未来の魔法使いたちへ
第四話 決意して
悪夢のような宣言は、次の日の授業で発表された。
「明日からこの学園はしばらく休みになります」
教壇に立ったハスティー先生は、表情を変えないままそう告げた。何事かと騒ぎ出す生徒たちを、先生はただ黙って見つめている。
遺跡のせいだ。
私は唇を噛んで、机の下で拳を握った。学園祭の準備どころじゃない。これからの授業が、卒業が、学園がどうなるかわからないんだ。強く握ったはずの拳が震えそうになる。
「先生、どうしてですか?」
ざわめく生徒の中でしびれを切らした誰かが、そう声を上げた。先生は何度か相槌を打つと寂しそうに笑って、私たちの顔を順繰り見回す。
「この間校庭で遺跡が発見されたと言ったでしょう? 遺跡の調査に時間がかかるみたいで、さらに調査員が派遣されることになったの。明日から大規模な調査が行われるから、それが終わるまで邪魔にならないように、という配慮よ」
言い聞かせるような言葉に、教室の空気は一気に和やかなものになった。しばらく授業が休めそうで嬉しいという気配が、あからさまに伝わってくる。誰だって面倒な授業が休みになるなら嬉しいに決まってる。私だって何も知らなかったら喜んだに違いないし。
でもそれどころじゃないんだよ。
私はそう声を大にして叫びたかった。調査はただ長引いてるんじゃないんだ。何かとんでもないことが起こってるんだ。だから、すぐ終わるとは限らないんだ。
口に出したかったけれど、そんな勇気はなかった。きっと先生だって知ってるんだろう、だから何だか寂しそうに見えるんだ。
「じゃあ今日は授業あるんだー」
「はーい、残念そうですよ。だからほら、教科書開いて」
けれども切り替えの早い先生の明るい声が、一気に教室の雰囲気を賑やかにした。こういう先生の力こそ魔法のようだと思う。厳つい顔のシャフリヤール先生たちにはない、不思議な力だ。
「じゃあ今日は七十ページからねえ。ほら、さっさと、教科書開く!」
私は言われたとおり鞄の中から魔法歴史の教科書を取りだした。隣のお姉さんから譲ってもらった教科書は古くさく、表紙が少しはがれかかっている。
明日、調査が再開される。
私は心の中で繰り返した。ならば行くなら、今日しかない。
教科書を開きながら、心は別のところへと飛んでいた。
誰もいない放課後の学園は不気味だった。それでもよし、と気合いを入れて私は校庭へと飛び出す。
夕暮れ時の校庭には明かり一つなくて、薄暗い中を乾いた風が吹き抜けていた。舞い上がった土煙の中目を細め、私は憩いの木を目指して小走りする。
確かめるならチャンスは今日だけだ。調査に入った魔法使いたちはまだ誰も戻ってきていない。でも本当はただ迷ってるだけかもしれない。みんなで調査に入れば、すぐ終わるのかもしれない。
だから中がどうなってるのか、それだけを確かめたかった。みんなで学園祭がやれるのだと、卒業できるのだと信じられる証拠を、ちゃんとこの目にしたかった。
「ナハル!」
だけど呼び止める声があって、私は慌てて立ち止まった。誰にも見つからないようにずっと校舎の隅に隠れてたのに、まだ誰かいたのだろうか? 心臓が高鳴る。
「あれ?」
でもよく考えてみると聞き覚えのある声だった。おそるおそる振り返ると、走り寄ってくる人影は思ったよりも小柄だ。先生じゃあない、これはたぶん、生徒のもの。
「セペフル?」
私は首を傾げて目を凝らした。薄闇に慣れてきた視界に、見慣れた笑顔が映る。急いで駆け寄ってきたのはセペフルだった。焼けた肌に黒く短い髪、黒い瞳。深緑のローブを着たままの彼は嬉しそうに手を振っている。
「待てよ、ナハル」
かけられる言葉は軽やかで、別に止めに来たわけではないみたいだった。悪巧みをする直前の煌めく笑顔で傍まで来ると、彼は私の肩をぽんと叩く。
「セペフル、どうして――」
「お前の様子がおかしかったから、実はこっそり見てた。最初はシリーンのことかなあと思ったけど違うみたいだったし」
ではずっと見られていたのだ。何だか急に恥ずかしくなって頬がかっと熱くなった。きっと赤くなってるだろう。でもこの明るさじゃあわからないはずだから、それは幸いだったけれど。
「ナハル、遺跡に行くんだろ?」
「……え?」
「俺も潜ろうかと思ってたんだよ。だって明日から大規模調査するってことは、今日は誰もいないってことだろう? チャンスじゃん。先生はファリドの研究所だって言うからきっとすごいんだろうなあ」
そう言いながらセペフルは嬉しそうに空を見上げた。想像してるらしい。その横顔は見知らぬ珍しい村を歩く子どものようだった。好奇心に溢れた笑顔。
「行くんだろう?」
「えっ、あー……うん」
「なら一緒に行こうぜ!」
セペフルは強引に私の手を取ると走り出した。まるで悪戯仲間を見つけたようなうきうきした足取りで、憩いの木々目指して駆けていく。
けれども彼は何も知らないんだ。調査団の魔法使いたちが戻ってこないことも、奥に何かあるかもしれないことも。
「セペフルっ」
遺跡の入り口で、私は何とか立ち止まった。手を引っ張っていた彼も立ち止まらざるを得なくて、訝しげに振り返る。
「どうかしたのか?」
彼は不思議そうに首を傾げた。でも私は何も答えずに、入り口を見下ろしていた。背の高い木のすぐ傍に、ぽっかりと大きく開いた穴。その中には石でできた階段があって地下へと続いていた。中からはこの季節に似合わない冷たい空気が流れてきている。地下は涼しいのだろうか?
「あのね、セペフル」
私は意を決して口を開いた。言わなければ。何も知らないセペフルをつれていくのは駄目だ。
「何だ?」
「ここに調査に入った魔法使いたちね、戻ってきてないんだって」
「……え?」
「奥に入った四人、帰ってきてないんだって。だから明日から大規模調査なの」
視線を上げて、私は彼の瞳を真っ直ぐ見た。見開かれた黒い瞳は揺れていて、私が何を言おうとしているのか考えているようだ。
「なんで、そんなこと」
「調査してる人たちが話してるのたまたま聞いちゃったの」
尋ねる彼に、私は言葉を続けた。声が震えてなかったのは自分でも驚きだった。あの時はあんなに動揺したのに、覚悟を決めてしまったらまるで何でもないみたいだ。
私を見つめる彼の目の色が変わっていく。それは空から落ちそうになった時のシリーンと同じ、恐怖を感じた時の目。
「それって、かなり、危ないってことじゃないか」
「うん」
「何でそれなのにお前行くんだよ。危険だろ、俺たちまだ見習いなのに」
「だってね、ファリドの遺跡だよ? そんなに危険なはずないじゃない、本当は。だから何でもないってこと確かめたいの。このままだったら学園祭中止になっちゃう。もしかしたら卒業だってできなくなっちゃうかもしれない。私は嫌、そんなの嫌。だから調査がすぐ終わるんだって確信が欲しいの」
言いながら何だか不思議な気持ちになった。私はこんなにもこの学園が好きだったのだろうか? 自分の言葉が別の人のものに聞こえる。
何もかもがわからない。けれども今まで当たり前に思っていたものがなくなるのは嫌だった。みんなで面倒な勉強して、痛いけれどほうきに乗ってみて、放課後は騒ぎながらアイスを食べる。たぶんこの時期だけにしか味わえない『当たり前』なんだろうけれど。でもそれが何の前触れもなく消えるのは悲しかった。まだ私は進路だって決めてないのに。こんな中途半端なままで放られるのは。
「ま、待てよ落ち着けよ。そんなの推測に過ぎないだろ? 明日から調査が始まれば、ひょっとしたらすぐ終わるかもしれないじゃないか」
「今までだって待ってたよ? 私たちは」
そう言えばセペフルは黙り込んだ。調査団がこの学園に来てから今日で十四日だ。彼らにとってはたかが十四日かもしれない。けれども私たちにとってはこの学園最後の年の、学園祭前の、大切な十四日間だ。
危険だと判断した彼らは、きっとこれからの調査も慎重にやるのだろう。遺跡を調べ尽くして安全だとわかるのには、どれくらいかかるのだろうか? 一ヶ月、二ヶ月、いやもっとかかるかもしれない。彼らにとってはある一年の一部かもしれないけれど、私たちにとっては違うのに。
「あっ」
すると突然、セペフルは私の横を通り抜けて走り出した。振り返れば彼の背中は真っ直ぐ校舎へと近づいていく。
先生に知らせるつもりだ。きっと止めるつもりだ。
私は慌てて遺跡の入り口へと足を踏み出した。連れ戻される前に中を覗かなくては。そう、少し確認するだけでいいんだから。
「セペフルの馬鹿っ」
薄暗い階段を下りながら、私は泣きそうな声を張り上げた。