white minds 第二部 ―疑念機密―
第三章「誰かのための苦い口実」15
「ところで、あいつはさっきからあそこで何をしてるんだ?」
と、シリウスは何か腑に落ちないと言いたげに首を捻った。そうか、レーナが審判をしていることを彼は知らないのか。いや、それを神技隊が受け入れたことが信じられないのかもしれない。
「あ、レーナのことですか? 審判です。殺しそうになったら止めてくれるんだそうです」
するとリンは笑いながら手をひらりと振った。物騒な単語が飛び出したせいか、ミケルダが眼を見開くのが視界に入る。
「負けたくないなら本気でやれって。レーナの実力が信じられないなら手加減してもいいけど……でもそれをこの大会でやっても意味ないですもんねぇ。負けず嫌いさんには効果覿面ですよ。彼女の目論見通りになってます。ずるいですよね」
相槌を打ちつつリンは楽しげに笑う。彼女自身はそう思っていないような口ぶりだ。
レーナが神技隊を守ろうとしていたのは、誰もがわかっていたことだが。それをそのまますんなり受け入れるかどうかは、各自に任されているようなものだった。それがこの大会でこんな風に表面化するというのは、ずいぶん皮肉な話だし、またとんでもない策とも言える。
「レーナちゃんの腕を信じないと、ぎりぎりの戦いで負けるかもしれないのか。それはすごい脅しだね」
「おかげで変な遠慮はなくなりましたよ。誰にだって、負けたくない人っていうのはいますからね」
シンは表情には出さず喫驚した。リンがそんな発言をするところを初めて耳にするような気がした。彼女にもそういった相手がいたのだろうか? そのような話は耳にしたことがなかった。
「ほら、あのアキセの顔を見てくださいよ」
ついでリンはこっそり左手の方を指さした。彼女に倣って、シンも左方を見る。そこには先日やってきたばかりのアキセ、サホの姿があった。特にアキセは真剣な眼差しをしている。頬にかかった艶やかな黒髪の向こうで、戦況を見据えながら何を思っているのだろう。
よつきと仲が悪いのかと心配したが、どうもそういう単純なものではないらしい。要するに腐れ縁なのか。力が拮抗した技使い、それも年の近い者がいた場合、こじれる場合というのは噂にも聞いている。
「よつきは天敵なんですって。だから武器を作ってもらう時、かなり相談を繰り返したみたいなんです。よつきのと同じようなものじゃ駄目だって。だからあの変わった銃なんですよ」
「あれも銃なの?」
リンの説明に、ミケルダはさらに喫驚した。アキセの手にあるのは、銃というよりは何か鈍器のように見えた。楕円を半分に割ったような銀色の物体に、取っ手がついているといった様相だ。
「遠距離用の武器という意味では。私、その辺の用語はわかんないんですけど。あれは精神を込めた金属の球を打ち出すんだそうですが、それを自分で操るんですよ。土系の技の応用だそうです」
目を丸くするミケルダへと、リンはすらすらと説明する。そんなことまで掴んでいるのか。試合がこれからである相手にそこまで喋ってよいのかとも思ったが、今後味方として戦っていくのだからそういった特徴くらいは把握しておいた方がよいのか? ここが難しいところだ。
「レーナとの打ち合わせを横で聞いていたので、その辺はばっちりですよ」
リンがそう言うと同時に、白い世界にばちりと大きな音が響き渡った。先ほどの高音とは違う。はっとしたシンは顔を上げた。途端、全ての時間が止まったかのような錯覚に陥った。ざわめきさえ途絶える。
「そこまでだな」
ごくわずかに輝く透明な細い筋が、よつきの銃に絡みついていた。そのちょうど真向かいには、尻餅をついたラフトの姿がある。
透明な筋を辿っていけば、そこにはレーナの手があった。どうやら勝負がついたらしい。
「あれは、何系ですか?」
シンは思わずその透明な筋を指さし、シリウスの方へと顔を向けた。まるで見えない鞭のようだ。よつきとジュリが勝ったのはわかるが、しかしあんな技は見たことがなかった。今までは大概、結界で敗者を守っていた。
「精神系と破壊系の中間だな」
「それって物理的に武器を止められるんですか?」
「破壊系の技で建物が破壊されたのを見たことがないか? 精神系では無理だが、破壊系なら可能だ。もっとも、破壊せずに動きを止める程度の力加減というのは難しい」
シリウスはなんてことないような口ぶりだったが、それでも微苦笑を浮かべていた。
レーナの実力が自分たちよりも遙かに上であることは理解していたつもりだが、しかしシンたちが想像できる範疇のものではないのかもしれない。では、そのレーナが苦戦したあのミスカーテという魔族の力はいかほどなのか。
ぞくりと背を伝う冷たい感触に、シンは思わず固唾を呑む。本当にこんな大会で実力をつけることができるのか? 何度か浮かび上がっては打ち消してきた疑問が、再び脳裏をよぎった。
「滝にい、差し入れだって」
中央制御室の扉が開くと同時に、そんな声が飛び込んできた。椅子に腰掛けたまま首だけで振り返った滝は、軽く手を上げる。
「レンカからか?」
「そうっす。夜食というか」
青葉が手にしているトレーには小さな手籠と大きなカップが乗っている。籠の中には小ぶりなパンが入っているようだった。カップの中身は珈琲だろうか? 嗅ぎ慣れた落ち着く香りが漂ってくる。
トレーへと一度視線を落とした青葉は、そのままゆっくり近づいてきた。
「まさか滝にい、ずっと食べてないんすか?」
「そんなわけないだろう。今夜はたまたま時間がなかったんだ」
「また相談事? 滝にいも忙しいっすね」
近寄ってきた青葉がずいとトレーを差し出してくる。滝は苦笑をこぼしながらそれを受け取った。
中央制御室には入れ替わり立ち替わり誰かが来ているが、ちょうど先ほどカエリが出て行ったところだ。大会が始まってからはそのめまぐるしさが加速している。皆が自分に何が不足しているのか気づき始めたからかもしれない。
「そうはいってもレーナほどではないだろ。武器の調整依頼が殺到中だって?」
「現金な話っすけど、誰だって負けるのは嫌ですからね。滝にいは連戦連勝だからその必要性は感じないかもしれないけど」
籠の中をのぞき込みつつ、滝は片眉を跳ね上げた。それはつまり、青葉自身も調整が必要だと感じているということか? 珍しい。あまり得物にこだわらないのが青葉の特徴だと思っていた。何でも器用に使いこなしてしまうことが多い。
「そうか? 青葉のところだって負けてないだろ」
「まあ、滝にいのところ以外はね」
両手が自由になった青葉はその手を肩辺りまで持ち上げて振ってみせる。滝は右の口角を上げた。
青葉と当たったのはもう五日も前のことになる。今思い出してもずいぶんと厳しい戦いだったが、さらに辛かったのはその翌日がシン・リンの組との対戦だったことだ。
対戦順は最初にくじ引きで決められたのだが、あれを確認した時はさすがに運を呪いたい気分になった。誰かの嫌がらせにしてもあからさますぎるくらいだ。
「でも、明日はシンにいとなんすよ」
滝が遠い目をしていると、苦みの滲む青葉の声が鼓膜を震わせた。「ああ」と滝は気のない声を漏らす。そう言われれば、昼間やってきたダンやミツバがしきりに騒いでいた。いわゆる注目の一戦という奴だ。
「因縁の対決か。ずっと五分五分だっただろ?」
「まあ。だから絶対に負けたくないんだけど。でもあっちにはリン先輩がいるからなぁ」
「何言ってるんだ。お前には梅花がいるだろ」
驚きすぎてトレーを傾けそうになり、滝は目を丸くした。耳を疑いたくなる。まさか青葉が梅花の実力を評価していないとは思えないのだが。
シンと青葉のどちらが強いのかというのは、明確な決着がついていなかった。互いの体調や環境に左右される部分も大きい。
そしてある程度の年齢になってからは、さすがに全力で戦うということもなくなった。そんなことが起きれば周囲への被害も尋常ではなかったし、青葉があちこち放浪するようになったせいもある。
現在の二人の力がどの程度なのかは滝にも判断がつかない。滝にとっては双方が強敵だ。
「リンも強いが、梅花だって強いだろ」
「そりゃあ。……でもオレは梅花には無理させたくないんですよ」
何を言い出すのかと思えば、そういう懸念か。そっと顔を背けた青葉の横顔を、滝は複雑な思いで見る。
その気持ちがわからないわけではない。ともすれば無茶をしがちな梅花に「絶対に勝つぞ」という意気込みを見せるのは、やはり躊躇われるのだろう。
しかしだからといって、彼女が負けてもよいなどと考えているとは到底思えない。少なくとも滝の目にはそう映らなかった。そうでなければ、滝たちがあんなに追い詰められることもなかった。
「でも梅花だって強くなりたいんじゃないのか?」
「強くなるのと無理をするのは違いますって」
「まあな」
ふてくされたような青葉の横顔に、滝はかける言葉を探す。今までの梅花の行動を振り返れば、心配する気持ちは理解できる。自分の限界というものを意識せずに動く少女だから、周りが気遣わねばと思ってしまうのもわかる。
しかしそれではいつまでたっても彼女自身が気づけない。
「だが過保護はよくないと思うぞ」
「な、なんですかその過保護って!?」
そう告げれば、むっとしたように振り返った青葉がさらに一歩詰め寄ってきた。けれども本気で怒っていないのは明かなので、滝は意にも介さない。激怒した時の青葉の形相はこんな程度ではすまない。滝は鷹揚と首を縦に振った。
「過保護だろ。大体、お前が先回りしちゃ意味がない」
「それは……そうかもしれないですけど……」
膝にトレーを置いた滝は、笑いながらパンを一つ手に取った。ベーコンが挟んである簡素な調理パンだが、夜も更けてきたことを考えると十分だろう。口元へ運べば、香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。
「そもそも梅花は自分のために自分を守ろうとはしないだろうしな」
率直な感想を述べながらパンにかじりつけば、青葉は不思議そうに眉をひそめた。どうやら滝が言いたいことは伝わらなかったらしい。元々の理解が悪いわけではないから、梅花のこととなると周囲も見えなくなるせいだろう。
「それ、どういう意味です?」
「それくらい自分で考えろ」
「……滝にいはいつでも俯瞰で物事考えられていいですねぇ」
突き放してやれば、恨めしげな一言が返ってきた。滝は失笑する。
いつでもだなんてことはない。どんな時でもそんな風に振る舞えているわけがなかった。ただ動揺を気取られないように繕うやり方を、人より多く持っているだけだ。滝はパンを咀嚼すると同時に、苦いものも飲み込む。
「それは当事者じゃないだけだろ」
そう答えた滝は、噂の人物がこちらへと近づいてきていることに気がついた。先ほどまでは食堂にいたはずだが、何か用だろうか? 梅花の気は真っ直ぐこちらへ向かってきている。
この方向には中央制御室か出入り口くらいしか存在しない。それは青葉にもわかったのだろう。彼が複雑そうな顔をするのを横目に、滝は相好を崩した。
「噂をすればだな」
まさかこの時間に外に出るつもりはないだろう。つまり、用があるのは二人のどちらかということになる。もしくは中央制御室の機能の確認か。
滝はカップを手に取り珈琲をすすった。彼女の用が何であれ、これで青葉がうだうだ言うことはなくなる。試合は明日なのだから、何をどう考えたところでさほど時間はないのに、今さら変なところで躊躇しているのが不思議だ。
と、かすかな空気の動きと共に扉が開いた。髪を揺らしながら入室してきた梅花は、滝たちの視線に一瞬目を丸くする。まさか自分の話題が出ていたとはつゆほども考えていないだろうが、それでも奇妙な空気は感じ取ったらしい。
「お話中……でしたか?」
「いや、雑談」
首を捻る梅花に、滝と青葉はほぼ同時にそう答えた。梅花は再び怪訝そうな気を漂わせながらも、おずおずと近づいてくる。やはりどこか違和感を覚えるようだ。
「そうですか。取り込み中だったら申し訳ないと思ったんだけど。あのね、青葉」
「え? オレ?」
すると話しかけられた青葉は、虚を突かれたように声をうわずらせた。何故だか用があるのは自分ではないと思い込んでいたらしい。