white minds 第一部 ―邂逅到達―
第一章「影の呼び声」9
花見の時期を終えた広場の一角で、青葉は椅子に腰掛けていた。白いテーブルに向かいつつ、黙って頬杖をつく。気持ちがささくれ立っていることは自覚していた。そのせいか誰も近寄ってこないし、話しかけてくることもない。苛立ちの原因もよくわかっていた。早朝の梅花とのやりとりがその発端だ。
昨日判明した新たな事実を上に伝えるために、梅花は宮殿へ赴くことになった。それだけなら取り立てることなどないが、早朝という時間が問題だった。何となく違和感を覚えて目を覚ましたからよかったものの、そうでなければ彼女は何も言わずに出かけるつもりだったのだろう。それを裏付けるように、書き置きらしき紙を手にして特別車の前に立っていた。
宮殿に行くということは前日に聞いていた。しかしだからといって当日挨拶もなく出向いていいという話ではない。寝起きの不機嫌顔のまま声を掛けたことを、青葉は思い出す。
「こんな時間にどこに行くんだ?」
まだ朝焼けが眩しい時刻だった。特別車から顔を覗かせた青葉は、歩き出す寸前の梅花を目に入れて問いかけた。一歩を踏み出しかけていた彼女は、やおら振り返る。いつもと変わらぬ感情のない顔――に一見すると思えるが、そこにわずかな不安が滲んでいることに彼は気づいた。そんな表情をさせる心当たりは一つしかない。
「もしかして、宮殿か?」
端的に尋ねると、梅花は静かに頷いた。黒目がちな瞳がわずかに伏せられる。結ばれていない黒髪が空気を含んで揺れ、頬へと影を落とした。
「ええ、行くって言ったでしょう? 昨日のことを報告しておかないと」
「だからって、こんな朝早くに行くことないだろう? さすがの宮殿だって、この時間はまだ動き出してないんじゃないのか?」
車から降りた青葉が眉間に皺を寄せると、梅花は曖昧な笑みを向けてきた。どこか困ったような眼差しに、口角だけがわずかに上げられた微笑。普段目にすることがない表情だ。茜色の雲へと一瞥をくれた青葉は、落ち着かない気持ちをなだめるよう息を吐く。
「しかもまた何も言わずにか」
「昨日伝えたじゃない。宮殿だったら、もう働き始めている人はいるわ。それに、帰りが遅くなると困ると思って」
躊躇いながらも梅花はそう口にして、再び瞼を伏せた。腕時計型の通信機を撫でる指先が、青葉の目にはどことなく不安定に映る。どうやら彼女の心中も穏やかではないらしい。
「遅くなるって……そんなに拘束される可能性があるってことか? やっぱりこの件はややこしいことになりそうなのか?」
「わからないわ。ただ、そんな予感がするだけ」
「お前の予感ってのは経験則みたいなものだろう?」
「そうとも限らないわよ」
言葉を濁した梅花は、決して青葉を見なかった。そのことが予感の強さを物語っている。彼女は宮殿について詳しい。いや、正確に言うと宮殿の裏側やその動きについて予測する力がある。それは今まで上の動向をつぶさに観察してきた結果と、彼女の洞察力によるものだろう。だから彼女の上に対する読みは大抵当たるという。
「ただ可能性はあるから、念のためにってこと。その間のことはよろしく頼むわ」
通信機から手を離して、梅花はゆっくり面を上げた。もう、先ほどの不安は垣間見えなかった。不確定な今後のためにできうる限りの手を尽くす、いつもの彼女だ。青葉は眉根を寄せながら頷く。
「こっちのことは心配すんな。神技隊同士でも連絡取ってるんだし。お前こそ気をつけろよ」
何にとは、青葉は言わなかった。上に気をつけろと言うのも変な話ではある。しかし他の表現が見つからない。上にとって彼女がどんな存在なのか、彼女は上をどう思っているのか、何度も尋ねようとした。だがそれも叶わないままここまできている。宮殿という場所が苦手であるのはわかっているのだが。
青葉はふと、昨日のリンの言葉を思い出した。『ジナルの神童』とは、本当に梅花のことを指しているのか? 宮殿でもそんな風に呼ばれていたのか? けれどもこの状況でそんな話題を出すのも憚られる。彼が密かに歯噛みしていると、梅花は小さく首を縦に振った。
「わかってるわ。いつものことだもの」
それが今朝最後に聞いた梅花の言葉だった。その後、彼女は真っ直ぐゲートへと向かった。神魔世界へと旅だった彼女の気は、青葉にも感じ取れなくなる。こうなってしまうと帰ってくるまでは何が起こっているのかわからない。この時間が彼は苦手だった。普段は特に意識せずとも気で存在を確認しているのに、それができないというのが落ち着かない。
仕事にも身が入らなかった。今日の青葉は受付担当だったのだが、集中力がなくて何度かサイゾウに注意された。彼らの仕事は占いだ。正確には何でも屋なのだが、稼ぎの大半は占いになっている。
彼らシークレットは、上の命令により各地を転々とする可能性がある。だからすぐに始められて元手がかからず、どこでもできる商売でなければやっていけない。色々と試してみた結果、リラックスするお茶を提供しつつ、希望者にはマッサージや占いを提供するという何を目的としているのかわからない商売ができあがった。これが意外とうまくいって、それなりの稼ぎになっている。
占いというのもかなり眉唾物で、当たり障りのない質問を繰り返しながら相手の表情や気から困りごとを探り当てていくという、お悩み相談に近い内容だ。梅花曰く邪道に近い。技を使ってはいないものの、技使いだからできる芸当だ。背に腹は代えられないのでとサイゾウが始めたのだが、これがやけに人気となっていた。梅花は絶対にやりたがらないので、サイゾウやアサキ、青葉がその担当になることが多かった。今日はサイゾウである。
だが今日は受付の青葉の呼び込みが甘かったため、大した稼ぎになりそうにはない。普通の腕時計を見下ろして、彼はため息を吐いた。アサキが買い物に出かけてから一時間といったところか。もう夕方になってしまう。それなのに梅花は帰ってきていないという事実が、彼の心に重くのしかかった。もしかしたら今日は戻ってこないかもしれない。
「まいったな」
「何がまいったんでぇーすか?」
突然声をかけられ、青葉は慌てて顔を上げた。またぼんやりしていたらしい。受付代わりの白いテーブルの前には、買い物袋を持ったアサキが立っていた。軽く結わえた黒髪を揺らして首を傾げている。
「あ、いや、何でもない。おかえり」
「何でもないって顔じゃないでぇーすね。梅花はまだ帰ってないんでぇーすか」
核心へといきなり触れられて、青葉は顔をしかめた。その問いかけに意味はない。聞かなくとも彼女がいないことはアサキにもわかるはずだ。ずいぶん意地が悪いなと、青葉は苦笑を漏らした。
「まだだよ。今日は無理かもな」
「アサキたちのそっくりさんが現れたんでぇーすかぁーらね。上も対応を決めるのに時間がかかりそうでぇーす」
「だろうな」
まさか上の方針が決まるまで拘束するつもりだろうか? 慎重な判断を要することにおいて、上の迅速な対応というのは期待できない。意見が割れているならばひとまずは保留ということで一旦帰してくれたらいいのにと、青葉はうんざりとした心地になった。上は何かと理由を付けて梅花を留め置きたがる。
「ところでサイゾウはまだ占い中でぇーすか?」
青葉が唇を引き結んでいると、アサキは話題を変えてきた。これまた確認する意味もない疑問だ。青葉は頷く。
「そう。ようも今はそっちの手伝いをしてる。今日の客はそれで最後だろうな」
日が暮れると客引きはほぼ不可能だ。しばらく同じ場所に留まっている時はちょっとした噂になるらしく、この特別車を捜し当ててくる物好きもいる。しかしこの広場に来てからは今日で二日目。まだそういうこともないだろう。
「そうでぇーすか。じゃあアサキたちは食事の支度を――」
不意に、アサキの声が途切れた。買い物袋が落ちる音がした。一気に目の前が白くなり、視界の端で色とりどりの光が明滅する。青葉は目眩を覚えながらも何とか立ち上がった。足下の感覚がおかしい。固い石畳の上だったはずなのに、柔らかい布を踏みしめているかのようだ。
数度瞬きを繰り返すと、光でぼやけていた視界が少しずつ鮮明になっていった。いや、目はすぐに元通りになっていたのかもしれない。そうと気づかなかったのは、周囲の景色ががらりと変わっていたせいだ。それを景色と読んでいいのかすらわからない。特別車はもちろんのこと、座っていたはずの椅子も、テーブルも、広場もなくなっていた。ただひたすら白い空間が広がっているばかりだ。
「ど、どうなってるんでぇーすか」
幸か不幸か、そこにはアサキもいた。青葉と同じく妙な目眩に襲われていたようだ。目を白黒させながら、定まらない視線を辺りへと彷徨わせていた。尋ねてくる声には戸惑いの色が溢れている。
「オレも聞きたいくらいだよ。一体、何が起こってるんだ――」
「やったー! 成功だね!」
青葉のぼやきは、上空から降り注いだ歓声によって遮られた。彼は顔を上げるよりも早く、直感で後方へと飛び退る。動揺するアサキの叫び声に、聞き覚えのある陽気な笑い声が重なった。片膝をついて着地した青葉の瞳に映ったのは、対峙するようとアサキの姿――否、イレイとアサキの姿だ。
「よう? でぇーすか……?」
「違うよ、僕はイレイ!」
喫驚するアサキに向かって、イレイは唇を尖らせる。くすんだ金の髪を揺らし、つぶらな茶色い瞳をめいっぱい見開く様子は、どう考えてもようと同じだ。そっくりという一言で済ませたくはない。年の頃も体格も表情も気も同じなんてことがあり得るのだろうか? 立ち上がった青葉は息を呑んだ。いまだに信じがたい。
「おいおいイレイ、先走るなって」
「まったく、イレイはせっかちだなあ」
続けて、何もないはずの白い空から男女が姿を現した。二人はアサキたちから少し距離を取ったところに舞い降りる。女の方は先日も姿を見せた梅花そっくりの少女――レーナだ。男の方の名は知らないが、容姿はアサキそっくりである。思わず青葉はその男とアサキの姿を見比べた。髪はアサキの方が長いが、違いはそれくらいか。艶のある黒い髪も端整な顔立ちも同じだ。その分、男が手にした細身の剣が目立つ。
「アサキと、同じでぇーす」
呆然とアサキは立ち尽くしている。だが驚いているのは相手の男の方も同様のようで、複雑そうな顔をしていた。耳の裏を掻きながらたたずむ男の横へと走り寄り、イレイが軽快に飛び跳ねる。
「うわ、本当にそっくりだね! カイキが二人!」
「話には聞いてたけど、こうやって顔を合わせると気味が悪いなー。しかもなんか変な喋り方だし」
アサキそっくりの男の名前はカイキというらしい。青葉は三人の様子をうかがいながら、少しずつアサキの方へと寄っていった。今日来ているのはこの三人だけなのだろうか? 今のところそれ以外の気は感じられないが、注意は必要だ。狼狽えるアサキの横に並び、青葉はおもむろに口を開いた。
「おい、これは一体どういうつもりだ?」
怒気を込めた声音で問いただすと、イレイたちの視線が一斉に青葉へと向けられた。仲間と同じ顔で見つめられるというのは奇妙な心地だ。それはどうもあちらも同じらしく、イレイとカイキの眉根が寄せられる。気からも困惑が読み取れた。ただ一人レーナだけは微笑を絶やさず、余裕を滲ませながら小首を傾げる。
「どうもこうも、あの場では技が使えないだろう? だからちょっと亜空間を利用してみようと思ってな。成功してよかった」
梅花と同じ顔でそんな風に微笑みかけないで欲しい。この場でそんなことを考えるのは不謹慎なのだが、青葉は心底そう願った。どうにも落ち着かなくて、つい視線を逸らしたくなってしまう。その誘惑に必死に耐えていると、レーナは右の人差し指を立てた。
「この亜空間なら誰の目にも触れないし、被害も出ない。便利だろう?」
レーナの言葉を受けて、イレイが「さっすがレーナ!」と喜びの声を上げる。目眩を覚えたのは、亜空間に引きずり込まれたからなのか。そんなことができるとは、やはり彼女はただ者ではない。青葉の背筋は冷えた。亜空間を利用することができるという知識はあったが、実際に作り出しているところなど見たことがない。
青葉が絶句していると、待ちきれないとばかりにイレイがまた跳ねた。踊るように両手を振り上げ、笑顔を振りまく。
「つまりっ、ここなら思いっきり暴れてもいいんだよねっ!」
「ああ、そのために作ったんだ」
「じゃあレーナは亜空間の維持に集中していてよー。僕とカイキでやっちゃうからさっ」
先ほどから黙りこくったままであったカイキも、イレイの言葉に大きく頷いた。アサキが体を強ばらせたのが、青葉には伝わってくる。今までは何とか戦闘を逃れていたが、今日はそうもいかないようだ。彼ら相手に上手く戦えるだろうか?
「本当にいいのか? アースのオリジナルがいるんだぞ?」
「心配するなってレーナ。アースじゃあないんだし」
「そうそう!」
アースのオリジナルというのが青葉を指していることは、すぐにわかった。オリジナルというのがどういう意味かはわからないが、ちらりと向けられた視線から間違いないだろう。彼らの言い草から判断すると、どうもアースは強いらしい。
カイキたちに舐められたのは癪だったが、レーナと戦わずにすみそうなのは幸いだった。やりにくいにもほどがある。カイキたちを睨みつけながら、青葉はいつでも技が使えるようにと精神を集中させた。アサキも気を取り直したらしく、横で構えを取る。
「そこまで言うなら了解した」
レーナが頷くのと、カイキとイレイが動き出すのはほぼ同時だった。青葉へと向かってきたのはカイキの方だ。さすがに自分と同じ顔は相手にしたくないらしい。跳躍したカイキは細身の剣を携えている。もちろん、青葉は武器など持っていない。小さく舌打ちしてから、青葉は右手に炎の刃を生み出した。かすかに揺らめく不定の剣から、熱気が伝わってくる。彼はそれを前方へと押し出した。
耳障りな音がした。鈍く煌めく刃を、赤い炎の剣が受け止めた。ただの剣であれば、技で生み出されたものに対抗できるわけがない。どうやらカイキが持っているのは技使い用に特化した特殊な武器らしい。青葉はそのまま刃を横に払うようにして、ついで左手にも不定の刃を生み出した。
「ちっ!」
顔をしかめたカイキは身を捻り後退する。いつでも二刀流にできるのが技で生み出した剣で戦う利点だ。その分『精神』を消費するのが問題なのだが、長期戦に持ち込むつもりもないので躊躇いはしない。着地して構えたカイキへと、青葉は左手を伸ばした。
「なっ――」
剣の形を取っていた炎が、球となってカイキへと放たれる。カイキの目に焦りが見えた。剣だけで戦うだろうと、どうやら決めつけていたらしい。慌てたカイキの生み出した結界が、炎球を弾く。霧散した赤い光を追いかけるように、青葉は右手の炎の刃を振るった。
再度、カイキは結界を生み出す。透明な膜の上で押しとどめられた炎の刃が、甲高い悲鳴を上げた。技と技がぶつかり合った際に特有の共鳴音だ。青葉は力任せに行くことを諦め、不定の剣をばね代わりに飛び上がった。風を纏い空中へと浮き上がったところで、アサキの様子を視界に入れる。
アサキは決して弱くはないはずだ。それでも仲間と同じ顔を相手するのはやはり戸惑いがあるらしく、イレイに押され気味だった。逆にイレイは戦えることがよほど嬉しいらしく、動きが軽快だ。
青葉は奥歯を噛んで、カイキへと視線を戻した。空中戦は苦手なのか、苦々しげな顔をしたカイキが追いかけてくる様子はない。結界を張ったままなのは、また炎球が放たれるのを警戒してだろうか。
「それじゃあ期待に応えてやるか」
久しぶりに技を使って戦えることに、どうやら気持ちは高揚しているらしい。そのことを自覚しつつ、青葉はカイキ目掛けて炎球を複数放った。そしてそれらを追いかけるように急降下する。身を守る術として便利な結界も、近接からの攻撃には弱い。カイキは顔を引き攣らせて、結界を張ったまま後ろへと跳躍した。
「逃がすかよ」
青葉の口角が上がる。白い地面に落ちた炎球が煙を上げる中、着地した青葉は間髪入れずに地を蹴り上げた。足に掛かる負担は風の技が軽減してくれている。そのままの勢いを利用して、彼はカイキへと炎の剣を突き出した。透明な膜の中央へと、赤い刃が突き刺さる。
「カイキ!」
後ろからイレイらしき声が聞こえる。光を増す赤い刃に耐えきれず、結界は霧散した。咄嗟に体を捻ったカイキの上着を炎が舐める。布の焼ける嫌な臭いにもかまわず、青葉はそのまま刃を右へ薙ぎ払った。耳障りな音が鼓膜を叩く。
カイキはかろうじて炎の刃を剣で受け止めていた。いや、その勢いを殺すことができずに吹っ飛ばされ、白い地面を転がった。再び後方からイレイの叫び声が響く。青葉はさらに跳躍すると、剣を振りかざした。
けれども、刃がカイキに届くことはなかった。捉えると思った瞬間、硬い結界に弾かれた剣先がぐにゃりと歪む。同時に目の前に生まれた強烈な光が瞼を焼いた。特に根拠もなく、青葉は左へ体を捻った。すぐ横を鋭い気配が通り過ぎていき、喉の奥が震える。視界はまだ戻らない。彼は慌てて結界を身に纏わせた。アサキの叫び声がくぐもって聞こえる。
強烈な気が近づくのを感じて、青葉は構えていた剣を前方へと放り投げた。技――おそらくは結界に弾かれた音がして、カイキの引き攣った声が続く。そこでようやく視界に色が戻り始めた。ひたすら白だけの世界だったところに、人の姿が浮かび上がってくる。
「レーナ」
その名を青葉は呟いた。片膝をついたカイキの横で構えていたのは小柄な少女だった。左手に収束していく気の流れには、結界の名残が感じられる。右手には白色の不定の刃が握られていた。水系? いや氷系の技か? 角度によって白から薄青へと変化するその色合いが見慣れない。
青葉の剣を防いだのは彼女の結界だろう。カイキの顔色を見て、青葉はそう判断した。一本に結わえられた髪が揺れる様が、今し方まで彼女が動いていたことを物語っている。額に巻かれた白い布の端がひらりと舞い、彼女の肩に乗った。
「青葉!」
今度は背後からアサキの声が聞こえた。だが青葉は振り返らなかった。目の前にいる二人から視線を逸らすことは危険だと思えた。気を抜いたら何を仕掛けられるかわからない。背筋を冷たい汗が伝っていく。
「悪い。レーナ、助かった」
「もう少ししっかりして欲しいところだな。そんなにあの顔が怖いか」
安堵を滲ませながら謝るカイキに、レーナは微苦笑混じりの言葉を投げかける。「あの顔」というのが自分の顔を指していることを察して、青葉は例えようのない気分を味わった。それはどういう意味だろう。
「本当に悪い。やっぱりあの目で睨まれるのは……」
カイキはゆっくり立ち上がりながらへらへらと笑った。どうやらこの顔で睨まれるのが苦手らしいと気づき、青葉は先日のアースの様子を思い返す。自分と同じ容姿であるはずなのに、不機嫌を体現したような男だった。そして実に威圧的だった。つまり、あの眼光を思い出してしまい動きが鈍ったということなのか。それはそれで複雑な心境になる。
「おいおい、後でアースに言いつけるぞ? まあいい。亜空間の方は心配なさそうだし、われが代わりにやろう」
そう告げてレーナは笑った。慌てたように手を伸ばすカイキなど意に介さず、彼女の眼差しが青葉へと向けられた。いや、そう思った次の瞬間には、飛ぶように距離を詰めてきた。
はっとした青葉は、再び右手に炎の剣を生み出す。振り下ろされた白い刃を、かろうじて炎が受け止めた。金属を引っ掻いた時のような、耳障りな高音が鳴り響く。女の腕による一撃のはずなのに、妙な重みがあった。だが力では負けるはずがない。そのまま彼が相手の剣ごと薙ぎ払おうとすると、レーナはそれに逆らわなかった。白い刃の残像を、火の粉が追う。
払われた勢いのまま身を翻したレーナの、左手が輝いた。青葉は横薙ぎした剣を振り下ろそうとして、それが間違いであったことに気づく。刃が彼女の体を捉えるより早く、身をかがめた彼女の腕が彼へと伸びた。その細い左手から生み出された小さな光弾が、彼の肩を強打する。
吹っ飛ばされるような衝撃はなかった。しかし身を焼くような激痛が肩から全身へと走り抜けた。青葉の右手から炎が消える。それでも二撃目だけは避けようと、どうにか右手に大きく跳躍した。間一髪、それまで彼がいた場所を白い刃が通り過ぎていった。黒い髪が数本かすめ取られ、空を舞う。