未来の魔法使いたちへ
第二話 校庭の遺跡
肌を焼くような暑い日差しの下で、私は額ににじんだ汗をぬぐった。もう何度この動作を繰り返してるかわからない。息を吸い込むだけで熱気と砂が肺に入りそうになり、思わずむせそうになった。
かといって息をしなければ暑さにもうろうとした意識はあっと言う間に飛びそうだ。熱気を遮断してくれるこの深緑のローブも、色さえ白っぽければもっとましなのにと思う。
「ナハル、大丈夫?」
心配してくれるシリーンの声すら遠く聞こえた。それでも何とかうなずきながら、目の前に広がる巨大な看板へと視線を移す。
今年の学園祭を宣言するための、一番大事な看板だ。あまりに大きいため教室の中では作れずに、校庭で作成していた。だから私たちはこの暑さと戦っているのだ。学園祭のためだからと、言い聞かせながら。
「大丈夫。シリーンこそ平気? 顔色おかしいよ」
「それは土煙のせいっ! この校庭乾きすぎだもん。誰か水とか撒いてくれないかなあ」
座り込んでいたシリーンは、まなじりを上げながらため息をついた。白っぽい土はかさかさに乾いていて、風が吹く度に服を、顔を、髪を染めていく。シリーンも私も、この地方では一般的な焦げ茶色の髪をしていた。夏の日差しのせいもあって肌はやや浅黒い。それが校庭に出ると白っぽくなるのだから妙な気分だ。
「色塗りなかなか終わらないねえ」
「というか気づいたら私たちだけじゃん? セペフルたちどこ行ったんだろ。さぼってたら今日アイスおごらせなきゃ」
シリーンの言葉で、私も近くにセペフルたちがいないことに気がついた。十五になってもいつまでも子どもっぽさが抜けない彼は、先ほどまで数人と悪ふざけしていたはずだった。暑さで意識が遠のいていたうちにどこかへ行ってしまったのだろう。広い校庭のどこにも、それらしき姿は見あたらなかった。
「ナハルもおごってもらおうね」
「え? う、うん。そうだね。でもまずは先に看板何とかしないと」
私はまだ完成まではほど遠い真っ白な板を見下ろした。縁取りはされているけど色塗りはまだまだだ。最後の学園祭だからいい記念にしたい。この看板だって、胸を張れるものにしたい。
「もう、ナハルってば真面目だなあ。もうちょっと涼しくなってからにしよう?」
「いつ涼しくなるの?」
「……えっと、学園祭終わってから?」
問いかけると、シリーンはあさっての方を見つめた。そう、カマール学園最大の行事は夏の終わりにやってくるのだ。つまり準備期間は夏真っ盛りということになる。涼しくなるのを待っていたら全てが終わってしまう。
「ほら、ちょっとでもやってた方がセペフルたち言いくるめられるでしょう? 私これ以上居残りするの嫌だし」
「あ、そうだよねえ。それにマーサーさんとこ閉まっちゃう」
諭すように言えば、シリーンは立ち上がって伸びをした。やる気になってくれたらしい。ストレートの髪がローブの上で何度か跳ねて、そのいたずらっぽい瞳に闘志が宿る。
「じゃあさくっと、素早く、やっちゃってナハル!」
「シリーンもね」
私は座り込むと、乾きそうな筆を手にして苦笑した。
砂を含んだ風がまた、二人の間を通り抜けていった。
マーサーさんのアイスはいつ食べても絶妙な味だった。舌の上でとろける感覚、甘みを抑えたさっぱりとした味、毎日食べても飽きないんじゃないかと思う。もっともそんなことしたら太るし、さらに懐は寂しくなるけれど。
「あー美味しい。おごってもらったと思うとさらに美味しいわー」
すると満足そうにシリーンが声を上げた。深緑のローブから解放された私たちは、予定通りマーサーさんのアイスを食べに来ていた。もちろんセペフルのおごりだ。他の二人にはうまく逃げられたみたい。そこで逃げられないのがセペフルらしいんだけれど。
「うわーっ、悔しい。掴まった俺が情けなさすぎるー。あいつら逃げ足だけは早いんだよなあ。俺の方が魔法は得意なのに」
「実技だけ、ね。なのに間抜けなんだから。大体私たちが使っていい魔法なんて限られてるでしょう? あいつら単に意表をつくの上手いだけよ」
「わ、悪かったな間抜けで! そこは心優しい好青年だと言ってくれよ」
さっきからセペフルとシリーンはそんな言い合いをしていた。ベンチに座ったままぶらぶらするシリーンの足が、白い布から見え隠れしている。この地域で夏に肌を晒すのは危険だった。だから皆白い布を身につけて日差しから守っている。学園のローブは日差し避けにはなるけれど暑いから、解放される放課後は嬉しかった。
「どこが好青年よ!」
「ここがっ」
セペフルは浅黒い肌の顔を自信満々に指さした。私はそんな二人を眺めながらアイスを味わう。幸せだ。頑張った後のとびきりのご褒美みたいで、自然と頬がゆるむ。セペフルには申し訳ないからいつもより小さめのサイズだけれど、それでも十分満足できた。
「だからどの辺よ。大体あの時どこ行ってたのー? 私ナハルと二人で大変だったんだからね」
シリーンはまだ怒っているのかセペフルの腕をつねった。アイスを落としそうになったセペフルは、慌ててコーンを持ち直す。咄嗟の行動は早いのだ。逃げ足は早くないけれど。
「そうだ! 実はさ、変な噂聞いたからそれ確かめてきてたんだよ」
「噂?」
「そう、噂。聞いたことない? 校庭で遺跡が発見されたって」
セペフルの言葉に、私とシリーンは同時に首を横に振った。そんな噂は初耳だった。けれども遺跡という単語が胸に引っかかって、急に背中がひやりとする。どこかで警鐘が鳴ってるみたいだった。胸の奥にある何かが、必死に訴えかけてきている。
「何それ、私知らなーい」
「おっくれてるー。でもさ、本当らしいぜ。だっておかしいだろう? 授業休みになって突然学園祭の準備だなんて。教師で相談してるらしい。これからどうするかとか、調査団呼ぶか、とか」
憮然とするシリーンに、セペフルは得意そうにそう言う。私はそんな二人の横顔を見ることしかできなかった。何だか胸騒ぎがする。
確かに、セペフルの言う通りだ。突然授業がなくなるなんてそんなこと今まで一度もなかった。去年だって一昨年だって学園祭の準備は大変だったけど、授業はいつもぎっちりで融通きかせてなんてくれなかった。
「じゃあ遺跡って本当なんだ」
「だから本当だって言ってるだろっ。調査団とか来たらすごいだろうなあ。優秀な魔法使いたちばかりだぜ? 俺楽しみー」
「そうね、格好いい人もいるかもっ」
嬉しそうな二人をよそに、私は何故だか憂鬱になって足下を見つめた。溶けかけたアイスは既に手元まで垂れてきていたけれど、拭く気にもなれなかった。どうしてこんなに気が重くなるのか、どうしてこんなに不安になるのかわからない。
けれども確かな予感が、私の胸には渦巻いていた。