エッセンシャル技使い

第一話 「厄介な依頼人」

「ここに技使い殿はいらっしゃいますか!?」
 突然、野太い男の声が食堂に響き渡った。スプーンを咥えたまま振り返った僕は、扉の前にいる大男を見やる。彼の視線は、何かを値踏みするように室内をうろついていた。土汚れの目立つその上着は、体躯に合っていないのか突っ張っている。身なりと双眸が不釣り合いな、ちぐはぐな印象だ。
「ここに技使い殿がいらっしゃると、先ほどパネッターさんからうかがいました」
 男は少しだけ声を落とした。静まりかえった部屋には妙な緊張感が漂っている。僕は椅子に腰掛けたまま足をぶらぶらとさせ、眉根を寄せた。パネッターという名前には覚えがある。お喋り好きな、この小さな町唯一の武器屋だ。僕も昨日掘り出し物を求めて顔を出したばかりだった。余所から来た技使いであれば大抵一度は武器屋に寄り、めぼしい物を探したり情報収集を試みる。この男はそれを知っていたのだろうか?
「あのおっさん、もう喋りやがった」
 スプーンを離した僕の口から、つい舌打ちが漏れそうになった。情報を収入源にもしている類の人間だろうから、いつかはばれるとわかってはいる。でもいくらなんでも早すぎだ。その辺の微妙なさじ加減も武器屋の才能の一つなのに。
 僕が技使いだと知れ渡ったら、この町に長居はできない。定住しないいわゆる『流れの技使い』を便利屋扱いする人間は多い。害獣を駆除しろという細々とした仕事から、荒くれ者を追い払えだとか怪しい事件を解決しろとかいう、面倒な依頼が舞い込むことも珍しくない。
 そして噂が噂を呼び、それらは増える一方となるのだ。技使いがどんな『技』を使えるのかどうかまでは、大概考えてくれない。そんな場所ではのんびりとなんてしていられなかった。適当に稼いでさっさと別の町に行こう。僕は渋々と手を挙げた。
「……え?」
 大男は間の抜けた声を上げた。予想通り、喫驚した表情だった。これだから嫌だ。薄汚れた茶色いマントですっぽりと体を覆った僕は、傍目には相当頼りない子どもに見えるのだろう。大概こんな反応をされる。慣れたから腹立つのも馬鹿馬鹿しくなったけど、いまだに気分はよくなかった。自然と額に皺が寄ってしまう。
「技使い殿が、三人……?」
 しかし次の瞬間、予想もしなかった言葉が鼓膜を震わせた。「三人」と僕は口の中で呟く。そして慌てて部屋の中へと視線を走らせた。確かに、反応していたのは僕だけではなかった。壁際の席で白髪のじいさんが一人立ち上がり、笑みを浮かべている。背は僕と同じくらいで高くない。白い艶やかな長衣はぱっと見た限りでも上質そうで、それなりの収入を維持していることがうかがえる。
 もう一人は、奥の暖炉の傍で片手を挙げている青年だった。額に布を巻き、黒を基調とした衣服に身を包んでいる。腰から短剣をぶら下げているところが実にそれらしい。面倒ごとに首を突っ込み、荒稼ぎしている人間に違いなかった。
「気づかなかった」
 僕は瞳を瞬かせて、辺りの気配へと意識を向けた。じいさんからも青年からも、他の人間よりも少しだけ強い『気』が感じられる。嘘を吐いているわけではないみたいだ。今まで僕が気がつかなかったのは、その差がほんのわずかだったからか。――弱い技使いなのか、それとも『気』を隠しているのかは定かではない。そもそもこんな小さな町に、技使いが複数人立ち寄っているなんて珍しかった。
 こんなことなら手を挙げなければよかった。この二人のどちらかに仕事を押しつけて、その間にこの町を出ればよかった。僕が技使いだってわかるのは同じ技使いの人間か、そうでなければ武器屋だけだ。技使いには『気』で悟られてしまうが、こちらが名乗らない限りは一般人にはわからない。手を挙げなかったらごまかせたに違いなかった。
 ――いや、まだ間に合う。子どもの振りをしてやり過ごせば、どうにかなるかもしれない。幸いにもこの容姿だ。僕はできる限り気弱な顔を作って大男の方を見やった。
「あの――」
「そうか、技使い殿がこんなに! これは天が与えてくれた機会か!」
 けれども僕の言葉は、大男の輝かんばかりの笑顔の前に阻まれた。有無を言わさぬ語調だった。これは関わり合いになってはならない類の人間だと、直感が告げる。男は短い茶髪を片手で整えてから、大きく口の端を上げた。
「礼なら弾みます。もちろん、お三方に。ですから一度話だけでも聞いてください。お願いします」
 案の定、大男は勝手に話を切り出した。反応してしまった技使い以外の人間は、自分たちには関係のない話題だと言わんばかりに、一斉に食事に戻り出す。食器とスプーンの奏でる甲高い音が、再び質素な部屋の中を満たし始めた。
 ここから逃げるのは至難の業だった。話を聞くだけで帰してもらえるかどうか。押しつける相手がいれば、うまくいくだろうか? 僕はもう一度じいさんと青年を盗み見る。割のいい仕事を選んでいないと、流れの技使いなんてやっていられない。特に僕のような人間は。
「話だけならオレはかまわないぜ」
「私もかまわぬ。時間だけはたっぷりとあるからな」
 想像していたよりも快活な青年の声、そして楽しげなじいさんの声が食堂に響いた。僕は表情を変えずに頭を傾けるだけにする。どうしたらこの大男から逃れることができるのか。巻き込むなと言わんばかりの他の客の視線が刺々しい。できたらそちら側に混ぜて欲しい。
「それはよかった! ここのお代は私が持ちますので、どうかまずはお話だけでも」
 さらに瞳を輝かせた大男に向かって、僕は大きく首を縦に振ってみせた。そうくるなら話は別だった。この町で唯一まともな食事がとれるこの食堂は、まるでぼったくりのようなのだ。味は悪くないが、とにかく高い。この町に長居したくないもう一つの理由でもあった。僕の寂しい懐にはずいぶんな痛手となり得る。この出費を回避できるのなら、話くらい聞いてやろう。僕がゆっくり席を立つと、茶色いマントがささくれ立った椅子の背を撫でた。
「これだから技使いは」
 誰かがそう漏らしたぼやきは、聞かない振りをした。悪態を吐かれることには、残念ながら慣れてしまっていた。



 木々の間を通り抜けた先、草原の向こうに、僕らが目指す大きな建物はあった。地味な星の小さな町のはずれにある物としては、不釣り合いとしか言い様がない。黒に近い灰色の壁は、殺風景な林に馴染んでいるようでいて馴染みきれていない。一般人が近寄らないのもわかる話だった。こんな建物に入りたいと思う人間は、好奇心旺盛な馬鹿だけだ。
「ほう、これはまた」
 僕の隣で白髪じいさん――サンテイスじいさんが嬉しそうな声を上げた。お金にも困っていないらしいこのじいさんは、どうも暇つぶしのためだけに旅を続けているようだった。珍しい物には目がないらしく、今回の依頼にも一切文句を言わなかった。まさしく好奇心だけで突き進む馬鹿の典型だ。もっとも、それを可能とするだけの実力があるという証でもある。実際の年齢は知らないが、ここまでの道のりも苦ではなさそうだった。
「訓練所とか言ってたっけ? それにしては物騒な建物だよなあ。でかいし。それに妙なくらいに静かだ」
 続けて斜め後ろにいた青年――カイキがそう言ってため息を吐く。依頼時には強気な姿勢を見せていたのに、もうぼやきとは。嫌ならこんな仕事なんて引き受けなければよかったんだ。面倒そうな依頼なんだから、そうしたって誰も責めたりはしない。
「怖じ気づいたか? 若造」
「誰もそんなこと言ってないだろ、サンテイスさん」
「はっはっは、お前さんがいてもいなくても私の取り分は変わらないからな。気兼ねすることはないぞ」
「本当に自信満々なじいさんだ……」
 胸を張って笑うサンテイスじいさんに、カイキはうろんげな視線を向けた。でも実のところ、僕だってカイキと似たような心境だった。あの大男――町長さんは、小さな町の依頼としては破格とも言える金額を、躊躇いもなく提示してきた。怪しくとも魅力的な数字だ。大層もてなされ気が大きくなっていたこともあり、僕もつい勢いで受けてしまった。
 しかし実際の建物を目にすると冷静になるものだ。これは、たぶん、引き受けるべきではなかった依頼だ。どうも嫌な予感がする。流れの技使いとして面倒ごとに巻き込まれ続けていると、自然とそういう勘が働くようになるのだ。これは駄目、あれはまし等々。カイキが同じようなものを感じていたとしても、不思議ではない。
「お前さんも遠慮せず帰っていいからな、トロンカ」
 そう思っているだけに、狼狽える様子のないサンテイスじいさんには脱帽する。これも経験からくる自信なんだろうか? 僕は苦笑いしながら首を横に振った。
「まさか。それだとここまで歩き損じゃない」
 技使い訓練所を名乗る施設を調べて欲しい。それが今回の依頼内容だった。潜入して帰ってくるだけでいい。聞いた限りでは楽そうな仕事だが、それには理由があった。訓練所に行った技使いが帰ってこないのだそうだ。
 はじめはこの町やその近隣に住む技使いが、実力を上げるために通っていた。町の人々も、それを歓迎していた。だがいつしか技使いは帰ってこなくなり、人々は困るようになった。それを見かねて町長さんは、流れの技使いを見つけては調査を依頼するようになった。しかし、その技使いたちも誰一人として戻って来ていない。この建物の中で何かが起こっている。それは明白だった。
「余裕だな、坊ちゃん」
「別に、余裕なんてないよ。でも依頼は依頼さ」
 僕は鼻を鳴らした。いつも通りの勘違いについては、訂正はしない。生意気な少年扱いされるのは慣れていた。茶色いマントのフードを正して、僕はカイキへと一瞥をくれる。
「とりあえず、建物の周りから調べてみる?」
「そうだな。できたら裏口でもあればいいんだが」
 訓練所を見上げながら、カイキは頷いた。僕は顔をしかめて腕組みをする。二階建て程度の高さではあるが、やたら広いので平べったい印象を受ける。玄関と思われる扉は、ここからでも既によく見えた。それでもやけに閉鎖的に思えるのは、大きさの割に窓が少ないためか。しかものぞき込まれないようにという配慮なのか、高い位置に取り付けられていた。僕では背伸びをしても到底届かなさそうだ。
「裏口なんてあるのかなあ?」
「普通は避難経路くらい用意するだろう。しかし、これだけの物を作るのに、周りを切り開かなかったのか。いつ作られたのやら」
 僕のぼやきに、サンテイスじいさんがそう続けた。考えてみると、この訓練所がいつからあるのか聞いていなかった。元々は別の何かに利用されていたのか? まるで人目を避けるようにたたずんでいる姿には、何か意図を感じてしまう。
 こういうのは厄介なんだ。必要な情報を話さない依頼人が、実は共犯者だったという説も考えなくてはいけない。流れの技使いなんて身元不明とほぼ同じだから、手荒く扱われてしまうことも皆無ではなかった。ただ実際に問題が起きた時、強いのは明らかに技使いの方だ。だから表立って喧嘩を売ってくる一般人はまずいない。
 炎や風を、水を自在に操ることができる『技』。『技』を使うことができるのが『技使い』。単純な命名だ。しかしどうしたら技使いになれるのか、どういう人間が強い技使いとなるのかは、わかってはいない。技が使えるかどうかは生まれた段階で決まっているみたいだけど、だからといって技使いの子が技使いになるとも限らなかった。技使いではない夫婦から技使いの子どもが生まれることもある。本当に謎だ。
 マントの陰で、僕は拳を握った。僕の両親は技使いではなかった。それどころか近くに技使いは誰もいなかった。恐れ、疎まれ、それでいて都合良く利用された僕は、十歳の誕生日を迎えると同時に住み慣れた村を飛び出した。
 技使いが歓迎されるかどうかは、近くに技使いがどの程度いるかに掛かっていると言っても間違いではない。手に負えない力なんて恐怖の対象でしかないんだ。この町の技使いは幸いにも、嫌われていなかったみたいだけど。
「それにしても愛想がない建物だな、訓練所だからって、こんな牢獄みたいな壁にしなくてもいいのに」
 カイキの言葉で、僕の思考は現実へと立ち戻った。草むらを分け入るようにして、彼はずんずんと訓練所の方へ進んでいた。僕は慌てて歩調を速めると、草を避けつつ彼の背中を追う。そのさらに後ろから、のんびりサンテイスじいさんがついてくる気配があった。
 場違いなくらいに艶やかなカイキの黒髪が、微風に乗って揺れている。肩に届かない長さで切り揃えられているそれは、普通の女の子からすれば羨望の対象となるのかもしれない。ぎりぎりの生活を送っていることが多い流れの技使いとしては珍しい。それだけ懐に余裕があるのか、実力があるのかは、僕にはまだ判断できなかった。
 技使いの実力は、傍目にはわからない。力の源である『精神』の量は外に表れる『気』と比例すると言うけれど、それは『気』を隠していない状態での話だ。流れの技使いであるならば、少しは隠す。強さを誇示するのは気持ちいいかもしれないけれど、それ以上に面倒ごとが増えてしまうからだ。
「はっはっは、技使いの牢獄か。恐ろしい場所だなあ」
「サンテイスさん、そりゃまた冗談でもない」
「誰一人帰ってこないのだから、的外れでもあるまい? 帰ってもいいのだぞ若造?」
「帰らねえって。こんなところで帰ったら、後で何を言われるか……」
 僕を挟んでカイキとサンテイスじいさんが軽口を叩き合っている。緊張感をごまかしているつもりなんだろうか? 馴れ合いは嫌いだ。やばそうな仕事だから協力はするけど、いざとなったら僕だけでも逃げ帰るつもりだ。技使い同士だからって理由で仲良くなりたがる人間もいるが、僕は違う。どうせまた離れ離れになるのに、心をかけても意味がない。
「坊ちゃんも遠慮するなよ」
「――してないよ」
 サンテイスじいさんの楽しそうな声に、僕は投げやりに返答する。そして建物を仰いだ。ひたすら暗い灰色の壁が続いているばかりで、何の変化もない。このまま建物に沿って歩いていても、裏口なんかは見つけられそうになかった。外を一周しちゃったら、正々堂々と正面から入るしかないのか。訓練するのだから外での演習みたいなこともやっているのかと思っていたのに。いや、もしかしたらこれだけの建物だから、中庭があるのかも。
「しかし何でこんな訓練所なんて怪しい場所に集まっちゃったかなあ」
 不意に、前方でカイキが首を捻った。僕は何も言わなかった。予想はできる。すると後ろでサンテイスじいさんがまた大笑いした。本当によく笑う老人だ。あまりに自信に満ち溢れているから、もう腹も立たない。
「本当にお前さんは若造だな。誰もが強くなりたいと思うのは当然だろう?」
「こんな怪しい施設に頼ってか?」
「藁にも縋りたい思いに駆られることも、時にはあるだろう」
「オレには理解できないね。よくわからなくて、個性も強くて、どうして使えるのかさえわかってないものを、どうやって鍛えるんだか」
 カイキは肩をすくめた。どちらの言い分も理解はできた。色々やってみてようやく「自分でどうにかするしかない」って気づくのが普通だろう。僕が得意なのは補助系と言われる技の類であって、攻撃力に関しては心許ない。ただし応用が利く。工夫すれば色々な場面で役立つ。もちろん、自分なりの技の使い方を身につけるまでは時間が掛かった。
「その近道が、経験者の話だ。実体験だ」
 サンテイスじいさんが神妙な語り口で続けた。こんな風に『技』について誰かの意見を聞いたのは、久しぶりな気がした。技使いと会話するのも久しぶりかもしれない。流れの技使いなんてみんな孤独だ。雇われ人になっている者もいるが、しがらみが厄介みたいだし。少なくとも僕の趣味ではない。
「近道ねえ。それで、一つ相談なんだが、堂々と玄関から入っちまわない?」
 唐突に、カイキが振り返った。艶やかな黒髪と、額に巻かれている灰色の布の端が、緩やかな風に乗る。僕は片眉を跳ね上げた。
「堂々と?」
「このまま進んでも裏口なんて見つかる気がしねえし、一周するのにも時間が掛かりそうだし。いっそのことならさ」
「なるほど、時間を掛けすぎて夜になるのはまずいという判断かな、若造」
「そうそう! 誰かに見つかったら、入会希望とか言っておけばいいんじゃないか? 今でも一応、技使いを募集してるんだろう? 流れの技使いになるために、ってな」
 カイキは、僕とサンテイスじいさんの顔を交互に見つめる。それがこの訓練所の謳い文句だった。『あなたもこれで流れの技使いに』だとか『一稼ぎしてみませんか』だとか、笑っちゃう文章が並んでいた。流れの技使いに必要なのは、強さじゃない。こんなところで訓練して得られるものじゃあないのに。しかも僕らは既に流れの技使いだから、なおさらおかしかった。でもまあ、それらしい言い訳ができるのは悪いことじゃあないだろう。

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