white minds

第三十七章 羽ばたく白‐8

 うつらうつらしている北斗の視界に、ぴくりと動く指が映った。彼は瞬きをしてベッドを見上げる。どうやらいつの間にか眠ろうとしていたらしい。
「シン?」
 彼はおそるおそるその名を呼んだ。だが返事はない。安堵なのか落胆なのか自分でもよくわからないため息をついて、北斗はふと隣を見た。そこではベッドにもたれかかるようにしてサツバが眠り込んでいる。視線を巡らせれば、ローラインも壁にもたれかかって目を閉じていた。
 今、何時なんだ?
 外を見てもずっと明るいため、おおよその時間さえわからなかった。この世界に夜はない。時間の流れなどないかのように、黄色い空はいつまでも輝いている。
「時計……ないのか、この部屋?」
 北斗はよろよろと立ち上がった。借りているのはローラインの部屋だ。無駄だと思える程凝った家具、装飾が多い。だが綺麗なのも事実で、だからこそ選んだのだった。サツバの部屋は片づいてないし、シンの部屋は家具が多くて狭い。北斗の部屋も人を入れたくない状況だった。リンの部屋は論外だから、選択肢はほぼないに等しい。
「時間に縛られるのは美しくない、ってか?」
 苦笑を押し殺して、彼はまた座り込んだ。しかし同時にシンの手がぴくりと動く。彼はそれをはっきりと見た。見間違いではないし気のせいでもない。
「シン?」
「ん……」
 今度は応えが返ってきた。腕がゆっくりと持ち上がって、額へと移動する。やたらのろのろとした動きだったが、不安定な印象はなかった。体調が悪いというよりは寝ぼけているらしい。
「あれ? ここは?」
 シン……いや、おそらくメイオ。彼は訝しげにつぶやいた。見慣れない天井に戸惑っているようだ。彼は緩慢な動作で上体を起こす。
「この感じは……リシヤの黄色の世界か」
 独り言のように口を開いて、メイオは北斗を見た。その瞳の優しさも穏やかな表情も見慣れたもので、北斗はどきりとする。
 しかし予想に反して彼は何も言わなかった。眠るサツバ、ローラインへと視線を巡らせて、そして最後には同じベッドに眠るリンを見下ろす。
 同じ部屋で二人に倒れられたので仕方がなかったのだ。いくらローラインの部屋でもベッドは一つしかない。後で何を言われるかとひやひやしていたが、メイオは動揺すらしなかった。わずかに顔をしかめただけで声も張り上げない。
「スピル? って何か髪の色違うし……」
 気になったのはどうやら色彩のことらしい。首を傾げたメイオは、それでも意を決したのかリンの肩を揺さぶった。いや、彼にとってはスピルの肩を、だろう。シーツの裾が軽く揺れる。
「スピル、スピル」
 彼女の顔を覗き込むようにして呼ぶ名には、温かい響きがあった。心地よい響き。春のやや強い風か、初夏の木漏れ日を感じさせる声音だ。北斗は思わず頬をゆるめる。もぞもぞとする彼女の手によって、落ちかけていたシーツの裾がずるずると引きずり上げられた。
「んんっ……もうちょっとだけ」
「何言ってんだよ、スピル」
「ん? あれ? メイオ?」
 まどろんでいた彼女の声に、張りが戻った。瞳を瞬かせているのは、おそらくメイオ同様色彩に対するものだろう。『昔の二人』は他の神のように、人間にはない色彩を宿していたに違いない。
「そう、オレ」
「ここは?」
「たぶん、黄色の世界」
 メイオがやや離れると、スピルはやおら体を起こした。彼女は不思議そうに辺りを見回し、そしてはっと息を呑む。
「セインの気がある!」
「セインの? ってことは――」
「そう、飛び回ってたの発見されたのよ」
「つまり、今は生まれ変わりの後ってことか。どうりで色違うわけだ」
 北斗に問いかけることはせず、二人は顔を見合わせて勝手に納得した。しかしそれはどれも事実だったので、北斗は何度も首を縦に振る。説明する手間が省けて、嬉しすぎて涙が出そうだ。この理解しがたい状況を口にできる程、彼は落ち着いてはいない。
「そうよね? ええっと、そこにいる人」
「ほ、北斗だ」
「わかった、北斗ね。じゃあ私たちはセインの影響で目覚めたってことでいいのかしら?」
「それでいいです、全くその通り」
 スピルに突然話をふられて、北斗は戸惑った。名前を聞かれたのは少し胸に痛いが、言い様も表情もリンそのものだ。何よりさっくりと状況を言い当てられて、安堵に力が抜けそうになる。そういやこいつって割と頭よかったんだっけ、と過去をぼんやりと思い出したりもした。
「なるほど、了解了解。ところでメイオ、あなた何か変なものくっつけてるけど?」
「変なもの? あ、本当だ」
 立ちつくす北斗の目の前で、スピルの左手がメイオの首もとに伸びた。あまりにも突然の言葉に北斗の思考は停止する。変なものという意味がわからなかった。だがメイオの首もとにある金のペンダントが目に入ってはっとする。それはユズがくれた大切な物だ。彼女たちとの絆を象徴する、大切なペンダント。
「あっ」
 何と言っていいかわからず北斗はそう声をもらしたが、しかしスピルはそれを通り越してメイオの首筋に触れた。途端、妙な白い光が彼女の手元に現れる。北斗が唖然とする中、彼女は眉根を寄せた。首を傾げると同時に、柔らかい黒い髪が肩からこぼれ落ちる。
「これ、魔族のじゃない?」
「誰だよ、勝手にこんなもんオレの中に入れたの」
「さあ知らない。じゃあ消しとくね」
 スピルとメイオは目を合わせて、うなずき合った。同時にスピルはその光を握りつぶすようにする。まるで火が強風に途絶えたように、ふっと光球が消えた。一瞬のことだった。
 魔族。シンに埋め込まれた異物。
 心当たりはあった。以前シンが魔族に捕らえられた時、ブラストがやったものだ。そのせいで彼は不安定になり、ユズが消えることになったのだ。
 こんなにもあっさりと。
 北斗は驚愕につばを飲み込んだ。転生神と聞いても上位の神と聞いても今までは全く実感がわかなかった。見た目も変わらないならなおさらだ。しかし今目の前で何気なく行われたことは、彼らの力を明確に表している。
「え?」
 だが起こった変化はそれだけではなかった。シンのペンダントが薄紫色に強く光り、思わず北斗は手で瞼を覆った。
 目を灼くような光。それはすぐに収まったが、北斗はおそるおそる腕を退けた。何が起こったのかわからなくて、不安になる。ブラストの力が妙な影響を引き起こしたのだろうか?
「人?」
「いや、神だ」
 スピルとメイオの声に導かれるように、北斗はゆっくり視線を足下に向けた。そこに倒れていたのは見覚えのある人だった。
 ユズ。
 レーナたちの生みの親の一人であり、シンの母親でもある。彼を救うために力を使ったはずの、未来の神だ。
「ユズさん!」
 慌てて北斗はユズを抱え起こした。だが彼女は返事をしない。難く瞼を閉ざし、まるで息もしていないようだった。明るい茶色の髪だけが、記憶にあるのと同じように軽やかに揺れている。
「この首飾り、ホワイトの力使ってるな。関係者か?」
 言いながらメイオが立ち上がった。心配そうな顔はシンがよく浮かべる表情と同じだ。彼は膝をつくとユズの頬に触れ、それから顔を曇らせる。
「精神の使いすぎだ、大分弱ってる。スピル、頼む」
「了解、初仕事ね」
 メイオに呼ばれて笑顔でスピルが跳ね起きた。おどおどする北斗など意に介した様子もなく、ベッドから下りたスピルはユズの頭に手を載せる。
「ちょっと待ってねー」
 スピルの手のひらから光が溢れた。温かな黄色い光が、ユズの体を覆っていく。レーナが時々やっていた、精神を補充する技に違いない。さすが上位は違うなと、北斗は感嘆のため息をもらす。
 シンの中の異物を抑えるために精神を使ったから、ユズは弱ったのだ。出てきたのはおそらくその異物が取り除かれたからで、それでも使った精神はどうしようもなかったのだ。
 でもよかった。
 きっと、これでユズは死なない。北斗は心から微笑んだ。シンたちの記憶がないのは悲しいが、一ついいことがあった。
「終了っと。あとは寝かせておけば自然に回復するわ」
「ど、どうもありがとうございます」
「何でそんな緊張してるの? 私別に、北斗のこと取って食べたりしないわよ」
 軽く頭を下げれば、スピルは苦笑をもらしながら手をひらひらとさせた。よく見る仕草と同じで、さらに気が抜けてしまう。
「じゃあ北斗、この人を頼むな。俺たちはセインに会ってくる」
「そうね、しっかりどついてあげなくちゃね」
 メイオとスピルはもう一度立ち上がった。北斗はユズを抱え直して、二人を見上げる。
 頼もしい。そう感じさせる爽やかな笑顔だった。起きた時サツバやローライン驚くだろうなあと思いながら、北斗はうなずく。
 大丈夫、全てが悪い方へ向かっているわけじゃあない。
 そう彼は自分に言い聞かせた。
 扉の閉まる音が、やけに大きく聞こえた。




 司令室へと入ってきた二人を見て、梅花は微笑んだ。シンとリン……否、メイオとスピルだ。正直この五人では色々と辛かったので、助け船が来たような気分だった。泣きたい気分になるのはきっとレインが彼らを信用していたからに違いない。いや、梅花がシンとリンを、かもしれないが。どちらにしろこみ上げる嬉しさは止められなかった。
 今までこの部屋にいたのはセインとホワイト、そしてケイファ、ブレードと彼女だけだ。桔梗はメユリとネオンたちビート軍団三人組にあずけていたからここにはいない。この空間には正直いさせたくなかった。以前何かあったのは確かだが、関係がいまだによくわからない。複雑で微妙な空気が満ちあふれている。
「あ、メイオとスピルだ」
「久しぶりだなあ、ブレード。久しぶり過ぎて今すぐにでも殴りたい気分だ」
「な、何故に!?」
「だってお前今ごねてただろう、すごくごねて困らせてただろう。レインの顔ですぐにわかるぞ、オレにはすぐにわかる」
 近づいてきたメイオは、初夏のような爽やかな笑顔を浮かべてブレードの首根っこを掴んだ。笑顔なのに怖いとはこのことだ。何故か逃れる気のないブレードは、彼をにらみつけたままうなっている。
「そんなことはしていないっ」
「嘘だ。よってオレが鉄槌を下す。いいよな? セイン」
「許す」
「うわー、何でオレいきなりこんなかわいそうなことに」
 メイオにいたぶられるブレードを、梅花は遠巻きに眺めた。これって上位の神よねえ、アルティードさんたちが希望の光としてすがっていたものよねえ、と棒読みの声がもれる。見せない方がいい、会わせない方がいい。知らない方がいいこともあるのだと、梅花はしみじみと思った。
「レイン!」
「あっ、はい?」
 突然名前を呼ばれて振り返るのと、抱きしめられるのとはほぼ同時だった。目を瞬かせながら状況を理解しようとする。この慣れた感触は、リン……否、スピルだ。
「ス、スピル?」
「ごめんねぇ、レイン。こんな状況で大変だったでしょう、辛かったでしょう。もうちょっと早く起きてればよかったわ。本当ごめんなさい」
「は、はあ」
 驚きながらも梅花は何度かうなずいた。ちらりとホワイトたちを見れば、微笑ましそうに見守っている。どうやらいつもの光景らしい。リンのこれは昔からの癖だったのかあと妙なところで納得した。ならば言っても直らないのは仕方がないわけだ。
「皆目覚めてくれて、嬉しいわ。あと起きる可能性があるのはカームとウィック、スェイブだけね」
 そこで場を収めるためか、穏やかな声でホワイトが告げた。メイオはブレードを解放し、スピルも腕を放す。服の裾をただしながら梅花はうなずいた。
「はい。もしかしたら他にも倒れる人が出てくるかもしれませんが」
「ああ、スェイブにも影響出たんだものね。じゃあやっぱりもう少し待ちましょうか」
 答えるとホワイトは相槌を打った。
 加えればレーナもまだ戻ってきていない。ダークたちに会いに魔族界へ行ったきりだ。もうすぐ十七日になろうとする頃だから、まだ期限までは時間もある。
「じゃあまだレインは目覚めさせては駄目なのね」
「そうですね。少なくともリティがここに戻ってくるまでは」
 ホワイトの問いかけに、また梅花は首を縦に振った。するとメイオとスピルが不思議そうに目を瞬かせる。どうやら容姿が変わっているのは生まれ変わりのせい、だと思っていたようだ。
「レインを目覚めさせる?」
「実はまだ、昔の記憶戻してないんです。私の場合はセインの影響受けませんから」
「あっ、そうか。でもまた何で?」
「現状と昔の記憶、繋ぐ人いなかったので」
 首を傾げるメイオに梅花は笑ってみせた。
 いや、その前に不思議なことがある。どうして彼らは今が生まれ変わりの後だとわかったのだろうか? なるほどーと相槌を打つ二人は、まるで全ての状況を知っているかのようだ。
「二人は、どうやら状況を飲み込んでいるみたいですけど」
「オレら? まあセインの気があればな、わかる」
「その素敵な飲み込みの速さ、みんな持っていればいいんですけどねえ」
 思わず本音が口に出て梅花は慌てた。けれども誰も気にしていなかったようでほっとする。消えた当人であるセインはともかく、ブレードはもっと早く事態を理解してくれてもよかったと思うが。おかげでずいぶん時間を食ってしまった。妙な疲労も溜まった。
「ではとりあえず、リティが戻るまでここで待っていましょう」
 そう告げるホワイトの言葉に、梅花はやや複雑そうに微笑した。もうしばらくこの妙な空間にいなければならないのだ。懐かしさと悲しさ、憂い、そして底にあらゆる思いを秘めたこの空間に。
 レーナ、どうか無事戻ってきてね。それまで待っているから。
 梅花は下ろした手をこっそり組んで祈った。遙か彼方にいる自分の半身へと、願いを込めて。

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