white minds

エピローグ

 色を変えて揺らぐ海を背に、一人の少女が座り込んでいた。真っ白な砂に座り込むその足にも腕にも、薄緑色に輝く布が緩く巻かれている。それが所々見える褐色の肌に綺麗に映えていた。瞳の大きい美しい少女だ。
 彼女はそわそわしながら辺りを見回し、時折ため息をついては視線を巡らしていた。青緑の瞳は輝いており、肩に掛かる程度の柔らかな髪は動きにあわせてふわふわと揺れている。髪の色も瞳と同じ、光るような青緑だった。
 いた。
 その少女を視界に入れてレーナは微笑んだ。ぼやけがちな世界の中で浮き立つような緑の存在。まだどこか幼さを残す少女へ、彼女は近づいていく。
 白い砂が重く足にまとわりついても、彼女は全く気にしなかった。後ろを半歩遅れてついてくるアースは無口だが、それもいつものことなので気にはかからない。
「あ、来た!」
 すると気配に気づいたらしく、少女は飛び跳ねるようにして突然立ち上がった。くるりと半回転すれば体を取り巻く薄緑の布が揺らめく。少女はその布の一端を手にしながら、背伸びして大きく手を振った。
「こっちー! 早く早くー」
 早く、を連呼しながら飛び跳ねる少女の、その動きにあわせて視界がぶれた。同時に吐き気と目眩に襲われる足がもつれる。体がねじ曲げられたような感覚だ。いつものことなのだがいつも以上に激しくて、まずいなとつぶやいてレーナは小走りで駆けた。このねじれたような不思議な空間で転移を使うのは、少なくとも彼女には危険だ。だから走るしかないのだがそれすら辛い。それでも駆け寄った彼女は嬉しそうに待つ少女の前で止まり、その肩に手を載せた。
「サーラン、飛び跳ねるな」
「だって待ちくたびれちゃったんだもん。今回遅くない? 私、すっごく待ったんだからね。だから遊んで遊んでー。ねえねえ」
 すると少女――サーランは甘えるようにそう言ってレーナの腕にもたれかかってきた。背は若干サーランの方が高いが、中身は明らかにまだ子どもだ。だが前はもっと赤ん坊のようだったのだから、成長していないわけではない。それは変化の乏しい世界に生まれた者の宿命だった。純粋なる存在だから、仕方のないことなのだ。レーナは申し訳なさそうに目を細めてサーランの瞳を覗き込む。
「悪い、今色々問題が起こっててな。それで手が離せなかったんだ」
「問題? レーナいつもそればっかり」
 サーランは逃さないとでも言いたげに、レーナの腕にしがみついたまま砂に座り込んだ。結果自身も座り込むことになったレーナは、困ったように微笑む。気がつけばアースもすぐ傍に来ていて、苦笑しながら腕組みして立っていた。彼女は彼を一瞥してからサーランの柔らかい髪を撫でる。見上げてくるサーランの瞳が、何かを察知したようにかすかに揺れた。
「もしかして、すぐまた行くの?」
「うん、行かなくちゃならないんだ。だからほら、お土産持ってきたし」
 問われて素直に答えればサーランは顔を歪めた。赤ん坊が泣く寸前に見せる表情にどこか似ている。だからすぐに、レーナは小脇に抱えていた一冊の本を差し出した。青い表紙がはがれかかった古めかしい本だ。サーランはそれをしげしげと見つめてから手に取り、不思議そうに眺める。そしてしばらくすると上下ひっくり返してまた眺め、それからおそるおそる中を開いた。
「あ、これ。この間ネオンが持ってきた変な紙に書いてあったのと同じだ」
「文字、だよ。意味わかるか?」
「うーん、あー、何となくわかるかも。何でだろう、私この間勉強したばかりなのに」
 白い紙を音を立ててめくりながら、サーランは首を傾げた。そして何でだろう、を繰り返す。両手が自由になったレーナは少し離れて悪戯っぽい笑みをこぼした。サーランの成長が素直に嬉しくて仕方がない。
「それは、サーランが純粋なる者だからだよ」
「レーナ、それ意味よくわかんない」
「そのうちわかるさ。それを読めばね」
 レーナはサーランが手にした本を指さした。深い青の表紙には題名も何も書かれていない。だがそれをレーナは大事に持ち歩き、ずっと誰にも見せてはいなかった。これはこのときのための本。サーランのための本。過ちを繰り返さないための思いが詰まった一冊。遥か昔にときつが書いてくれたものだ。
「それは、我々のことについて書いた本なんだ」
「レーナたちのこと?」
「そう、だからそれをサーランに読んで欲しいんだ」
「うん、私読む! 絶対読むよ!」
 そう教えてやれば本を包み込むように抱きしめて、サーランは何度も首を縦に振った。傍にいたアースが苦笑をもらす。それでもサーランは全く気にしなかった。
「じゃあ我々はそろそろ行くから」
 嬉しそうに目を細めるサーランを見つめて、レーナはおもむろに立ち上がった。服の裾についていた白い砂がぱらぱらと落ちて、弾かれたようにサーランが顔を上げる。
「レーナ、また行っちゃうの? 私、一人寂しい」
「困ったなあ。だがわれは行かなきゃならないんだ。前にも言っただろう? 人間たちの住んでる星は我々の力が働かないとまずいんだ。我々が無理矢理星の環境を変えて、それで人間が住めるようにして移動させたから。だからちゃんと整備しなきゃ駄目なんだ」
 言い聞かせるようレーナは言ったが、サーランは口を結んで首を横に振った。その子どものような仕草に困り果ててレーナは嘆息する。待たせすぎたのもあるのだろう、いつも以上に頑固だ。
 けれどもすぐに良い案が思いついて、彼女は軽快に人差し指を立てた。サーランとの付き合いも短いわけではないから、機嫌の取り方もよく知っている。
「じゃあこういうのはどうだ? われがネオンたち連れて戻ってくるっていうのは。我々が問題を片づけている間、サーランの傍にはネオンたちがいる。これなら寂しくないだろう?」
 どうだ、と問いかけながらレーナはサーランを見下ろした。見る見るうちに青緑の瞳が輝いて、その首が何度も何度も縦に振られる。
「うん、それなら寂しくない! 私ネオンの話好き。ネオンがする人間たちの話ね、とっても面白いの。それにね、イレイが持ってくる物って美味しいんだよ。あ、カイキの変な話も面白いの」
 答えながらサーランは立ち上がって万歳をした。それにあわせて薄緑の布が、軽やかな髪がまたゆらゆらと揺れる。
「じゃあ決まりだな。アース、ネオンたち連れてこよう」
「また呼んだらあいつらふてくされそうだな」
「なあに、アースがひとにらみしてくれればいいだけの話だろう? 簡単ではないか。な、だからお願い」
 決定、とつぶやくと、レーナはアースの手を取って歩き始めた。握り返してくるアースは何も言わない。もう諦めているのだろう。
 ネオンたちを見つけるにはそれほど時間はかからないはずだった。気の強い者を探せばあっと言う間だ。どこの星にいてもすぐ捜し出すことができる。そしてすぐ向かうことができる。
「私、レーナのこと大好き! あ、アースもネオンもカイキもイレイも大好きっ!」
 すると突然、背後にいたサーランがそう叫んだ。振り返れば片手を大きく振ったサーランが、本を小脇に抱えながら微笑んでいる。腕に巻かれた布の端がひらりと舞った。優雅なのに子どもっぽい、不思議な仕草だ。
「うん、われも大好きだよ」
 レーナはそう囁いて軽く手を振り返した。無邪気な青緑の瞳を見つめて、ありったけの思いを込めて、抱えてきた思いを込めて微笑む。
 あながたそうやって、笑顔でそこにいてくれることが嬉しいと。
 声には出さずにそっと、ただ瞳で彼女はそう告げた。サーランは手を下ろすと本を両手で抱きしめて小さくうなずく。緑色の淡い光が彼女を包み込んでいた。それがゆらりと色を変え、赤に、青に、黒にと様々な色へと移っていく。温かい光だ。見覚えのある、心地よい光だ。
「急ぐぞレーナ」
「ああ、急ごう」
 アースに促されてレーナは踵を返す。しかしもうサーランは呼び止めたりはしなかった。
 あなたの傍に。
 背後の海から懐かしくも優しい旋律が、かすかに聞こえた気がした。

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