white minds

第三十八章 眠れる海へ‐3

 魔族界のはずれへと駆けつけたイーストたちを、複雑な顔をしたウィザレンダとマトルバージュが出迎えた。彼らの後ろには石で作られた塔のようなもの……いや、塔と呼ぶにはあまりに低い建物がある。
 見慣れない場所だった。こんな場所があるのだとイーストは知らなかった。彼は訝しく思いながらも、斜め前方にいるバルセーナを見上げる。バルセーナは一歩前に出た。
「どういうことだか、説明して欲しいんだが」
 二人に向かって彼はそう言い放った。隣にはベルセーナを、背後にはラグナ、イースト、レシガを従えて、悠然とたたずむ姿は頼もしかった。何の説明もなしの突然の呼び出しだったのに、苛立ちさえ感じさせない。さすがだとイーストは思った。短気なラグナが何も言わないのも、バルセーナがいるからこそである。
 とにかく来てくれというマトルバージュの声に応じて、彼らはやってきた。だがすぐに話してくれてもよいはずなのに、当の二人は困惑して黙ったままだった。それでも決心したのか癖のある髪をかき上げて、マトルバージュが自嘲気味に口を開く。
「そんなに怒らないでよ、バルセーナ。僕らだって困ってるんだ」
「困ってる?」
「そう。ダーク様とジーン様の封印が解けてさ、それはいいんだけど突然リティがやってきて、それで連れて行っちゃったんだ」
「……は?」
 けれどもマトルバージュの口から放たれたのは、予想外の言葉だった。あまりのことにバルセーナでさえ気の抜けた声を発する。彼がそんな反応をするのを、イーストは初めて見た。それだけ驚くべきことだった。
 ダークとジーンが蘇った。それはつまり悲願が達成したことを意味する。涙してもおかしくないくらい喜ばしいことだが、当人たちが何も言わずにどこかへ行ってしまうとはどういうことだろう。
 やはり、何かが起こっているのだろうか?
 イーストは胸騒ぎを覚えて服の裾を握った。ただ目覚めただけでいいのか、何が起きているのか知らなくていいのか、という漠然とした不安が胸の奥にある。
「リティが?」
「そう、会いに来たんだよね。というかむしろ僕らが一緒に連れてってもらったんだけど」
「それで今彼女は?」
「知らない。何か話によると黄色の世界に行くみたいだったけど。何だか慌ててたからさ」
 バルセーナは根気強く尋ねたが、マトルバージュからは曖昧な返事しか戻ってこなかった。表情から見るに彼もよくわからないらしい。仕方ないとは思うが、どうしてそれを聞かなかったのかとイーストでさえ責めたい気分になった。
 このままでは、またどこか自分たちの知らないところで、何かが起こってしまう。
「落ち着けマトルバージュ、バルセーナ」
 だが不穏な空気が流れたところ、場を制したのはウィザレンダだった。感情の読みとりにくい声は、周囲を一気に静める。皆の視線が彼へと注がれた。
「ダーク殿やジーン殿だって、このまま消えてしまうわけではないのだ。戻ってきた時に話を聞けばいい。きっと二人だって何もわからない状況なのだ。だからこそリティについていったのだろう?」
 もっともなウィザレンダの言葉に、誰もがうなずかずにはいられなかった。そうだ、目覚めたばかりの二人が全てを理解しているとは限らない。マトルバージュが誰に封印されたのかさえ知らなかったのだから、可能性はある。
「リティ、ね」
 すると何か含みのある声で、マトルバージュはつぶやいた。イーストは眉根を寄せてちらりと彼を見やる。リティ、それは何度も聞く名だった。白の主の右腕である、白の少女。魔族界にも現れたということは、闇歴に関わる者たちが次々と目覚めているということだろうか。それもほぼ、同じタイミングで。
「リティがどうかしたのか?」
「どうもこうもないよ。顔は同じなのに別人みたいだった。ものすごく自信たっぷりで余裕綽々で、それですごい笑顔なの。信じられる? リティがずっと微笑んでるのって」
 バルセーナに問いかけられて、マトルバージュは両手を挙げた。お手上げと言わんばかりの表情に、イーストも思わず苦笑する。
 どこかで聞いたことあるような奴だな。
 彼はそんなつぶやきを飲み込んだ。そこでふと技使いたちのことを思い出す。今、あの神技隊はどうしているのだろうか? 黒き者も白き者も蘇っているのを考えれば、赤き者も目を覚ましている可能性もある。やはり動揺し混乱し、うろたえているのだろうか?
「それはにわかには信じがたいな。ダーク様は喜んでいたか?」
「それがねえ、何か微妙な感じだった。驚いているというか怖がってるというか、とにかく不思議だったよ。ねえウィザレンダ」
「ああ、そうだな。何かあったのは間違いない」
 そんなイーストの心中など知らず、マトルバージュたちの会話は進行していた。
 ダークを取り巻く関係は、イーストの知るところではない。昔どうしていたのかも、性格さえわからなかった。それはまるで頭の中にだけ存在する象徴の様なものだ。漠然とした、けれど理想に覆われた存在。しかしマトルバージュたちにとっては違うのだろう。それは彼らの言葉にも滲み出ている。
「気になるが、黄色の世界へ乗り込むわけにもいかないしな」
「そのどこにいるかもわからないしね。だから待つしかないのさ、僕らは」
「今までと変わらず、か」
 そう、いつだって何もわからないまま、待つしかない。そして手遅れになってから気づき、後悔するのだ。深い悲しみとともに。
 次こそは、そんなことがないように。
 声には出さずにそっと、イーストは祈った。




 司令室を不気味な程の静寂が覆っていた。顔を揃えているのは皆赤き者、白き者、黒き者、黄色き者の上位だ。それが皆押し黙っているのだから、誰か覗く者があれば怯えて逃げ出すだろう。もっとも、覗こうとする勇気のある者さえいなかったが。
「さて、リティがいなくなって大分たつことだし、もう混乱はないわね。本題に入りましょうか」
 その沈黙をうち破ったのはホワイトだった。白い光を纏った彼女が口を開けば、それにあわせて長い髪がゆらゆらと揺れる。
 神と魔族を生み出した存在。体を包み込む光こそ目覚めた当初よりも薄くなっているが、立っているだけで人目を引くのは明らかだった。口の端に浮かべた微笑みさえ、まるでこの世のものでさえないかのようで。
「本題?」
「そう、本題。ディーファと顔を合わせるのだから、こちらもちゃんと準備しておかないといけないでしょう? 心の準備を」
 不思議そうに問いかけるセインへ、ホワイトは頭を傾けた。当たり前だと告げる言葉に、セインは眉をひそめる。しかし彼は何も言わなかった。諦めとも違う温かな微笑を口元に浮かべて、小さくうなずくだけ。
「心に揺らぎがあれば彼に惑わされる。海にも引きずられる。彼の気だけで死にかけたことなんて数えられないくらいあるでしょう? できるだけまっさらでないと」
 そう説明するホワイトの瞳は、だがセインを射抜いてはいなかった。彼女が見ていたのはダークだった。黒い衣服をまとった黒を体現する青年。彼女はじっと彼を見つめている。
「それはつまり、私に対する言葉だと思っていいのかな? ホワイト」
「そうね、今一番曇ってそうなのはあなただからね。リティは不思議と吹っ切れてるみたいだから、気にしなくてもよさそうだし」
「ああ、なるほど」
 直接名前を出さないホワイトへ、痺れを切らしてダークは声を上げた。ダークの傍ではジーンが控えていて、その成り行きをはらはらしながら見守っている。
「別にあなたが割り切ってくれるなら話さなくてもいいんだけどね」
 ホワイトはそう付け加えた。どこか慈愛すら感じさせる微笑みを向ける様は、女神と呼ぶに相応しい。実際リシヤと同化してからの彼女は、全ての世界にとっての創造主に近かった。ディーファと対等となり得るのは彼女だけ。それでも戦闘能力に特化したディーファと特殊能力に特化したホワイトでは、直接戦えば結果は明らかだったが。
「今は……」
「そう、今は駄目ね。じゃあちゃんと後でリティと話してちょうだい。私は関わらないし、他の者も関わらせないから」
 言いよどむダークへ、ホワイトはそう言い切った。ダークは呆気にとられるが、当の彼女は微笑むだけだ。
 微笑み、それはリシヤと同化した彼女ならではの表情だった。白き者は概して――三人しかいないが――表情に乏しかった。無表情というわけではない。だがあまりに感情に敏感なために、それなのに自分の感情には鈍感なために、嬉しそうに笑うことは極めて珍しいのだ。
 しかしリシヤを受け入れたホワイトは笑うようになった。強くしなやかになった。それはおそらく、ディーファの機嫌をさらに損ねることになったのだろうが。
「いいの? ホワイト。それでも」
「私はいいわよ。それでレイン、リティとの記憶共有にはどれくらいかかりそう?」
「あと……十日以上はかかりますね、期限には間に合いません。さすがに数億年分となると大変ですから」
 そして白き者の三人目、今では微笑むことが珍しくなくなったレインが口を開いた。左側の頭を抑えて、彼女は苦笑を浮かべている。
 リティとレインは特殊な関係だ。時を同じくして同じ影響にて生まれた二人は、互いの記憶や感情をすぐに読みとることができた。どちらかが防ごうとしない限り、それは常に行われる。やっかいな場合もあるがこんな時には役に立った。空白の時を短時間で埋めるには、これ以上の手段はない。
「そうよね。じゃああなたはちゃんとブレードと話をしておきなさい。ダークの次に曇ってるのは彼だから」
 ホワイトはさらりと言い放って歩き出した。動きにあわせて白く長い髪が軽やかに揺れる。まるで光がこぼれるように、白い髪はゆらゆらと色を変えていた。淡い青から紫、桃色へと。それはリシヤを受け入れてなお、彼女が『純粋なる存在』である証。
 赤き者とも黒き者とも違う、頂点に立つ者の証。
「ホワイト、どこに行くんだ?」
「部屋。たぶん私の部屋もあるんでしょうからね。少し中にいるレンカとも話したいの」
「ちょ、ちょっと待てよ」
 だが誰の予想をも超える彼女の行動を、止めに入ったのはセインだった。やはり当たり前のように言い切るその腕を彼は咄嗟に掴む。
「どうして?」
「お前が外に出たらどう考えても人間たち驚くだろ」
「だから行くのよ。いつまでも閉じこもっていたらさらに怯えられるでしょう? 仲良くしないと」
 必死になるセインへ、ホワイトは朗らかな笑みを向けた。好奇心旺盛なのは昔からで、だからこそ彼は困っていた。怖がられているのを承知の上で、彼女は手当たり次第話しかけまくるのだろうから。人間たちがどんな反応をするのか、セインでさえ容易に想像できるのに。
「わかった。じゃあオレもついていく」
「あら、セインも? 余計に怯えられそうね」
「お前の方がインパクトはあるからな」
「見た目の、ね」
 しかし譲らないホワイトへ、譲歩したのはセインだった。何の解決にもならない選択肢だが彼の気持ちは収まるのだ。彼は彼女の手を握ると、おもむろに後方を振り返る。
「はい、こちらは任されたので好きにしていてください。そのうちリティも戻ってきますし」
「悪いな」
「いえ、いつものことなので。ブレードのことも何とかしておきます。ダークは、ジーンに任せますから」
 彼の視線の意味に、すぐさまレインが答えた。安心してくださいと言わんばかりの微笑みで、彼女は右手をひらひらとさせる。
 名前を出されたブレードは不満そうに、またダークは居心地悪そうに顔を背けた。それでも彼女の宣言に安心して、セインは首を縦に振る。
「じゃあ任せた」
 そう言い残してセインはホワイトとともに部屋を出ていった。外から悲鳴が聞こえないのは、神技隊が部屋に閉じこもっているせいだろう。
「いつまでたっても私たちは、変わらず、難儀ね」
 残されたレインのつぶやきに、答える者はいなかった。


 約束の期限まで、あと八日。

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