 目覚めた歴史‐8

 基地へと入る前から何だか不思議な気はしていた。だが扉を開けて、梅花はさらに絶句した。
「あの、えっと」
 彼女は言葉に詰まった。おそらく神技隊のほとんどだろうと思われる者たちが、出入り口傍の廊下に集まっている。まるで心待ちにしていたと言わんばかりの表情だった。
「梅花! 待ってたんだ」
「あの、青葉、全員で?」
 手を握られて梅花は困惑に眉をひそめた。青葉が心配するのなら話はわかるが、皆で待っているのが腑に落ちない。
「レーナのことを聞こうと思ってね」
 説明してくれたのはリンだった。戻ってきてたのは気でわかったが、なるほど、レーナの気は感じられない。てっきり倒れているせいだと思っていたが違うということか。
「レーナ、倒れてるわけじゃないんですね?」
「途中までは倒れてたんだけど。起きたと思ったら歪み止めにいくって出ていっちゃったのよ」
 リンは言いながら肩をすくめた。レーナらしいなと梅花は破顔する。
「そうですか」
「だから梅花に、レーナがどこにいるか探してもらえないかなと思ってね。それで待ってたの」
「なるほど、謎が解けました。みんな待ってたのでびっくりしたんですよ」
 そこでようやく青葉が手を離した。梅花は彼を笑顔で一瞥すると、窓の外を見る。草原の中に灰色の妙な物体が埋もれているようだった。あれが宇宙船なのだろう。
「わかりました。じゃあ今ちょっと探ってみますね」
 そう告げると梅花は瞳を閉じた。精神を集中させ、宇宙にある気をくまなく確認しようとする。
 レーナの気。
 あればすぐにでも探し出せるはずだ。だがどの方向へと触手を伸ばしてみても、それらしいものは見つからなかった。痕跡すらない。
 彼女は、この世界にいない?
「駄目です、見つかりませんね」
 梅花はため息をついた。今の自分なら、少なくともこの世界にいる者の気は探ることができる。よく見知った気ならなおさらだ。だがないとなると……。
「おそらくこの世界にはいません」
 断言する梅花に、皆は一斉に嘆息した。やはりかという思いが強いのだろう。空間の歪みを何とかするだなんて尋常なことではない。
「そっか、やっぱりいないのね」
「となるとどこかしら? まさか一人で魔族のところに潜り込んだ……なんてことはないでしょうし」
 リンに続いてレンカも顔を曇らせる。後ろにいるアースの眉がひきつったのが、梅花の視界に入った。これは帰ってきたら説教どころではすまないだろう。いや、それよりもそれまでの間、彼に近寄らずにすむ方法を考える必要があるかもしれない。
「そこまでは、残念ながら今の私ではわかりません」
 言葉を濁して、梅花は首を横に振った。もし歪みの原因が魔族のところならそこだろうし、違うなら別のところだ。心当たりがあり、止める手段があるのなら、レーナはどこへだって向かうはずだ。
 彼女にはそれができる。
「じゃあ結局、三日待つしかないのね」
「三日?」
「レーナが言ってたのよ、三日のうちには戻ってくるって」
 その制限は妙だった。何かをするにしたって三日というのは長すぎる。レーナなら転移があるから移動に時間がかかるわけでもない、となるとそれだけ時間を食う作業なのだろうか?
「おかしいですね」
「そうなのよねえ。でも結局私たちには待つしかないのよ。だからみんなこんな憂鬱な顔してるわけ」
 リンはおどけた調子でそう告げると、また肩をすくめた。梅花も苦笑するしかない。いつもそうだったが、この待つというのはなかなか疲労が溜まる。
「私たちは、いつも受け身ですからね」
 つぶやいた言葉はやや自嘲気味だった。いつか自ら動き出さねばと思っているのに、なかなか事態は上手い方向へと行かない。
 でもそれでも、待ってるからね、レーナ。
 梅花は胸中でそう語りかけた。彼女の無事な帰りを、ただただ祈って。




「空間の歪みが弱くなった気がするなあ、おい」
「そうね」
 人気のない通りを見下ろして、ラグナはつぶやいた。答えるレシガの声には覇気がないが、いつものことなので気にはしない。
 二日前の地震から続いていた歪み、それが次第に弱くなっていた。恐れをなした人々は家に引きこもっているため、どの星に行っても人間の姿は少ない。それにあわせるように、魔族の動きも減少していた。半分はラグナたちの言葉を聞いて、半分は襲うべき人間が減ったが故に。
「これで動きやすくなったわ」
「だがよぉ、乗じて馬鹿な奴らが暴れ出したら面倒だぜ。まあ人間たちはしばらく動かないと思うが」
 高い屋根の上から見下ろす町は、気味悪いくらいに静まりかえっていた。それだけあの地震は恐怖だったのだ。いや、下級魔族が暴れていたところだからなおさらなのかもしれない。
「彼らだってそこまで馬鹿ではないでしょう。この空間の歪みが尋常じゃないことぐらい、理解できるはずだわ」
 レシガは気怠そうに眉をひそめた。ラグナは彼女を一瞥し、小さく嘆息する。
 彼女がここまで星々を飛び回るのは、はっきり言って前代未聞のことだった。たとえそれがベルセーナの命であったとはいえ、やはり驚くべきことなのだ。
 あちこちの精神をがばがば食うのが嫌だ、というのが彼女の言い分だった。精神許容量が大きいせいか、油断すると無意識にそこらに溢れる精神を吸い尽くしてしまうらしい。ラグナにとっては信じがたいことだが、実際彼女の傍にいると大概の魔族はそれだけで弱ってしまう。むしろ下級魔族にとっては天敵とさえ言えた。
 ある意味化け物なんだよ。
 ラグナは気づかれないよう口の端を上げる。
 彼女は常にそれを制御しているが、想像するに難くない程面倒ではあった。だから彼女は外に出たがらないのだ。少なくともある程度上級魔族の近くなら、気を遣う必要がない。
「とりあえず一度ベルセーナ様のもとへ戻った方がよさそうね」
 レシガの言葉に、ラグナはうなずいた。
 戻りたがるのは彼女の癖のようなものだが、現状が現状なので反論する意味がない。
 まずは報告だな。
 そうラグナは胸中でつぶやいた。魔族界が無事なのかこの目で確かめたいという気持ちもある。ベルセーナ達がいるからそれほど被害などはないだろうが、この異変はおかしすぎた。魔族界にも少なからず影響があると考えていい。
「ラグナは」
 レシガがふと彼の方を振り返った。その瞳には何かいたずらをしようとか、からかおうという色がない。珍しいことだ。彼は顔をしかめながら首を傾げる。
「あ?」
「今何が起きているのか、予想がつく?」
 問いかけに、彼は大仰に肩をすくめて見せた。どうしてそれをオレに聞くのだと、問い返したい気分だ。
「つくわけねえだろ。オレはそういうの苦手なんだ、知ってるだろう?」
「知ってるわ。だけど時々野生の勘とでもいうのかしら、鋭いのよね」
「おいっ」
 真顔で言い切る彼女をにらみつけたが、無論効果はなかった。部下達は総じて彼を恐れるが、五腹心では誰一人として彼に怯える者はいない。性格が見抜かれているせいだ。
「今何かがきっと起こっている」
「そりゃそうだろ。じゃなきゃこんな異変起こらねえって」
「ええ。でもたぶん、想像を超えていると思うの。だからいざというときのために、心の準備をしておいて」
 彼女が何故そんなことを言うのか、さっぱりわからなかった。いつだって突然妙なことを言い出す。それが女の勘と呼ばれるものなのか、彼には知りようがない。
「では戻りましょう」
 彼女はもう一度下界を見下ろした。人気のない道には風の音だけが満ちて、夏だというのに涼しげな印象を与えている。
 何が起きても大丈夫なように、心の準備などずっとしてきた。常に予想外の連続だった。少なくとも自分が魔族を率いる立場になるなんて、夢にも思ってなかった。
 言われなくても大丈夫さ。
 ラグナは独りごちる。
 それでも胸の奥にある小さな違和感はぬぐえなかった。それが何なのか、彼はまだ理解していなかった。




 足が震えるのを堪えて、彼女は走っていた。でこぼことした道に足を取られそうになりながらも、懸命に駆ける。
 彼が目覚めてしまった。
 恐怖に侵された体はともすれば動きを止めようとする。だが彼女は立ち止まらなかった。立ち止まれば、もう二度と走れない気がする。背後にある彼の気配に、飲み込まれてしまう予感がある。
「お願い、誰か」
 誰か助けて。
 声は最後まで喉を通らなかった。荒い息がこぼれるだけで、それ以上言葉が出てこない。
 もうあんな怖い思いはたくさんだ。多くの仲間達が、愛する者が殺されるのは耐えられなかった。彼が自分たちの存在に気づけば、もう逃れる術はない。
 誰も気づいていないの? 誰も彼を止めようとはしないの? 黒き者も、赤き者も、全く気がついていないの?
 恐怖から目を逸らそうと、彼女は胸の内で必死に呼びかける。目の前に広がる森すら自分を拒絶しているように感じられた。助けを求めたいのに誰の姿もない。
 当たり前だ。
 この世界に残っているのは彼女とほんの一握りの者たちなのだから。
「隠れていろって、いつまでなのですか? もう怯えているだけなのは耐えられないのです」
 ようやく、声がもれた。彼が眠っているうちはまだ安心していられた。だが目覚めてしまったのだ。もうじっとなどしていられない。
「お願いです、誰か」
 気づいて。そして、助けて。
 嗚咽を堪えながら彼女はひたすら走り続けた。どこへ向かえばいいかもわからず、ただ彼の気配から遠ざかろうと必死になった。
 いや、きっと別の世界にはホワイトたちがいるはず。
 教えよう、このことを。そして何とかしてもらわなければ。そうでなければ世界が、あらゆる世界が滅びてしまう。
「彼の思い通りにはさせていけないの」
 繰り返してはならない、手遅れになってはならない。どこかの世界には必ず、ホワイトたちがいるはずだ。
 伝えなければ。
 彼女は足をもつれさせながらも前へと進んだ。力を持つ存在を求めて、ひたすらに。

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