white minds 第一部 ―邂逅到達―

第一章「影の呼び声」12

 続く信じがたい光景に、シンは目を疑った。滝とて実戦から遠ざかっていれば腕は鈍るだろうが、それでも華奢な少女がまず敵うわけなどない。だがレーナは滝と相対しても、決して引けを取らなかった。力比べになれば滝が圧倒的に有利とわかっているため、上手く力をいなしながら一定の距離を取っている。
 言葉で説明するのは簡単だが、それを実行するのがいかに困難なことであるか。直接手合わせしたことのあるシンはよくわかっていた。滝は奇をてらうような動きは好まないが、反応も速く力も強く、とにかくぶれがない。集中力も並大抵ではなく、隙を突くことも難しかった。
 驚くことに、レーナはあの体格でそれをやってのけている。いや、それだけではない。上空から放たれる矢を的確に弾き返しているのだが、その一部は確実に滝の太刀筋の邪魔をしていた。空を一瞥している様子もないし、視野には全く映っていないだろう。おそらく気だけで判断している。
「嘘だろう……」
 神がかり的な気の感知能力、反応力がなければ不可能な動きだ。加えて自信と度胸も必要とする。戦い慣れしているという範疇の話ではない。
 シンが愕然としていると、駆け出していったアースがようやく滝たちの元へと辿り着いた。二人の戦闘を見ていたら容易には手出しできぬと判断するのが普通だが、アースは違ったらしい。剣を携えたまま、滝とレーナの間に強引に飛び込んだ。危険きわまりない行為だが、直前に察知したレーナが後退したため、アースが一太刀を食らうことはなかった。滝の不定の刃と、アースの銀の刃が交わる。
 突然の乱入者に、滝の体勢がわずかに崩れる。アースはその一瞬の隙を見逃さず、思い切り剣を叩きつけた。耳障りな高音が白い空間に響き渡った。滝はこのままでは不利と判断したのか、揺らめく黄色い刃と共に後ろへ飛び退る。アースは剣先を滝へと向けたまま、レーナの方へと視線を向けた。その双眸に剣呑な光が宿っていることは、シンにもわかる。
「戦いすぎだぞレーナ」
「すまないアース。亜空間に入り込まれた。彼女は精神系の使い手だ」
 一歩前へと踏み出しかけていたレーナは、軽く空へと目を向けた。シンもつられて顔を上げる。足下で倒れ伏しているラフトが「うぅ」とまた低く呻いたが、起き上がる気配はなかった。
 地上からの視線を感じたのか、白い空に浮かんでいたゆっくりと女性が降下し始めた。髪の長い美女だ。彼女はふわりと滝の後ろに着地すると、「本当にそっくりね」と言って苦笑している。きっとアースたちの容姿のことを指しているのだろう。つまり、青葉たちのことも見知っているということか。
 滝とその女性は互いに顔を見合わせることなく、アースたちの動きを警戒している様子だった。レーナ一人でも苦戦していたのだから、その判断は妥当だ。ただ、アースはどうやらレーナを戦わせたくはないらしい。そうなると勝機も見えてくるかもしれない。
「おい、シン、どうなってる?」
 そこでラフトの低い声が鼓膜を震わせた。シンがちらりと見下ろすと、ラフトは突っ伏したままの状態でかろうじて顔だけを上げていた。痛みを堪えるように歯を食いしばり、眉根を寄せている。シンは小さく息を吐いた。
「ストロング先輩が亜空間に進入したおかげで、アースたちの意識はそっちに向いてます」
 端的に現状を説明するとそうなる。滝とアースたちが睨み合っているのを視界の端に入れながら、シンはよつきの様子もうかがった。こちらも双方、距離を取って対峙しているところだった。ネオンはよつきを威嚇しながらも、アースの動向を気にしているらしい。
 ネオンがそうしていた理由は、すぐにわかった。黙しているアースの横で、レーナが決定的な一言を放つ。
「歪められた空間が不安定になってるな。この亜空間もまだまだ改良の余地があるなあ」
「そうか、なら一旦引くぞ」
 アースは間髪入れず、滝たちを睥睨したままそう言い放った。わずかな躊躇いも感じさせぬ決断だった。眼を見開く滝たちをよそに、アースはネオンに向かって手を掲げて合図する。
「ネオン、退却だ!」
「りょーかいっ」
 待ち構えていたネオンは即座に返事をした。その間も、滝たちは何も言わずにその場で構えていた。撤退する振りをしての反撃を警戒しているのだろう。シンも念のため気構え、アースたちの動きを注視した。レーナの手からはいつの間にか刃が消えている。アースは剣先を滝へと向けつつ、左手で彼女の手を引いた。
 その次の瞬間、視界がぶれた。再び目眩と吐き気に襲われ、あらゆるものが白に包まれていく。シンは顔を歪めた。目の前が全て白に塗りつぶされると、前後の感覚も怪しくなる。耳の奥で甲高い金属音が鳴り響いていた。足の裏に感じる固い感触だけが頼りだ。
 嘔気を堪えていると、耳障りな音は突然止まった。瞳を瞬かせると、徐々に視界が戻ってくる。まず見えたのは灰色の塀だった。顔を上げれば青空が、雲が、飛んでいく鳥が目に入る。
「亜空間は消滅したのね」
 声に導かれるように、シンはゆっくり立ち上がった。いつの間にかすぐ傍には、滝と先ほどの女性がたたずんでいた。シンは頷きながら足元を見る。案の定、そこにはラフトが倒れたままだ。今は通行人もいないようだが、さすがにこのままではまずいか。無理やり起こすべきかとシンが迷っていると、状況を把握したらしいよつきが走り寄ってきた。
「先輩たち、大丈夫ですかっ」
 駆け寄ってきたよつきは、まずラフトの様子を確認し始める。首を縦に振ったシンは、今度は滝の方へと双眸を向けた。久しぶりに会うヤマトの若長は、記憶にある姿とほとんど変わらなかった。首を掻きながら辺りを見回し、気難しい顔をしている。
「よつき。オ、オレは駄目かもしれない」
「そんなこと言わないでくださいラフト先輩。たぶんきっと骨は折れてませんから起き上がりましょう」
「そ、その根拠はどこにあるんだ」
 ラフトとよつきの会話を耳にしながら、シンは辺りの気を探った。アースたちの気配と思われるものは感じ取れない。普通の人間の気も、すぐ近くにはない。先ほどまでの戦闘が嘘のような心地よい朝の空気が満ちている。まるで夢から覚めた心地だ。しかしこのまま立ち尽くしているわけにもいかないだろう。シンは意を決して口を開いた。
「滝さんが来てくれて助かりました。よくここがわかりましたね」
 まずは礼を言うべきだと判断し、周囲を見回す滝へと声を掛ける。おもむろに振り返った滝は、わずかに口角を上げた。幼い頃から見慣れていた穏やかな微笑を目にして、シンの胸中に安堵が広がっていく。
「ああ、間に合ってよかった。気づいたのはレンカだけどな」
 滝はそう言いながら、傍にいた女性の方を横目に見た。彼女の名前はレンカというらしい。けれどもそこで引っかかりを覚え、シンは内心で首を捻った。レンカという名には聞き覚えがある。確か、いつの間にか滝が遠くで作っていた恋人の名と同じだ。同一人物なのか? そうだとしたら偶然同じ神技隊に選ばれたということになるのか? そんなことがあり得るのか?
 しかしこの場でそんな問いを投げかけるわけにもいかない。シンは曖昧な笑みを浮かべたまま「そうだったんですか」とだけ答える。すると滝の視線を受けて、レンカが微笑んだ。
「初めまして、ストロングのレンカよ。よろしく」
 滝の微笑と同じ空気を感じさせる穏やかな表情だ。それでも遠目の印象よりは年若そうに見える。腰ほどまである長い茶色い髪に濃い茶の瞳と、無世界でも珍しい色の組み合わせではない。背丈はリンと同じくらいか、それとももう少し高いだろうか。女性の身長はシンにはいまいち掴みにくい。
「どうも初めまして、スピリットのシンです」
 挨拶を返しながら、シンはもう一度足下を見やった。文句を垂れているラフトの肩を支え、よつきが立ち上がろうとしているところだった。なだめすかすその姿を見る限りでは、よつきは面倒見のいい性格らしい。痛みを訴えるラフトは自己紹介どころではないだろうと判断し、シンは代わりに口を開いた。
「こちらは第十五隊フライングのラフト先輩に、第十九隊ピークスのよつきです」
「ああ、ラフト先輩には一度会ったことがある。よつきとは初めましてだな」
「どうもよろしくお願いします。ピークスのリーダーのよつきです」
 さらに口の端を上げた滝に対して、面を上げたよつきはすぐさま微笑み返した。うーうー唸ったままのラフトは、よつきに支えられてかろうじて立ち上がる。よつきは苦笑しながら周囲の様子を確認し、そして何かに気づいたように瞳を瞬かせた。
「考えてみると、シークレット先輩以外の神技隊のリーダーが揃ってるんですね」
 よつきの指摘にシンもはっとする。情報共有するにはちょうどよい機会だった。アースたちが再度襲ってくることは考えにくいので、そういう意味でも好都合だ。ただ話し合うのにいい場所はないが。
「そうか、青葉がいれば勢揃いってところか」
「ええ。でも青葉たちは定住してないみたいだから、合流しにくいんですよね」
 腕組みする滝に向かって、シンはそう言ってわずかに首をすくめた。アースたちのことがあるから、シークレットも気を隠していることだろう。腕時計型の通信機は、各神技隊同士で連絡を取れるようには設定されていない。皆ゲートからそう離れたところにはいないだろうと予想はできるが、手当たり次第公園を探すというのも憚られた。
「まあ、今日は諦めておこう。肝心のシークレットがいないんじゃあ、情報も限られるしな。それに、ラフト先輩もまともに話し合いができそうな感じじゃあないし」
 顔を歪めているラフトを見て、滝は瞳を細める。シンも同感だ。上からの命令が来ればシークレットが連絡をくれることになっていたが、それもまだだった。おそらく上の話し合いが難航しているのだろう。方針が決まらない限りは、シンたちはただ気をつけるしかない。
「そうですね。今後もアースたちには注意し続けるってことで。……でも気を完全に消して集まるのも考えものですかね。レーナに指摘されました」
 余裕綽々のレーナの笑顔を思い出して、シンは嘆息した。判断は難しい。中途半端に弱い気だけを残しておくというのは骨が折れるので、完全に隠しておいた方が楽なのだ。しかも万が一こちらの気を覚えられていたら、わずかにでも残していたら見つかってしまう。数回会っただけで気まで覚えてしまう記憶力の持ち主は珍しいが――その可能性を、シンは否定しきれなかった。やはり隠し続けるしかないのか。
「でも隠しておかないと、覚えられていたら大変よねぇ。どこに住んでいるかまでばれちゃったら困るわ」
 レンカも同じ考えに到ったらしい。難しい顔をして口を開いた。その通りだとシンは相槌を打つ。何せ相手は亜空間まで作ってしまう、気の察知にも優れた技使いだ。今までの常識を当てはめていたら、足下をすくわれかねない。
「そうですね。集まる時は密かに、万が一ばれても問題のない場所で」
 人目にはつかず、ばれても問題のない所などあるのだろうか? 自分の言葉に絶望的な気持ちになりながら、シンは考えた。真夜中でもない限りは難しいだろうが、そんな時間に集まることができる神技隊は限られてくる。仕事をしていないシンのような者なら問題ないが。
「そうなると……こっちも亜空間作ってみるのがいいんじゃないかしら」
「亜空間なんて作れるんですか!?」
 そこでレンカは思いも寄らぬ提案を出してきた。確かに、亜空間を生み出すことができたらそれ以上の場所はない。一般人には見つからないし、広さの懸念もなくなる。大人数でも集まれる。
「一度もやってみたことはないけれど、今の感触を思い出したらできるかもしれないわ。試してみる価値はあるわよね、滝」
 微笑んだレンカは滝へと双眸を向けた。「彼女は精神系の使い手だ」というレーナの言葉を、シンは思い出した。精神系の技というものがシンにはいまいちよくわかっていないが、そんなことまでできるのだろうか? だとしたら心強い味方だ。あらゆる局面で希望が見えてくる。
「そうだな。だがあのレーナとかいうのに見つかったら厄介だぞ、試すのも慎重にな」
「わかってる」
 念を押す滝の眼差しには、不安の色がよぎっていた。レンカが亜空間の存在に気づいたように、逆にレーナが気がつく可能性もあるのかと、再びシンの心に影が差した。今までシンが知っていた世界とは別次元の攻防が繰り広げられている。一体、何が起こっているのか。
「……わたくしたち、とんでもない方たちに狙われてしまったんですね」
 ぽつりと呟いたよつきの言葉に、シンは心底同意した。拭い去れぬ不安が少しずつ、胸の奥底に溜まり始めていた。



「梅花、待たせたわね」
 扉が開かれる気配に続いて、耳慣れた声が響いた。椅子に座り目を瞑っていた梅花は、ゆっくり瞼を持ち上げる。白い扉に手を添えている見慣れた姿も、今日はずいぶんと疲れ切っているようだった。多世界戦局専門長官――リューは、このところ大忙しと聞く。無世界で起こった謎の襲撃者の報告だけではなく、どうも上が落ち着かないせいだと、梅花は踏んでいた。宮殿の……否、『宮殿の上』のざわつきが、ずっと感じられている。
 拒絶的で冷たく無機質なこの建物は、神魔世界では宮殿と呼ばれていた。全く住み心地のよくない場所だ。壁も天井も床も全てが白。通りかかる人は誰もが口を開くことなく、いつも仕事に追われている。長い廊下に向かって数多並んだ部屋の区別は難しく、親切な案内人もいない。部外者であれば必ず迷うと言われている。長年住んでいる者であっても、この空気を忌避している人は多い。
 それでもここは神魔世界の中心だ。いや、正確には神魔世界にある地球という星の中心だった。外の星のことを梅花は知らない。遙か昔より、この星を出ることは禁じられている。もっとも、それを実現する方法などないため、許可されたところで不可能なのだが。
 梅花の目を見てリューは一瞬だけ顔をしかめると、静かに部屋の中へと入ってきた。宮殿によくある会議室の一つだが、その中でも最も狭いタイプだ。同時にいられるのはせいぜい五人が限度だろう。白い椅子と机が置かれただけの殺風景な内装は、他の部屋と大差なかった。窓がないのも気が滅入る理由の一つだ。扉が閉まりきるのを待って、梅花は口を開く。
「会議は終わったんですね」
「ええ。ようやくといったところね」
 凝りきった肩をほぐすようにリューは首を巡らせた。梅花はおもむろに立ち上がり、かろうじて微少を浮かべているリューを見上げる。きっちりまとめられた赤茶の髪も、全身を包む深い赤の長衣も、今では多世界戦局専門長官の象徴となっている。しかし、実際のところ彼女にそう多くの権限はない。三十を超えたばかりという若さのためではなく、その役職自体が『上』を代弁し、手足となるためのものだからだ。
「方針は決まったんですか?」
「梅花、あなたはラウジングさんという方に会ったことはある?」
 問いかけに問いかけで返され、梅花は頭を傾けた。リューがそのような話し方をするのは珍しかった。よほど疲れているのか、もしくは動揺しているせいか。それでも怪訝な表情を見せることなく、梅花は首を横に振った。
「いいえ、会ったことはないかと。名前は聞いたことがありますので、もしかしたら見かけたことくらいはあるのかもしれませんが」
「そう」
「上の方ですか?」
 確信を持って梅花は尋ねた。会議の直後であり、そのような言い出し方をすることから、疑いようがなかった。何よりリューの気が雄弁に語っている。上が身を乗り出してきたことに対する戸惑いと、詳細を伝えてもらえないことに対する苛立ち、それらに対する諦めの感情が、彼女の気に滲み出ていた。
「ええ、そうよ。よくわかったわね。直接確かめたいんだそうよ」
「つまり、無世界に行きたいと?」
 困惑するリューに対して、梅花は確認の問いかけを続けた。時間が掛かっていた理由はそれだったのかと、内心では素直に納得していた。誰かが行かなければならないことは、きっとすぐに決まったはずだ。それだけの大事だと上は判断している。しかし問題は、誰を行かせるかだ。『本当の上』が人手不足であることは、薄々梅花も気づいていた。
「そうなるわね。まさかそう来るとは思わなかったわ。本当に何を考えているのかしら」
「もしかして、私に案内しろってことですか?」
 一つの可能性を見つけ出し、梅花はほんの少し瞳を細めた。全てが腑に落ちたような心地になった。一方のリューはあからさまに瞠目し、それから嘆息混じりの笑顔を浮かべる。幾度となく見かけたその表情は、その度に梅花の胸を重くするものだった。喉の奥で息が詰まりそうになる。
「そうよ。あなたの察しの良さにはいつも驚かされるわね」
「わかりやすいじゃないですか。上が懸念していることなんて、いつも似たようなものですから」
 上は何かが外に漏れることを恐れている。宇宙へ出るなと禁じるのも、異世界へ飛び出すなと禁じるのも、全ては漏れるのを防ぐためだ。何かまでは梅花にもわからない。しかし異常なまでの恐怖心だった。それを防ぐためならば上はどんなものでも利用する。宮殿出身の使い勝手のよい技使いなら、なおのことそうだ。
 梅花はリューから視線を外すと、机の表面を撫でた。窓のない部屋には明かりが一つだけなのに、白い壁や床が反射するせいで全てがほの明るく輝いて見える。指先の動きに合わせて机上の影が形を変えるのを、彼女は何とはなしに見下ろした。
「騒ぎを大きくしたくはない。でも知りたいんですよ、彼らが何者なのか」
「でも、それじゃあどうしてあなたに?」
「上の方がいきなり無世界に行って、騒ぎにならないとでも? あちらって、こちらの世界よりもある意味では閉鎖的ですよ。案内人が必要なんですよ。でも私の報告だけで判断するには事が大きすぎて、直接見たいってところでしょう」
 リューから諦念と感心の眼差しが向けられていることに、梅花は気づいていた。リューにとっては、上の狙いを推測して動く梅花は異端な存在なのだろう。誰でもその気になれば、不可能なことではないと思っている。ただ、皆はそうすることが怖いのだ。ただの歯車から抜け出すことを恐れている。
「あなたって人は……上の方を何だと思っているの?」
「何も。上は上です。個人個人はどうであれ、上という固まりとしてはそうなります」
 加護のない自由とは不安定なものだ。だから皆は飛び出さないようにしているに過ぎない。独りごちながら、梅花は顔を上げた。リューは悲しさを押し殺しきれない微笑を浮かべていた。またそんな顔をさせてしまったと、梅花の胸は軋む。リューの憂いを理解したつもりではいた。
 リューたちが想像しているよりも、上は意外と寛容だ。狙いの範囲であれば何をしても目を瞑ってくれている。多少の我が儘も許される。けれども宮殿という場所はそうではない。こんなことを続けていれば息もしづらくなる。だからリューは案じてくれていた。外では宮殿と上は同一の存在と見なされているのに、面白いことだと思う。上とは、一体何なのか。どこからが上なのか。
「ラウジングさんにお会いできるのはいつですか?」
 梅花は話を戻した。こういったやりとりをするのも今に始まったことではない。それでも神技隊に選ばれてからは確実に減っていた。単純に、宮殿にいる時間が短くなったからだ。平行線を辿る問答に意味はないから、よいことだと思うことにする。リューの苦悩する時間も減るだろう。
「夕刻までには、と聞いているわ。この部屋のことを伝えておくから待機させておけって」
 今度は、リューが顔を背ける番だった。言いにくいことを無理に口にする時特有の声音で、そう告げてくる。
「わかりました」
 つまり、もうしばらくここに閉じ込められるということか。頷いた梅花はもう一度椅子に腰掛けた。何もやることがない部屋に待機というのは、おそらく普通の人間にとってはさぞ苦痛なことだろう。
 だが梅花にとっては大事な情報収集の時間だった。余計な物がないので、宮殿内の気へとずっと意識を向けることができる。上の混乱具合も把握できる。悪いことばかりではない。しかしそれを説明したところできっとリューには理解してもらえないだろうから、あえて黙っていた。リューはいつも梅花のことをかわいそうな少女だと思っている。
「……何か飲み物を持ってくるわね」
 文句が出ないことが不満だと言わんばかりに、リューは嘆息した。「ありがとうございます」と答えた梅花は、悲しみをたたえた背中を静かに見送った。

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