white minds 第一部 ―邂逅到達―

第四章「すれ違う指先」9

 ひたすら真っ直ぐ伸びる白い廊下は、あらゆる感覚を麻痺させる。途方もない時間を歩いている気分になり、ラウジングは辟易していた。気が急いている時はなおのことだ。それでも進み続けていれば目的地には辿り着く。目指していた気の持ち主がようやく視界に入るところまで来て、彼は駆け出した。細長い通路に、乾いた靴音が反響する。
「カール!」
 呼びかけた声は、意識したものよりも硬かった。そのせいだろう、振り返ったカルマラは、大きな物音に反応した小動物のように首をすくめる。若干の怯えを含んだ双眸がラウジングへ向けられた。
「あ、あー。ラ、ラウ」
 このカルマラの強ばった笑みは見慣れたものだ。一方ラウジングの表情も、彼女の瞳には馴染んだものとして映っているだろう。ある程度近づいたところで彼は速度を落とした。
「あれ? ラウジングじゃん」
 予想外な声は、カルマラの左手から放たれた。柱の影からひょこっと顔を出したのは、よく見知った青年――ミケルダだ。垂れた目を人懐っこく細めて、ひらひらと手を振っている。ラウジングは顔をしかめながら二人の前で立ち止まった。ミケルダの気が感じられなかったのは隠していたからか。
「ミケルダもいたのか」
「きゃー偶然ね、三人揃うのは久しぶり?」
「偶然じゃない、お前を捜してたんだ」
 引き攣った笑顔で普段よりも高い声を出したカルマラに、ラウジングはすげなくそう言い切る。何故捜していたのかというのは、説明する必要もないだろう。体を硬直させているところを見ると自覚はあるようだ。ついで彼女は大袈裟に右手を振りつつ、短い髪を弄り始めた。
「や、やーねー、さっき会ったばかりじゃない」
「そうだな、その時に散々忠告したはずだったんだがな」
「えー? な、何の話ー?」
「まあまあラウジング、その辺で。その話はオレが今まで散々してたからさー」
 思い切り視線を逸らすカルマラを庇ったのは、ミケルダだった。柱に寄りかかって両手を振った彼も、どうやら同じ理由でここにいたらしい。取り越し苦労だったかと、ラウジングは息を吐いた。ミケルダがしっかり「説教」してくれたのなら、慌てて駆けつけてくる必要もなかった。
「そ、そうそう。今、思いっきり、叱られてたところだから」
「そこで胸を張るな。まったく、お前って奴は」
 何故か腰に手を当てて自信たっぷりな笑みを浮かべたカルマラに、ラウジングはにべもなく言い捨てる。あれだけリシヤの森では技を使うなと言い含めておいたのに、全く効果がなかったとは。あまりの嘆かわしさに頭痛を覚えそうだった。一緒にいた人間たちの困惑顔が目に浮かぶようだ。
「で、でも! ちゃんと調べてきたから!」
「梅花ちゃんがね」
 ぱっと顔を輝かせたカルマラの言葉を、すかさずミケルダが訂正する。彼女はどこまでも変わらないらしい。これだけ長いこと同じ過ちを繰り返してきたのだから、そんなに簡単に改善するはずもないか。ラウジングは諦念の眼差しで相槌を打ってから、辺りへ視線を巡らせた。他に気は感じられない。そもそも誰かがいるのにミケルダが「説教」するわけもないか。産の神がいないだろうこんな奥の場所を選んだのは、ミケルダかもしれない。
「――ところでカール」
「あー、だからごめんなさいって。反省してるって」
「その話は終わりだ。ちゃんと聞けカール。お前、あちらでシリウス殿には会わなかったか?」
 耳を塞ごうとしたカルマラは目を丸くし、きょとんと首を傾げた。これもよく見る顔だ。彼女は反省を促される時間が終わったことに気づいたらしく、手を下ろしてぶんぶん首を横に振る。
「会えるわけないでしょ。ラウってば、宇宙がどれだけ広いかわかってるの? 偶然どこかの星で出くわすなんてことはないわよ。誰もが注目する、よっぽど大きな事件でもない限りね」
 短い髪をさらりと掻き上げ、カルマラは右の口角だけを上げた。「常識がない」とでも言いたげな、呆れた声音だ。責められる時間が終了した途端にこの態度。開き直りの早さと立ち直りの早さは折り紙付きだった。普段は迷惑この上ないが、この打たれ強さが役に立つこともたまにはある。ごく、稀に。
「そうか」
「最近は魔族もおとなしくてねー。表面的には平和そのものよ」
「表面的には」
「そ、表面的には」
 剥き出しの腕を自らぺちりと叩き、カルマラは眉間に皺を寄せた。そして黙り込んでいるミケルダへ一瞥をくれる。腕組みして柱にもたれかかっているミケルダは、微笑を浮かべ続けていた。
「裏ではもちろん動いてるわよー。ミケは聞いた? ここ数百年お騒がせしてる魔族のこと」
「いーや、何も。だってオレはこのところずっと『下』の担当だし。ラウジングだったら聞いたことくらいはあるんじゃない?」
 頭を振ったミケルダは、ラウジングへ視線を向けてくる。ここ数百年で話に上ってきている魔族と言えば、一人だけ心当たりがあった。力の乏しい魔族や好奇心旺盛な悪人たちに怪しい武器や道具を渡している者の噂なら、耳にしたことがある。
「それはあの闇商人を装った奴のことか?」
「そう、それそれ! 道具だけ渡してふわっと消えちゃうから、なかなか足取りが掴めないのよね。でもようやくシリウス様が、その尻尾を捕まえそうなのよ。包囲網がついに完成ってところ!」
 両手を組んだカルマラは瞳を輝かせた。「さすがシリウス様」と、その気も目も如実に語っている。気持ちはわからないでもないが、しかしそうなると一つ問題が生じてくる。アルティードはそのシリウスを呼び戻そうとしているところだ。
「そうか。だがそうなると少し時期が悪いかもな」
「何が?」
「アルティード殿は、シリウス殿を呼び戻すことも考慮されている」
 ラウジングは唇を引き結んだ。やはりシリウスには頼らず自分たちだけでどうにかするしかないのか。いや、しかし最も優先すべきはこの星の方だ。ここに何かがあっては全てが終わるに等しい。
「え、シリウス様が帰ってくるってこと!? やったー!」
「まだ決まったわけじゃなさそうだよ、カール。シーさんだって忙しいんだろうし」
「でもでも、この星がやられたらおしまいじゃない!?」
「やられたらって、まだそういう段階にはなってないでしょ?」
「ミケったら何でそんな呑気なこと言ってるの! あのリシヤの森の歪みを見た!? あれ、もう、ひどいわよ。今までの比じゃないわ。このままじゃあ本当に壊れちゃうのよっ」
 息巻くカルマラを、半眼になったミケルダが見つめる。その心境はラウジングにも想像できた。大事なリシヤの森にさらなる打撃を与えた張本人が口にすべき言葉ではないと、そう言いたいのだろう。しかしカルマラの言い分も理解はできる。噂の闇商人よりもリシヤの結界の方が重大だ。しかもこの件には情報提供者であるレーナが関わっている。
「カールはシーさんに会いたいだけじゃないの?」
「ちょっとミケ、ひっどーい! そればっかりじゃないわよっ」
「そればかりじゃないってことは、それもあるんだ」
「あるに決まってるでしょ。シリウス様に会えるのよ! ミケは嬉しくないって言うの!?」
「いや、そりゃあ嬉しいけど」
 このまま放っておくといつまでも口喧嘩が続きそうな気配だった。嘆息したラウジングは、胸の前で大きく手を打つ。その音は、予想していたよりも小気味よく白い空間に響いた。びくりと肩を震わせた二人が、怖々とした様子でラウジングの方を振り返る。
「二人ともいい加減にしろ」
「あー、ラウ、ごめん。はい、無駄口止めます」
「ラウジング様すみません! 肝に銘じます!」
 カクカクと首を縦に振るカルマラ、背筋を正したミケルダの声が重なった。久しぶりの再会で気が緩んでいるのかもしれないが、それにしても緩みすぎであろう。こういうところはいつになっても成長しない。……これだけ長い間同じなのだから、もうそれを望むのも無理なのか。
「カール。シリウス殿の話は、アルティード殿には伝えたのか?」
「あ、うん。戻って来た時に、一応報告しておいた」
「それならいい。後はアルティード殿の判断だ。私たちが口出しすることじゃあない」
 そう、最終的に判断するのはアルティードだ。自分たちはその判断材料を提供するしかない。アルティードの相談相手になろうなどと、おこがましいことを考えてはいけない。知識も経験も何もかもが自分たちには不足している。
「そ、そうだね」
 カルマラは力なく首を縦に振った。しょぼくれたその頭を、仕方なくラウジングは撫でる。いつになっても彼らの立場は変わらない。多くの者が失われていった大戦は過去のものとなったはずなのに、その時とほとんど同じだった。未熟で、頼りにならぬ、若造のままだ。それでも必死に手足となれるよう動かなければならなかった。
「落ち込んでも仕方がない。私たちは結局、本気で仕掛けてくる奴らの相手をしてないのだからな」
 慰めの言葉は、自分に対する言い訳でもある。ミケルダの何とも言いがたい視線を感じつつ、ラウジングは奥歯を噛んだ。はったりでも虚勢でもかまわない、強くならなければ。今は歯がゆさに振り回されている場合ではなかった。



 物がほとんどない白い部屋というのは残念ながら見慣れていたが、しかしこの広さのものは見たことがなかった。中を覗き込んだ青葉は、取り繕うことも忘れて顔をしかめる。本来は大会議でも行う場所なんだろうか。今夜ここに泊まらなければならないのかと考えるだけで気分は沈む一方だった。一体、どうしてこんなことになってしまったのか。
「ついにシークレット先輩も仲間入りですか」
 扉を開けて出迎えてくれたよつきが、微苦笑を浮かべる。彼の後ろには、大量の毛布を運んでいるコブシたちの姿がある。この部屋にいるのはフライング、ピークスの男性陣だ。そこに青葉たちが加わることになる。
「ああ、ここで待機だとさ。どうして上って奴はオレたちのことを拘束したがるんだろうな」
 青葉が中に入ると、アサキ、よう、サイゾウが続く。第五北棟の奥に位置するこの部屋は、どうやら普段は使われていないらしかった。そもそもこの棟自体が普段は使用されていないのだろう。有事の際の建物といったところなのか。
「慎重で、かつ横暴なんですよ。こんな所で寝泊まりすると、体の節々が痛くなります」
 足下へ一瞥をくれたよつきは、首を回した。冷たく硬い床は、いくら毛布にくるまったところで寝心地がよいはずもないだろう。よくよつきたちは耐えているものだ。
「女の子はいないの?」
「ああ、女性の部屋は隣なんです。もう少し小さいみたいですね」
 青葉の後ろからひょこりとようが顔を出した。よつきは相槌を打ちながら、近づいてきたコブシから毛布を一枚受け取る。見たところそれなりの大きさだが薄っぺらい。青葉がため息を吐いていると、横から同じような毛布が突き出された。顔だけ向けると、ラフトが意地の悪い笑顔で立っている。
「ほら、お前の分」
「ありがとうございます、ラフト先輩」
「おーすげぇな。オレの名前覚えてたのか」
「覚えてますよ。フライング先輩のリーダーなんて、まず最初に覚えるところでしょう」
 悪戯っぽく瞳を輝かせたラフトは、確か青葉よりも六歳ほど年上だったはずだ。しかしそうとは思えない童顔に言動がとかく印象に残りやすい。青葉は苦笑いしながら毛布を受け取った。
「違いますか?」
「まあ、リーダーは覚えるよな。オレもよつきや青葉は覚えてるぞ。あと、アサキも覚えた!」
 深々と首を縦に振ったラフトは、何故か自慢げに胸を張った。逆に言えば、他の面々は記憶していないということか。何と返答すべきか言葉に詰まっていると、後ろでクスクスと笑い声がする。アサキだ。
「一度にたくさんの名前を覚えるのは、大変でぇーすよねぇ」
「そうだろそうだろ。名前覚えても顔と一致しなくてなー」
 そんな会話が繰り広げられているうちに、毛布は全ての神技隊に行き渡ったようだった。もう一度部屋の中を見回すと、ますます顔が曇りそうになる。本当に何もない。殺風景にも程があった。一体いつまでここにいなければならないのか、考えたくもない。
「青葉先輩は、これからどうなるのか何か聞いてますか?」
「え? いや、詳しいことは。ただ、どうも結界修復のために大人数が必要そうだとかそんな不吉なことを耳にしたくらいだな」
「それは確かにかなり不吉ですね」
 青葉が繕うことなく答えると、よつきの顔に疲れが浮かんだ。ひたすらこの宮殿で待ちくたびれている彼らに、全く情報が行き届いていないとは。つくづくひどい扱いだ。上の無慈悲な対応にはそろそろ我慢ならない。
「じゃあ、梅花先輩はもしかして……」
「一旦無世界に戻って他の神技隊の招集準備だとさ。使い走りもいいところだよな」
 上は梅花のことを機械か何かだと思っているのだろうか? そうとしか言い様のない仕事の押しつけ方だ。彼女がよく「これくらいは大丈夫」と口にしていた理由が実感できる。何かある度に上が彼女をこのように酷使していたのだとしたら、そう思うのも無理はないのか。
「じゃあ、こちらで神技隊集合ってことになるんですね」
 嘆息したよつきは、ふと深刻そうな表情を浮かべた。落胆とも諦念とも違う、何か言い難いことを抱えている時に人が浮かべる眼差しだ。彼の気もそれを裏付けている。突然どうしたのかと青葉が首を捻ると、よつきは辺りを見回してから青葉を横目に見た。ラフトたちが半分ふざけながら談笑している声が響く。
「青葉先輩、一つ確認していいですか?」
 思い切った様子で口を開いたよつきに、青葉は頷いてみせた。そんなに聞きづらいことなのか。周りを気にしているようだが、ラフトたちの会話に阻まれて他の仲間までは届いていないだろう。昔どれだけ馬鹿なことをしたのかという武勇伝に笑い声が混じっている。
「レーナさんたちは、青葉先輩たちのことをオリジナルって呼んでましたよね」
 一呼吸置き、よつきはそう続けた。青葉はもう一度首を縦に振る。正確に言うと、そう呼ばれていたのは梅花だけだった気もするが。口にしていたのがレーナのみだったからだろうか? 彼女は頻繁に「オリジナル」と呼んでいる。それも実に親しげに。
「つまり、先輩たちのことを認識してるし、何らかの関わりがあると。それで同じ容姿となると――」
「まさか、えーとなんだ、クローンじゃないかって疑ってるのか?」
 よつきが何を言いたかったのか、青葉も思い至った。つい少しだけ声が大きくなる。遺伝情報を利用して全く同じ姿形の個体を作り出す技術があり、それがクローンと呼ばれていたことは、青葉も知っている。けれども、少なくとも神魔世界では、それは発展しなかった。問題点は幾つもあれど、研究していく利点が乏しかったからだ。そこまで頑張らなくても大概のことは技でどうにかなってしまう。それなら治癒の技をどう利用していくか工夫していった方が手っ取り早い。
「何か色々問題があったとかで、禁止されたんだろう? まあ、百歩譲ってクローンだったとしても、それで同じような技使いになるわけがない」
 それに、結局はこの疑問点に辿り着く。どうやったら技使いとなるのかいまだ明らかにはされていない。ひょっとすると、このまま永遠の謎となるのかもしれない。いつか忽然と技使いが生まれなくなるのではと危惧していた人々もいたらしいが、幸か不幸かそのような予兆はなく、こうして今も技使いは存在し続けている。
 どうすれば技使いが生まれるのか、どうすれば強くなるのか。それがわかったら一大発見どころの騒ぎではないだろう。それを望むのが正しいのかすら、青葉には何も言えない。誰もが強い技使いとして生まれることを夢見ている世界だ。万が一方法がわかってしまったら、争いの火種にもなる。
「まあ、そうなんですよね。ただ……レーナさんたちは、わたくしたちの常識を遙かに超えたところにいますから」
 曖昧に頷いたよつきは、そこで一旦言葉を切った。つと逸らされた視線を追うように、青葉も右手を見る。お泊まり会をする子どものごとくはしゃいでいるラフトたちの姿が、何だか遠かった。反響する賑やかなやりとりに、よつきのため息はすぐ掻き消される。
「もしかしたら、この世界のどこかに、人工的に技使いを作り出す術があるのかもしれません」
 よつきの発言は、ひどく不気味に青葉の耳に残った。背筋を這い上がってくる嫌な感情を振り捨てるよう、「まさか」と彼は笑った。

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