「仮面の下にご用心」

 長い受験を終え、念願の月丘高校に入学した私は真新しい制服に袖を通した。
 ここの制服って可愛いんだよねっ。みんなの憧れの的なの!
 鏡を見てリボンを整え、にっこりと微笑んでみる。同じ私のはずなのに、何だか別人みたいだった。
「ちょ、ちょっとは大人っぽくなったかなあ?」
 思わずそんな言葉が出てしまう。すると階段の下からお母さんの声が聞こえてきた。
「しとねー、早くしないと遅れるわよー!」
「はーい!」
 うわっ、いつの間にかこんな時間!
 私は慌てて部屋を出る。中学の時も繰り返してたはずの行動なんだけど、それでもどこか新鮮だった。自然と頬がゆるんでくる。
「初日から遅刻だなんて、恥ずかしいことしないでよね」
「わかってるってば。先行ってるね、お母さん」
 私の家から高校までは、なんと徒歩五分なのだ! それがこの高校を選んだ理由の一つでもある。やっぱり近いのって便利だよね。
 足取り軽く学校を目指すと、同じ新入生らしい生徒が何人も歩いていた。みんなやっぱり緊張しているみたいで、顔が硬い。
 でもその中に一人だけ、余裕たっぷりの人がいた。
 染めてるって程じゃないけどちょっと茶色い髪。綺麗な肌に、やっぱり茶色っぽい瞳。
 女の子じゃないかって思うくらいの顔なんだけど、着てるのは男子の制服だった。そのあまりのかっこよさに私は見入ってしまう。
 あ、あの人も同じ新入生なのかな? ク、クラスとか同じだったらどうしようっ!
 鼓動が早くなったような気がして、私は胸の辺りを抑えた。道路の反対側にいるはずなのに、何だかすごく近くにいるように感じる。
 !?
 彼がこっちを見たように、私には思えた。一瞬だったけど。
 わ、私じゃないよね……? ひょっとして視線感じちゃった?
 慌てて顔をそらし、歩調を早める。
 目があったらどうしようと思うと、これ以上彼を見つめることはできなかった。



 一年三組の教室、そこで自分の席を見つけた私はあまりのことに立ちつくしてしまった。
 私の斜め前の席、そこに座っているのは先ほどの男の子だ。
 ほ、本当に同じクラスだったんだ……どうしよう、さっき見てたこと気づかれてないかな?
 恐る恐る私は席につく。すると驚くことに彼がこっちに振り向いた。
「今日から同じクラスだね、よろしく」
 そう、彼は私にそう言って微笑みかけてきたのだ! 私の心臓は壊れそうなくらいバクバクいっている。
「よ、よろしく……」
 何とかその言葉だけをひねり出すけど――――
「うん、よろしく。ねえ、名前、聞いてもいい?」
 彼は続けてそう尋ねてきた。綺麗な顔がすごく近くにあって、私はさらにまごついてしまう。
 うわんっ、そ、そんなに近づかないでよっ! こ、言葉が出てこなくなるっ!
「え、あ、うん。しとね、久保しとね」
「しとねか……可愛い名前だね。俺は河口ひさぎ」
 彼の笑顔は反則だった。何故私に急に話しかけてきたのかはわからなかったけれど、でもそんなことを考えさせないくらい反則的だった。綺麗すぎる。
 はへ? 可愛い……? なんか今すごい言葉を聞いた気がするんだけど……。
 でも相変わらず彼は笑顔で、そしてその笑顔はまぶしくて、私は何も言えなかった。おどおどしながら彼を見ていると、突然彼の腕が伸びてくる。
「しとねちゃん、ごみついてる」
「ふぇ?」
 彼は私の腕に触れた。思ったよりも大きい手に、私の心臓はさらに高鳴る。飛び出しそうな勢いだ。
「あ、ありがとう……おかしいなあ、チェックしてきたはずなのに……」
「花びらの一部だったみたい。ほら、校門のところに桜咲いてたでしょ?」
「うん」
 私はひさぎくんの紳士的な態度に、思わず顔をほころばせる。優しい人なんだなあって思って嬉しくなった。だから次に彼が放った一言を、すぐには理解できなかった。
「やっぱり思った通り、柔らかいね。女の子はこうでなくちゃ」
「…………はい?」
 彼の笑顔を、私はまじまじと見つめた。先ほどと何にも変わらないんだけど、でも、何か違うような気がする。
「や、やわ……?」
「それにやっぱり髪もこのくらいなくちゃね」
 周りに人がいたら、たぶん相当変な顔をされただろうけど、幸か不幸か近くの席には誰もいなかった。まだ時間があるからだろうけど。
「ねえしとねちゃん、俺と付き合わない?」
「…………はい?」
 私の思考は、完全に停止した。
 まるで時が止まったみたいだった。彼の微笑みだけが、私の脳に入ってくる。
「さっき俺のこと見てたよね? 気になったんだよね? ならいいじゃん」
「え、あ、う……」
「だめ?」
 彼の笑顔は反則的だった。思いっきり首を横に振りそうになる自分に気づいて、私ははっとする。それではさすがにいけない。
 こ、こんな告白のしかたってあり!? 何で付き合うとかそういう話になるの!? どうして私なの!?
 何か言おうと思うんだけど、でも口をぱくぱくさせるだけで声にはならない。そんな私を見て何を思ったのか、彼はポンと手を叩いた。
「あ、急には答えられないよね、ごめん。でも考えておいて?」
 彼はそう言ってまたもとの通り前を向く。
 ようやく、時が動き出した。
 私は呆然としたまま、彼の背中と入ってくる生徒たちとを眺めるしかなかった。



「ねえねえしとねちゃん、放課後あいてる?」
「え? あ、放課後は……」
「あいてるよね? 一緒に部活見に行こうよ」
 入学して三日。私の描いていた高校生活は早くも崩れ去っていた。
「俺さ、文化系のに入りたいんだよね。しとねちゃんは?」
「わ、私は、特に……」
「じゃあ一緒に入ろうよ」
 全てはこの河口ひさぎという存在のせいだ。
 かっこいいし優しいし明るいということで既にクラスの人気者となりつつあるんだけど、でも私はそれだけじゃないことを知っている。
「あのさ、しとねちゃん」
「は、はい?」
「今日スカート短いよ。見えちゃうよ?」
「ひ、ひさぎ君、ど、どこ見てるのよっ!?」
 彼の中身は、まるで「エロおやじ」みたいだったのだっ!
「だってそんな短さじゃ思わず目がいっちゃうって」
「ふ、普通いかないよっ!」
「男の子はいくんです」
 彼はにっこりと笑う。私はその笑顔に弱くて、彼に微笑まれるとそれだけで何も言えなくなってしまう。彼はそれをいいことに言いたい放題なのだ。悔しいけどっ。
「ねえしとねちゃん、そろそろ答え、聞きたいんだけど」
「まっ、まだ! 会って三日じゃない!」
 かっこいいのに、かっこいいのに、優しいのに、でもエロおやじ! これさえなければ二つ返事なのにさ!
 私は心の中で涙する。
 何にも知らない他のクラスメイトは、ひさぎ君と仲良くていいねえとか、うらやましいとか言ってくるけど、そんなにいいものじゃない。私は彼と喋っていると真っ赤になってばかりだ。
「えー、三日も、でしょ? 俺はどんどんしとねちゃんのこと好きになってるのに……」
 彼の赤面発言に、私はうつむく。せっかく授業が終わったのにちっとも自由じゃない。むしろ拘束されている。机という障害物がないからさらに距離近いし。
「どんどんって……何で? わ、私普通の女の子だよ?」
 一応反撃を試みてみるも――――
「え? だってさ、触り心地いいし、髪ふわふわしてて長いし、子犬みたいな目も可愛いし。まあ胸はもうちょっとあった方がいいかもしれないけど。でもちっちゃいし、からかうと素直に反応してくれるし」
「あわわわ、な、何言ってるのひさぎ君っ!」
 すぐに私は敗北してしまった。彼が笑顔のままとんでもない発言をするのを、止めることができない。
 周りの人は遠目から、ラブラブだねえ、とでも言いたげに見守っている。会話の内容を聞いたらそうでないことは明らかなのに……。
「じゃあさ、しとねちゃん、キスしようよ。そうしたらしとねちゃんの気持ち確かめられるよ?」
「な、何で急にそうなるのっ!」
 完全にひさぎ君ペースだ。そのまま座り込みたい気分だったけどさすがにそれは我慢して、私はため息をついた。彼は不思議そうに首を傾げる。
「良い案だと思ったんだけどなー。あ、それならさ、これから一緒の部活見学して、それで同じ部活選んだら付き合うってのはどう? 最後にお互いせーので言い合って。もし別の部活だったら俺はもうしとねちゃんにつきまとわないから。これならいいだろ?」
 もうつきまとわない?
 その一言が、私を刺激した。気づいたらうなずいていた。
「商談成立」
 そう言って笑う彼の顔は、何故か自信満々だった。



 私たちはその日の放課後だけで、文化系の部活を全部見終わってしまった。
 理由は簡単。少ないんだ、数が。
「ひさぎ君、騙したでしょー!」
 全ての見学を終えると、私はひさぎ君の背中をポンポン叩いた。廊下の隅で、彼はただ笑っている。
「別に嘘はついてないよ?」
「でも、でも、こんな分の悪い賭!」
「えーそんなことないよ? 二つで半々じゃない。ほら、五つもあるんだから俺の方が不利だって」
 そう言われればそうなんだけど……。
 でも五つというのは予想よりもずっと少なくて、私を動揺させた。
 だって、普通はもっとない!?
 私はゆっくりと彼を見上げる。
「しとねちゃん、そんな顔するなんて反則だよ。約束はなしって言いたくなっちゃうじゃん。でもだめだからね?」
 いつも反則なのはひさぎ君なんだから、今回ばかりは許して欲しいよ……。
 でも約束を破るというのも気が引けた。そ、そうそう、別の部活を選べばいいのだっ! 確立は低い!
 私はぐっと拳を握る。
「あ、決意は固まったみたいだね。それじゃあせーので言おうか?」
「ひさぎ君はもう決まってるの?」
「もちろん」
 彼はやっぱり自信たっぷりだった。それが不思議でならないんだけど、でも今は気にしてる場合じゃない。
「それじゃあ行くよ? せーの」
『料理研究部!』
 な、何で――――!?
 ぴったり重なる二人の声。私は、敗北した。
 ひさぎ君は満面の笑みで私の頭をなでてくる。
「俺の勝ち」
「わ、私が入りそうなところ予想したでしょ!?」
「え? 俺普通に料理好きだけど? お菓子作り、うまいんだよ、俺」
 よろしく、とささやいて彼の腕が私の方へ伸びてくる。
 ……へ?
 抱きしめられた、ということを理解するのに、少し時間がかかった。目の前にあるのはひさぎ君の胸板で、腰に当てられてるのはひさぎ君の手で……。
 く、くらくらしてきた……。
 体に……力が入らない……。
「やっぱ予想通りしとねちゃんの抱き心地最高っ。ってあ、今誰かに見られた。あれ、俺たちと同じクラスの奴じゃん」
 うそっ!?
 力を込めても、でも彼の腕はゆるまない。じたばたあがいても無駄だった。
「ほら、既成事実もできちゃったことだし?」
 私が喋られないのをいいことに勝手なことを言うひさぎ君。うーうーうなっていると、ようやく彼は離してくれた。
「いいよね?」
 聞きながら微笑む彼は、反則だ。その綺麗な顔で、綺麗な瞳で見つめられると言葉を失ってしまう。
「や、約束だから。で、でもこれは本物じゃないからねっ。お試し期間!」
「お試し……? いいよ、別に。そのうち本物にするから」
 やはり余裕綽々の彼は、ゆっくりとお辞儀をした。そしてささやく。
「よろしく、しとねちゃん」
 何度目かになるその言葉を、私は受け入れるしかなかった。
 ひ、卑怯だ。ずるいっ。でも拒否することができない自分が悲しい。
 私は渋々と小さくうなずく。
「よかったー、受け入れてくれて。これで毎晩しとねちゃんを抱き枕にできるっ」
「何でいきなりそうなるのーっ!? やっぱり拒否! ダメ! 今の取り消しっ!」
「もうだめ、遅い」
 真っ赤になりっぱなしの生活は、どうやら終わりそうにない。

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