white minds

第三十八章 眠れる海へ‐5

 部屋に入ってきた青年を見て、よつきは顔をほころばせた。安堵と嬉しさがこみ上げてきて、表情が緩むのを抑えきれない。
「シリウスさん」
 名前を呼べば、部屋の状況を嫌そうに見回していたシリウスが彼へと視線を向けた。憐れむように軽く微笑すると、軽く手を挙げてくる。
「よつきか、ずいぶん大変な場面に出くわしてるようだな」
「はい、ものすごく嫌な状況に引きずり込まれてしまいました」
 よつきも彼の視線を追うように部屋の中を見回した。レインがスェイブと話し込んでいるのは変わりなく、ブレードとケイファの機嫌が悪いのも変わりない。後ろでは長い髪の男――ジーンが、銀糸の男――ダークを説得しているところだった。
 つまり司令室の空気はぎすぎすしたままで、改善される気配すらないのだ。
 よつき自身でさえ、よくこの中で耐え切れたと思う。自分で自分を褒めてやりたいと思ったことは久しぶりだった。
「ちょっとどうして先に行くのよ」
 そこへ文句を言いながら、目をつり上がらせたリンが足早に入ってきた。否、リンではない。だが彼女の名前が何だったかはよつきは覚えていなかった。いつもと変わりない姿、表情だから余計にそう呼びたくなるのも事実だが、しかしその言葉がリンではないことを表している。どことなく親しげだ。
「お前たちが仲良く話しているからな、二人きりにしてやろうという好意なのだが」
「嘘おっしゃい。リティに会いたいからでしょう」
「スピル、どうしてお前はそう決めつけるんだ」
「だって顔に書いてあるもの。心配だって目が言ってる」
 二人によって繰り広げられた会話はその仲を如実に示すものだった。シリウスは彼女――スピルを一瞥すると困ったように肩をすくめる。仲いいですねえとつぶやきながら、よつきは口角を上げた。
「そうだ、顔にはっきりきっぱり書いてある」
 そこへスピルの加勢に現れたのは、穏やかな笑みを浮かべたシンだった。これもまた別の名が適当だろうが思い浮かばない。だがそのうち会話に出てくることを期待して、よつきはもう気にかけなかった。しかしそれでも記憶を探ってみればぼんやりと、彼の部下がシリウスだったことを思い出す。だから彼らは仲がよいのだろう。一緒にいる機会も多かったに違いない。
「メイオまでそう言うか」
「だって可愛い『妹』なんだろう? 年上の、上位の」
「今のあいつを妹呼ばわりしたら、私は殺されそうだがな」
 そう言って苦笑するシリウスへ、よつきは思わずうなずき返した。リティ、すなわちレーナを『妹』と呼べる人がここにいるとは思えなかった。それはおそらくユズかアスファルトに許された特権だ。昔の彼らがどんな関係を築いていたかは知らないが、今は到底無理だった。
 それにしても、どうしてこうも空気が変わるのか。
 後方を一瞥してよつきは安堵の息をもらした。
 それまで部屋を満たしていた刺々しさが嘘のようだった。彼らが現れただけ、その一瞬で、穏和で温か雰囲気が生み出される。メイオとスピルがいないと嘆いていたレインの言葉に、今ならよつきは共感できた。
「あ、噂をすれば、じゃない?」
 するとスピルが扉の方を見て、嬉しそうに声を跳ね上げた。その言葉の意味をすぐに読みとり彼は微笑む。この気はレーナだ。さらなる安心がこみ上げてきて彼は肩の力を抜いた。『繋ぐ者』の存在は『途切れた者』にとっては嬉しい限りだ。
「シリウスっ!」
 扉が開くと同時に、レーナが歓喜の声を上げた。部屋へと飛び込んできた彼女は喜びを隠そうともせず、満面の笑みを浮かべている。これで危うくかわいいとでもつぶやけば、おそらくいつかアースの餌食になるのだろう。だからよつきはただにこにことしながら、会話の成り行き見守った。
「お前が来てくれて、本当に、嬉しい」
「そう言うことをここで笑顔で言うな。これだから私への風当たりが強くなるんだ」
「だって大変だったのだぞ? 神技隊に会いに行けば不安だったと泣きつかれるし、かといっていつも通りにしてたらホワイトやブレードには怪訝な顔をされるし。アースは不機嫌になるし」
 レーナは不満そうにシリウスの服の裾を掴んだ。おそらく無意識だろう、繰り出される動作は、外見とは釣り合っていても内面とは釣り合っていなかった。昔からそうだが、妙に保護欲をそそるものなのだ。その強さはどう考えても守られるよりも守る側だというのに。
「だからといって私を巻き込むな。この場で、その仕草で、その顔でまとわりつくな」
 だが軽くにらみつけるようにしてシリウスはそう言い放った。彼の意識は傍でにやにやしているメイオとスピル、そして背後から半眼の目を向けてくるブレードたちに向けられているのだろう。レーナは首を傾げ、それから司令室にいる面々を見回してまた微笑んだ。掴んでいた裾を離して頬に手を当てる。
「ああー悪い。もてるのって辛いなあ」
 彼女が放った問題発言に、数人が勢いよく吹き出した。モニター傍にいたダークは椅子からずり落ちそうになってジーンに支えられており、壁に寄りかかっていたブレードは動揺に頭をぶつけている。ケイファは目眩を起こしたのか椅子にもたれかかっており、咳き込んだスェイブの背をレインが撫でていた。メイオとスピルとて、笑いと驚きを混ぜ合わせた顔で互いに目を合わせている。
 だからこそ今の発言が、リティにとってはあり得ないものだったと認識できた。レーナなら言いかねないがリティは決して口にしない言葉。それを今レーナは放ったのだ。
「……そうだ、だから少しはその愛情ばらまきを慎め。そして私に近づくな。神技隊の奴らなら宥めておくから、あの不機嫌きわまりない連中をさっさと何とかしておけ。このまま戦えば、確実に、海に取り込まれるぞ」
 額を手で押さえて、シリウスは早口でそう言い切った。レーナは微笑したまま目を細め、それから小さくうなずく。わかっていると、告げるように静かに穏やかにうなずいた。雨の中咲き続ける花を思わせる瞳で、ただじっとシリウスを見上げる。
「うん、だからホワイトと相談していた。今のままならば、ダークもブレードも置いていこうと思っている」
 囁くように告げられた言葉は、しかし当の二人にも届いたようだった。音を立てて立ち上がったダークは、目を見開いて彼女たちの方を見る。ブレードもはっとして顔を上げ唇を結んでいた。  思ったことは同じだろう、だが動き出したのはブレードだけだった。彼はつかつかと歩み寄ってくると、眉をつり上げてレーナの二の腕を力強く掴む。
「リティ、それは、どういうことだ」
「そのままの意味だ。お前がわれを避けて口をつぐんでいるうちは、海へは連れていけない」
「んな馬鹿なっ。いくらあっても戦力は足りないんだろう!? レインが行くのにオレが行かないなんて、そんなことは納得できない。したくもないっ」
 目を細めてブレードは声を荒げた。間近で見るその気迫のすさまじさに、よつきは息を呑む。
 青葉がレーナへ向けていた目とは、まるで別物だった。そこには憎しみさえ籠もっているのではと思われる程、苛烈な感情が渦巻いていた。
 ブレードと同じ顔の。
 そう時々アースが言われていたのをよつきは思い出す。今なら何となく彼らの不安がわかった。ブレードとリティの間に何があったかはわからないが、少なくともうまくいってなかったのは確かだ。
「お前が納得しなくてもホワイトやセインが許さないだろう。確かに戦力は欲しいが、危険な要素はなるべく少なくしたいんだ」
「だったら、だったらお前はどうなんだよ」
 切羽詰まった、けれどもどこか醒めたような叫びをブレードは発した。彼の指は食い込むではないかと思う程強く彼女を掴んでいる。それに気づいたのだろう、顔をしかめてメイオが引き離しにかかった。メイオに腕を引かれておとなしく下がったブレードは、唇を噛みしめる。
「われは行く。だが案ずるな、レインを守るのはわれの役目じゃない。それはカームとウィックだ。われはいつも通り切り込むだけ」
 レーナは淡々とそう答えた。それで無表情なら威圧感さえ感じるものかもしれないが、彼女は『レーナらしく』微笑んでいた。言葉に詰まったブレードは目を逸らす。
 神の戦力増を阻むもの、それは彼ら自身の関係。
 いつだったか聞いた言葉が脳裏に蘇ってきた。心境は精神に、技の発現に関わる。彼ら程力を持つ者にとって、その差は大きいに違いない。
 ただ目覚めただけでは、記憶が戻っただけでは駄目なのだ。
 考えてみればもし戦うだけで勝てるなら、既に彼女たちはそうしているはずだった。ならば何故決意しなかったのか。その理由が透けて見えてきたような気がする。
「はいはい、そこまで。ブレードは一旦下がってレインにでも慰めてもらいなさい。ダークはジーンに任せるの酷みたいだから私とメイオが話してみるわ。だからクーディはリティをよろしくね」
 そこで話をまとめにかかったのはスピルだった。彼女はレーナの肩を掴んで無理矢理シリウスへ押しつけると、艶のある笑みで反論を全て消し去ってしまう。
 つまり、自分はもうこのぎすぎすした者たちの相手をしなくていいのだ。
 彼女の言葉からそのことを読みとって、心底よつきは安堵した。ただ案内をしに来ただけで、そんな心づもりなど全くなかったのだ。
「決戦まであとちょっとなんだから、しっかりして欲しいわよね」
 しかし付け加えるように放たれたぼやきが、彼の心を一気に冷やした。
 きっとぎりぎりまで彼らは待つ気なのだろう。戦力は大いに越したことはないのだから。だが、待って本当に意味があるのだろうか。ここにいる者たちを見るだけで疑問がわいてくる。


 約束の期限まで、後六日。




 殺風景で小さな会議室、そこに集まったのは五人の若者だった。いや、人外の者だ。白き者と赤き者、黒き者がそれぞれ顔を揃えている。
「期限は、明日よ」
 第一声を放ったのはホワイトだった。白を纏いし姿で柳眉をひそめ、かすかにため息をもらしている。
 ディーファの告げた二十五日は明日で最後。つまり何を考えるにしても今日で終わらせなければならなかった。だからだろう、部屋の空気は重く、それでいて鋭く張りつめている。立ったまま顔を合わせた彼らはそれぞれ思案する顔で瞳を伏せていた。
「ブレードは駄目ですね。中で青葉と葛藤起こしてるみたいです。接近戦重視がいないのは痛いですが、私は連れていけません」
 まず率先して声を上げたのはレインだった。細い腕を組んでもらす吐息には、苦悩の色が見え隠れしている。
「それはダークも同じね。封印云々の辺りでものすごーく心に来ることがあったらしいわ。言ってもくれないけど自分で解決してもいないみたい。ねえ、ジーン?」
「ああ、残念ながらそのようで」
 続けてスピル、ジーンが口を開いた。二人の声に含まれているのは不抜けめ、という罵りと、頼ってくれればいいのに、という嘆きだ。それはどちらも愛故の感情だったから、周りの者は誰も何の言わない。ダークがなかなか動かないのも、また誰にも悩みをうち明けないのもいつものことだった。だから期日までにどうにもならないとわかってしまうのだが。
「となると、戦力はやはり限られるわね」
 ホワイトは瞼を伏せた。横顔は白く長い髪が覆ってしまい、他の者からはその表情がわからない。ゆらゆら揺れる、色さえ定まらない、不確かな存在。彼女は大きな力を持つと同時に希薄な存在だった。だからこそレインは彼女の手を取り、そっと唇を動かす。
「それは仕方ありません。けれども狙われて足下をすくわれるよりは……だからホワイト、悲しまないでください。セインがいればあなたは大丈夫ですし、リティがいれば突破口は開けるはずです」
 それはどこか旋律のような言葉だった。ホワイトは微苦笑を浮かべうなずき、レインの手を握り返す。
 ディーファを葬るにはホワイトの持つ『海の力』が必要だ。だから彼女を失うことは許されず、その役目は当初の予定通りセインに課せられていた。レインは彼へ武器である『剣』を貸すことが暗黙の了解であり、そのため彼女も失ってはならない。だからカームとウィックが彼女を守る役目を担っていた。本来ならブレードが適任だが、彼でなくてはならないということはない。
 そしてリティがいれば、必ず突破口が開けると彼女たちは信じていた。一人で切り込むのはいつでもリティの仕事であったし、相手がディーファなら彼女以外に飛び込める勇気ある者はいない。ディーファは、少なくとも他の者に対するよりは、リティに対して寛容だった。それはおそらく近しい者に対する自然な感情だろう。今となってはそれが負となって働く可能性もあるが、耐性の問題で彼女以外にその役目は果たせない。
 だからこそ、少なくとも最低の戦力は揃っていると言ってよかった。仲間が多くいた方が心強いし、勝機もたぐり寄せやすいだろう。しかし枷となる仲間ならむしろいない方がいい。気にかけるくらいなら、置いてきた方が。
「そうね」
 ホワイトはそっとレインの手を離した。と同時に会議室の扉が勢いよく開く。
「リティ」
 扉を開けた者の一つの名を、ホワイトはつぶやいた。セインも、ジーンも、スピルもレインも入り口の方へ視線を移す。扉に手をかけたレーナは中に誰がいるのか確認しながら、ほっと息を吐き出した。それにあわせて結われた髪が軽やかに揺れる。
「遅れてすまない。本当は撒こうと思ったんだが、撒ききれなかった」
 レーナがそう言うと同時に、その背後にもう一人の人物が現れた。不機嫌なのを隠すこともなく彼女の肩を掴み、アースが苛立たしそうに口を開く。
「この基地の中で何をどうやって撒こうとしてたんだ、お前は」
「うーん、そうなんだよな。でもまあそんな怖い顔されると撒きたくなるわけで」
 アースの登場に、中にいる五人は思い思いの表情を浮かべた。最近では彼らもアースの行動パターンは大体わかっていたので予想の範疇ではあるのだが、それにしたってどう扱っていいかわからないのだ。
 そんな彼らの気持ちを理解しているからだろう、レーナも困ったようにアースと彼らとを見比べている。
「お前はまたわれを置いていく気だろう?」
 しかし続けてアースの放った問いかけが、レーナの動きを凍り付かせた。その一言で中にいた五人も正しく騒動の中身を理解する。明日が期限の日であり、今日が最後の話し合いならば、アースが頑として譲らないのにもうなずけた。
「つれていってもいいわよ?」
 だが返答は、予想外のところから発せられた。何の前触れもなく当たり前のように告げられた言葉に、アースは呆気にとられる。それはセインもジーンもスピルもレインもレーナも同じだった。ホワイトはくすくすと笑い声をもらしながら、驚く仲間たちを順繰り見回す。
「ホワイト、本気か?」
「ええ、本気よセイン。だって彼なら問題ないでしょう? ディーファに対する無駄な恐怖感も持ってないしそれなりの実力はあるみたいだし。それに人間じゃあないから、海へ行っても大丈夫でしょうしね」
 確かめるセインにホワイトはそう答えた。さすがレンカは話がわかるなとアースはつぶやくが、それはレーナの耳にしか届かない。
「リティがいいなら、私はいいわよ」
 続けてホワイトはそう言い、レーナを見つめた。淡い青の瞳に真正面から見つめられて、レーナは息を呑む。
「どう? リティ」
「われは、もちろん、認めてくれるのならその方が嬉しいんだが」
「なら問題はないわね。戦力が増えて私も嬉しいわよ。ほら、何にも問題ない」
 嬉しげに微笑んでホワイトは両手をひらひらとさせた。子どものような仕草も彼女がすれば、どことなく優雅に見えるから不思議だ。
「では明日はホワイト、セイン、ジーン、メイオにスピル、カームにウィック、スェイブ、リティにアース、クーディ、私で行けばいいんですね」
 そこで確認するようにレインが口を開いた。皆からはうなずきが返るだけで、反論の言葉は上がらない。
 明日が決戦の時。先延ばしにしてきた問題に、多くの者を巻き込んできた問題に決着をつける時。
 訪れた沈黙が、その意味の重さを如実に語っていた。

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