white minds

第三十九章 交錯する思い‐5

「ダークが生きてた、って本当か?」
 突然予想もしないことを尋ねられて、よつきは目を丸くした。治療室に入って眠るサホのもとへ寄るなり、右からそんな問いかけはやってきた。声の方へと視線をやれば、アースの腕にきつく抱かれたままのレーナが、かすかに頭を起こしている。彼女は彼を見上げようとしていた。彼は驚いて瞬きを繰り返す。
「い、いつ起きたんですか。それにどこでその話聞いたんですか?」
「さっき。レインから流れ込んできた」
 戸惑いながら聞いてみれば、彼女はきっぱりとそう答えた。先ほどまで『壊れかけていた』とは思えないしっかりとした声だ。だがその黒曜石のような黒い瞳は不安に揺れている。まだ危ない淵にいるのだと、その瞳だけが語っていた。完全に治ったわけではない。かろうじて正常な意識がこちら側へと引っ張られているのだ。
「気があることは確からしいんですが、なんとも。今調査中です」
「調査? われが行く」
「む、無理ですよ、その状態じゃ!」
 嘘はつけないと観念したよつきが素直に答えれば、彼女はおもむろに立ち上がろうとした。だがアースの腕に引き寄せられてそのまま倒れ込む。よつきが止めるまでもない。今の彼女はアースの制止を振り切ることさえできないのだ。不満そうに結ばれた唇が小さく息を吐き出す。長いまつげも、細かく震えていた。
「しかし、他には誰も行けないだろう?」
 その問いかけは、問いかけの形こそ取ってはいたがほぼ断定だった。よつきは答えられずに小さくうなずく。今行けないのは事実だ。レインが苦しげに語っていたのだから間違いないし、偽りようもない。
「今は、誰も行けません。危険ですから。それでレインが魔族界に親しい者がいないか探してます」
 彼がかすれた声でそう答えると、突然背後の扉が音を立てて開いた。アースとレーナは無意識に入り口の方へと眼差しを向けるが、よつきは振り返らない。わざわざ確認しなくても気でわかった。やってきたのはアキセとユキヤだ。すぐに賑やかな声が聞こえてくるのは、その向こうに誰かがいるためだろう。この賑やかさはナチュラルのものか。事態の深刻さをものともしない楽観的な様には禁じようにも苦笑がもれる。
「サホさんならここに。あけりさんはそっちにいますからねー」
 苦笑ついでとばかり、よつきは軽く肩越しに振り返り笑顔を向けた。だから早くつれてってくださいね、と付け加えれば慌ててアキセが中へと入ってくる。レーナが目覚めたからたぶん神風邪とやらは収まるだろうが、二人の体調はまだおもわしくなかった。大量の精神を使った後、というせいもあるかもしれない。だから一旦はこの場から遠ざかってもらうのだ。
「はい、ほらここですよ。早くさくっとつれ帰って私の目の前から消えてくださいね」
「よ、よつきさん何でそんなに投げやり、っていうかやさぐれ!?」
 さらに笑顔を振りまけばあからさまにアキセは嫌そうな顔をした。何か思い出したくない記憶でも蘇ってきたらしい。青ざめる彼に向かってよつきは手をひらひらとさせた。いやですねえ、とつぶやきながらふふふと笑う。この際だ、レーナの言葉を有耶無耶にしてしまおうという魂胆もあった。
「投げやりだのやさぐれだの、ひどい言いぐさですねえ。別にあっちでいちゃいちゃして正の空気ばらまいてくださいとか頼んでませんよ?」
「怖っ、そこはかとなく怖っ。羨ましいならそうちゃんと言ってください。別に、そんな、いちゃいちゃなんてしませんけど」
 アキセは怯えるようにしてやってくると、ベッドに突っ伏したままのサホの体を抱きかかえた。横抱きというのがあれですよねーとかつぶやいていじめてから、よつきは手で追い払うようにする。
 一瞬アキセは泣きそうな顔をしたが、何を言っても無駄だと思ったのか黙って去っていった。その影に当人は隠れているつもりだろう、背を丸めたユキヤがそろそろとあけりに近づいている。
「どうしてそんなに怯えてるんですか?」
「おび……! 怯えてません、怯えてません。起こさないようにしてるだけです、それだけです」
「こんな風に話していても目覚めないんですから、大丈夫ですよ。そんな気を遣わなくたって」
 よつきはユキヤへも満面の笑みを向けた。まだ二十歳を超えないユキヤは妙に強ばった微笑みを浮かべて、それでもあけりの体をひょいと持ち上げる。見た目に違わず軽いらしい。肩に担がれるその姿は子どものようにも見えた。軽そうですねえ、とよつきはつぶやく。
「気のせいか、お前からも負の気配が漂ってる気がするんだが」
「いやですね、レーナさん。わたくしはいつもこうですから心配いりませんよ。今のは八つ当たりですし」
「かわいそうに」
 去っていくユキヤを見送ってレーナは深々とため息をついた。その様は彼が知るレーナそのもので、ダークがたちが生きているらしいという情報が彼女の理性をこちらに留めたのだろうと予測できる。まだやらなくてはならないことがある、その意識が彼女のよりどころとなるのだ。皆が目覚めるまで何とかしなくてはならないのだと張りつめていた彼女の糸を、ぷつりと途切れさせないための手段。
 かわいそうに。
 今度はよつきが胸中で囁いた。義務という理性に縛られた彼女は、しかし感情が優先されれば生きてはいけないのだ。あまりに多くの者たちを、心を犠牲にしてきたがために、心に素直になることは不安定なその存在を揺るがすことになってしまう。
「それで後ろにいるナチュラルの三人はどうしたんだ?」
 そこでよつきから目を逸らしたレーナが、また扉の方へと視線を向けた。振り返れば話が終わるのを待っていたらしく、ヨシガを先頭にシンセーとゴウクがおどおどしながら立っている。
「あの、途中で倒れた陸とすずりが……じゃなくてええっと、カームとウィックが目覚めたんです」
 視線に誘われたのか、ヨシガが意を決したように口を開いた。よつきははっとして立ち上がり、ヨシガのもとへと駆け寄る。カームもウィックもスェイブを支えて基地に戻るなり倒れてしまったのだ。ここへ戻ってくるまでは無理矢理意識を保っていたのだろう。
「それは本当ですか?」
「ほ、本当です」
「今どこに?」
「たぶんすぐ来ると思うんですが――」
 詰め寄るよつきに困惑したヨシガはじりじりと後退した。だが丁度その時だった。脳天気な声が廊下に響き渡り、彼らを脱力させたのは。
「みっつけた、ラウェイー!」
 わーいと、いかにも子どものような声を上げてウィックが飛びついてきた。ヨシガがタイミング良く避けたので、飛び跳ねたウィックはよつきの肩にぶら下がるようにくっつく。その動きにあわせて淡い水色の髪が揺れた。彼女もまた力の解放により『元の姿』に戻っているのだ。見上げてくる瞳は太陽のような黄色で、今は喜びに爛々と輝いている。
「ものっすごい疲れたけど私起きたよ。偉い? 褒めて褒めてー」
「えーとそうですね、ありがとうとだけは言っておきます」
 彼女っていくつだったかなあと思いながらよつきは目を逸らした。すると室内にいるレーナとアースの苦笑が視界に入り、思わず彼は苦々しく口角を上げる。レーナの顔を見ればわかる、昔から彼女はこうらしい。
「ウィック待てって……ってラウェイがいる、おはよー」
「ああ、ええっとおはようございます」
 そこへ続けて駆け寄ってきたのは、予想通りカームだった。鈍い金色の髪に新緑を思わせる瞳。服装もどこか若々しくてさらに清々しさ倍増の風体である。
「二人とも目が覚めたんですね」
「ああ、ばっちり。体力も回復したし」
「早いですねえ」
 やってきたカームは人懐っこい笑みを浮かべた。そんな彼を一瞥してよつきは深々とうなずく。この二人はどうやら心理的ダメージは全く受けていないようで、見たところ体力どころか精神力にも問題はなさそうだ。これで頼りがいさえあれば申し分ないのだが。いや、まだ彼らでもできる仕事はある。
「ところでお二人さん、目覚めてすぐで申し訳ないのですが」
「なあに?」
 ひらめいたよつきが煌めくような笑顔を浮かべると、ウィックは不思議そうに首を傾げた。ぶら下がる腕をはずしてやや離れると、今度はカームの袖を掴む。
「今すぐメイオとスピルのこところへ行ってくれませんか? たぶん二人だけだと大変でしょうから手伝って欲しいんです。詳しい話はそっちで聞いてください」
 そんな二人を見て単刀直入によつきはそう頼んだ。治療室の中ではレーナが吹き出しそうになるのを堪えている。読んだのだ、その言葉に託された彼の意図を。この天然組に説明するのが面倒だという彼の心を。だがレーナが何も言わなかったのをいいことに、よつきは微笑んだままでいた。
「メイオとスピルが? それは急がなきゃ」
「そうだね、私たち寝てた分頑張らなきゃまずいよね。行こうカーム」
 するとカームとウィックはそう言って、顔を見合わせながらうなずいた。基本的な性格さえ見抜いていれば御しやすい二人である。その姿は瞬時に消え、影だけが目に焼き付いた。後でメイオとスピルから苦情が来るかもしれないが、それは聞き流しておくことにしよう。
「ですからレーナさん」
 一旦間をおいて、よつきは室内の方へと振り返った。苦笑を押し殺していたレーナは小首を傾げて瞳を瞬かせる。黒い髪がさらりと揺れて、白いシーツへと一房落ちた。
「ダークさんのことは皆さんが戻ってきたからにしてくださいね。わたくしたちが今必要としているのは情報です。現状を把握しなければうまく動けない。それは、わかっているでしょう? だからそれまで待っていてくださいね」
 問答無用と言わんばかりの艶のある笑顔で、彼はそう告げた。そして踵を返すと後ろ手に扉を閉める。それは反論を許さない行為だった。ばたりと重い音がして彼は眉根を寄せる。
「わたくしも、余裕ないんですかねえ」
 自嘲気味につぶやいた言葉は、傍にいる三人には聞こえていないはずだった。気を取り直すよう顔を上げると、よつきはヨシガたちへと微笑を向ける。
「それじゃあ『艦内の平穏』のために愉快な人たちのところへ行きましょうか」
 戸惑う後輩たちの横を通り過ぎて、彼はゆっくりと歩き出した。




 修行室へと顔を出せばそこには異様な光景が広がっていた。人数は十人程か、それがだだっ広い白い空間の真ん中辺りに集まっている。それだけならまだよかった、よつきもそれほど訝しくは思わなかった。しかし踊る者やら座り込む者やら修行する者やら皆好き勝手しているのだ。
 ついに神技隊もおかしくなったのか。
 そうよつきは危ぶんで引き返そうとした。が、そんな彼を呼び止める声があった。
「よつきさーん、どうかしたんですかー?」
 それは薔薇の鉢植えを抱えて踊るローラインだった。この中でもっとも話しかけられたくない者だ。そのローラインにに声をかけられて最悪のくじを引いた気分になり、思わずよつきは体を強ばらせる。それは後ろにいるヨシガたち三人も同じだった。まずいまずいという単語だけが頭の中をぐるぐると回っている。
 けれどもそんな彼らの様子など目に入らぬかのように、ローラインはやってきた。よつきはおそるおそる振り返って、かろうじて口の端を上げる。何故だか嫌悪を気取られてはいけない気になったからで、その理由は彼自身にもわからなかった。
「いえ、あの、その」
「ネオンさんから言付けを聞きましてね、この艦内の空気を温めようと思いまして皆さんを呼んだのです」
 戸惑うよつきへローラインはそう言うとにこりと微笑んだ。邪気のない笑みだ、恐ろしいくらいに邪気がない。どうやら先ほど通りかかったネオンに任務を言ったのが伝わったらしい。が、問題ある伝わり方だった。いや、問題ある人に伝わったと言うべきか。
「やはりこんな時は花です花。美しいでしょう? この薔薇。わたくしが育てたんですよ。どうやらこちらの黄色の世界の日光の方があっているようで、それはそれは元気になりましてねえ。美しい」
 よつきたちが何も言わないのをいいことに、自身もその日光で煌めいているかのごとくローラインは説明してきた。呆れると同時に気が抜けて、よつきは座り込みそうになるのをかろうじて堪える。
 この空気が広まれば、神風邪など吹き飛ぶのではないか?
 そんな風にさえ思えた。彼のような人物が今まで部屋に引きこもっていたのが不思議なくらいなのだ。よつきは微苦笑を浮かべながら周りを見回す。
「ですが、みんないるわけではないみたいですね」
「そうなんです、美しくない。北斗さんはユズさんの様子を見ているので来られないのですが……バランスの皆さんに拒否されましてね。今ホシワ先輩とミツバ先輩がフォローに入ってます」
 すると踊りを止めたローラインは鉢植えを抱えたまま俯いた。本当は空元気だったのだと如実に語る仕草だった。くすんだ金色の髪が頬にかかる。
「メユリさんも元気がないみたいですから、ダン先輩とサツバが励ましに行ってます。だから今はこの人数なのです、美しくない」
 説明するローラインの言葉によつきはぐっと唇を噛みしめた。まだ小さいメユリも気丈には振る舞ってるが、実の姉が倒れたままなのである。今まで元気だったのはきっと桔梗の相手で気を紛らわせていたためだろう。
 そう、この状況で落ち込まずに動揺せずにいることなど誰にとっても難しいのだ。何故か修行に励むサイゾウとすいだって、ふさぎ込みたくないからに決まっている。座り込んで話しているアサキやよう、たくたち、レグルスたちだって話で気を紛らわせているのだ。
 こんな彼らに艦内を平穏な空気へしてくれ、と頼むのは無謀なことだった。いや、そもそも全てが無茶で無謀と言うべきか。
 わけのわからない状況が続いている。
 それは神技隊に選ばれた時から共通した皆の思いだった。ようやく全ての謎が解けたと思ったのに、またわけのわからない状況に取り込まれた。こんな中でどうして気を張っていられようか? 神風邪が流行るのだっておそらくレーナたちだけが原因ではあるまい。
「よつき!」
 そこへ聞き慣れた呼び声がかかり、よつきは入り口の方を見やった。驚いたことに駆け寄ってきたのはレインだった。腕には小さな桔梗が抱かれていて、嬉しそうに手足をバタバタとさせている。
「レイン、どうかしたんですか!?」
 ヨシガたちを脇へとよけてよつきは一歩踏みだした。傍までやってくるとレインは桔梗を抱き直して、よつきの瞳を真正面から見上げる。
「ケイファが戻ってきたの」
「ケイファが?」
 よつきは声を大きくした。ケイファはしばらく前から黄色の世界での状況を調べに行っていた。黄色の世界に詳しいのは彼女だけなので、他に任せられる者がいないのだ。転移ができるとはいえ一人では時間がかかるだろうと思っていたのだが、戻ってきたということは何か掴んだのだろうか?
「黄色の世界でも、やっぱり蘇っている者たちがいるみたいだわ。遥か昔に死んだはずの者たち……それもどちらかと言えば上位の者が」
 それはメイオたちが話していた事態を裏付けるものだった。鼓動が跳ねた気がして、よつきは自らの胸を抑える。動揺しているのだと自分でもわかった。それに、何かを期待しているのだとも。
 また新たな事実が明らかになろうとしている。待ち望んでいたはずなのに知りたくなかった、聞きたくなかった真実が、今また目の前に突き出されようとしている。
「どうやら蘇ってもすぐ苦しみながら死んでしまった者たちもいるみたいだけどね、話によれば。でも蘇った者たちには共通点があるの。人数が多くて把握しきれない分も多いんだけど、今のところわかっている共通点が」
 レインの声が、静まりかえった修行室に響き渡った。誰もが言葉の続きを、告げられる真実を待っていた。期待と不安とに染められた空気がじわりと広がっていく。
 レインは一度周囲を見回して、それからおもむろに口を開いた。
「蘇った者たちは皆、ディーファの手によって殺された人たちよ」

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