white minds 第二部 ―疑念機密―
第三章「誰かのための苦い口実」１２
「単に、ミスカーテのような大物ではない奴ということだ。お前たちはかなり運が悪い。いきなりあんなのと対峙させられて、対処しろって言われてもぴんとこないだろう？ だから平均的な力の魔族と戦って、自信を取り戻し、地に足着けてもらう。それは五腹心が本格的に動き出す前の方がいい」
立てた人差し指を軽快に振りつつ、レーナは朗らかに言った。シリウスは苦笑しながら相槌を打っている。ということは、神技隊が運が悪いというのには同意見なのだろう。
「そのためには、イーストが部下を動かしやすい状況を作るしかない。あいつはきっと地球の情報も欲しがっている。故にこちらに誰をどのくらい送り込むべきか、悩んでいるところだろう」
レーナが何を言いたいのか、朧気ながら滝にも掴めてきた。読み合いというのは、相手の癖を参考に駆け引きするということか。できるだけこちらに有利な状況を作り出すために策を練るのか。
「なるほど、そこで私が動くタイミングか」
どうやらレーナの意図はシリウスにも伝わったようだ。白い壁から背を離し、彼は合点がいったとばかりに眼を見開いた。滝の中でも全てが繋がった。レーナはシリウスへと一瞥をくれ、首肯する。
「うん。申し子と直属殺しがいるこの状況では、イーストはたぶん普通の魔族は送り込みづらいだろう。強者を入れるか、人数を増やすしかなくなる。だからすぐには動けない。しかし、それではこちらが困るんだ」
レーナはそう続けたが、滝には耳慣れない名称があった。そういえば、先ほども彼女は口にしていた。今の流れからすると一方はシリウスのことになるはずだが。
「……申し子と直属殺し？」
「ああ、魔族が使う異称だ。われが申し子。正確に言うと我々だが、アスファルトの申し子という意味だ。イーストはこちらの表現の方を好んでいる。直属殺しはそっち」
レーナはびしりとシリウスの方を指さした。シリウスはうろんげにその指を見遣ったが、否定はしなかった。
「五腹心の直属と呼ばれる魔族を葬りまくっていたから、そう呼ばれるようになったらしい」
「葬りまくってはいないが、印象の問題だろう。私は好きではない」
そう答えたシリウスはしかめ面だ。直属というと、あのミスカーテ級の魔族を殺してきたということなのか。滝は何だか不思議な心地になる。要するに、この二人は魔族からしても要注意人物ということなのだろう。それがこうしてこんな場所で軽口を叩き合っているというのはどういう状況だろうか。
「話が逸れたな。だからイーストが宇宙を騒がしくしている理由の一つは、おそらくそこだ。シリウスが宇宙の様子を見に行く。地球の戦力が減る。そうなれば、罠かもしれないとわかっていてもイーストは動く。誰かを向かわせなければならないことに変わりがないなら、できるだけ部下が減らない可能性があるタイミングを見逃すはずがないんだ」
レーナの流暢な説明に、滝は首を縦に振った。やはり、当初想定していた戦いとは別種のものが待ち受けているらしい。こちらの戦力は圧倒的に少ないが、その中で最善を尽くす方法を模索しなければならないのだ。――故郷で生き残るために。
「……すごい読み合いだな」
「これからはこの繰り返しだ。こちらは順当に場数を踏みながら五腹心を迎え撃つ必要がある。そしてそれまでの間は、できるだけわれは表では戦わない方がいいと考えている」
そこで飛び出した思わぬ発言に、滝は言葉を失った。それはシリウスも同様のようだった。いや、思い当たる理由があるのか、何か言いたげに片眉を跳ね上げている。そんな横顔を尻目に、滝は頭を傾けた。
「どういうことだ？」
「われが以前のように全力が出せないことに気づかれないためだ。イーストが恐れているのは、かつてのわれだろうから」
レーナはこともなげに説明したが、滝は一瞬耳を疑った。何を言われているのかわからなかった。全力が出せない？ では今の彼女は全力ではないのか？
「言っておくが、私が知っているかつてのこいつは馬鹿みたいな強さだったからな。今の比ではない」
滝の当惑が伝わったらしく、そう付言したシリウスは苦笑する。ではシリウスが牽制したかったのもかつてのレーナだったのか？ 昔の彼女は一体どれだけの強さだったのだろう。まさか、過去の戦績でもって周囲を警戒させていたとは。
「隠していても仕方がないので正直に話しておくが、今のわれは一度に使える精神量が制限されている状態だ。たぶん、引き出しすぎるとオリジナルへの影響が強すぎるからだ。だからオリジナルにも強くなってもらう必要がある。場数を踏みたいというのは、そういう意味もある」
レーナの言葉に鼓動が跳ねた。神技隊を強くしたいのは、そういう理由もあるのか。
そのためには、自分たちの力だけで魔族を倒さなければならない。滝は密かに拳を握った。意識の奥底で、彼女を頼みの綱としていたことを自覚させられたような心地になる。
いざとなればと考えるのは甘えだ。とにかく少しでも強く、まずは自分の命を自分で守れるように。普通の魔族ならば相手できるようにならなければ、いずれ彼らは負ける。
「だから大会なのか？」
滝は静かに問いかけた。実戦経験という意味では、魔族の前にまず技使いだ。
「そうだ」
「その案なら、皆が賛成してくれた。大半は乗り気だ」
一番伝えたかった件を口にして、滝は息を吐いた。実際に大会を行うならどうすべきかという点を含めて意見をもらいたかったのだが、ますます身が引き締まる思いになる。単なる催しでも遊びでもない。そこには明確な目的がある。
「そうか、よかった。では大会が終わる頃にシリウスに離脱してもらうのがちょうどよいかもしれないな。その前に焦れてイーストが動けば、それはそれで幸いだが」
白いテーブルをこつりと指先で叩き、レーナは口角を上げた。そしてゆっくりシリウスの方へと双眸を向ける。それでよいのかと、まるで確かめるように。半ば呆れた顔で、それでいてどこか満足そうな目をして、シリウスは首を縦に振った。
「検討しておこう。宇宙の被害がどの程度なのかは、一度は確かめなければならないからな。だがうるさいのはジーリュたちだ。少し算段が必要だな」
「だろうなぁ。われ、警戒されているから」
まるで他人事のようにくすくすと笑うレーナを、やはりシリウスはなんとも言えぬ眼差しで見つめた。滝は握りしめていた拳を解き、そっと瞳をすがめた。
扉が開く音と共に、ジュリが食堂へと顔を出す。のんびりとお茶をすすっていたリンは、ついと顔を上げた。夜も深まるこの時刻に食堂にいる者は少ない。今はリンとサホ、よつきが休憩しているだけだ。
「皆さんすみません、手伝っていただいて」
「メユリちゃんは？」
「寝ました。疲れてるんでしょう」
首を横に振りつつ、ゆったりとジュリが近づいてくる。そう口にするジュリの顔にも若干の疲労が滲んでいた。先ほどまではしゃいで基地の中を歩き回っていた幼い少女のことを、リンは脳裏に描く。
メユリはジュリの妹だ。夕食後、人がまばらになる時間を見計らって、ジュリがウィンから連れてきた。初めての場所に初めての人だらけで、適応力の高い少女とはいえさすがに疲れ切ったはずだ。まだ十歳なのだし当然だった。
つい先ほどまで、リンたちは基地内の案内を手伝っていた。ジュリと二人で回るよりも心強いだろうと思ってのことだ。特にリンとサホはメユリにとっても馴染みの顔だ。よつきが一緒についてきたのはいささか不思議だったが。ピークスのリーダーとしての責任でも感じているのだろうか？
「ジュリもお茶いる？」
「いただけます？」
「あ、私淹れてきます」
ジュリが答えるや否や、サホがすっくと立ち上がった。美しい銀の髪を揺らしてぱたぱたと厨房の方へ向かっていく後ろ姿を、リンはなんとはなしに見送る。
メユリもそうだが、サホもつい先日この基地にやってきたばかりだ。思うところもあるだろうし段々くたびれてくる頃だと思うが、そんな素振りを一切見せていなかった。これは気が抜けた時にどっと疲れが出る確率が高い。注意しなければ。
「よつきさんまですみません」
「いや、いいんですよ。わたくしは当然のことをしたまでです」
席に着いたジュリがぺこりと頭を下げれば、よつきは悠然と首を横に振った。リンはそんな二人を横目にカップに唇を寄せる。この二人の関係も面白い。ただの信頼関係とも違う、持ちつ持たれつな印象がある。
お茶を口に含むと、慣れた味が口内に広がった。体が温まると言われる、ウィンではよく飲まれている茶葉だ。先日購入をお願いしておいたのだが、早速出番が来た。これならサホたちも落ち着くだろう。
「そういえばリンさん。リンさんはもう二人組の組み合わせって決まったんですよね？」
そこで突然何かを思い出したように、ずいとジュリが身を乗り出してきた。急にどうしたのかと眼を見開いたリンは、こくりと首を縦に振る。
サホたちゲットが早く来てくれたことで、曖昧となっていた二人組の決定を急ぐこととなった。それは見張り体制のためでもあるし、「大会」開催のためでもある。にわかに基地内が騒がしくなったのもそれが原因だ。
「うん」
「シン先輩ですよね？」
「そうだけど？」
「……よかった」
心底安堵したように頬を緩めるジュリを、リンはまじまじと見つめた。一体ジュリは何を懸念していたのだろう。テーブルに置いたカップの縁を指でなぞりつつ、リンは首を捻る。
「何がよかったのよ」
誰と組めば一番力が発揮できるのか、それくらいリンもわかっている。もちろん、自分にとっての最善が相手にとっての最善でない可能性も考えている。とはいえ、やはり気心が知れた仲というのが一番楽だ。なんといっても二年以上も一緒にいたのだ。
「いえ、何でもないです。それが順当だと思います」
ジュリはこの話題は終わりとばかりににこりと微笑んだ。こういう態度をとる時は、追及しようとしても無意味であることをリンは学んでいる。ジュリの根本は頑固だ。仕方なくリンは諦めることにした。
「そういうジュリは？」
そして話題の中心を変えた。ジュリの戦い方についてなら、リンはよく知っているつもりだった。比較的どんな役割でもそつなくこなすところはあるが、接近戦が不得意なのはリンと同様だ。ならばそこを補える者と組んだ方がよいのか。それとも後方支援重視で組むべきなのか？ 案は色々とある。
「当然、わたくしですよリン先輩」
口を挟んだのは、それまで黙っていたよつきだ。何故か自慢げな声音だった。ぱちりと瞬きをしたリンは、ゆっくりとよつきの方を見る。
なるほど、だからよつきはこんなところまで付き添ってきたのだろうか。――いや、別に二人組になったからといって、ずっと行動を共にしなければならないわけではない。パートナーではないのだし。
「と、よつきさんが押してきますので仕方なく。私は別に誰でもいいんですけど」
一方のジュリは、自身の組み合わせには興味がないようだった。リンのことは気にかけるのに、自分はどうでもいいというのがジュリらしい。
メユリに関してもそうだ。自分の荷物はほとんど持ち込んでいなかったのに、メユリのための荷物は大量だった。あまりの大きさだったので、慌ててリンたちも手伝った。空を飛んでここまで来ることはできても、あの量の荷物を抱えて階段を上るのはきつい。
「あなたたちって面白いわよね。まあ、同じ神技隊で組めるならその方が手っ取り早いわよねぇ。奇数だからどうしても他の隊と組む人は出ちゃうんだけど」
頬杖をついたところで、コップを持ってやってくるサホの姿が見えた。ふわふわとした白いスカートを揺らしながら近づいてくるサホは、果たしてもう二人組を決めたのか？ にわかに気になってくる。
「はい、ジュリさん。お茶です。少し濃いめにしてみました」
「あ、すみません。わざわざありがとうございます」
ジュリの前にカップを置いて、サホはおもむろに席に着く。そんなサホの横顔へと、リンは一瞥をくれた。数年会っていないうちに、またずいぶんと大人びたように見える。白い頬も青い瞳も変わらないのに、眼差しにいっそう力がある。