white minds

第三十九章 交錯する思い‐6

 よつきはメイオのためにと扉を押さえて、ひそかに重い息をこぼした。彼の目の前をのろのろとメイオが通り過ぎ、その後をスピルとカーム、ウィックがついていく。
 神魔世界の探索から帰ってきたメイオたちは、一人の女性をつれてきた。レモン色の髪に大柄なその女性は、今は苦痛に眉根を寄せて瞼を閉ざしたままだ。
「ここでいいな」
 そうつぶやきながら、メイオはその女性をベッドへと下ろした。彼女の名はベレットだと、先ほどレインが教えてくれた。
 ベレットはブレードのただ一人の部下。遥か昔にディーファによって殺された、神の中の一人。
「やっぱり精神がかなり減ってるわね」
「ああ、このままじゃあまずいな。誰かが注がないとそう長くはもたないだろう」
 ベレットを見下ろしながらスピルとメイオはうなずきあった。よつきは後ろ手で扉を閉め、ゆっくりと彼らの方へと歩いていく。
 ここは四階にある会議室の一つだが、以前怪我人続出した際に仮治療室として使っていた部屋だった。余裕がなくてベッドなどそのまま放置していたのだが、それがたまたま役に立ったのだ。今治療室のベッドはふさがっていて彼女を寝かせるための場所はない。
「これで、決定的だな」
 メイオは何度か相槌を打つとよつきの方を振り返った。メイオとスピル、そしてカームとウィックの視線を受けて彼は首を縦に振る。
「ええ、話はレインから聞いてます」
「それは丁度良かったわ」
「はい、本当いいタイミングでした。ケイファの報告をレインから聞いてる最中だったんです」
 静かに眠るベレットをよつきは見下ろした。青白い肌は死人のようで、レモン色の短い髪は汗で額に張り付いている。深い赤の服さえ顔色の悪さを際だたせる結果にしかならなかった。
 死にかけている。
 そう表現するのがもっとも適当だった。実際彼女は一度死んでるのだという。少なくともその肉体を維持できない状況に陥り、核として空間を浮遊しているはずだったという。
 蘇ったのは、皆ディーファの手によって直接殺された者たちだった。
 ケイファの報告を裏付けるように、慌てたメイオたちが連れ帰ってきたのはディーファによって殺されたベレットだった。同じ状況で、しかし結果的には魔族の攻撃で死んだアグリィ――カームの部下――が蘇っていないのがその何よりの証拠だ。二人はともに上位でほぼ同じ頃に肉体を失っている。
「ディーファに、こんな能力があったのかなあ」
 するとそれまで黙っていたカームがぽつりとつぶやいた。その声に含まれる複雑な感情は、彼自身の部下が蘇っていないためだろうか。
「それはわからないな」
「少なくともディーファ特殊能力を使ってるのって見たことないからねえ。まあ使う必要がなかっただけかもしれないけれど」
 そんなカームの言葉に、メイオとスピルは口々にそう言った。いつも通りどこか落ち着いていてそれでいて明るい声音だが、そこからは不思議と気遣わしげな気配が感じられる。
「でも純粋なる者だから、それだけの能力を持っていてもおかしくはないのよね。ホワイトやリシヤは無から何かを生み出す力を持っていた。ディーファはどちらかと言えば戦闘の方が得意だった。でもホワイトやリシヤだって戦えないわけじゃないんだから、ディーファだって何かできても不思議じゃないのよね」
 手近な椅子を引っ張ってきて、スピルはそれに腰掛けた。頭を傾ければ淡い山吹色の髪がさらりと揺れて、それが窓から差し込む日差しを反射する。
「無からは生み出せないけれど、そこらを飛んでる核を掴まえることはできた、というところなのかしら。それも自分が手を下した者たちの核だけね。ホワイトたちだって核を掴まえるのは無理だったけれど……何か目印でもつけてたのかしらねえ」
 椅子に腰掛けたスピルは、足を組みながらベレットを見やった。そんな彼女の言葉を、よつきはかみ砕きながら考える。
 それならばつじつまが合う。ジーンの体が消えるのをレインははっきり見たはずなのに、ジーンが蘇っていたわけも。黄色き者が大量に蘇っていたのも、直接ディーファによって殺された者たちが多かったためだろう。
 けれども何故?
 それが疑問だった。ディーファにはそれが可能かもしれないし、今のところある状況証拠からはそうとしか結論づけられない。だが理由がないのだ。ディーファが死に際にそんなことをする理由が。
「どうしてそんなこと……」
「まあ最後の悪あがきみたいなものだろうな。オレたちをそうそう平和な世界へと行かせたくないんだろう」
 困惑気味にウィックがうつむくと、メイオは苦い顔をして窓から外を眺めた。その横顔からでは何を思っているか定かではない。しかし予想はできた。いつになったら問題が片づくのか、考えているのだろう。
「そうね、混乱状態でそんなこと起きれば、私たちうまく動けないもの。そうしたら勝手に神と魔族は戦ってくれるかも、とか思ってたのかもね。実際そうなりかけてるし」
 さすがのスピルも疲れているのか、背もたれに身をあずけるようにしてそうぼやいた。そう、今確実に戦乱拡大の方向へと動いている。それはかつてディーファが願っていた通りの方向だ。
 神と魔族の全面戦争。
「それにしてもベレットといいダークといいジーンといい、困った状態だな。核を無理矢理呼び寄せても精神までは補給できなかったってわけか。いや、しなかったのか」
「そうね、このままでは精神不足で皆駄目になってしまうわ。かといって今補給できる程余裕のある人なんていないし」
 二人の会話を聞いていると、よつきはさらに暗い気分になった。事実だが耳にしたくない、理解したくない状況というのもある。
 ベレットは今精神が足りない状況で、だから死にかけているのだった。しかし本来なら精神補給の余裕があるはずのホワイトもリティも今は不安定なのだ。レインだってぎりぎりというところで、ベレットを救おうとすれば今度は彼女自身が危なくなる。
 死にかけている者がいるのに救えない。それはさらに気持ちを重くし、それ故精神量を減らす。完全に悪循環だった。スピルもメイオもカームもウィックも、疲れているところ転移しすぎたせいでどちらかと言えば精神不足らしい。
「とにかく、あともうちょっと頑張ってもらうしかないわね、私たちが回復するまで」
「ああ、レインにベレットを任せるのは酷だからな」
 うなだれるメイオとスピルの声が、仮治療室の空気を揺らした。




「ブレード」
 屋上へとたどり着いたレインは、探していたその背中を見つけて声をかけた。黄色い空を見上げた彼は振り返りもしないけれど、その背中が一瞬震えたがわかる。
 彼女は寝ぐずる桔梗を抱え直し、彼へと走り寄った。乾いた床に反響する足音が、高い空へと吸い込まれていく。
「ブレード、ベレットのことは――」
「知ってる」
 尋ねれば、かすれそうな声で答えが帰ってきた。かろうじて見えた横顔は強ばっていて、全てを拒絶する空気がそこにはある。だが動じることはなく彼女は微笑した。できるだけ刺激しないようにと気を配りながら、ゆっくり言葉を選ぶ。
「じゃあ行ってあげて」
「オレが、か?」
「そう、あなたが」
 そこでようやく彼は振り返った。彼女へと向けられた瞳は困惑に揺れている。反論しようと口を開いた彼は、しかし思い直したのか唇を結んで何も言わなかった。彼女は真っ直ぐ彼を見上げる。
「そう、あなたが」
「行っても何もできないのにか? 精神があっても与えることすらできないオレが、気の相性が悪いオレが、行って何になるんだ」
「あなたがいた方が、彼女の精神回復が早まるわ」
 そう告げれば、彼は困ったように微笑んで首を横に振った。彼は一歩足を踏み出すと、手摺りへと手をかける。
 気と『見た目』に相性があるように、気と気にも相性というものがあった。普段はそれほど気をつけるべきものではないが、弱っている時や乱れている時はそれが重要な役割を果たすのだ。相性の悪い気を注がれれば拒絶反応が起きる。逆に相性の良い気が傍に有れば、乱れる気さえも落ち着かせる効果がある。
 だが残念ながら主と部下であるのに、ブレードとベレットの気の相性は悪かった。白き者であるレインやリティ、ホワイトの気は大概の神や魔族には受け入れられるが、神同士ではそうもいかないのだ。
 寂しげな彼の後ろ姿を、彼女は目で追った。風に揺れる緑の髪さえどこか拒絶の色を含んでもの悲しく映る。
「あいつの気持ちにオレは応えられないのに、それなのに行って、それって偽善じゃないのか」
「ブレード……」
「あの時オレはあいつを助けられなくて、そして今も助けられないのに。あいつはオレの部下なのに、それでオレは行っていいのか」
 彼は振り向かずにそう言った。声を荒げているわけでもないのに叫んでいるようで、それなのに泣いているようで、彼女は胸を締め付けられる。
 彼が傷ついているのは知っていた。ただ一人の部下――ベレットの死を悔やみ、悲しみ、そして助けられなかった自分を責めているのも知っていた。その傷がこんな形でえぐられるなんて予想もしていなかった。助けられればいいが、もし助けられなければ立ち直ることは不可能だろう。
「わかったわ」
 彼女は決心してそう告げた。何がわかったのかわからないためだろう、怪訝そうにちらりと彼が振り向く。
「それなら私が助ける」
 そう宣言すれば、彼は目を見開いて体ごと振り返った。だが何を言っていいかわからず口が開閉するばかりで、まともな言葉は出てこない。彼女は真っ直ぐ彼の瞳を見上げた。
「私なら助けられるんだから私が助ける、それでいいでしょう?」
「ば、馬鹿っ。それじゃあお前が、お前の方が――」
「私は死なないわ」
 桔梗を抱く腕にやや力を込めて、彼女は微笑んだ。眠りかけていた桔梗は身じろぎをするが、すぐまた穏やかな寝息が聞こえてくる。
「私はそう簡単には死なないわ。あなたのために、この子のために。私が死んで悲しむ人のために」
 きっと昔なら言えなかっただろう言葉を、レインは口にしていた。どうしてだろうと考えるがそれはきっと梅花のおかげだ。誰も悲しませたくないからと消えようとした『彼女』は、消えることで悲しむ人がいることを知った。知ってなお消えることは『彼女』には無理だ。だから絶対死んではならないとレインも思う。
 思えば、強く思えば精神量なら何とかなるはずだ。きっと大丈夫だと、レインは自らに言い聞かせる。
「だけどな――」
「安心して、ブレード。私はこれ以上あなたに傷ついて欲しくないの。私がベレットを助けて倒れたら、あなたはさらに傷つくでしょう? それで助かってもベレットも気に病むわ。それだけはどうしても避けなければならない。戦いを止めるためにも、同じことを繰り返さないためにも私は倒れられないの」
 リティのためにも。
 心の中で小さく彼女は付け加えた。今かろうじてこちらの世界に踏みとどまっているリティを支えているのは自分だ。今倒れるわけにはいかないし、ましてや消えるわけにはいかない。
 けれどもその名前をブレードの前で口にするのは憚られた。彼はリティに複雑な感情を抱いているから、今はできるだけ刺激したくない。
「ね、だから大丈夫」
 彼女は柔らかく微笑んで、小首を傾げた。肩からこぼれた長い髪がさらりと音を立て、それが風に揺れてひらりと舞う。
「レイン……」
「私を信じて」
 胸の痛みを押し殺して、彼女は目を細めた。無茶だなと、またた難儀な関係だなとあらためて思う。それでも決意を変えるつもりはなかった。
 彼は戸惑いながらも泣きそうになりながらも、かすかにうなずいた。




 どうしてうまくいかないのかと、嘆いた時もあった。
 どうしてすれ違うのかと、泣きたくなる時もあった。
 大人のいない世界の子どもたちは、思い故にぶつかり合い、傷つけ合い、悲しみを繰り返す。
 不器用な者たちの奏でる調べは、世界を震わせ続けた。未熟な世界を震わせて、揺さぶり続けた。
 
 しかしその終わりが近づいていることを、まだ人々は知らない。

◆前のページ◆   目次   ◆次のページ◆



このページにしおりを挟む