white minds

第三十七章 羽ばたく白‐5

 目の前にあるのは石で作られた塔のようだった。いや、塔と呼ぶにはあまりに低い。だが城と呼ぶには小さく殺風景で、家と呼ぶには大きかった。強いて言えば小さな要塞だろうか。
「ここに?」
「いるな」
 聞き返すウィザレンダに、レーナは首を縦に振った。ダークもジーンもここにいる。気が、それを告げている。
「こんなところに」
 だがマトルバージュもそうつぶやいた。彼らの言いたいことはわかる。ここは魔族界のはずれで、記憶によればメトロナイトあたりが気まぐれに造った建物でしかなかった。ダークたちがこんなところにいるのは、普通に考えればおかしい。
「まあディーファに見つからないように、となると正しい選択かもな」
 つぶやきながらレーナは歩き出した。訝しげな顔をした三人が、その後ろを慌ててついてくる。
 目覚めた彼らが考えることは、まずディーファから隠れることだ。そして次に思うのは現状を確かめること。だがウィザレンダたちは言った、ジーンに呼ばれたのだと。
 彼らに、何かあったのか?
 レーナは自問した。しかし答えは見つからない……否、心当たりがありすぎてどれかわからなかった。どれであってもおかしくない。
「ここが入り口か」
 やや歩けば石の門に挟まれるようにして、背の高い扉が見えてきた。その全てが、周りを拒絶するような冷たい灰色に覆われている。レーナは扉の前へと歩き出し、その端に手のひらを押しつけた。冷たい感触。やはり全て石でできているらしい。
「そうだ、聞きそびれていた、リティ。今は一体どうなってるんだ?」
「そうそう、それを僕らは聞きたかったんだよ。リティなら知ってるだろう?」
 扉を奥へと押せば、慌てたようにウィザレンダとマトルバージュが走り寄ってきて、それをさらに押し込んだ。ついでとばかりに尋ねてくる二人へ、彼女は一瞬だけ瞳を向ける。
 扉の先には、薄暗い廊下が続いていた。明かりは壁に灯されている小さな光だけ。足下さえよく見えなかった。彼女はその中へと入りながらおもむろに口を開く。
「端的に言えばだな、ディーファから守るために封印した魔族が、皆蘇りつつある。ディーファが目覚めて動き出したのが原因だ」
「では神は?」
「上位の奴らはほとんどが転生した。だが記憶がない。それを今何とかしようとしてるところなんだが」
 ゆっくり歩きながら、レーナは答えた。自分自身のことを聞かれるのが一番ややこしいが、幸いにも二人はそれを口にしなかった。内心でほっとしながらただひたすら前へと進む。しばらく乾いた足音だけが、響いていった。
 曲がりくねった廊下は、予想していたよりも長かった。石でできた冷たい空間は、おそらく戯れのためだけに作られたのだろう。それをひたすら歩けば、その先に見知った背が見えてきた。大きな扉の前で立ちつくすその姿に、懐かしさがこみ上げる。
「ジーン!」
 呼べば、彼は振り返った。長く伸ばした深緑の髪は腰に届かんほどにある。頬には傷が、服には数え切れない程の装飾があった。そのどれもが記憶にある青年と同じだ。
 だが違う点もあった。本来は穏やかな彼だが、今その顔は苦悩に歪んでいる。困り果てた、という表現がしっくりくる程に。
「ジーン殿!」
「ジーン様!」
 背後にいたウィザレンダとマトルバージュが走り出した。二人からは喜びの気が溢れている。彼らはジーンを取り囲むようにして何かを訴えたが、うまく言葉にはなっていなかった。ジーンはそんな彼らへ微笑みを向ける。見慣れた、穏やかな笑顔だ。
「誰だ?」
 一人取り残される格好となったアースが、後方で首を傾げた。レーナは苦笑しながら人差し指を掲げ、それを軽やかに振る。
「ダークの右腕、つまりホワイトが生み出した最初の魔族だ」
 説明すれば彼は納得したようにうなずいた。あれだけの話を一度にしたのだから、この反応の方が普通なのだろう。全部の名前を覚えている方が難しい。
「リティ」
 嬉しそうな二人を脇に従えて、ジーンが彼女の方を見た。その声には不安と期待が込められているような気がする。彼女はうっすらと微笑んだ。
「やあ、ジーン」
「私が何を言いたいか、君はわかってくれるか?」
「目が訴えているな。ダークは、ひょっとして中に閉じこもってるのか?」
「そのひょっとしてなんだ」
 ジーンの背後にある、その背丈の二倍はありそうな巨大な扉を彼女は見上げた。威圧感もなかなかだが、なによりその中には結界が張ってあるようだった。これを通り抜けるのはジーンでも厳しいだろう。凝ってるなあ、と思わずつぶやきがもれる。
「私くらい入れてくれてもいいと思うんだが」
 そう言ってジーンは顔を曇らせた。彼へと近づきながらレーナは微苦笑を浮かべ、その腕にそっと手を添える。
 頑なに周囲を拒む理由、それはおそらく彼女のせいだろう。ディーファのこともあるが、それだけではないはずだ。胸の奥がずしりと重くなる。だがここで、立ち止まっているわけにはいかなかった。こんな事態を予想していなかったわけではない。覚悟がなかった、わけではない。
「仕方ないな、強行突破するか」
「リティ、やってくれるのか?」
「われしかいないだろう?」
 答えれば口元には自然と不敵な笑みが浮かんでいた。それを見たジーンが眉根を寄せる。彼もおかしいと思っているのだろう。だが彼女はかまわず精神を集中させる。今は説明する余裕がなかった。
「レーナ」
「あー、大丈夫。強行突破と言っても大したことじゃあない」
 そこで不穏な気配を感じたのか、走り寄ってきたアースが彼女の腕を掴んだ。彼女は何でもないと手を振りながら、扉の先を意識する。
 頑丈な結界は紛れもなくダークのもの。これを破れるのはダーク自身か、セインか、ディーファか、さもなくば白き者だろう。
 彼女はゆっくりと右手を前に伸ばした。扉の感触を確かめるよう指先でなぞり、そして瞼を閉じる。
「よし!」
 そして意を決するとその手を高く掲げ、青白い刃を生み出した。慣れた感覚に口元をほころばせつつ、扉へ向かってそれを振り下ろす。
 鈍い、音がした。
 分厚いはずの扉が切り開かれ、その先に薄明かりが見えた。
「前よりも威勢がよくなってないか? リティ」
「気のせいだ」
 答えながら彼女はもう一度今度は刃を横に薙ぎ払う。同時に扉が音を立てて、崩れ落ちた。もともとこれは石なのだから、技に耐えられるものではない。
 壊れた扉の向こうには、結界があった。周囲を拒絶する薄緑色の膜が部屋全体を覆っている。だが一部だけ切り裂かれて、口を開けていた。その中へと彼女は堂々と入っていく。
「リティ?」
 中にいたのは、銀髪の男だった。
 薄明かりの中彼の黒っぽい服は周囲に溶け込んでいるが、髪の色だけがやけに目立つ。どことなく夜の空を連想させる男だ。彼の名はダーク、ダークスィーズ。
「お久しぶり、ダーク」
 彼女が口を開くと同時に後ろからジーンたちが続いてきた。一瞥すれば彼らは思い思いの顔をしている。再び会えたことに対する歓喜も、何故頼ってくれないかという嘆きも、無事だったことに対する安堵も、全てが複雑に入り混じっているかのようだ。
 そうなのだ、彼と彼女は似ている。最後の一線で心を許しきれないこの男は、いつも部下にこんな顔をさせている。
「生きていたんだな」
「ご覧の通り、一応。われは幸運者だから」
 悪戯っぽく微笑めば、ダークは瞳をすっと細めた。彼との距離はまだ十数歩ほどあるが、近づいてくる様子はない。小首を傾げて、彼女は右手をひらひらとさせた。
「そんな顔するな。そりゃあリティはこんな風に笑わなかっただろうし、無茶は……してたな、でも余裕綽々じゃなかったし、偉そうじゃなかったと思う」
 言いながら彼女は歩き出した。彼女が数歩足を進めると、それにあわせてダークが一歩後ずさる。それはまるで怯えるような足取りだった。彼女はほんの少し苦笑して自分の胸元を指さす。
「体だって実は違う。このホワイトの上着のせいでごまかされてる奴多いみたいだけど、服だって違う。われはリティだけど昔のリティではない。長い時を、人間の中で過ごしたから」
 背後で、ジーンが驚きの声をもらすのが聞こえた。ここは薄暗いからなおさらかもしれない。自分たちの力の証とも言える『見た目』が違うというのは、重い意味を持っていた。それが些細な服の違いであっても、大きく響く。
 気づいたのだ、彼女が今までのリティではないと。同じであって同じではない存在だと。リティでもあるが、リティだけではないと。
 だからこそ彼女は言わなければならなかった。慰めではない言葉を、事実を。そしてそれでも、全てを受け入れてるのだと伝えなければならなかった。拒否されても、怯えられても、口にしなければならなかった。
「罵倒されるのも蔑まされるも、疎まれるのも憎まれるのにも慣れた。でもただ生まれてくることを、そこにいることを望んでくれる者がいるというのも知った。思われることも慕われることも経験したし、頼らないことが相手を傷つけるかもしれないってのにも気づいた。全てお前のおかげだ、ダーク」
 彼まであと数歩というところで、彼女は立ち止まった。口を結んで目を見開いた彼は、必死に言葉を探しているかのよう。彼女はそっと、愛しさを込めて、昔何も考えずにそうしていたように囁いた。
「あれはわれの落ち度だ。そのせいでお前を傷つけることになって、本当にすまないと思ってる」
「違うっ! あれは、私が――」
「あれしきのもの、避けられないわれなんてわれじゃないだろう」
「しかしっ」
 なおも声を荒げようとする彼の手を、彼女は優しく握った。こんなことリティはしたかなかと頭の隅で考えながら、瞳を覗き込む。
「お前の気持ち、気づかなくてすまなかった」
 それは二重の意味を込めた言葉だった。
 ずっと気づかなくて、あの時気づけなくて。
 愛する者を手にかけた時の傷は、彼女が一番よく知っていた。一度目はアースを、二度目はアスファルトの命を奪った。きっと傷は癒えないし罪が消えることもないだろう。それでも彼女は生きなければならず、そして生きるつもりだった。生き残った者のせめてもの償い。今まで手にかけてきた者たちの意思を、潰さぬように。
「リティ!?」
 何故だか、背後から慌てた声が上がって足音が響いた。ふと顔だけで振り返れば、青ざめているのか赤らんでいるのかわからない顔のジーンが口を何度も開閉している。
「どうした? ジーン」
「いや、その、それはつまり」
 走り寄ってきたジーンは言いにくいのか言葉を選んでいるのか、ともかく意味のない言葉を繰り返した。彼女は小首を傾げて彼の額に手を当てる。それはリティにとってもレーナにとってもごく当たり前の動作だった。アースの機嫌が悪くなっているのはわかるが、この際は無視する。
「具合でも悪いのか?」
「違う! いや、そうではなくてリティ、君は本当に一体何がどうしてそんな達観しているんだ。ダークと何かがあったくらいはわかるが、私は話についていけない」
 ジーンはその手をのけると深く嘆息した。辛そうに見えるのはダークを案じているためだろう。レーナは顔をほころばせる。
「話なら、ダークから直接聞いてくれ。われが口にすべきことではない」
「だが」
「それより、もう一つ話さなければならないことがあるんだ」
 告げると、声の重みに気づいたのかジーンは押し黙った。冷たいだけだった空気に緊張が走る。それまで言葉を継げずにいたダークも、目の色に鋭い光を宿していた。
「ディーファのことだ」
 彼女は、彼らの顔を順繰り見回した。口をつぐんだダークとジーンはついに来たかと言いたげな目をしている。近寄れないウィザレンダ、マトルバージュははっと息を呑んでいた。そしてアースは、不機嫌な顔で彼女をじっと見つめている。
 悪いなアース、とレーナは心の中でつぶやいた。後でまた怒られそうだが、それも甘んじて受け入れることとしよう。
「あいつは今、目を覚ましてるんだな?」
 確認するダークに、レーナは素直にうなずいた。彼らなら気がついていると思った。だからこそこんな辺境ににいるのだろう。もちろん、別の理由もあるのだろうが。
「そして今、セインはホワイトのもとにいる」
 そう、彼女は続けて言葉を放った。驚きに目を見開いたダークが、彼女へと一歩近づこうとしてその足をとどめる。彼女は柔らかくと微笑んで、本当だよ、と付け加えた。彼が叫びたかった一言に答えたものだった。よかったと、ジーンのもらす声が染み渡る。
「だが連れ戻したのだが……実は記憶がまだない。いや、今頃戻ってるかもしれないがな。そこで、お前たちに聞きたいことがあるんだ」
 彼女は、ダークとジーンの顔を見比べた。どことなく似た印象を持つこの二人は、期待と不安を込めた目をしている。
 気づいているのだ、これから口にする言葉を。何度も決意しようとし、けれども先延ばしにしていた言葉を。誰かがそう言い出すのを恐れ、それでいて待っていたのだから、気づかないわけがない。
 だから彼女はいつものように微笑んだ。できるだけ軽やかに、明るく、そして朗らかに爽やかに。
「ディーファを倒す。協力するか否か、答えを聞きたい」

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