未来の魔法使いたちへ
第七話 ごめんなさい
「ナハルー」
遠くから聞こえてくる声に、まどろんでいた私はゆるゆると瞼を開けた。見えるのは白い天井で、それはあまりに綺麗で見慣れないものだった。学園でも家の中でもない、染み一つない天井。
あれ、さっきまで私何してたんだっけ?
思い出そうとしても頭が痛くて考えられない。何度か瞬きをしてほんの少し頭を動かすと、驚いたようにセペフルが覗き込んできた。不思議そうに見つめ返せば、不安げな顔が次第に嬉しそうな表情へと変わる。その口元がゆっくりと開いた。
「気がついた!」
「セペフル、声大きい」
セペフルの声に頭がずきずきして、思わず私は眉をひそめた。悪い悪いと笑ってセペフルは頬をかいている。ちらりと視線を手元に持ってくれば、どうやらベッドに寝かされているんだとわかった。けれども家のものとは違う、敷かれているのは柔らかいシーツだ。
「ここは?」
「近くの病院。ナハル煙吸い過ぎて倒れたんだ。俺さ、慌てて飛び出したからほら、ここやけどしちゃって」
尋ねるとそう軽く答えてセペフルは右腕を見せてきた。日に焼けた肌に巻かれた白い包帯はやけに目立つ。やけどなんていうのだからその下は痛々しいことになってるんだろう。
そうだ。私は遺跡から出てきた黄色い人形にかばわれたんだ。
そこでようやく全てを思い出して私ははっとした。けれども体を起こそうとしても力が入らず、仕方なく照れくさそうなセペフルを見上げるだけにする。
「ねえセペフル、先生は?」
尋ねると、彼の顔がわかりやすいくらい曇って唇が結ばれた。隠してることにならない態度に思わず苦笑がもれる。いつもそうだけど、本当わかりやすい。この先大丈夫かなと心配になるくらいの素直さだ。
「先生、死んじゃったんだね」
「いや、違う。その……見つからなかったんだ。遺跡の中どこ探しても。血だけが石の上に広がってて、でも先生はいなくて。他の魔法使いもそう。みんな見つからなかったんだ」
けれどもセペフルが口にしたのは予想外のことだった。先生はあの長い通路にいたはずだから、見つからないなんてことないはずなのに。
「そんな……」
「だから調査は継続だってさ。危ないものはもうなさそうだけど」
「学園は?」
「しばらく休み。どうするかはこれから考えるってさ。あーどうなるんだかな、本当。俺たち卒業できるのかなあ」
不安げなセペフルの言葉に、胸が痛んだ。その事態を避けたくて、そうじゃないと確かめたくて遺跡に潜入したのに。それなのに結局こうなってしまった。学園は休みになって先生はいなくなって、私、馬鹿なことをしたんだろうか?
「卒業はできるってさ」
そこへ聞き慣れた凛とした声が、右の方から聞こえてきた。顔だけで見やれば深緑のローブを着たシリーンが、腰に手を当てて得意そうな顔で立っているのが目に入る。
「シリーン!」
「あれ、何でお前ローブ着てんの?」
絞り出した私の歓喜の声は、セペフルの疑問によってかき消された。そう言えばセペフルは私服だ。ゆったりとした生成色の布をかぶっている。学園が休みなんだからそれは当たり前だろうけれど、昼間にその格好というのは何だか変な気がした。そんなセペフルへとシリーンは視線を向ける。
「聞いてないの? セペフル。今日の午後から授業するってさ。まずは実技からだけど。別に校舎でなくてもね、授業なんて何とかなるもんなのよ」
ゆっくりと近づいてきたシリーンはそう言って胸を張った。セペフルは嬉しいのか残念なのかわからない顔でうーっとうめいている。
「シリーン」
「なあに? ナハル」
「怪我の方はもういいの?」
「怪我? ああ、飛行訓練のか。あんなの三日あれば治るって。もうほら、この通り元気元気」
おそるおそる尋ねると、シリーンはふふっと笑った。シリーンが怪我してから三日ということは、つまり遺跡に入ってから二日たったんだ。私はずっと眠っていたということだろうか。そしてその間に調査が進んだと。
「そうだ、あのね、セペフル」
そこでもう一つ気になっていたことを思い出し、私はセペフルの方を見た。うなっていたセペフルはぱっと顔を輝かせて、慌てて私の方を覗き込んでくる。
「何だ?」
「あの黄色い人形、どうなったの?」
「人形……? ああ、あの変な生き物のことか。炎に包まれて消えちゃったぜ。跡はなーんも残ってなくてさ、結局何だかよくわからなかったって。遺跡調べても資料とか出てこなくて」
セペフルは少し落胆したようにそう言うと、ゆっくりと首を横に振った。私はわかったよとうなずき返しながら、ほんの少し目を細める。
ああ、やっぱりあの人形は負けたんだ。私をかばったから。
そう思うと複雑な気分だった。守ってくれたのは不思議だけれど感謝してる。でもあれがいなければ先生は消えずにすんだんだ。他の魔法使いだって犠牲にならなくてすんで。
「まーんな考え込むなって、体に悪いぜ。ナハルの授業ならきっと補講とか考えてくれるだろうしさ。何とかなるって、な」
だからそんな気楽なセペフルの言葉が、ちょっとだけ嬉しかった。まずは元気にならなくちゃ考えることだってできない。私はうなずいてほんの少し微笑んだ。それを見てセペフルが満足そうにうなずく。
「ほらセペフルそろそろ行くよー、授業に遅れるから。またあの草原だってさ、今度こそ成功させるんだから! だからセペフル手伝ってよね」
「あ? ええっと、ああ手伝うからちょっと待てって。じゃあな、ナハル」
するとシリーンの手がセペフルの服の裾を勢いよく掴んだ。意気揚々と進むシリーンの後を、引きずられるような格好でセペフルがずるずると歩いていく。二人に向かって私は軽く手を振った。それくらいの動作はできるみたいだ。
「うん、またね」
けれどもそうつぶやくと寂しさがこみ上げてきて、私はシーツの裾をぎゅっと握った。病院が静かなせいもあるけれどもう二度と先生に会えないんだと思うと、急に視界がにじみそうだった。
どうしてあの人形は私を攻撃しなかったんだろう。
どうしてそのことを先生は知ってたんだろう。
考えてもわからないことばかりが頭に浮かんでくる。あ、また頭痛がしてきた。やっぱり悩むのは元気になってからがいいんだろうか。まだ万全じゃないみたい。
「そうだ」
眠りに引き込まれそうになってきた私の意識を、ある思いが現実へと引き戻した。
先生はファリドの研究をしてるって、そのためにここにいるんだって前に言ってた。そしてあの遺跡はファリドの研究所だって、嬉しそうに、けれどもほんの少し寂しそうに話してた。
だから知っていたに違いない。あそこに何があるかも、危険だってことも。
「あんなに早く駆けつけてきてくれたのって、やっぱり心配してくれたからかなあ」
何も知らなかったから、私は無謀なことをしてしまった。先生に聞けば良かったんだ、話せば良かったんだ。そうしたら先生は消えずにすんだんだ。もっと先生を、大人を信用すればよかった。
「ごめんなさい、先生」
胸元にあったシーツを私はたぐり寄せた。瞳からにじんだ涙が頬を伝って、固い寝台へと落ちていく。
先生はどんな気持ちであの遺跡に来たのだろう。私を逃がそうとしたのだろう。最後まで悪戯っぽく笑ってた、その気持ちがまだ私にはよくわからない。
ぎゅっと握ったシーツに顔を押しつけて、私はもう一度繰り返した。
ごめんなさい、そしてさよなら先生、と。