white minds

第三十七章 羽ばたく白‐4

 床に落ちる寸前の青葉を、シンは慌てて抱え上げた。感じる重みに顔をしかめつつ、彼は長く息を吐く。
「危なかった」
 異変を視界の端に捉えて、咄嗟に取った行動だった。傍にいなければ間に合わなかっただろう。たまたまだが運がよかった。
 彼がゆっくり青葉を壁際に座らせると、事態に気づいた梅花が駆け寄ってきた。それにつられるように皆の視線が集まる。シンは片膝をついたまま、顔を上げて苦笑した。
「シン先輩」
「もう影響が出たみたいだな」
「早いですね」
「ああ、思ってたよりも早い。驚いた。本当驚いた」
 言いながら梅花も傍に膝をつく。シンはうなずき、不安と戸惑いを必死に押し殺そうとした。
 まさかセインが目覚めてすぐとは思わなかった。今のところ彼自身は大丈夫だが、それも時間の問題かもしれない。倒れて、目覚めた時どうなるのか、わからないからこそ漠然とした動揺が体を包んだ。
「ブレードが倒れたの?」
 そこへ小首を傾げたホワイトが、問いかけながら数歩近づいてきた。何も言えないシンの代わりに梅花がうなずく。それでブレードが青葉を指す名だと、彼は思い出した。
 面倒だな。
 思わず心の中で小さくつぶやく。しばらくはこの名前問題で苦労するかもしれない。もっともそれは、彼が無事で居続ければの話だが。
「ブレードが?」
「ええ」
 するとセインも彼らの方を見た。見た目もほとんど変わらず滝のはずなのに、口にする名前が違う。そのことに違和感を覚えながらシンは口角を上げた。泣きたくなるのは何故だろう、心が痛むのは、何故だろう。だが面には出さずに彼はきつく唇を結ぶ。周りをこれ以上困らせたくなかった。
「じゃあシン先輩たちも危険ですね。青葉は……とりあえずサイゾウたちに治療室に運んでもらいます」
 不意に梅花が立ち上がった。彼女は柔らかに微笑んで、軽く背後を振り返る。自分の名前が出たことに気づいたのだろう、サイゾウが彼らの方を見た。複雑な顔をしているのは動揺のためか、それとも今後に不安を抱いてるためか。
「そう、だな」
 答えながらシンは立ち上がった。この間の話を思い返せば、彼自身もかなりセインに近い位置にいるはずだ。
 オレだってすぐに倒れるかもしれない。記憶を、失うのかもしれない。
 考えるだけで非常に複雑な気分になった。それでも隣にいるリンを見れば、彼女はいつものように朗らかに笑顔を浮かべている。
 不安じゃないのだろうか?
 そう思うが口にはできなかった。不安じゃないわけないだろう、と言い返される気がしたからだ。彼女はいつだって当たり前の感情を抱きながらそれを感じさせない、周りを心配させない強さを持っている。
「このまま倒れる人が続出すると大変なので、私がホワイトたちと今後の話をしておきます。とりあえず他の人は隊ごとにでもどこかの部屋で待機していてください」
 そこで梅花はさらにそう付け加えた。彼女の言葉を待っていたかのように、ぞろぞろと周りの者たちが動き始める。早くこの部屋から出たいという気持ちがシンにも見て取れた。実際彼も同じ気分だ。梅花に押しつけるのは気が引けるが、名前をとんと覚えていない彼では会話についていけない。
「いいですね? ホワイト」
「ええ、もちろん。いいわよね? セイン」
「ん? ああ、レインがいるなら問題ないだろう」
 そんな会話を背中にして、シンも歩き出した。できるだけ彼らの顔を見ないようにしながら、司令室を後にする。
「はあ……」
 廊下に出ると、思わず息がこぼれた。しかしそれは他の者も同じで、次々とあちこちからため息が聞こえてくる。
「もう、シンったら緊張しすぎ」
 すると背中をばしりと強く叩かれて、彼はよろめきそうになった。振り向けば予想通り、リンが笑いながら手をひらひらとさせている。
「あんなすごい人目の前にしたら緊張もするだろ」
「だってレンカ先輩でしょう? 気にすることないじゃない」
「気にしないお前がすごいと、オレは思うぞ」
「そう?」
 首を傾げるリンを見て、シンは苦笑した。あの状況でそう割り切れる彼女はやはりただ者ではない。前から思っていたが、適応能力が高すぎるのだ。
「そうそう、気にしないリンがすごいだけだって」
 そこへ援軍の声が背後から聞こえた。顔だけ向ければ複雑そうな顔をした北斗が、呆れた顔で肩をすくめている。
「あ、北斗までそんなこと言う」
「事実だし。っていうかお前怖くないのか? 自分も倒れるかもしれないんだぞ」
「まあ怖くない、なんてことはないわよ」
 北斗の言葉に、リンは微苦笑を浮かべた。シンも相槌を打ちながら苦笑いする。予感通りの返事にほっとするものの、胸の奥底にある重しは取れなかった。
「でもスピルになっても私は私でしょう? 結局は私がスピルを受け入れなきゃ先に進めないんだから、怯えてたって仕方ないじゃない。ああでもね、倒れた時はよろしく頼むわ、北斗」
 だがさらりとリンは言い切った。その言葉があまりに彼女らしすぎて、シンは何も言えなくなる。
 怯えてても仕方ない、か。
 そうかもしれない。セインやホワイトを見れば、思っていたよりもそれまでと変わらなかった。いや、滝たちの関係がセインたちとほぼ同じだった、と言うべきだろうか。
 核が引き継がれれば、同じような関係になるのだろうか? 思いは同じなのだろうか? 生まれる場所が違っても出会うことができるのだろうか?
 考えてみれば不思議だった。ホワイトはセインを追っていたのだからまだ話はわかるが、自分たちはただセインに引きずられただけなのだから。
「シン?」
 突然黙ったためか、それとも不安を読みとられたのか、不思議そうにリンが顔を覗き込んできた。彼は何でもないと手を振りながら、心の中で小さくつぶやく。
 いや、引きずられたから出会ったのだ。
 考えてみれば皆滝の後に、その近くに生まれている。宇宙の広さを考えれば異常なことだ。だが引きずられたのだと思えば納得できる。神の生まれ変わりなら神技隊に選ばれる実力なのも当然のことだろう。今彼らがここに集っているのは、偶然ではないのだ。
 全て、必然。
 だがそのためには一つの条件があった。皆が生き残っている、という条件が。
「そうだよな。怖がっていても仕方ないよな」
 答えながらシンは肩の力を抜いた。彼らが生きているのはレーナのおかげだ。彼女がいなければ死んでいただろうと思われる戦いが、数えたくないくらいあった。
 ユズのいた世界では、長い戦闘でほとんどの技使いが死んだと聞いている。おそらくその世界の自分たちは、神として目覚めることなく死んでいったのだろう。レーナがいなかったから。
 ならば今なすべきことは、生きるための戦いだ。細い糸によって紡がれた命を、絶やさないための戦い。
 そのためにはメイオを拒否している場合ではない。
「というわけでオレも倒れたら頼むな、北斗」
「何がというわけで、なんだよ」
 北斗の文句を聞きながら、シンは笑った。小さな覚悟が、胸を満たしていた。




 久しぶりに降り立った魔族界は、記憶にあるよりもずっと荒廃していた。そのことに眉をひそめながらレーナは息を吐く。
「少し離れたところに出てしまったな」
 転移を使っての移動は目星となるものをめがけて行う。だが黄色の世界からではダークがどこにいるか正確な場所がわからなかったため、当てずっぽうで来たのだ。気を探ってみればやや遠いことがわかる。
「そうなのか?」
「ああ、どうやら端の方に隠れてるらしい。仕方がない、また飛ぶか」
 問いかけるアースに、彼女はうなずいた。時間をあまり浪費したくないので、本当に飛ぶよりは時空を飛び越えた方がいい。眠って精神も回復しているから問題はなかった。疲れてはいるが、精神が足りないなんてことはない。
「平気か?」
「ああ、大丈夫」
 答えたレーナは、だが視線をアースからはずした。
 見知った気が近づいてきていた。レーナではなくリティが知っている。左から尋常ではないスピードで迫ってくる気。それに気づいたのだろう、アースも警戒しながら左方を見た。
 土煙が上がった。
 飛んでいた者たちが、目の前で急に立ち止まった。それが風となって二人の髪を揺らす。懐かしさに目を細めながらレーナは微笑んだ。ゆっくりと、土煙は落ち着いてゆく。
「リティ!」
「無事だったんだな」
 声を上げたのは二人の男だった。土煙の中から現れた二人の男。一人は逆立ったような不思議な髪型が印象的な、浅黒い肌の青年――ウィザレンダ。もう一人はくせ毛に人懐っこい顔の青年――マトルバージュ。二人は驚きと喜び半々な顔で彼女の腕を掴んだ。レーナはうなずき、警戒するアースをもう一方の手で制止する。
「一応無事だ、とでも言っておこう。ダークやジーンには会ったか?」
「いや、まだだ」
「ジーン様の呼び声が聞こえたから、これから行くところなんだ」
 尋ねると二人は同時に首を横に振った。知り合いらしいとわかって、アースが肩の力を抜く。もっとも相手が魔族なので訝しげな表情は消えないが。
「じゃあわれと一緒か」
「リティもこれからダーク殿のもとへ?」
「ああ、話があってな」
 そんなアースへの説明は後にして、レーナは微笑んだ。それは彼女のいつもの癖だから仕方ないが、ウィザレンダもマトルバージュも不思議そうに眉根を寄せる。彼女は一瞬きょとりとし、それから昔を思い出して苦笑した。
 そうだ、意味もなく微笑むのはレーナの癖であり、リティの癖ではない。彼らが知っているのは危なげでいつも張りつめていて、それでいて寂しげなリティだ。余裕綽々とした、笑顔が代名詞のレーナではなく。
「それじゃあ一緒に行くか」
「連れていってくれるのか?」
「二人も三人も四人も同じだからな」
 彼女はさらりと告げた。するとそこでもう一人がいたことに始めて気づいたように、二人は顔を上げる。そして、息を呑んだ。彼らの瞳が言わんとすることは明白だ。彼女はそれをすぐに読みとり、その口から非難の声が上がるより早く手をひらひらとさせた。
「ブレー……ド?」
「じゃない、若干気が違うだろ? 似てはいるけど」
「似すぎだろう」
「もとにしてるからな」
 二人の剣呑な視線がアースへと突き刺さった。何故にらまれるのか理解できないアースは、顔をしかめている。
 だから面倒だったんだ。
 小さくレーナは胸中でつぶやいた。いずれ生じる事態だとはわかっていても、時間がない今はできるだけ避けたい。いずれ同じことを口にしなければならないのだから、今は遠慮したかった。
「われが気にしてないんだからお前たちも気にするな。ほら、行くぞ。ダークに会うんだろう?」
 なおも口を開こうとするウィザレンダの肩を叩き、レーナは笑った。彼らが心配するのも無理はないが、今はそう言うしかない。説明するには時間が足りなかった。だからレーナの特技、強引な行動でごまかしてしまう。
「まあ、つっこまれたくないなら僕は何も言わないけどね。ジーン様困ってたみたいだから、早く行かないと」
 そこで折れたらしいマトルバージュが両手を軽く挙げた。諦めてくれたことに感謝しつつ、レーナはうなずく。そして目を閉じて、目的の気を探った。慣れ親しんだダークとジーンの気を、昔そうしていたように。
 ゆるやかな生暖かい風が、彼らを覆った。刹那、彼らの体は光すら残さずに消えた。

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