white minds

第三十六章 悲しい賭の先に‐4

 次第にざわめきが小さくなっていたのを見計らって、レーナは軽く手を叩いた。はっとしたように、皆の視線が彼女へと向けられる。
「話はこれからだ。今のは基本情報にすぎない。何故今こんな事態になってるのかは、まだわからないだろう?」
 彼女が問いかけると皆は各々うなずいた。赤ん坊の声までぴたりと止んで、一瞬室内から音が消える。
「実は長々と話している時間はないから、世界がどうやってできたとかその辺りの細かい話は今は省こう。だがこれだけは知っておいて欲しい。神々や魔族の祖を生み出したのはホワイトであり、この世界の基盤を作ったのはリシヤとその部下たちだ。彼女たちは滅多に会えなかったが仲良くはやっていた」
 言いながらレーナはちらりとレンカを見た。視線に気がついたレンカは、複雑そうに眉根を寄せながら微笑み返す。
「しかしそれはディーファにとっては気にくわない状態だった。彼は一人で海に取り残さ、誰もが彼には近づかなかった」
 レーナは目線を皆に戻すと、やや切なげに瞳を細めた。まるで何かを感じ取ったかのように、桔梗が小さく泣き声を上げる。
「彼はリシヤの生み出した全てを破壊するために、行動に出た。リシヤをもとに生み出された者たち――黄色き者と、赤き者と黒き者――神と魔族を戦わせるようにと謀った。まずは黄色き者を大量に殺す。彼らが何故自分たちばかり狙われるのかと訝しげに思っているところへ、黒き者が妬みから何か企んでいるとの噂を流す」
 続くレーナの言葉を、皆は真顔で聞いた。実感は薄い。だがどこから現状へと繋がる話が出てくるか聞き漏らすまいと、息を呑んでいた。彼女はそれを確認しながら、淀みなく事実を告げていく。できるだけ落ち着きのある、それでも温度のある声で。
「今度は彼は赤き者を殺した。そして同じように、黄色き者が何か企んでいると噂を流した。一体誰がどこで、最初に動き出したかは我々は知らない。だが気づいた時には、黄色き者と赤き者の一部が争いを始めていた。そうすれば彼らはこう思う、ああ噂は本当だったんだ、と。争いが大規模な戦争へとなるのに、そう時間はかからなかった」
 空気が重くなっていくのを誰もが止められなかった。レーナの声は凛としているけれども、その底には悲しみが感じられた。
 疑いが疑いを呼び、争いを招く。信じ込んだ者たちが後ろを振り返ることはない。それが遥か昔にも行われていたと知ることは、神技隊らにとっても胸に痛かった。
 それでもレーナは話を続ける。もう二度と同じことが繰り返されないように。
「リシヤがそんなことするはずがないと、ホワイトもセインもダークも誰もが思った。だが彼女の仕業ではないと、他の神や魔族たちに確たる証拠を示すことはできなかった。リシヤは青の海と黄色の世界にしかいられない。そう、ホワイトが海と白の世界しか行き来できなかったように。きっとそれはリシヤの方も同じだったのだろう。だから我々は互いに接触を試みた」
 彼女はそこまで一気に述べると、大きく息を吐いた。言葉を選ぶようにやや瞼を伏せると、おもむろに唇を動かす。
「だが結局は、失敗に終わったと言っていいだろう。黄色の世界に乗り込んだわれは恨みの固まりとなった黄色き者たちや、ディーファに阻まれた。戦いに乗じたディーファの攻撃で多くの者たちが死んだ。黄色き者は絶滅の危機に追い込まれ……リシヤも打たれた」
 レーナはもう一度レンカを見た。彼女は痛みを堪えるように微笑むと、ゆっくりと小首を傾げる。
 視線を向けられたレンカも、首を傾げた。彼女の瞳に何かを見たように思ったからだ。だがそれが何か考える前に、話は再開される。
「だがリシヤは死ななかった。死にかけたリシヤをホワイトが救った。ホワイトはリシヤを自らに取り込むことで彼女を死なせなかった。つまりレンカはホワイトでありリシヤだ。おそらくヤマトがつけた『リシヤ』という名はそこから来てるのだろうな。まったく、中途半端に思い出したものだ」
 そう言ってレーナは滝を見て苦笑した。笑顔が代名詞の彼女としては、久しぶりに浮かべた表情だった。どう答えたらいいかわからない彼は、とりあえず微苦笑を浮かべて頭を傾ける。自分のことだが自分のことでないような感覚なのだ。こんな話を聞いても、記憶が揺さぶられることはない。
「ディーファの真意に気づいた我々は、生き残った数少ない黄色き者に隠れるよう伝えた。こうしてとりあえず戦闘は終結した。だがディーファはそれでは満足せずに、次の策を考え始めた」
 次の策。そう聞いた途端、皆の顔が一気に青ざめた。
 気づいたのだ、それが何を示しているかを。一人取り残されたディーファが満足せずに、次に何を狙ったのかを。
「彼は同じ事を、今度は魔族と神の間に引き起こした。リシヤを取り込んだホワイトが苦しみながら眠りについてる間、今後どうするべきかセインとダークが言い争うことがあった。それをディーファは利用した。もう少し時間があれば、黄色き者との戦いについて誤解があったことを全員に知らせていれば、こんなことにはならなかっただろう。だが生憎、疲弊した我々にその余力はなかった。よくわからないが危機は去ったと思っていた神や魔族たちの間に、恐ろしい噂が流れ始めた」
 繰り返された過ち。
 振り回された者たちは、またもや同じ手によって掻き乱された。
 夏なのにどこかからか冷気が漂ってくるようで、部屋の空気が一気に凍り付く。桔梗のかすかな泣き声が、張りつめた雰囲気の中鼓膜を震わせた。
「戦いは全て神の仕業だと、自分たちだけが生き残ろうとしているのだと魔族の間で噂された。また逆に神の間でも、魔族によって全て仕組まれていたのだと言われるようになった。過ちは繰り返された。止めようにも気づいた時には多くの犠牲者が出ていた。憎しみが憎しみを呼び、戦いは止まらない。しかもそこにディーファの手が加われば、戦火は増すばかり」
 さすがにレーナの声音も落ちていった。
 明らかになった真実は馬鹿らしくもあり悔しくもあり、そして悲しくもあった。どうしてと、そう口にしたくなる。全ては一人の男によって引き起こされたものだったのだ。
「戦いは主に魔族界で行われていたが、何の拍子にかその一部が神魔世界にまで及んだ。当時はまだ神も魔族もいなかった、リシヤの部下によって生み出された世界。人間が、あらゆる生き物が平和に生きていた世界――神魔世界に、だ。彼らが始めに降り立ったのは地球だった。だから地球が主な戦場となり、多くの者が死んだ。慌てた我々はとにかくこの世界の生き物たちを守ろうとして、できるだけ地球から遠く離れた星々を選び、地球の環境に似せた。そしてそこへ一挙に移動させた。それが今宇宙で人間がいる星々だ」
 衝撃が、走り抜けた。
 ではどの連合の星に行っても空気が吸えるのも、同じ言葉を話す人々がいるのも、全てはそのせいなのか。
 地球を模して作られた環境に、始まりの星。しかしその始まりの地である地球だけが、一つぽつりと取り残されている。当たり前だ。戦場であるその星から引き離すために、移動させたのだから。
 おそらく今地球にいる人間は、運びきれずに取り残された者たちの子孫なのだろう。一人残らずというのはいくら何でも無理だったに違いない。
 そして神魔世界には、元々神も魔族もいなかった。神と魔のいる世界を意味するその名も、その意味では偽りだったのだ。
 覆されていく常識。全ては、消えた歴史のため。疑問が一気に解かれていく様は、それまで予想していたよりもひどく虚しかった。
「だがその最中、危惧していた最悪のことが起こった。セインがディーファに打たれ。彼は死にこそしなかったものの体を維持できなくなり、核となってさまよい始めた。文字通り世界を越えて。そのせいで我々は事を急がねばならなくなった」
 レーナの言葉に、辺りは一瞬で静まりかえった。滝は目を丸くして自らを指さす。皆の視線も一気に彼に集まった。
 神の頂点、その突然の失踪。これもディーファの手によるもので。
「セインが消えたことで上位の神までも影響が出始めた。初めはブレード、次にメイオ、スピル。続けてカーム、ウィックと、次々と核となってどこかへ行ってしまった。消えなくとも記憶を失ったり、ともかくひどい状態だった。そのせいだろう、魔族との戦いも神が劣勢となった。するとディーファは今度は魔族の上位を消しにかかった。ともに滅んでもらわなければ困る、とでも言いたげにな」
 神技隊は各々息を呑んだ。
 ディーファと呼ばれる者の力が、恐ろしさがひしひしと感じられた。彼は青の海からは出られないというのに、その力は別の世界に及んでいる。そう、今突然背後で何かが生じてもおかしくないのだ。
 そこで神技隊ははっとした。
 では、今彼はどうしているのか、と。
「そこでホワイトとわれは、ともかくこれ以上犠牲が増えないよう魔族の上位を封印することにした。その一方で消えたセインたちを探すことを考えていた。ホワイトと、そして同じ白き者であるレインは自らも核になって彼らを追い始めた。残ったわれは魔族を封印しつつ、ディーファを眠りにつかせることにした」
 淡々と告げられる事実の重みが、それぞれの胸に突き刺さった。悪い方へ悪い方へと事態が進んでいく中での決断。一体何を考え何を思っていたのかは、言葉からはわからない。
 しかしそれほど危険な男を眠りにつかせることなどできるのだろうか?
 答えを求めるように、皆はじっとレーナを見つめた。
「われは彼を眠らせるために賭をした。彼が眠っている間にこの世界がどうなってるのか、われがどうなっているのか、セインは連れ戻せているのか。われは残っていたダークを封印することを約束した。彼はそれに応じ、眠りについた」
 彼女の言葉は、周囲に安堵の空気を与えた。では彼は眠っていたのだと、ほっとしたように何人かが息を吐き出した。
 だがレーナはそれを見て微苦笑を浮かべる。これから告げなければならない事実故に、だ。言葉を選びながら、彼女は口を開いた。
「だがその後が問題だった。われはダークを封印しようとしたが、彼は嫌がった。そうだな、その時既にディーファは眠りについていたのだからな。だが約束を破ればディーファが目覚めた時どうなるか、考えたくもないことだ。われは無理矢理ダークを封印し、その際傷を受けた。致死的な傷を」
 彼女はさらりと述べたが、何人かが息を呑む音がした。まるで何でもないことのように告げられたが、それは耳を疑う言葉だった。
 致死的な傷。
 では何故彼女は生きているのか。いや、そもそもそんな傷をどうして受けたのか。今までの話では彼女は白き者で、黒き者、つまり魔族であるダークとは敵ではなかった。いくら嫌がったとはいえ、それで致死的な傷を負うのはおかしい。
「な、何でそんなことになるんだよ!?」
 思わず青葉は立ち上がってそう叫んだ。レーナは彼を見て複雑そうに微笑み、小首を傾げる。その仕草は何か得体の知れない感情を抑えるかのようだった。細められた瞳に不思議な光が宿っている。
「ディーファのところで大分疲れててな、牽制にあいつが放った攻撃を、われが避け損ねたんだ。それでたぶん、錯乱したんだと思う。立て続けにくらった」
 彼女は多くを語らなかった。だがそれ以上聞けない何かがあった。青葉は口をつぐみ、また席へと着く。静けさが辺りに広がった。
「それでどうしようもなくなったわれは、とにかく出血を何とかしようと思い空間をふらふらと渡り歩いた。そこで目に入ったのが、研究所らしい建物だった」
「まさか」
「そう、アスファルトの研究所だ」
 滝のつぶやきに、レーナはうなずいてみせた。彼女は手をひらひらとさせながら口角を上げる。
「そこで見たのが、眠っている自分そっくりの少女――レーナだ。よくできた偶然だろう? われはその時レインが呼んだのだなと思ったよ。レインの気がリティを呼んだのだと。リティは迷わず、レーナの中に入り込んだ。その結果が今のわれだ」
 彼女は笑っていた。それはいつも神技隊らが見慣れていた微笑みだった。
 不運の中の幸運。一筋の光。だがそれは細い糸でつながった、まさに危険な賭だった。かろうじて紡がれた命のかけらは偶然の産物。否、必然か。だがどれも事実であり、そしてその結果が今なのだ。今、こうして彼らが顔を合わせていることが、紛れもない真実。
「その先はそんなに難しくない。内にいながら顔を出せなくなったリティと、内にいる何かに翻弄されるレーナがともかく歴史を、転生神を追うことになるだけだ。そしてつい先ほど、全てを思い出した。ディーファが蘇ったその衝撃でな」
 ガタリと、椅子の倒れる音がした。青ざめた数人が立ち上がっていた。立ち上がった者だけではない、誰もが息を呑んで唇を震わせている。
 その言葉の、意味することを知って。
「じゃあ、今、ディーファは目覚めているのね?」
 恐ろしい事実を確かめるように、レンカが問いかけた。レーナは首を縦に振ると、凍り付く者たちを順繰り見回す。
「そうだ。彼は目覚めてすぐ我々がどこにいるのか探りに出た。それが地震を起こし、空間を歪ませ、リティの記憶を揺さぶった。だから気を失っていたわれは目覚めてすぐ彼のもとへ行ってきた。このままでは多くの世界が壊れてしまうからな。そこで賭の結果を、話し合ってきた」
 そう聞いた途端、背後から近づいたアースが彼女の肩をがっちり掴んだ。その瞳が言わんとすることは明白だ。
 そんな危険なところに、何も告げずに行っていたのか、と。
「怒らないでくれアース。時間がなかったんだ」
「でもお前はシリウスには話した。そうだろう?」
「ああ、万が一の時のためだ。当事者ではなきゃ駄目だし、だからといってレンカたちに話して急に記憶を取り戻せば、ディーファにばれるからな。彼に我々の居場所を探られては困る。だからシリウスに話した」
 それでも彼女は悪びれた様子もなく、ただすまないとだけ付け加えて頭を傾けた。アースはため息をつく。だがそれ以上は何も言わずに、一方後ろへと下がった。
「それで、話し合った結果はどうだったの?」
 レンカが、焦燥した表情で立ち上がった。レーナは落ち着くよう手で制止すると、周囲の様子を確認する。青ざめた皆は答えを待つように、レーナを見つめていた。
「どちらも勝ちきれなかった、ということにしておいた。そして賭をし直してきた。後二十五日でセイン、つまり滝の記憶が戻れば賭はわれの勝ちとなる。戻らなければディーファの勝ちだ。だがそれまではディーファは手出しをしない、そう約束してきた」
 皆は、思い思いの感情を込めて息を吐き出した。
 何故突然歪みが弱くなったのか、地震が止まったのか。そして何故時間がないのかがようやくわかった。
 後二十五日の猶予ができた。だがそれは二十五日しかない。
 目の前に突き出された現実は重かった。二十五日の間にセインの記憶が戻らなければ、ディーファは再び行動を起こすだろう。
 それはつまり、恐ろしい力による殺戮の再開を意味する。
「二十五日、か」
 滝のつぶやきが痛々しかった。
 彼に声をかけられる者は、少なくとも今はいなかった。

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