「魔法少女生活のススメ」

「恭介恭介! 魔法少女! しかも二人いる!」
「見ればわかるっ」
 肩に止まっている黄緑色の鳥が、甲高い声で騒いだ。顔をしかめた俺は怒鳴りそうになりながらも、どうにか堪えて舌打ちだけにとどめる。こいつの声はいつも耳障りだ。ジーンズのポケットに眼鏡ケースをねじ込んで、俺は少女たちから死角になるよう街路樹の影に身を潜めた。深夜に家を飛び出すのは一苦労だったけれど、これならその価値があったかもしれない。
「あいつらが弱ったところを狙うのよ、恭介っ」
「はいはい」
「また適当なところで逃げたら許さないんだからね!?」
「わかってますよー」
 羽をバタバタとさせて怒りを露わにする小鳥――ピロローから顔を背けて、俺は魔法少女たちの方を見やる。つぶれたばかりのスーパーの駐車場で、二人の少女が向き合っていた。
 背の高いショートカットの少女は強気なタイプか。黒と赤のレースをふんだんに使った華やかなコスチュームは、月明かりの下でも煌びやかだ。一方それと対峙する少女の方は、水色の髪を一本にまとめた、どちらかと言えば癒し系タイプだった。短すぎないふわふわとしたスカートとか、セーラー服っぽい上着だとか、派手すぎないところが俺好み。
「好み、すげー好み。いい感じ。今日は当たりだ」
「……恭介」
「騒ぐなよ、ピロロー。見つかるぞ」
「もう、今さら怒る気力もないけど。あんたほど不真面目な魔法少女、見たことないわ」
「俺を選んだお前が悪い」
 二人の会話が聞こえるよう耳をそばだて、俺は息を詰めた。そう、何を隠そう俺も『魔法少女』だ。残念ながら冗談でもなんでもなくそうなのだ。このピロローがどこをどう間違ったか俺を選んでしまったがために、こんな事態になってしまった。
 強い魔法少女を育てることができれば一人前と認められる。そのための試験をピロローたちは受けているらしい。ピロローたちが手渡した変身道具を使うと、誰でも魔法少女になることができた。俺みたいな男子高校生でも、くたびれたサラリーマンでも、近所のおばさんでも誰でも可愛い魔法使いに変身だ。
 ――だから残念なことに、この目の前にいる美少女たちの正体も、少女だとは限らなかった。もしかしたらその正体は担任だったりその辺のニートだったりするのかもしれない。だから夢に浸るためには正体を暴いてはいけなかった。こうして眺めているだけなら目の保養になる。険しい顔で向き合う魔法少女二人を、俺はひっそりと観察した。
「こんなところで変身するなんて、もしかして誘ってた?」
「さあ、どうでしょうね。解釈は自由だと思います」
 張り詰めた空気を裂くように、魔法少女たちが口を開いた。どうやら癒し系が先に変身して、強気系を誘い出したらしい。近くに変身した魔法少女がいると、変身道具に何らかの変化が見られる。それを利用したのだろう。
 そんな妙な機能さえなければ、俺は自分の変身後の姿を堪能できるというのに。これが結構可愛い眼鏡っ子になるんだ。胸もあるし。どちらかというとおとなしめ系? 本当にもったいないことだ。でもさすがに家の場所を知られたらまずいから、変身するのは外でということになる。
「うわ、むかつく言い方。じゃあ誘われてやろうじゃないの!」
 語気を荒げて、強気系が構えた。その右手にはいつの間にやらゴムへらが握られていた。あれが変身道具なのか? じゃあ必殺技は何だろう? 想像できない。
 一方の癒し系は、一歩後ずさると軽く腰を落とした。武器らしきものは見あたらない。となるとどこかに身につけているのか? 今まで何人も魔法少女を見て来たが、その力は当人の特徴だったりピロローたちの姿だったりに影響されて様々だ。俺の変身道具は眼鏡だけど、それは力には関係ない。透明な翼で巻き起こす風が俺の必殺技だ。
 不意に、強気系が動いた。アスファルトを蹴り上げて飛び上がると、ゴムへらを癒し系めがけて振り下ろす。癒し系はそれを半身でかわすと、手刀で強気系の手首を狙った。
 うまいっ。
 俺は思わず声を上げそうになり、慌ててその言葉を飲み込んだ。癒し系の手刀が手首を直撃し、ゴムへらが空へと投げ出される。勝負ありだ。
 しかし強気系の変身は解けなかった。癒し系の顔に焦りが見られ、強気系の口角が上がる。癒し系が飛び上がって後ろへ下がるのと、強気系の左手から何か白いものが放たれるのはほぼ同時だった。ねちょり、とここからでも聞こえるくらい嫌な音がする。
「これが変身道具だと思った?」
 癒し系の右手と右足に、白いねばねばしたものが絡みついていた。どうもそれは、餅か何かのようだった。手足を振り回そうとしても伸びるばかりで、引き剥がすことができない。これでは癒し系は動けない。
「残念でしたー。こっちは他の子から奪った奴でした。油断したね」
 強気系のが二ヒヒと笑い声を上げた。餅を引き剥がそうとしてできずに、癒し系が引き攣った声を漏らす。ああ、俺好みの魔法少女がこのままでは負けてしまう。変身道具を奪われたら、その正体がわかってしまう。俺の幻想が崩れるっ。
「恭介、どうするの? このまま見てるの?」
「うるさい、ピロロー」
「あっちの方があんたの好みなんでしょう? 負けてもいいの?」
「うるさいっ」
 ピロローが耳元で囁く。こいつ、俺の好みまで把握しやがったのか。いつの間に。
「いいのー? いいのー? 変身道具が奪われたら、あの姿見られなくなっちゃうよー? しかも正体わかっちゃうよー?」
 やけにピロローの声は甘やかだ。こういう方法なら俺が動くかもしれないと学習したんだろう。いつも俺は好みの子と何度も会うために、あえて勝つこともなく負けることもなく、ある程度戦ったら逃げるという道を選択していた。幸い俺の必殺技は逃げるのにも役に立つ。目くらましって奴だ。
「さーて、変身道具はどこかなー?」
「近寄らないでっ」
 楽しそうに笑いながら、強気系が癒し系へと近づいていく。ま、まさか強気系による癒し系の身体審査が始まるのか!? それは美味しい、じゃなかった大変だ。
「恭介、今ちょっとエッチなこと考えたでしょう」
「黙れ、ピロロー」
「顔にやけてた。あー嫌だ嫌だ」
「うっさい」
 俺は軽く咳払いをする。でも大変なのは確かだ。癒し系の変身道具が奪われたら、もうあの姿は二度と見られなくなる。また俺は好みの子を探す努力をしなきゃならない。好みの魔法少女を誘い出すためにあえて公園で変身してみたりとか、危険を冒す必要があった。
「ほら恭介、早くしないと奪われちゃうよ?」
「くっそ」
 ピロローが頭の周りを飛び回る。俺はジーンズから黒いケースを取り出すと、深緑の眼鏡を掛けた。途端に視界が一瞬白く輝き、何も見えなくなる。
「何!?」
「この光は!?」
 駐車場の方から強気系と癒し系の焦った声が聞こえた。変身の光に気づいたんだろう。俺はとびきりの笑顔を心がけると、おとなしく肩に止まったピロローの頭を軽く撫でた。
 変身すると身体が軽い。五感も鋭くなったような気になる。俺は短いプリーツスカートの裾へと一瞥をくれて、木の陰から飛び出した。いつ見ても俺ってなんて可愛い魔法少女なんだろう。鏡が欲しい、切実に。いつかこの姿を写真に撮るのが俺の野望だ。
「魔法少女!?」
「隠れていたの!?」
 強気系と癒し系、二人の声が重なった。卑怯な魔法少女だと思ってるのだろう、二人の瞳には明らかに怒りの色がある。まさか覗き見が目的とは普通考えないよな。まともな魔法少女なら。
 癒し系に纏わり付く餅は、いまだゴムのようによく伸び縮みしていた。強気系の変身が解けたらそれは消えるだろう。つまり退却させればいい。俺が微笑んでウェーブした黄緑色の髪を背中へと流すと、そのさらに後ろで透明な羽が大きく震えた感触があった。
「邪魔する気!?」
 強気系が俺へと左手を向けようとする。が、その手には引っかからない。大きな羽を一振りすると、耳をつんざくような風音が辺りに広がった。それは一種の空気の波となって、飛んできた巨大餅を跳ね返す。
「ええっ!?」
 逆方向へと飛んだ餅が、慌てた強気系の足下へと落ちた。飛び退ろうとした強気系はそれができずに、バランスを崩して手をバタバタと上下させている。案外動きが鈍いな……って、ひょっとして、これって、俺が何かしないと勝負がつかない? このままじゃあ餅が消えない? 強気系を退却させて俺も逃げるって作戦じゃ駄目?
「やるじゃん! チャンスよ!」
 ピロローがいつになく嬉しそうに騒ぎ始めた。内心で滝のような汗を流しながら、俺はとりあえず笑顔を崩さずその場に佇む。計算が狂った。予想してた以上に強気系が弱かった。
 癒し系を助けるためには強気系の変身を解かなければならない。当人に解いてもらう以外には、変身道具を奪うしか方法はない。この状況では後者しか選べなかった。奪う――しかないか。あっちはそんなに好みじゃないし。
 変身道具を奪っておけば、少しはピロローもおとなしくなるだろう。そう自分に言い聞かせて、慌てる強気系へと俺は一気に詰め寄った。強気系は悪あがきとばかりに、俺へと殴りかかろうとする。だが足が動かない状態で力が入るわけもない。
 強気系の拳をあっさりと受け止め、俺は口角を上げた。そして間近からじっくり観察する。あーこうやって見ると顔立ちは可愛いよなぁ。派手だけど目鼻立ちがはっきりしたタイプで。惜しい、実に惜しい。できるならこの幻想も壊したくない。
 しかし何時までもこうして眺めているわけにもいかなかった。俺はざっと強気系の恰好を確認すると、目についた片耳のみのイヤリングへと手を伸ばす。
「ちょっと!」
 わかりやすく慌てた様を見ると、勘は当たりらしい。武器でなければ大抵、身につけているアクセサリーだとか髪留めだとかが変身道具であることが多かった。何人もの魔法少女を見てきた俺の経験則だ。俺は痛くないようにと気遣いながら、そっとイヤリングを片手で外す。
 途端、白い光が強気系を覆った。さよなら、一人の魔法少女。好みってわけじゃないけど可愛かったよ。できたらもっと見ていたかった。お世話になった本を売るような気持ちで、俺は瞳を細める。
 目映い光が収まった時、現れたのは小学校高学年くらいの男の子だった。呆然とした顔でその場に立ち尽くしている。まさに悪ガキって感じの子どもだ。日に焼けた肌が健康的。
 そうか、小学生か。ならあの態度も口調も頷ける。油断すると弱くなるところとかも。俺は一人で納得してイヤリングへと視線を落とし――何かを感じて右へと思い切り拳を振るった。
「痛っ!」
 手の甲に鈍い痛みが走る。振り返った俺の後ろにいたのは、右手を押さえた癒し系だった。そうか、餅が消えたから動けるようになったのか。……ってもしかして、今、俺を狙ってた? もしかしてさっきみたいに手刀とか食らわせようとしてた?
「ちょっとこの女!」
 いつの間にか頭の上へと移動していたピロローが、悲鳴じみた声を上げた。えーと、これはひょっとして、今すぐ退散した方がいいんだろうか? そうじゃないと俺、今度はこの癒し系と戦うことになるよな? 好みの子と。後ろには悪ガキがいるのに。
「漁夫の利を狙っていたんでしょう? そうはいきません」
「え、いや、ちょっと」
 ああ、まさかただ単に覗き見してたとは思わないよな。正直に言っても信じてもらえないよな。敵だと思うよな。自由に動けるようになったら容赦はしないよな。
 よし、逃げよう。
 俺はもう一度ピロローの頭を撫でて、できる限りの力で空へと飛び上がった。背中で大きな羽が震え、大気が揺れ始める。
「またあの技!?」
「さようなら」
 眼を見開いた癒し系へと向かって、俺の透明な羽が風を巻き起こした。強風に煽られて水色の髪が跳ね、スカートが揺れる。ただ残念なことに、この技で魔法少女のスカートが捲れたことは今まで一度もない。何かの力が働いているのではと思う程に、その中は死守されていた。不条理なことだ。
 轟音に耳がおかしくなりそうになった。悪ガキも癒し系も、強風に堪えられずに目を瞑っていた。そんな中ゆっくりと地面へと降り立った俺は、今のうちにと背を向けて走り出そうする。だがそんな俺の耳に届いたのは、癒し系の上げた小さな悲鳴だった。
「きゃっ」
「……え?」
 何となく淡い期待を抱いて、俺は思わず振り返った。そして目を丸くした。眼鏡越しの視界に映ったのは、癒し系の水色の髪がふわりと広がる光景だった。風が唸る中で、カランと硬い金属音が鼓膜を震わせる。
 瞬く間に、白い光が癒し系を覆った。俺はその場で思い切り口を大きく開けた。まさか、今のは、どう考えても、そういうことだろう。この場から今すぐにでも駆け出したいのに、何故だか足が動かない。喉が大きく鳴った。考えてみたら、あれって一応俺の必殺技だった。
「う、そっ」
 光が収まった時、そこにいたのは一人の婆さんだった。それも俺の知ってる人だった。小さい頃よくしてくれた、近所のクメ婆ちゃんだ。確か、俺が小さかった頃でも既にかなりの年だったはずだ。今は一体いくつだろう? 数えたくない。
 クメ婆ちゃんは何かに引きずり下ろされるように、力無くその場に座り込んだ。落ちた変身道具を拾う気力もないようだった。いや、もしかしたらその体力もないのかもしれない。変身している時は身体能力が上がるけど、別に疲労まで取り除いてくれるわけでもない。
 短くはないスカート、セーラー服。派手じゃない恰好。そっか、クメ婆ちゃんならそうなるかもな。
 俺も婆ちゃんと一緒にこの場に座り込みたい気分だった。わかってはいた。わかってはいたんだ。その正体まで美少女である確率なんて天文学的な数字だろうってことは。でもせめて若い女性だったらなとか、そんな希望もほんの少しはあった。できたらその希望を残したまま、何も知らずにいたかった。
 もうどうでもいい気分で、俺はのろのろと婆ちゃんの方に近づいた。ピロローの嬉々としたさえずりが恨めしい。魔法少女らしくなったとか騒いでいる。
 動かないクメ婆ちゃんの側に寄ると、俺はアスファルトの上に転がっていた金の髪留めへと手を伸ばした。見たことないタイプだ。婆ちゃんの思い出の品とかだったりするんだろうか?
「この、ピロロー! お前の魔法少女か!」
「あ、バリュッ! あんただったのね! ふん、私の魔法少女の方が強いでしょう? あんたは試験に不合格よ! こんな婆さん選んでるようならね!」
「なんだとー!」
 髪留めを拾い上げると、クメ婆ちゃんの腕に何かが捕まっているのが見えた。それは小さな猿のようだった。意地汚い顔をした丸っこい水色の猿が、婆ちゃんの細い腕からぶら下がっている。
「ほら、今日だけで変身道具が二つも! やっぱり私の選んだ魔法少女ね!」
「……はいはい」
 うなだれたいのを堪えて、俺は適当に相槌を打った。もう当分、どの魔法少女とも会いたくない気分だった。しばらくは覗き見も止めよう。どんな魔法少女を見ても、婆ちゃんに見えてくるかもしれない。
 俺の心を潤してくれる、決して正体を明かさない可愛い魔法少女はいないもんだろうか? 夢と幻想を壊さない、素敵な魔法少女はいないもんだろうか?
 とぼとぼと歩き出した俺の背中で、透明な羽がかすかに震える。楽しそうにさえずるピロローが肩に止まると、クメ婆ちゃんの寂しげなため息が聞こえてきた。
「せっかく若返ったと思ったのに……」
「おいおい、元気出せよクメー」
 手の中のイヤリングと髪留めが、妙に重たく感じられた。眼鏡の向こうの景色まで、何だか歪んで見えた。


 いつの間にかあの小学生が、そしてゴムへらが消えていたことに気がついたのは、家に帰ってからだった。どうも俺の魔法少女生活に、まだまだ平穏は訪れないらしい。

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