ウィスタリア
第四章 第三話「祈りは届いた」
部屋を出たゼイツたちは、そのままセレイラを連れて奥の棟の廊下を歩いた。そして地下の広間へと続く隠し階段を下り、巨大な穴を目指す。かつて穴掘り作業をしていた頃、何度もゼイツが行き来したのと同じ道順だ。あの時のことが何だか遠い日の出来事のようで、不思議な心地になる。禁忌の力について探ろうとしていた頃は、まさかこんなことになるとは思いもしなかった。
道中、誰もが無言だった。ラディアスやウルナは余計な情報を与えまいとしているのか、単なる道案内に徹している。最後尾をついて行くゼイツは、ただひたすら彼らの背中を観察しながら歩いた。硬い靴音が反響し合い、居心地の悪さを強調する。ついどうでもよい話をして、沈黙を打ち破りたい衝動に駆られた。
地下の通路でも、広間でも、セレイラは興味深そうにあちらこちらへ視線を彷徨わせていた。それは好奇心に溢れた子どものようでもあり、また何かを値踏みする大人のようでもあった。彼女は彼女で捉え所のない人間だとゼイツは考える。不思議な女性だ。疑われていることも信頼されていないこともものともしない姿勢には、半ば脱帽していた。
薄暗い地下道から地上へ出ると、日差しの強さに目がくらんだ。しかしそれだけ快晴ではあっても、巨大な穴の底はひんやりとしていた。何より雪が積もっているのが、ゼイツが知っている頃との大きな違いだ。足が埋もれてしまうのではとはじめは心配したが、どうも下の方はしっかりと凍っているらしく、ふくらはぎ程度ですむのは幸いだった。おかげでゼイツもさほど足をとられることなく進むことができる。
セレイラは大丈夫かと少し心配したが、彼女の方がしっかりとした歩調だった。イルーオに雪は降るのだろうか? ゼイツは他の星について何も聞いていないことに、今さらながら気がつく。
緩やかな風に煽られた雪の粉を払いながら、ゼイツたちは横穴の入り口へと向かった。冷え切った空気が肌に痛い。まだ日が沈むまで時間はあるが、横穴まで陽光は差し込んでいなかった。山奥の古びた洞窟のように、黒い穴がぽっかりと口を開けている。彼らは無言のまま、その入り口の前で立ち止まった。ラディアスが顔をしかめたのがゼイツの目に映る。
「――思ったよりも暗いな」
「そうね。明かりいる?」
瞳をすがめてぼやいたラディアスに、最初に反応したのはセレイラだった。彼女は上着の腰の辺りをまさぐると、手のひらほどの機械を取り出す。見慣れない白っぽい金属の、小さな箱のようだった。しかし彼女が脇にあるボタンを押すと、箱自体が輝き始める。中に光源があるのか? 彼女は箱についている紐を左手に握ると、それを前へと掲げた。
「よし、壊れてない壊れてない!」
満足そうに笑うセレイラを、ゼイツたちは複雑な思いで見やる。このような機器を躊躇せず使うことができる時点で、技術力の差は明らかだ。改めて、『外』がいかに進んでいるかを思い知らされ、ゼイツは喫驚した。しかしだからといってここで立ち止まっているわけにもいかず、何も言わずに彼らは歩き始める。
明かりに照らされた横穴の中には何もなかった。冷たい岩と土が広がっているだけで、小動物の気配もない。虫も這い出していない。その奥には、目的である白い戦艦があった。それはゼイツの身長の二倍ほどだけ、岩壁の中から突き出している。煌々とした光がある分、以前にも増して異様な光景に思えた。何故こんな物がこんな所に埋まっているのかと、理性が疑問を投げかけてくる。
横穴の中程まで進んだところで、ラディアスは立ち止まった。ゼイツもウルナも足を止めた。これ以上近づいてはならないと本能が警告しているようで、その場に縫い止められる。しかしセレイラだけは違った。戦艦に引き寄せられるようにそのまま歩を進め、白い船体を仰ぎ見る。いつだったか、カーパルがふらつきながら近づいた時のことを思わせる様相だった。戦艦のすぐ傍まで辿り着くと、セレイラは右手を伸ばす。
「すごいわ」
囁いた声が、穴の中で反響した。艶やかな戦艦で跳ね返ったのか、不思議な響き方だった。セレイラはそのまま船体を神妙に撫でる。彼女の動きに合わせて、左手に持った明かりが揺れた。地面に焼き付いた彼女の影も不自然に歪む。
「あの時の戦艦よ、間違いないわ」
セレイラは独りごちた。「あの時」という響きに確固たる強さが滲んでおり、ゼイツは首を傾げる。横にいるウルナとラディアスの様子をうかがうと、やはり怪訝そうな顔をしていた。けれども気軽に尋ねるような関係でもないため、誰も問いかけることができない。
「ちゃんとアースに辿り着いていたなんて」
しばらく、セレイラは感慨に浸っていた。ゼイツたちはひたすらその場に立ち尽くしていた。丹念に戦艦の機体を確認するセレイラの姿を、じっと見守るのみだ。彼女がどんな顔をしているのかはわからない。しかし、おそらく真剣なのだろうとゼイツは予測する。口出しのできない空気を纏いながら、彼女は戦艦を向き合っていた。
そうやってどれくらい経っただろうか? ようやく現実に戻ってきたのか、セレイラがやおら振り返った。その顔に張り付いていたのは喜びだった。爛々とした瞳の輝きは、明かりによるものだけではないだろう。これだけはつらつとした表情をゼイツは初めて見たかもしれない。セレイラは一度大きく頷き、満足そうに口角を上げた。
「まるで奇跡ね! 予想はしていたけれど信じられない。本当に同じだわ」
「な、何がですか?」
唐突に放たれた言葉に、思わずゼイツはそう返していた。脈絡がない。セレイラの頭の中では繋がっているのかもしれないが、ゼイツたちには通じない。しかし今のはあまりに率直な反応だっただろうかと、ゼイツは内心で焦った。それでも幸いなことにセレイラは意に介した様子もなく、大仰に首を縦に振る。
「これはあの時の戦艦、私がイルーオで見た戦艦と同じなのよ」
そう断言され、ゼイツは瞳を瞬かせた。それから眉をひそめ、記憶を掘り起こす。ニーミナにあった戦艦は、確か突如として消え、そして戻ってきたと聞いた。その間に、おそらく他の星に行っていたのだろうという予測も。
「まさか……」
ゼイツと同じ事実を思い出したのか、隣でラディアスが声を漏らす。もしも突然姿を消したこの戦艦が、イルーオに辿り着いていたのだとしたら? イルーオの人間がそれに気づいたのだとしたら? 急速に断片から全体像が見えてきて、ゼイツは固唾を呑んだ。
「あれは三年以上前のことだったかしら。ある日突然、イルーオのドームの外に、宇宙船が現れたの。それも第一期の戦艦よ!」
説明するセレイラの声に力が入った。握られた右手の拳が彼女の興奮具合を表している。上気した頬が明かりに照らされ、なおいっそう生き生きとして見えた。言葉を挟めないゼイツはただ瞳を細める。この時になってようやく、彼女が研究者であるという話に実感が湧いた。しかも義務で行っているのではなく、自らの興味から調べている類だ。
「ホワイティング合金でできた戦艦が、この世界に幾つもあってたまるものですか! 本当にアースに戻っていたなんて奇跡でしょうっ。だって航路も何も設定していなかったのよ! ただ乗っただけなのよ!」
熱のこもったセレイラの言葉が、横穴の中に響く。彼女は完全に自分の世界に入り込んでしまったようだった。また肩越しに戦艦を振り仰ぐと、子どものようにはしゃぎ出す。落ち着きのなくなったクロミオを思い起こさせる様相だった。これが知り合いだったら、ゼイツは迷わず苦笑しているだろう。
「ほら見てよこの艶! どれだけの年月を重ねても色褪せない輝き! 傷だってほとんど見あたらないわっ。ああ、もう一度この姿を目にすることができるなんて夢みたい。私ったら、研究者としてこの上なく恵まれてるわ。羨ましがられるわ」
話しかけてきているのかも定かでない。カーパルと言葉を交わしていた強気な女性と、同一人物とは思えなかった。このままセレイラが踊り出しても、ゼイツは自分の目を疑わない。できるなら今すぐ彼女がイルーオで見たという戦艦の話を聞きたかったが、落ち着くまで待った方がよさそうだった。これ以上脈絡のない話を聞かされても困るだけだ。ラディアスやウルナも同様の考えなのか、先ほどから黙している。
「全部ホワイティング合金でできてるのかしら? あの時は確かめる時間なんてなかったけれど、もしそうだったらすごいことだわ! 希少なんていう問題じゃないわよね! うーん、でもこんなに埋もれていたらわからないわね。入り口も見えないし」
もやは完全に独り言だった。ゼイツたちを置いてけぼりにして、セレイラは自身の研究世界に浸っている。かろうじてゼイツにも把握できるのは、この戦艦が宇宙から来た研究者にとっても珍しい物だということだ。時から取り残されたかのような船体を見ると納得はできる。これは他の宇宙船とは一線を画している。
「ああ、ごめんなさい。つい夢中になっちゃって」
そこでようやく、セレイラは『こちら側』へと戻ってきた。揺れた明かりを右手で押さえ、彼女ははにかむ。落ち着きを取り戻した茶色の双眸を、ゼイツはじっと見つめた。できたらその向こう側に何があるのか見極めたかった。だが彼が何かを掴むより先に、彼女は彼らの顔を順繰りと見回し始める。
「えーと、話の途中だったわね。私がアースへ飛び立つことを無理にでも進めたのは、この宇宙船に出会ったのがきっかけだったのよ」
セレイラは神妙な口調で説明し始めた。先ほど垣間見えた幼さはもうどこにもない。先日のカーパルを思い起こさせる声音が、穴の中に響く。もう一度白い船体を仰いで、彼女は胡桃色の髪を背へ追いやった。ゼイツは先ほど口にしたのと同様の疑問を、もう一度舌へと乗せる。
「この戦艦が、イルーオに?」
「そう、突然姿を現したの。――小さな男の子を乗せてね」
ゼイツたちへと視線を戻し、セレイラは真っ直ぐ頷いた。たっぷり間を置いて告げられた内容から、ゼイツはラディアスたちの話を思い返す。確か、少年を乗せて消えた戦艦が、再びニーミナへと戻ってきたと言っていた。ただし、帰ってきた時には記憶を失っていたと。セレイラの説明はこれに矛盾しない。
「その子がいたから、この宇宙船がアースから来たってわかったのよ。驚いたわ。アースの人間がどうなってるのか誰も知らなかったもの。でもそこにはまだ人がいて、そしてその星にはまだ未知なるものが眠ってるってことがわかった。しかも第一期の遺産。私たちにとっては歴史的な発見だわ」
「――一つ聞きたいことがあります」
そこで唐突にラディアスが割り込んだ。ゼイツの鼓動が跳ねるほどに、ある種の威圧感を纏った響きだった。一方で、低く抑えられた声には警戒心も滲んでいる。ゼイツはラディアスの硬い横顔へと一瞥をくれた。まだラディアスはセレイラのことを疑っているのか? そうだとしても、表面的には取り繕った方がよいと思うのだが。
「この戦艦は、ある日突然戻ってきた。あなたの話と合わせると、イルーオから帰ってきたことになります」
「そうね、どこかに寄り道でもしていなければそうなるわ」
「何があったんですか? ここにいる人間には、この戦艦に実際に何が起こったのか見た者がいない。あなたたちは見たのですか?」
ラディアスは探るような目つきで尋ねた。ゼイツたちの方へと体ごと向き直ったセレイラは、カーパルと対していた時と同様に底知れぬ研究者の顔で、静かに首を縦に振る。手にした明かりが揺れ、胡桃色の髪によって瞳が陰った。二人のやりとりを、ゼイツは息を呑みながら見守った。踏み込んだラディアスへと、セレイラはどう答えるのか?
「ええ、見たわ。この宇宙船が実際に消えるところを。私はこの目ではっきりと見たわ」
セレイラは、拒絶しなかった。ごまかしもしなかった。その時の光景をまざまざと思い出しているのか、たおやかに口角が上がる。面を上げた彼女の双眸には、力強さが宿っていた。その血色のよい唇から、悠然と言葉が紡ぎ出される。
「祈りは届いた。この宇宙船を光が包み込み、そして瞬く間に消え失せたところを、私たちは目にしているの。中に乗っていたわけじゃあないから、そこで何が起こったのかはわからない。でも消えたところは見たわ。だからこれが第一期の宇宙船であると、なお確信したのよ」
セレイラの話が本当であれば、皆の予測通りこの戦艦は空間転移したことになる。そんなことが可能なのは、現時点でわかっている限りでは、女神の力を利用した遺産だけだ。それはゼイツにも理解できる。その後の時代の物には、それだけの技術力はない。ゼイツはセレイラから戦艦へと視線をずらした。錆一つ見あたらない艶やかな白い船体には、一体何が秘められているのか。
「だから私たちは宇宙船が消えた後、その正体を突き止めようとしたのよ。こんな物が存在しているなんて、今まで聞いたこともなかったからね。でもどこをどう調べても、ほとんど情報は得られなかった。第一期の記録は、残念なことにイルーオでも少ないの。この船のことじゃないかと思われる記述は、青の男が死ぬ前に、異世界へと移動する際に使われた乗り物のことくらいだったわ」
「だから、確かめに来たのですか?」
問いかけるラディアスの声は、先ほどよりも納得の色を含んでいた。ゼイツはラディアスとセレイラを交互に見る。ずっとウルナが黙しているのが気にはなるが、なかなか口を挟めないのはゼイツも同じなのであえて声を掛けるのもよくないか。そう深くは心配しないことにする。
ただ、それでもこの話の行方については心がざわついていた。セレイラの目的は徐々にわかってきた。彼女が戦艦を実際に見たことを知ったために、カーパルはここへ来ることを許可したのだろう。そう予測もできた。しかし安心しきれないのは、ウルナが研究に協力する気でいると聞いたからだろうか。この状況で、緑石について調べることにどれだけ意味があるのか? ウルナは行かなくてもよいのではないか?
ゼイツは一度ウルナへと一瞥をくれた。彼女はじっとその場にたたずみ、両手を前で組んでいた。視線はずっと戦艦へと向けられたまま固定されているようだ。彼女が今何を考えているのか、彼には想像もできない。ぐっと息を詰め、彼は顔を背けた。そして相槌を打つセレイラを横目に見る。
「ええ、そうよ。アースには第一期の記録もまだ眠っているはずだしね。人がいるなら、何か一つでも得る物はあるでしょう。もう何百年も音沙汰なしだったから、古代兵器の使い方でも間違って絶滅しちゃったんじゃないかって心配してたんだけど、そうじゃなかったってわかったんだし」
さらに説明を付け加えて、セレイラは悪戯っぽく笑った。先日も似たようなことを言われたが、どうやら地球人は滅んだのではと疑われていたようだ。単に宇宙へ出て行く方法を失っただけだが、そのせいでこんな勘違いが生まれていたとは。内情が把握できないと勝手に想像を巡らせるのはどこも同じらしいと、ゼイツは内心で苦笑する。何と滑稽なことか。
「信号を送ってもまともに返ってこないしねー」
「それは、申し訳ない」
「ううん、気にしないで。仕方がないわ。この星はどの時代でも取り残されがちだからね。距離があるものだから」
取り繕うように謝ったラディアスへと、セレイラはあいている右手をひらりと振ってそう言った。深い茶色の瞳の向こうに不可思議な光が見えた気がして、ゼイツは固唾を呑む。やはり彼女の真意も知れない。悪い人間ではないと思うが、何かを隠しているようにも感じた。それとも、彼には見えない世界が彼女の前には立ち現れているのか?
「アースは女神たちの舞台となった星。だから私も、これでも敬意を払っているのよ? 本当は研究協力を求めるのも許されていないんだけど、上のご老人たちを無理やり説得して来たの。協力してくれるのならば、私たちは物資でも技術でもできる範囲で提供するわ。先ほどの話し合いではそう伝えてきた」
セレイラは右手で自らの胸を叩く。彼女が背負っているものについて、ゼイツは思いを馳せた。生まれ育った星を発ち見知らぬ場所へと赴く意味について考える。彼女も危険な橋を渡っているのだろうか? ある種の覚悟が垣間見え、ゼイツは唇を引き結んだ。この若い女性がカーパルと相対することができる所以を理解した気がする。するとそれまで黙していたウルナが、静かに一歩前へ踏み出すのが視界の隅に映った。
「あなたは、その研究のために全てを捨てるつもりで来たのですか?」
尋ねるウルナの声には、いっさい感情が滲んでいなかった。視線を向けてみても、横顔だけでは表情は曖昧だ。だがわずかだか先ほどよりも強ばっているように思える。彼女の両親が研究者であったことを、不意にゼイツは思い出した。まさかまた彼女を刺激してしまったのではないか? 胸の奥にさざ波が広がる。
「気分を害してしまったかしら? そんな自暴自棄みたいに言わないで。長年かけて積み重ねてきたものを、試す機会が来ただけよ。ある時は思い切ってみないと駄目なのよ。怯えているだけでは欲しい物なんて手に入らない。踏み込んでみないと得られないものもある。そのための準備を、私はずっと続けてきた。だから私は私の可能性を信じてるの」
自信に満ちあふれたセレイラの言葉が、横穴の中でこだまする。こんな『異境の星』に乗り込んでくるだけのことはある、力強い姿勢だった。ゼイツはちらりとまたウルナへと一瞥をくれた。驚いたことに、ウルナは柔らかく微笑んでいるようだった。静かに相槌を打つ様子からは、安堵の色がうかがえる。今まで聞いたことがないほど穏やかな声が、彼の鼓膜を震わせた。
「そうなのですね」
「やるだけのことはやったわ。後は会議でどんな結論が出るか待つだけね。こればかりは、私の力ではどうにもならないから」
肩をすくめたセレイラは、もう一度戦艦へと双眸を向けた。ゼイツも彼女に倣ってそれを見上げる。時の流れと無縁の存在は、ただ静かに土壁の中に埋もれたままだった。それでも全てを見守る女神のような存在感が、確かにそこにはあった。