white minds 第一部 ―邂逅到達―

第二章「迷える技使い」3

「注意しろって言われてもなあ。どう注意しろっていうんだか。これだから上は……」
 滝は周囲へと視線を走らせる。つられて青葉ももう一度辺りを確認した。彼らがいるのはたまたま開けた場所だが、そこから幾つか細い道が続いている。どれも人とすれ違うのが精一杯という狭さだ。調査するとなると、あれらの道を行くことになるのだろう。見回した限りでは、特段変わったところはなさそうだ。
「残念ながらいつものことですね。ここで嘆いても何も解決しないので、こちらはこちらで対策しておきましょう。そうですね、たとえば何かあったら、空に向かって技でも放って合図にしましょうか。それなら少々離れていても誰かは気がつくと思います」
 困惑顔の皆に向かって、梅花はそう提案した。誰からも異論は出なかった。あの細道を通って移動するとなると、全員が一緒というわけにもいかないだろう。ならば合図くらいは決めておかなければ、いざという時に困る。
「そうだな。じゃあ隊ごとに調査ってことでいいんだろうか」
「いいと思います」
 確認する滝へと、梅花は首を縦に振ってみせた。二人の会話によって話が進んでいくのが不思議で、青葉は首を捻る。皆が途方に暮れたままでは何も始まらないので、勝手に決めてくれる分には楽なのだが。どちらかといえば、二人が真顔で話し合っているのを見ても違和感がないのが奇妙だ。すると梅花はちらりと青葉の方へと一瞥をくれてきた。
「それでは分担ですけど」
 何か言いにくそうな口ぶりで、梅花はまた滝へと視線を戻す。進むべき道が三つしかないからか? 五隊あることを考えると、悩ましいのはわかるが。
「万が一ラウジングさんが戻ってきた時にここに誰もいないと困るから、シークレットはこの辺りにしたら? 私たちスピリットは……そうねえ、あっちの道でも行ってみるから」
 躊躇った梅花を助けるように、唐突にリンが口を挟んだ。「何で勝手に決めてるんだよ」とシンが文句を言うが、彼女は意に介した様子もなく、緩やかな上り坂の方を指さしている。反論は出なかった。きょとりと小首を傾げた梅花も、曖昧な微笑を浮かべて相槌を打っている。
 青葉はリンと梅花の横顔を見比べた。快活なリンと比べると、梅花の表情の乏しさはさらに際立つ。半分でも分けてもらった方がいいんじゃないかと思うくらいだ。満足そうに頷いたリンの向こうでは、しかめ面のシンが嘆息している。
「まあいいじゃないか、シン。どこを調べるのか決めるのに時間を掛けても仕方ないだろう? それじゃあオレたちは下っていく道の一つを調べるとするかな。もう一方はピークスとフライング先輩に任せて」
 片手をひらりと振った滝が、肩を落としているシンをなだめた。何だか懐かしい光景を見ているようで、青葉は複雑な心地になる。幼い頃の記憶にはどうしてもむずがゆさがつきまとった。すると銀髪の青年が一人、滝の方へと向かって進んでくるのが見えた。
「おいおい、滝。どうしてオレたちとピークスが一緒なんだよ」
「ピークスはまだ派遣されて間もないんですから、頼みますよラフト先輩。先輩もまだ本調子じゃないでしょう?」
 分担に異を唱えた青年は、フライングのラフトだった。滝が名前を呼んでくれたおかげで把握できた。どうもフライングとストロングにはそれなりの交流があったらしい。そんな会話だ。
「何でそんなことまでわかるんだよ。本当に怖い奴だな、滝は。まーいいんだけどさー、楽できるから!」
 頭の後ろで手を組んだラフトは、にひひと笑った。あっさり納得したところをみると、深く気にする性格ではないのか。あまり神技隊では見かけない手合いだ。そういう部分も含めて選抜されているのだと思っていただけに、意外だった。もちろん面接をするわけでもないから、書面だけで判断するのには限界があるのだろうが。
「ほら、じゃあ行こうぜピークス。だらだらしてても仕方ないって」
「ちょっと待ってくださいよ」
 歩き出したラフトの後を、ピークスが慌てて追いかける。フライングの残りの面々も、仕方ないと言わんばかりにゆっくり足を踏み出した。十人もいるとそれだけで一集団だ。楽しげな鼻歌と共にラフトたちの背中が小さくなるのを、青葉は見送った。これだけ人数がいれば、何かが起こったとしても対応できるだろう。
 ストロングとスピリットも、ほぼ同時に動き出した。不満がありそうな顔の者もいるが、誰も口には出していなかった。ここに留まっていても意味がないのは理解しているのだろう。歩みはきびきびとしている。
 徐々に喧噪が遠ざかっていき、風に揺れる葉のさざめきが強調された。よく知らぬ人間に囲まれていた緊張感から解放され、青葉はため息をつく。
「慣れてるよな」
 本音も口から漏れた。辺りをきょろきょろ見回していたようが、体ごと振り向いた。それほど大きな声だっただろうか。それまで黙って皆の背を見送っていた梅花も、不思議そうに振り返る。問いかけてくる彼女の眼差しを横目に、青葉は口を開いた。
「上の無茶苦茶な要求に応えるの」
「ああ、そんなこと」
 梅花は苦笑した。そこを疑問に感じられるとは思わなかったと、珍しくも黒い瞳が語っている。普段もこれだけ明瞭に感情を伝えてくれたらいいのにと、思わざるを得なかった。
「経験した数の問題でしょう。どうってことないわ。……ラウジングさんがすぐに提案したところをみても、そもそもそういう案はあったのよ」
 梅花がわずかに目を伏せると、緩やかに結ばれた髪が揺れた。先ほどよりも風が強くなっている気がする。そんなものかと青葉は首を捻った。視界の隅では、ようがほとんど同じ仕草をしていた。サイゾウとアサキは調査の下準備とばかりに周囲へ視線を配っている。真面目だ。ぱっと見た感じでも、気を探った印象でも、おかしな所はなさそうなものだが。
「それって、おびき寄せたいとは思ってたってことー? でも来るかなー?」
 梅花の言葉を受けて、ようが逆側へと頭を傾けた。くすんだ蜂蜜色の髪が吹き込む風に揺らされる。青葉は不意にイレイの笑顔を思い出した。本当にあのそっくりさんたちはやってくるのだろうか? あまりに単純で、あからさまな作戦のように思えてならない。
「これだけわかりやすく集まっていたら、罠だって気づかれそうなものだけどね。でも来なかったら来なかったで調査は終わるから問題ないってことでしょう。そこまで上は考えているわよ」
 懸念を抱いているのは梅花も同じらしく、そう言って嘆息した。その場合、神技隊にとっては全ての苦労が無駄になるというわけだ。損しないのは上だけ。小狡いやり方だと、青葉はげんなりする。涼しい顔をしてえげつないことをしてくれる。
「さ、私たちも調査を始めましょう。振りだとしてもやらなくちゃね」
 梅花はスカートの裾を翻した。彼女の視線の先には、依然として穏やかな青空が広がっていた。



 森の中を突き進む細道を、シンたちは歩いていた。時折曲がりくねりながらも少しずつ上っているらしい。息を切らせるような傾斜ではないため、油断すると散策のような心地になる。それでもいつ襲われるかわからないため、シンは周囲へと意識を向け続けていた。道の脇に生えている草や木の形には見覚えがあるような、ないような。それらは時折吹く風に揺られるだけ。どこかに生き物がいる気配はない。
「こうして五人揃ってというのも久しぶりねー」
 先頭を行くリンの嬉しげな声が、シンの鼓膜を震わせた。颯爽と歩く彼女の後ろにはローライン、北斗、サツバの順で続いている。シンは一番最後だ。念のため後方を確認しながらの歩みである。見たところでも、気を探った感じでも、今のところ異常はなさそうだ。
「リンさんが嬉しそうだとわたくしも嬉しいですね。美しい」
 弾むような足取りのローラインは、両手を合わせてそう続けた。「美しい」だの「美しくない」だのと頻繁に口にする青年だが、その基準はいまだシンにも掴めていない。あの宮殿でも風変わりな人間として扱われてきたらしい。そんなローラインが、無世界に派遣されただけで変わるわけがなかった。
 彼は植物、とりわけ花を愛でることが好きで、狭い部屋を花だらけにしてくれたこともあった。本人には全く悪気がないのが困ったところだ。しかし仕事はきっちりこなすし意外なほど稼いでくれるし暇があれば家事も手伝ってくれるしと、邪険にも扱えないところがある。
「おいおい、目的を忘れたわけじゃあないだろうなあ」
 歩みの遅くなったローラインの背中を、北斗が押した。北斗はスピリットの良心だと、シンは思っている。真面目で常識人だが、かといって型にはまりきった頑固者ではなく融通も利く。いつも損をする役回りだと当人は述べていたが、全ては姉の仕込みらしい。何にせよ、シンにとってはありがたい存在だった。もっとも、北斗であってもローラインは止められないのだが。
「目的? どうせ来ないって。ああ、本当に何でこんなことになったんだよ。急に仕事休むとか後で何を言われるのか……」
 赤毛の髪をがりがりと掻き上げ、サツバが愚痴をこぼす。実のところ、サツバとこうして長い時間を過ごすのは久しぶりのことだった。狭いアパートでの生活を嫌った彼は、仕事仲間――親友だと称しているが――のところに転がり込んでいた。給料の大半をきっちり共通口座に入れてくれているので役目はきちんと果たしてはいる。
 しかし仕事と遊びで走り回っているサツバは、自分が神技隊であることを忘れているのではないかと思う。今日もリンにきつく言われなかったら仕事に行くつもりだったらしい。無世界での生活に一番馴染んでいるとも言えた。
「あのね、私たちは神技隊なの。仕事は生活していく手段。急なのは申し訳ないけど、緊急事態なんだからそんなこと言ってられないでしょう? 無世界生活を謳歌するのは、きっちり五年経ってからにしてよね」
 サツバの文句はリンにも届いたらしい。歩きながら肩越しに振り返った彼女は、まなじりをつり上げてそう言い放った。サツバは不満そうながらも「わかってまーす」と返事する。シンや北斗が言うと説教だと反発されるが、リンが相手だといつも比較的素直だ。彼女の方が年下なのだが。
 リンがいなかったらスピリットもばらばらであっただろうと、シンはいつも考えている。実際、昔の神技隊の中には統率がうまくいかずに実質機能しなかった隊もあるらしい。赤の他人である五人の若者が見知らぬ世界で仕事をこなすという難しさは、想像以上のものがある。かといって知り合いで固めてしまうと、ある地域から技使いが一気に減ってしまうことになる。
 神技隊を選ぶのは、ほぼ一年がかりらしかった。神技隊を派遣し終わった次の日には、次の神技隊について考える。そういう流れだろう。だから神技隊に関わることのみを目的とした多世界戦局専門部という部門が存在している。名前はいまいちわかりにくいが。
「五年かあ。ようやく三年目だもんな。半分……も経ってないんだよな」
 北斗の呟きがシンの耳にも届いた。同意したいようなしたくないような。振り返るとあっという間だったという気もするし、まだ二年しか経っていないのかとも感じる。ただ、この生活がずっと続くような気になっていたことは否めなかった。そろそろ五年経ったときのことを考えなければならない時期ではあったのに。
「そろそろ慣れてきたしと思ったところでこれだものね。本当に、何が起こる変わらないものよねぇ」
 しみじみとリンが続ける。誰にも見られていないが、シンは相槌を打った。まさかこんな亜空間に来ることになるとは思いもしなかった。こうなってしまうと、今後何が起こるかわからない。あのアースたちがいる限りは、無世界にいても安心していられない。
「ところでさっきからシンは黙ったままだけど、何かあった?」
「え? いや、何も」
 そこで突然リンから声を掛けられ、シンは慌てた。さも何かがあるような返事になってしまった。ただ考え事をしていたと言っても、疑われそうな言い回しだ。振り向いたリンの怪訝そうな視線に照れ笑いで返し、シンは耳の後ろを掻いた。何だかばつが悪い。
「それならいいけど……」
「シンさんはきっちり仕事をしているんですよ、美しい」
 言葉を濁したリンに対して、ローラインがうっとりとした口調で答えた。北斗とサツバの苦笑が続く。これで追及されることはなさそうだと、シンは密かに胸を撫で下ろした。そしてローラインが嘘つきとならないよう、また辺りに視線を巡らせる。少しずつ道を上っているが、景色は変わらなかった。ひたすら木々と草が見えるばかりだ。
「……ん?」
 だが不意に、シンは違和感を覚えた。何がどうとうまく言葉にできるものではないが、強いて言えば何かが動いた感覚だ。気だとはっきりわかる強さではないが、生き物の気配とでも言うべきか。
「今、何か気配しなかったか?」
 足を止めたシンは、すぐさま声に出して尋ねた。すぐ目の前にいたサツバが振り返り、かすかに眉根を寄せる。「真面目だな」と半ば呆れ混じりに呟かれた言葉を、シンは無視した。
「何も感じなかったか?」
「オレは何にも。気のことならリンに聞けよな」
「あ、ああ」
 不満そうに歩みを速めたサツバの背中を、シンは見つめた。気のせいだったのだろうか? 辺りへと精神を集中してみたが、それらしき気配は感じられなかった。疑心暗記にでもなっているのだろうか? この世界のどこにも気は感じられない。神技隊は全員隠してしまっているから仕方ないとはいえ、気のない世界というのは不気味に思える。
「おいこら、シン、置いていくぞー」
 そのまま立ち止まっていると、サツバの不機嫌な声が響いた。もう一度周囲を確認してから、シンは再び前方へと向き直る。道の先を行く四人の姿は、思ったよりも遠くにあった。慌てて彼は小走りする。
「仕事熱心なのはいいけど、はぐれたら洒落にならないんだからな」
「わかってるって」
 振り返りもしないサツバに、シンは頷いてみせた。サツバの向こうで北斗が苦笑しているのが、震える背中からわかる。サツバがわざとぶっきらぼうな声を出していると理解しているからだろう。いつものことだ。気遣いや厚意を素直に表現できないのは、まだ子どもといったところか。そういうシンも、サツバとは四つしか離れていないが。
 あともう少しで追いつくというところで、ひときわ強い風が吹いた。今までの微風とは違う、あらゆるもの押し流そうとする強い空気の流れだった。手を掲げて顔を庇ったシンは、その時視界の隅を黒いものがよぎったのに気づく。下草の揺れも、風によるものとしては不自然だった。はっとした彼は目を凝らす。
「今――」
 喉からこぼれた声も風に押し流されていく。道の脇へと向き直り何度か瞬きをしてみたが、黒い影がよぎった場所には何もなかった。数歩近づいてみても、草が踏まれている跡もない。視界の邪魔をする前髪を押さえながら、シンは顔をしかめた。確かに何かが動いたはずなのに。
「あそこに、何か――」
 影がいたはずの場所を指さしながら、シンは振り返った。そして絶句した。
「あ、れ?」
 間の抜けた声が漏れる。細長い道の先に、仲間たちの姿はなかった。先ほど見たのと変わらず、緩やかにうねりながらも続く道があるだけだ。遙か彼方にも人影はない。
「おい、嘘だろう?」
 思わずシンは顔を引き攣らせた。彼が立ち止まった時間はそう長くはない。全く姿が見えなくなるほど距離が開くわけがなかった。それなのに四人の背中はどこにも見あたらない。もちろん、精神を集中させてみても気は感じ取れなかった。さやさやと揺れる木々の葉が、長草が、静寂を強調している。
「冗談だろう」
 道の先へ一歩、また一歩と踏み出したシンは、意を決して駆け出した。「空間がねじれているところがある」というラウジングの説明を、今さらながら思い出す。しかし道を間違えなければ同じところに辿り着くはずだ。――空間のねじれ方が変わらなければ。
「いつアースたちが来るかわからないのに、一人ってのはまずいだろっ」
 ぼやきははっきりとした言葉にはならず、口の中だけで響いた。舗装されていない小道の走りづらさに、つい舌打ちしたくなった。

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