第二話 山に潜むは邪か仙か
おんぼろ長屋こと
早太は最近知ったのだが、彼らが所属する時雨組という集団は対
では何故術師でもない早太がその本拠地に呼ばれているかというと、先日脅しも同然の手口で引き込まれたからだ。そして無理矢理千鳥の相棒ということにされてしまった。ほんの八歳の少女の相棒というのはいまだにしっくりこないのだが、ただ術師としての実力はあるらしいから早太よりは強いのだろう。
それにしても術師ってのはみんなこんな性格なのだろうか。
早太は胸中でぼやいた。この頭、顔に似合わずえげつないことをやってのけるので注意しなければならない。焼けた肌に白い鉢巻き、快活な笑顔と容貌だけは人当たりがいい分、それはたちが悪かった。今だってこうして早太が苛立っているのがわかっていながらお喋りに興じているのだし。
「お頭のおじさん、そろそろ早太の顔が引きつってきたよ?」
「おーそうか。じゃあ怒鳴られないうちに用件言わないとなあ。はっはっは」
すると早太の方を一瞥した千鳥が、甲高い声でそう言って頭を傾けた。頭は笑って頭を掻くと、おもむろに早太の方へと向き直る。どれだけの間待たされたのかはわからないが、ようやく本題へと入ってくれそうだ。への字になった口元を自覚しながら早太は瞳を細めた。
「それでお頭さん、今日は何の用ですか?」
尋ねた早太の声には幾分震えが混じっていた。だが怒りを押し殺したその様子にも動じず、頭はにやりと口角を上げる。そして湯飲みを円卓に置くと腕組みをした。
「今日はな、薬屋へ行ってもらおうと思うんだ」
「薬屋?」
「そうだ、このままじゃあお前は役立たずだからな。その力になるものを作ってくれと頼んであるんだ」
「はあ」
そこで頭が口にしたのは予想もしなかったことだった。この間呼び出されたのは時雨組の象徴である藍色の羽織をもらった時だ。千鳥や頭が羽織っているものと同じ形で、よく見ればうっすらと白い紋様が織り込まれている。これを見ただけで下っ端の悪人なら逃げ出してしまうという、優れものらしかった。
「薬が俺の力に?」
「薬を馬鹿にするなよ。なーに心配いらねえって。そんな危ないものじゃあないから」
「はあ」
早太は曖昧な返事をしてうなずいた。この頭が言うことは話半分で聞かなければならない。彼にとっては危険ではないだけで、早太にとっては危ないかもしれないのだ。いや、絶対そうに違いない。
「そうだ千鳥、一緒に行ってやってくれるか? こいつ一人であそこへ行かせるのは心配だしな」
「いいよー」
だから二人がそんな会話を交わしても早太は苦笑するだけだった。危険ではなくても心配になるところ。そんな場所が普通なわけがない。おそらくただの薬屋ではないのだ。頭の知り合いがやっているとか時雨組御用達とか、そんなところだろう。
「じゃあ早太、すぐに行こう!」
「今から!?」
「遅れると怒られるよー。それにこのままだと仕事受けられないんだもん」
「まあ、そうだよな」
千鳥の言葉に早太は首を縦に振った。時雨組として働かなければ稼ぎがなくなる。それは早太にとっては死活問題だった。無理矢理それまでの仕事を辞めさせられた彼の蓄えは、もうほとんど残っていない。
まあなるようになるか。
彼はそう胸中でつぶやいて羽織の襟を正した。湯飲みを円卓に置いた千鳥は、銀の髪を揺らして立ち上がる。
「場所は千鳥が知ってるから、案内してもらえ」
「あー、はい」
にやりと笑った頭に、早太は軽く頭を下げた。
頭の言う薬屋は山奥にあった。時雨組の拠点であるおんぼろ長屋も町のはずれにあるのだが、そこよりもずっと東にそれた辺りに位置している。辺りは鬱蒼と茂る木々ばかりで、一般人が立ち寄る場所ではなさそうだった。早くも予感が的中していることを実感した早太は、目の前に立つ古い小屋を上から下まで観察する。
辺りには鳥の声、虫の声しかしない。時折吹きすさぶ風が葉を揺らし、その上早太の羽織をはためかせた。隣に立つ千鳥の髪は生き物のように揺れている。彼女の髪は珍しくも銀色で、それは
「これが、その薬屋なんだな?」
「うん、そうだよ。ここに松の木さんがいるの」
「松の木? 変な名前」
ますます嫌な予感が強まり、早太は顔をしかめた。十中八九、この中にいるのは変人だ。落ち着くよう自分に言い聞かせてから彼は一歩を踏み出す。揺れる着物の裾が音を立てた。
「ごめんくださーい」
扉はきしみながらもちゃんと開いた。薄暗い中を覗き込んだ早太が遠慮がちに声をかけると、誰かが立ち上がる気配がする。けれども近づいてはこなかった。小屋の中は妙な静寂に包まれていて、声を出すのも憚られる気分になる。早太は足下にいる千鳥へと視線を移した。
「いるよ、大丈夫」
「おーその声は千鳥か!」
すると千鳥の言葉を聞いた途端、漂っていた気配ががらりと変わった。緊張感とまではいかなくとも張りつめた何かを含んでいた空気が、一瞬で春を感じさせるものへと変化する。床のしなる音がして、誰かが近づいてくるのが薄暗い中でもわかった。
「松の木さん!」
扉との間をすり抜けて千鳥が飛び出した。彼女が飛びついた先には、白髪の老人がたたずんでいた。まるで絵の中の仙人を思わせる長い髪に長い髭。纏った着物は布を張り合わせただけのようで、木の実で染めたのかうっすら茶に染まっていた。声の印象ではもっと若かったのだが、見た目は十分年を取っている。何年生きているのかと、そう問いかけたくなる風貌だった。
「お前が早太とかいう一般人だな?」
「はい、そうです」
千鳥の頭を撫でながら老人――松の木は尋ねてきた。うなずいた早太はほんの少し笑みを浮かべる。機嫌を損ねてはいけない。何故だかそんな警告が頭をよぎった。
「おーそうか、頼りなさそうだが千鳥が選んだのだから仕方がない。どれ、こっちへ来てみろ」
「あ、はい」
引きつる顔を何とか笑顔の形に維持して、早太は一歩を踏み出した。喜ぶ千鳥を遠ざけた松の木は、無造作に床に放置してあった木の箱を持ち上げる。両手で抱えたそれを、松の木は手前に尽きだしてきた。
「これがその品だ」
「ありがとうございます。それでその、中身は何なんですか?」
「まだ聞いてなかったのか。あいつめ、驚かせようと思って黙ってたな。この中身はな、実は爆薬だ」
「爆薬!?」
次の瞬間、あまりの驚きに早太は声を張り上げていた。箱を持つ手が震え落としそうになるが、それは一巻の終わりと慌てて抱え直す。自分だけでなく千鳥や松の木まで巻き添えだ。それでも足が震えるのを自覚していると、呆れた声音で松の木は笑った。
「なーに、そんな怯えることはない。小さな筒になってるが、一つ一つの威力は大したことないんだ。せいぜい足止めか目くらましにしか使えないな」
「そ、そうなんですか?」
「人を殺す威力はない。まあ直撃すれば足や手くらいなくなるかもしれないが」
「……なくっ!?」
しかし続く松の木の言葉に、今度こそ早太は硬直した。それはつまりまとめて爆発させたら木っ端みじんということではなかろうか? この中に幾つ筒が入っているかは知らないが、数本ということはないだろう。それで一体何故威力がないなどと言えるのだろうか。さすが頭の知り合いといったところだと、早太は顔を強ばらせた。
「大丈夫だ若造。点火させないと爆発しない。今落としてもな」
「……へ?」
「そうではないと懐に入れておけないだろう? 常に二、三程でも身につけておくといい。なくなったら取りに来れば、また作ってやるから」
「は、はあ。ありがとうございます」
だがそれほど動揺するべき事態でもなかったらしい。松の木は豪快に笑うと腰に手を当てた。その説明に安堵した早太は、肩の力を抜いて口の端を上げる。この老人、説明がまどろっこしいが頭よりも性格がいいようだ。点火しなければいいのならば取り扱いようもある。これで仕事ができそうだと感謝した早太は、ゆっくり頭を下げた。そこへ千鳥の朗らかな声がかかる。
「よかったね早太!」
「おう」
「これで役立たずから前進だよ!」
「千鳥、頭の言うこと真似するのは止めような?」
頭をもたげた早太は、近づいてきた千鳥に複雑な眼差しを向けた。こんな調子では千鳥の今後が心配だ。見た目は可愛らしい少女なのに口から出る言葉は時折えげつない。将来的にも問題になるだろうこと確実だった。そんな女性を娶りたいと思う男は少ないだろう。
「そうだぞ千鳥、あいつの真似は駄目だ」
「えー、お頭のおじさんいい人なのに」
「そう思ってるのは千鳥だけだ。その若造の言う通り、これからは気をつけなさい」
「はーい」
すると予想外にも松の木も早太に賛同してくれた。どうやら彼も頭の口については快く思ってないようだ。いや、単に千鳥の将来を心配しているだけかもしれないが。どちらにしろ賛同してくれるならこの場は感謝したかった。
「それでは若造、その藍の羽織に恥じぬよう頑張りなさい」
「はい」
「千鳥も無茶はしないようにな」
「はい!」
松の木からの言葉に、二人は大きくうなずいて返事した。向かい合った松の木の瞳が、かすかに光を放った気がした。
「早太たちは上手くやってるかなあ。あいつが俺の幼なじみだって知ったら、なんて顔するかな?」
その頃おんぼろ長屋で頭がそうつぶやいてることを、無論早太たちは知らない。