white minds

第三十七章 羽ばたく白‐7

 ベッドの隅で、あけりは小さくなって膝を抱えていた。赤毛の短い髪が肩について、頭を動かすたびにさらさらと音を立てる。
 いつもならただくすぐったいだけなのに。
 あけりは瞳を細めて唇を結んだ。自分の耳にだけ聞こえているだろうその音さえ、今は不快で仕方なかった。嫌でも孤独を感じさせる。決してそうではないはずなのに、一人きりでいる以上に寂しさに襲われる。その思いを振り払うように彼女は口を開いた。
「すずりちゃん、倒れたってね」
 高めの声は、確かに部屋を満たしたはずだった。だが反応したのはユキヤだけだった。振り返った彼の横顔が微苦笑に歪む。部屋にいるはずの他の仲間たちは、身動き一つしなかった。
「そうみたいだな」
「ジュリさんも倒れたってね」
「だな」
「私たちも、いつかそうなるのかなあ?」
 つぶやくように言ってあけりはため息をついた。また、静けさが辺りを包み込む。自分の拍動さえ聞こえてきそうで彼女は強く唇を噛んだ。
 この部屋――ユキヤのものにいるのはバランスの五人だ。しかし皆黙りきっていて部屋を満たす音がなかった。不安を隠せないあけりが話せる相手はユキヤだけ。他の三人は皆よそよそしくて、座る場所さえ離れていた。反応もしてくれない。
「そりゃあ、いつかはなるかもな。それが明日か明後日か、一週間後か一年後かは知らないけど」
 しばらく間をおいてから、ユキヤは思い出したように口を開いた。隣に座る彼はぶっきらぼうだが、声からは凛としたものが感じられた。それがあけりには頼もしく思える。彼がいてよかったと思うのは、記憶にあるだけで何度目だろうか。
「知らないけどって、ユキヤ君は気にならないの?」
「気になるさ。その……何でオレたちなんだろうって思うし。でも悩んでたって仕方ないだろ? 今できること何にもないんだから」
 そこでユキヤはちらりと視線を彼女へと向けた。けれどもそれは今までと違う、ちょっと照れたような瞳だ。
 何で?
 あけりは首を傾げた。今のやりとりで何か恥ずかしがるような言葉があっただろうか?
 お前は恥ずかしい台詞を真顔で言う、と以前はよく文句を言われたものだが、思い返しても心当たりはない。
「そうなんだけどさ」
 しかしそのことはあえてつっこまず、あけりは自分の膝を強く抱えた。それよりも気がかりなのは自分たちの今後、そして雷地たちのことだ。特に黙りきってしまった仲間たちが、気になって仕方ない。
 彼女はそっと扉の方を見た。雷地は気難しい顔で口を結んだまま、壁にもたれかかっている。彼がユキヤのことでわめいたりため息をついているのはいつものことだが、黙ったままというのは珍しかった。
 そうだよね、雷地君だって私とほとんど年変わらないんだもんね。
 あけりはほんの少し口角を上げた。
 突然仲間が神だとか言われたら、冷静な彼だってどうしていいのかわからないはずだ。マツバは無表情のまま壁際に座り込んでいるが、彼が喋らないのは普段通りだ。
 だからこそ、もっとも気にかかるのはコイカだった。口を開かないのは雷地と同じだが、目も合わせないし無表情のままベッドの隅に腰掛けている。丁度あけりとは逆側だ。ぴくりとも動かない様は、まるで石のようだと思う。
 私やユキヤ君が神の生まれ変わりだから? みんなと違うから? 先輩たちもみんなそうなのかなあ。
 独りごちても気分はどんどん沈んでいくばかりだった。これならいっそ倒れてしまいたいとさえ考えてしまう。
「あ、倒れたら迷惑になるんだっけ」
 ちいさくあけりはつぶやいた。その時この仲間たちが助けてくれるのか、今は正直不安だ。信頼していなかったわけではないはずなのに。
「なんで私たちなんだろう」
 消え入るような声は、静かな部屋に溶け込んでいった。答えてくれる者は、この場には誰もいなかった。




 アキセは部屋の窓から外を眺めていた。神魔世界とほとんど変わらない緑豊かな景色が、その先には広がっている。
 空が黄色いのを除けば草原も雲も同じだ。のどかだった。とんでもないことが起きているというのに平穏さえ感じさせる。そのことに苦笑しつつアキセは窓枠に手を載せた。何もなければ散歩がしたいと思うくらいなのに。
「アキさん、大丈夫ですか?」
 そこへ聞き慣れた呼び名を耳にして、彼は肩越しに振り返った。軽く銀の髪を結わえたサホが心配そうに彼を見上げている。
「大丈夫。そう言うサホこそ大丈夫か?」
「はい、私は大丈夫です。すずりさんたちも、眠ったままですしね」
 答えて彼女が視線を向けた先には、仲良く眠る陸とすずりの姿があった。ここは陸の部屋だからベッドは一つしかない。そこまで運んでくれたのは彼らナチュラルの仲間であるゴウクだ。大柄な彼は期待通り、何の苦もなく二人をベッドへ寝かせてくれた。だが彼らだけでは心許ないということで、アキセたちゲットもその部屋に集まったのだ。狭いのは辛いが。
「本当に平気かいな」
「そうそう、心配だわ。あの二人みたいに突然ふらっと倒れるんじゃないかって」
 するとタイミング良く、声が扉の方からかけられた。外の様子見してきたすいとときつだ。ときつは怪我が治ったばかりだが、それを感じさせない快活な顔をしている。
「大丈夫だって」
「でもわたくしも心配でございます。ジュリ先輩も倒れたって言ってましたよ」
 心配ないと手を振ると、ベッドの側に座り込んでいたレグルスが口を開いた。本当、彼らの仲間は心配性だ。もっとも、怪我人の多い隊だったことも関係しているかもしれないが。
 そうだよな。最初はレグルス、その次はときつが重傷だったんだし。サホだって一時期はかなりやられてたし。
 アキセは内心でつぶやいた。ただ運が悪かっただけかもしれないが、不安になるのも仕方ないだろう。
「他のところはどうでした?」
「どうやら青葉先輩が目覚めたみたい、ブレードとして」
 尋ねるサホに、ときつが間髪入れず答えた。息を呑むサホの手をアキセは強く握る。その指先はかすかに震えていた。触れなければわからない程、かすかではあるが。
 最初に倒れた青葉が目覚めた、その意味は重い。アキセは確かめるように眠る陸たちを見つめた。閉ざされた瞼は動くことなく、ただ小さな寝息だけが聞こえてくる。二人にはまだ目覚める気配がないようだ。
「青が起きた!?」
「ブレードとして」
 だがそこでそれまで隅に座り込んでいたシンセーとヨシガが、同時に立ち上がった。彼らナチュラルは五人とも小さい頃に青葉に助けられたことがあるらしい。それがきっかけで彼のことを慕っているようだった。きっとショックなのだろう。
「そうみたいやなぁ」
「直接は会ってないけどね。なんか司令室で滝先……じゃない、セインと言い合う声が聞こえたから」
 尋ねられたすいとときつは、口々にそう言った。サホの手をより強く握り返し、アキセは深呼吸する。
 ここで心を乱してはいけない。動揺してるのは皆同じで、どうしようもない気持ちになってるのも同じだ。ならば先輩として少しでもしっかりしなくては。それが今まで頼り切ってきた自分たちの、せめてもの恩返しだから。
「んっ……」
 すると静まりかえった室内に、眠たげな声がわずかに上がった。その声の主をおそるおそるアキセは見る。確かについ先ほどまでは、身じろぎ一つしなかったというのに。
「陸?」
 レグルスの隣に座り込んでいたゴウクが、その名前を呼んだ。大きな体に似つかわしくない弱々しい声だ。だが呼ばれた陸はまるで朝起きるのを嫌がるように身をよじると、頼りない動きで上体を起こした。子どもが目覚めた時のような態度だ。彼は目をこすりながら顔をあちこちへ向け――
「おやすみなさい」
 そしてまた、寝た。
「ってちょっと待ったー!?」
 思わずアキセは声を張り上げた。今までの緊張が嘘のように、体の奥から得体の知れない感覚、怒りにも似た感情がわき起こってきた。苛立ちに溢れた声だと彼自身も思う。だが叫ばずにはいられなかった。
「うぇっ? ヒートゥ?」
 怒声に驚いたのかもう一度陸……否、カームは体を起こした。瞬きしながらアキセを見る表情は、今まで見てきた陸のものと変わりない。
「なんだ、夢じゃなかったんだ。知らない人ばっかりだったから、てっきり夢かと」
「だ、だからってね、寝るのか?」
「何だか気持ちよかったし」
 肩で息をして半眼を向ければ、カームは人懐っこい笑みを浮かべて小首を傾げた。彼は一体いくつだったかとアキセは頭の隅で考える。けれどもそんなこと知るわけもないカームは、ふと横で寝ている人物に気づいて視線を下ろした。不思議そうに瞳が瞬く。
「あれ、こんなところにウィックが。しかも何か髪の色とか違うし……ってそういえばヒートゥたちも違う」
 今さら気がついたようにカームは目を丸くした。あまりのことの脱力しながらも、アキセは妙な安心感を覚える。これはカームだが陸だ。この天然っぷりは間違いない。
「セインが消えて、その影響で私たちも核となってさまよったんです。今はその生まれ変わりの姿とでもいいましょうか。わかりますか?」
 そこでこの場で最も落ち着いていたらしいサホが状況を説明した。カームは不思議そうに彼女を見つめて、それからポンと両手をあわせる。思い出したらしい。
「あーそういえばブレードとか消えてたっけ! そっか、オレたちも消えたんだ」
「はい、そして私たちもです。だから見た目が少し違うんです。あと、私たちは残念ながらまだ記憶を取り戻していません」
 サホが説明を付け加えて微笑むのを、アキセはちらりと横目で確認した。強く握られた手は彼女の不安を表している。しかし表情には全く出ていなかった。
 さすがはリンさんファミリー、か。
 アキセはいつだったか聞いた言葉を反芻した。頼りなく見える彼女だってその一員なのだと。
「え? そうなんだ」
「はい、そうなんです」
「じゃあウィックも?」
「ウィックさんは……目覚めたら取り戻してると思いますよ」
 よどみなく答えていくサホに、カームは眉をひそめた。何か悪いことを言っただろうかと、サホは顔を曇らせる。
「その『さん』ってのやめてくれない? 聞いててむずむずする。もともと呼び名なんだし、そのまま呼んでよ」
「はあ……」
 だが言われたサホは困ったようだった。彼女が誰に対してもさん付けなのはアキセがよく知っている。小さい頃からよく顔を合わせていたかれだって『アキさん』なのだ。ジュリさんに感化されたんです、と当人は言っていたが、幼い頃からの癖は直しづらいだろう。
 そういえばケイファさんも似たようなこと言ってたな。みんなそうなんだろうか? それとも呼び名にこだわってるんだろうか?
 何は力があると言っていた。さん付けにすると問題でもあるのだろうか? いや、でも魔族は様付けだとも耳にしている。となるとやはり、単なる慣れの問題なのだろう。
「わ、わかりました」
「よかったあ。じゃあウィックが目覚めるまで、オレも寝るね。何か疲れちゃったし」
 カームはもう一度朗らかに微笑んで、またシーツに潜り込んだ。完全に自分のペースで動いている。現状を確認しようとか、そういう気はないのだろうか?
「陸、だな」
「陸、だよねえ」
「陸そのものだな」
 ほっとしたように同時に口を開くナチュラルの面々を、アキセは目を細めて見つめた。
 部屋の空気が若干、和らいだように思えた。

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