white minds

第三十八章 眠れる海へ‐2

 薄紫の光が止んだ時、そこに立っていたのは見慣れた面影の少女だった。小柄で華奢でだが強さを秘めた少女。しかしアースの知っている梅花ではない。
 顔は同じだが宿す色彩と服装が違った。瞳は黒だがやや紫がかっていて、髪は白と見間違う程の淡い桜色。服はレーナの物とどこか似ているが、それまで彼女――梅花が着ていた物とは全く別だった。違和感のある格好に、アースは顔をしかめる。
「レイン」
 しかしそんな彼の胸中など知らぬ顔で、レーナは囁くように彼女の名を呼んだ。梅花……否、レインはうっすら微笑むと、誰にともなく一礼をする。
「ただいま戻りました」
 その言葉が誰に向けたものなのかも、アースにはわからなかった。だが他の者にはわかったらしい。一人取り残された気分で、彼は周りに気づかれないよう舌打ちをした。その響きがさらに気持ちを重くする。
 考えてみれば、この場にいるのは全て過去を引きずった者たちだ。
 彼と一緒にやってきたこの魔族二人やケイファはともかくとして、知らない間に記憶を取り戻して別人のようになっていた滝、レンカ、シン、リン、青葉も、もはや彼の知っている者たちではない。
 唯一変わらなかった梅花までも、今この瞬間、過去からの使いとなってしまった。いたたまれない気持ちになるのも当然だ。場違いなところにいるのだと、あらためて思い知らされてるようなものなのだから。
「待っていたわ、レイン」
 澄んだ声で発せられたレインの言葉に、そう返したのは壁にもたれかかっていたホワイトだった。
 顔はもちろん浮かべている微笑もレンカと同じなのに、宿す色彩が全く違う。白き者の名に恥じない白さをたたえたその姿には、生きているのが不思議な神々しさが漂っていた。
 遙かに、遠い存在。神話と呼ばれるべき世界の存在。
「現状は、あなたなら説明しなくても大丈夫ね?」
「はい、今リティから流れ込んでるので大丈夫です。じきに理解します」
 ホワイトの問いかけにレインはゆっくりとうなずいてみせた。そのやりとりは当たり前のような空気をともっている。意味がわからずアースは首を傾げるが、他は誰もがわかっているらしかった。やはり、また蚊帳の外だ。
「じゃあ、すぐに話を始めるわね」
 すると壁から体を離して、ホワイトは優雅に微笑んだ。彼女の淡い青の瞳が、周囲の面々と一人ずつ捉える。アースには向けられなかったが。
「今こうして、ようやく私たちは顔を揃えることができたわ。長い時間を要したけれども。けれどもまだ終わってはいない。リティがディーファに取り付けた、賭の話は聞いているわね?」
 彼女の言葉に、皆はそれぞれの表情でうなずいた。アースもその話は既に聞いていたので小さく相槌を打つ。魔族界でのダークたちへの説明に耳を澄ませていた。おおよその事情はわかっている。
「セインの記憶が戻った今、私たちは賭に勝ったことになるわ。だから私たちは何をしてもいい。彼を、殺してもね。もっとも簡単には倒れてくれないようだけど」
 さらりと告げられた殺すという響きが、周囲の温度を一気に下げた。空気が張りつめて息まで詰まりそうになる。凍り付いたとまではいかなくとも凍り付きそうな雰囲気だった。それはおそらく無意識の恐怖により生み出されたもので、だから誰もが口を開くのをためらっている。
 全ての元凶をうち倒すということか。
 だがそれがいかに難しいかは、今までの話を聞いても皆の様子を見ても明らかだった。口にしたホワイトでさえ、体を固くしている。きっとそれこそ賭のようなものなのだろう。
「私は、ディーファを倒すわ」
 それでも彼女はそう宣言した。自らの手に目を落として、固く決意するように大きく息を吐き出す。そして顔を上げると柔らかく微笑んだ。まるで暗闇の中光が差すように、心を温かくする笑み。
「だからあなたたちがどうするか、それを聞きたいの。手伝ってもらえるか、否かを」
「われはもちろん手伝うよ、ホワイト」
 問いかけるホワイトに、真っ先に答えたのはレーナだった。いや、これはリティとしての返答だと考えるべきだろうか。だが不敵に笑うその姿はきっとレーナのものに違いない。ホワイトは彼女を一瞥すると、嬉しそうにうなずいた。
「もちろん私もです、ホワイト」
 次に声を発したのはレインだった。迷いなど見せず凛として紡がれる言葉は、自然と空気の温度を上げていく。
「というかホワイト、この場でそれを聞くのはおかしいんじゃないか? この中で手伝わない、っていう奴がいるなんて考える方が、おかしい」
「ありがとうセイン。でもね、最後にきちんと聞いておかないと。だってこれは、命に関わることなんだから」
 苦笑気味に答えるセインへと、ホワイトは顔を向けた。そうだ、彼の言う通りここで手伝わないと答える愚か者などいないはずだった。ディーファを野放しにすればやがて世界の滅びがやってくる。白き者と黄色き者によって生み出された全ての世界が、青き者によって消えてしまう。
「もちろん、我々も力を貸す。そのために来たんだ」
「ありがとうね、ダーク」
 だからこの流れは必然だった。誰が異を唱えるなど考えただろうか。ホワイトだってわかっていたのだ。が、それでも聞かずにはいられなかっただけに違いない。
 命をかけることを強制するなど、できないのだから。
「だがどうする? スェイブが目覚めそうなら、今すぐ向かうよりも待った方がいいよな」
 異論が上がらないのを確認して、レーナはそう尋ねた。ホワイトは相槌を打ちながらレインへと目を向ける。
「そうね、やっぱりスェイブの力は必要よね。でも他にも目覚める者が出てくるかもしれないから、ぎりぎりまで待とうと思ってるの」
 ぎりぎり、それはつまりディーファの告げた二十五日間が終わる三十一日のことを指しているのだろう。まだそれまでは一週間以上ある。
 長いようで、短いな。
 アースは胸中でつぶやいた。
 一週間待つと言えば長いようにも思われるが、それまでに新たに目覚める者がいるかと考えれば微妙だった。だが戦力は大いに越したことはないのだろう。皆が首を縦に振るのが、彼の視界に入った。
「じゃあこの部屋出ていいかな? オレ、大分息が詰まってきたんだけど」
 すると話が一旦終わったのを見計らって、シン……否、メイオが口を開いた。どうやら彼らはずっと司令室にこもっているらしい。それなら確かに息も詰まるだろう。
「そうねえ」
 しかしホワイトは渋っているようだった。眉根を寄せて小首を傾げながら、うかがうようにレーナを見る。
「前にレインは、他の人間たちを刺激するから出ない方がいいって言ってたんだけど。リティはどう思う?」
「今はもうカームやウィックは外に出てるんだったな。衝撃から大分たったし、そろそろ平気じゃないかと思うんだが」
「じゃあ問題ないわね。いいわよ、メイオ」
 なるほど、彼らが部屋を出ないのは神技隊たちへの悪影響を避けるためだったらしい。ホワイトの返答にメイオは穏やかに破顔した。
 確かに神技隊らにはこたえるなと、アースは思わず小さくうなずいた。見知った者たちが別人のようになって自分を忘れているなど、直視したくない事態だ。
「では一度解散ということで。いいですね? ホワイト」
「ええ。スェイブが起きたらその時また話をしましょう」
 ようやくこの疎外感から解放されそうだと、聞き慣れない名前が飛び交う中でアースは心底嘆息した。疲れる。脱力する。得体の知れない世界に迷い込んだようだ。よくこの中で梅花はやっていたと今さらながらに感心する。
「アース」
 そこで控えめに名前を呼ばれて、彼は視線を左へと向けた。いつの間にか傍へと来ていたレーナが、小首を傾げながら彼を見上げている。
「われはこれから見回りに行くけど、アースも来るか?」
「見回り?」
「神技隊の、だ。こんな感じじゃ不安だろう? 何もないとは思うんだが」
 彼女の手が彼の服の裾を掴んだ。周囲から怪訝な視線と鋭い視線が突き刺さっている気もするが、彼は何とかそれを無視する。自分はこの中では異質なのだと、嫌と言う程わかっている。けれどもそれにめげいてはいけなかった。
「ああ、わかった。われも行く」
 彼は彼女の手を取って歩き出した。できるだけ早くこの場を逃れたい一心で、踏み出す一歩が大きくなる。
『今の彼女』を守るのは、自分の役目だ。
 そう固く決意して、彼は司令室を出た。




「レーナさーん!」
 扉を開けた瞬間聞こえて声に、思わずアースは足を振り上げた。ごすっと何とも言えない音がして、しばし間が生まれる。
「……アース、見事に決まったな」
「こいつが悪い」
「う、美しくない」
 蹴りを思い切り頭にくらい、悶絶しているのはローラインだった。そのわりには元気な様子で、頭を抱えながら美しくないをひたすら繰り返している。
「よかったあ、飛びつかなくて」
「お前も飛びつく気だったのか」
「いや、ほら、感激を表すためにさ」
 ローラインの横には、瞳を輝かせた北斗が床に座り込んでいた。気持ちはローラインと同じだったらしく、それでも一歩遅れた彼は危機を逃れたわけだ。アースはうろんげな視線を二人へ向ける。
「馬鹿か、お前たちは」
「それぐらい辛かったってことさ。オレだってこうなるのはわかってる、でも感極まるってこともあるわけで」
「それでも許さん」
 われのレーナに何をする、と小さく付け加えれば、どうやら聞こえたらしく北斗のこめかみがひきつった。だが何も言ってこないのは恐れているかららしい。今まで『アース』が与えてきた影響だ。
「はいはい、落ち着け落ち着け」
 するとどちらに言い聞かせてるのかわからない口調で、レーナが宥めに入った。彼女は部屋の中へと入り込むと、傍にいるサツバを一瞥してからベッドを覗き込む。
「ユズ、寝てるんだな」
「って驚かないのか」
「シンがメイオとして目覚めたのを見れば予想がつく。だから先にここにやってきたんだ」
 レーナにならって、アースもベッドを覗き込んだ。そこに眠っていたのは明るい茶色の髪の、青い服を着た女性だった。ユズという名はアースも知っている。自分たちの生みの親の一人、そしてシンの母親でもある神だ。
「なーんだ、驚かそうと思ったのに」
 壁にもたれかかったサツバは、つまらなそうな口調でそう言った。
 レーナを驚かすのはお前には無理だ、とアースは心の中でつぶやく。口に出さなかったのは、彼女がおそらく困ったように微笑むからだ。
「お前たちは、それなりに元気そうだな」
「どこをどう見ればそう思うんだよっ」
「いや、飛びつく元気や驚かそうと思う元気があるなら大丈夫だろうと」
 レーナがさらりと言いきると、サツバも北斗もほぼ同時に悔しそうな声をもらした。どうやら本当は大変さを訴えたいらしい。しかし彼女にそう言われたら、泣き言も口にできなくなってしまう。二人が心底悔しそうにうめいていると、ようやくローラインが起きあがった。頭を直撃されたわりには、彼も元気そうだ。
「じゃあユズが起きたら教えてくれ。われは他のところ回ってくるから」
「もう!?」
「われだって大変なんだ。お前たち三人なら安心してユズを任せられる。あとのこと、頼むな?」
 彼女は小首を傾げてにこやかに微笑んだ。まるで花が咲いたように、邪気を感じさせない笑顔。そんな顔で頼まれて断れる者がいるのだろうか? 案の定、三人は口をもごもごとさせながら結局反論の言葉を失った。踵を返す彼女の後を、アースは追う。
 扉を後ろ手に閉めながら、アースはちらりと後方を振り返った。三人が複雑そうな表情で彼の方を見ている。いや、実際見たかったのはレーナだろう。
 何だかむかつくな。
 釈然としないものを感じながら、アースはゆっくり扉を閉めた。
 今度会った時にはさらにくぎを差そうと、心に誓いながら。

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