white minds

第三十七章 羽ばたく白‐2

 四日間はあっと言う間に過ぎ去った。各々が胸に何かを秘めながら、それでも時は刻々と過ぎてゆく。
「ではこれから出発する」
 司令室の中黙りきった皆の前で、宣言したのはレーナだった。相変わらずの不敵の笑顔で前方に立っている。
 特にこれといっておかしいところはないよな。
 青葉はそっと目を細めた。レーナの様子に気をつけて、と梅花には言われていたものの、特別おかしな風には見えなかった。
 大体アースがいるから大丈夫なんだよ。
 彼は独りごちる。しかし梅花に言われたのを無視するわけにもいかなかった。だから時々こうして観察しては、いつも通りなのを確認しているのだ。
「転移で空間を渡るからこれといって注意することもないが、席にはついていてくれ」
 レーナはそう言うと、後ろにある椅子の背もたれに寄りかかった。当人に座る気は全くないらしい。彼女の隣にはケイファがいて、やはり席につく気はなさそうだった。
 一応『人間たち』への警告、というわけか。
 だが現状ではどっちつかずの青葉にとっては、複雑な気分になるものだ。とりあえず大丈夫とは言い切れないので、しっかり席に座っておく。
 衝撃は、すぐにやってきた。
 転移をする時に起こる目眩のようなもので、一瞬視界がおかしくなる。黒いのか白いのかよくわからないが、とにかく何も見えなくなった。平衡感覚もなくなり若干気持ち悪くなる。
 しかしそれも一瞬のことで、すぐに目の前が明るくなった。視界に見慣れた司令室が現れてほっとする。だがモニターに映る景色が問題だった。
 七色というべきか何というか、あらゆる色を水に垂らしたその瞬間の水面、が一番近いかもしれない。それがモニターいっぱいに広がっていた。見ていると先ほどの衝撃以上に気持ち悪くなる。
「また飛ぶぞ」
 それでも間髪入れずに、レーナはそう言い放った。またすぐ言葉通りに二度目の衝撃がやってくる。
 今度はどんなところに出るんだ?
 心の中でひやひやしながら青葉は目を閉じた。転移中見えないのは同じだが、その方がし終わった後のダメージは少ないはずだ。
 すぐに、消えた重力の感覚が戻ってきた。彼はおそるおそる瞼を開ける。次にモニターに映っていたのは真っ暗な空間だった。だが先ほどよりはましだと、ほっと息を吐き出す。
「次の転移で最後だ」
 そう言うレーナを見れば、若干顔色が悪かった。やはりこれだけの人数を、しかもよくわからない空間を越えさせるというのは大変なのだろうか。しかし大丈夫かと声をかける暇もなく、三度目の衝撃が訪れる。
 次に目を開けた時、そこは目的地である黄色の世界。
 瞼を閉じて、青葉は胸中でつぶやいた。そこは一体どんな場所なのだろう? ケイファがいた場所なのだから、少なくとも気持ち悪い空間ではないと信じたい。
「青葉」
 名を呼ばれて、彼は目を開けた。隣にいた梅花が桔梗を抱きながら彼を見つめていた。転移にも動じない桔梗はすやすやと寝息を立てていて、梅花は柔らかに微笑んでいる。
「着いた、んだな」
 見えるということは終わったということだ。彼は視線を巡らせた。モニターに映っていたのは、予想していたよりも普通の景色だった。青々とした草原に、広がる空。空の色が黄色いのは妙な感じがするが、そこに浮かぶ雲は白だった。
「着きましたね」
 前方にいるケイファがそう口にして微笑んだ。自分がいた世界だからだろう、安堵した様子がある。
「よかった、成功したな」
「ええ。これだけの、しかも人間を移動させるなんてさすがリティ。私は彼らのうち何人かが消えてしまうのではと、心配してましたよ」
 だがさらりと怖いことをケイファは口にした。
 そういえばユズが転移を使った際、実は人間を移動させるのは危険なのだとレーナは言っていた。全ての情報を『核』にしまい、その『核』を移動させるらしい。故に『核』の状態では生きながらえない人間が転移するのは死と隣り合わせということだ。
 そうだよな。最近レーナは平気な顔で他の奴ら転移させてたけど、本当はとんでもないことなんだよな。
 彼は自分の感覚が麻痺していたことを、あらためて思い知らされた。ある時を境にレーナが万全となってからは、彼女なら何でもできるような気がしていた。
「慣れだ。とまあ無事に辿り着けたところで、われはそろそろ魔族界へ行く」
 するとレーナは皆の反応を待たずに、すぐにそう告げた。だが彼女のそんな行動を予想していたのか、アースが音もなく立ち上がる。青葉は隣にいる彼を見上げたが、視線には気づいているだろうに何も言わなかった。彼はつかつかと歩きだして、レーナの手首を取る。
「ア、アース?」
「またお前はそうやって一人で行くのか」
「あーいやーそのー」
 機嫌がよくないのを通り越して、彼は怒っているようだった。レーナは視線をさまよわせて助けを求めるが、答える者はない。不機嫌なアースに意見する者は、少なくとも神技隊にはいないはずだった。
「ダーク様に会いに行くのに男連れですか? リティ。しかもブレードと同じ顔の」
 そこへ神技隊ではないケイファが口を挟んだ。彼女の視線がちらりと青葉へ向けられる。その瞳の冷たさに、背筋がぞくりとするのを感じた。
 ブレードと同じ顔の。
 その意味するところは何だろう? 青葉は梅花と目を合わせた。だが梅花は何故だか複雑そうな表情で、桔梗の頭を優しく撫でながら小首を傾げている。
「いや、それは別に問題ない。というかいずれ会わせなければならないし」
 さらりと答える声につられてふと前方へ目を向けると、レーナは手をひらひらとさせていた。彼女はアースを見上げて微苦笑を浮かべている。何かありそうな顔だ。これが梅花の言っていたおかしな様子なのだろうか?
「うん、そうだな、そう。結局今か後かの違いだからな、アースも連れていく。その方がわれも心強いし」
 だがどうやら彼女は覚悟を決めたようだった。そう言うと悪戯っぽく微笑んで、周りへと視線を向けてくる。
「というわけだから、あとはお前たちに任せる」
「ええ、大丈夫よ」
 レーナの言葉に、すかさずレンカが反応した。何故だか最近はやたらと頼もしい。穏やかに、それでも不敵に見える微笑みはレーナのものと重なって見えた。どことなく印象が似ていると思う。
「レーナが戻ってくる頃には全てが終わっているのが理想ね」
 そう言ってくすりと笑うレンカの姿を、眩しい気持ちで青葉は見つめた。きっと何とかなる、そう思わせる力があった。レーナがいなくてもやっていける、と。
 だが彼は、さらなる問題が待っているのをまだ知らない。




 人数が二人減った司令室には、緊張した空気が漂っていた。
 今からここで儀式が行われる。まるでおとぎ話のような記憶を呼び覚ますための、重要な儀式。
「時間もあまりないようなので、すぐに始めますね」
 そう告げてケイファは微笑んだ。
 ちょっと待って心の準備が、そう言えたらどれだけ楽だろう。だが言える雰囲気でもなかった。青葉はつばを飲み込み、ケイファを見つめる。
「ああ、そうですそうです。このままではまずいんでした。皆さん、壁際によっていただけますか? きっと衝撃で立っていられなくなると思うので、できるだけ張り付くようにしていた方がいいはずです」
 だがポンと手を叩いて、のほほんと彼女はそう付け加えた。座っていても駄目だと言うのだろうか? けれどもそう言われて反抗する度胸は誰にもなかった。皆おそるおそる後ろへと下がり、できるだけ壁にへばりつく。怪我が治って間もない者の中には既に座り込んでいる人もいた。
 転移よりも、もっと強い衝撃が来る。
 青葉は固唾を呑んだ。ちらりと視線を隣にやれば、桔梗をしっかり抱きかかえた梅花が神妙な顔で壁に寄りかかっている。彼女はじっとケイファを見つめていた。
「最初は、セイン様ではなくホワイト様の名をお呼びします」
 だが予想外のことを宣言して、ケイファはレンカの方を見た。レンカは自らを指さして首を傾げる。
「私?」
「はい。セイン様の名を呼ぶのなら、ホワイト様の方が適任ですから。よろしいですね?」
「え、ええ。わかったわ」
 レンカは戸惑いながらもうなずいた。まさかそうくるとは彼女も思っていなかったのだろう。青葉も予想していなかった。てっきり滝が最初だと思っていた。セインの記憶が、まず絶対条件なのだから。
「では呼びます。皆さん、準備はよろしいですか?」
 まるでこれから旅行にでも行くようなことをケイファは言った。
 時は待っていてくれない。そうだ、もしこれが失敗すれば別の方法を考えなければならないのだ。余裕などないことを彼は思いだした。
 覚悟したのだろう、ケイファと向かい合うレンカは落ち着いて見える。見慣れた穏やかな横顔には、決意があった。
「では行きますね」
 ケイファが口の端を上げた。
「お目覚めください、ホワイトゥブレィク」
 それは、聞き慣れない発音だった。無理矢理何かの音を言葉にした、そんな響きだった。
 刹那、視界が揺れる。次に周囲の音が消え、重力の感覚がなくなった。自分の周りに広がるのはただ薄紫色の光。前も後ろも上も下もわからない中で頼りになるのは、背中に張り付いた壁の感触だけだった。
 眩しい。
 それなのに瞼を閉じることもできない。自分の体が自分の思うように動かなかった。
「あっ」
 もらしたはずの自分の声も聞こえない。だが瞳は目の前のものをしっかりと捉えていた。
 薄紫色の光の中に、何かが見える。光が弱まる、否、集まった先には白い何かうずくまっていた。それは次第に人の形を取っていく。
 まず目を奪ったのは、揺らめく白く長い髪だった。風などないはずなのに重力を感じさせない動きで、ゆっくりゆっくり揺れている。
 その白く長い髪が空を舞い、はらりと地面へと落ちた。
 否。真珠を思わせる独特の輝きを放つ何かが、床を覆った。それは髪と呼ぶには異質だった。白とも紫とも薄紅色とも表現しがたい揺らめく色を呈していて、その周りを薄紫色の光が包んでいる。
 女は立ち上がった。周囲を見渡すその瞳は優雅にも見えた。揺らいでいるような、それでいて強さを秘めた瞳は、かすかに群青色を帯びている。
 服も肌も全てが白に包まれる中で、それはひときわ輝いていた。いや、輝いているのは彼女自身か。周囲の光は収まったというのに、彼女を包む光だけは変わらなかった。
 人目を惹く女性だった。いや、女と呼ぶべきか彼にはわからなかった。ただ畏敬を呼び起こすその何者かは、確かにここに『存在』していた。
 彼女が、ホワイト。
「目覚めたのですね」
「ええ」
 ケイファの問いかけに、彼女は首を縦に振った。それにあわせて長い髪が優雅に揺れる。膝くらいはあるだろうが常に揺れ動いているため定かではなかった。
「あ……」
 そこまで認識して、ようやく青葉は全ての感覚が戻ってきていることに気づいた。いつから音が聞こえるようになったのか、重力を感じるようになったのかわからない。ただ彼女の存在が目に焼き付いて、意識する余裕もなかった。
「ここは?」
「ここは黄色の世界です」
「黄色の? ああ、どうりで懐かしいわけね」
「ええ。無事お戻りになって嬉しいです、ホワイト様。ずっと、お待ちしておりました」
 人外の者、と表現するに相応しい神々しさが彼女にはあった。顔はレンカと同じなのに、まるで別人のような感覚だ。そのためだろう、すぐ傍にいる滝でさえ驚きに息を呑んでいるようだった。言葉を発することもできない。
「私も安堵してるわ。セインも、皆もいるようだしね。あの子も」
「ええ、リティも無事です」
「それだけが気がかりだったの。あの子に、全てを任せてしまったから」
 だが『あの子』という響きに込められていたのは、人間の持つ感情と同じだった。慈しみというよりは愛だ。まるで子どもか妹でも心配するような、そんな気持ちが込められている。
 あれ?
 しかし妙なことに青葉は気がついた。
 彼女は尋ねた、ここはどこかと。そして確かめた、皆がいることを。
 まさか。
 背筋を冷たい汗が落ちていく。その可能性が全く頭から抜け落ちていた。レーナは記憶を取り戻してもそれほど変わりなかった。シリウスだって特別おかしな様子もなかった。レンカがリシヤの記憶を取り戻した際も、そんなことはなかった。
 だから勝手に思いこんでいた。昔の記憶を取り戻しても、レンカの記憶は無事なままだと。
「では状況を教えてちょうだい、ケイファ」
 そう口にする白の主を、青葉は呆然とした気持ちで見つめた。そしてこの場に『繋ぐ者』がいないことを、激しく後悔した。

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