エッセンシャル技使い

第二話 「金髪美少女はどうでしょう」

「賛成。こんな場所に長居したくないしね」
 僕は首を縦に振った。サンテイスじいさんも反対はしなかった。皆この仕事を早く終わらせたいんだ。踵を返したカイキの後を、僕らはまたついていく。風に煽られうるさく騒ぎ出したマントを、僕は手で押さえた。先日適当に切ったばかりの前髪も、目の前でゆらゆら揺れている。元々は艶やかな栗毛だったのに、今や見る影もないくらいにぱさついていた。旅を始めてしまったからには仕方がないことだ。
 元来た道を歩いていくと、一度は通り過ぎた入り口が見えてきた。大男が二人は同時に入れる大きな扉は、壁よりも少しだけ薄い灰色だ。僕の力では押し開けるのが難しそうな重厚感を漂わせている。拒絶感、と言ってもいいかもしれない。カイキはそれをしばらく観察してから、おもむろに手で押した。錆び付いた音と共にゆっくり扉が開く。幸いにも鍵は掛かっていなかったようだ。
「お邪魔しますー」
 小声で囁きながら、カイキは中へと足を踏み入れる。僕とサンテイスじいさんもすぐに続いた。三人の靴音が建物の中に硬く響く。まず見えたのは、殺風景な広間だった。天井が高いから息苦しさは覚えないが、それでも独特の圧迫感が充満している。壁のせいか、それとも湿気のこもったひんやりとした空気のせいか。
「受付の人間はいないみたいだな」
 カイキの言う通り、広間の奥にあるカウンターは無人だった。明かりが灯されていないせいで、高い位置にある窓から差し込む日差しだけが光源となっている。それも曇り空のため弱々しい。冷気を放つ灰色の壁が、かすかに照らされる程度だ。
「不親切だなあ」
「もしかしてもう募集してないとか?」
「十分に訓練生は集まったということか。……それにしては静かだがな」
 サンテイスじいさんの言葉に、僕は頷いた。寒々とした建物の中で聞こえるのは僕らの会話だけで、人の気配がない。でも意識を集中させて『気』を探ってみると、誰もいないというわけではないようだ。この広間の先、長々と続く廊下の向こうには、弱々しいけれども『気』がある。
「まさかお昼寝中ってか?」
 カイキが笑いながら肩をすくめた。冗談にしては面白くない。僕は苦笑を漏らすと頭を振った。茶色いマントが揺れ、くたびれたその裾が膝をこする。
「馬鹿なこと言ってないで。それよりお仕事だろう?」
 鼻を鳴らした僕は、微笑むサンテイスじいさんを横目に歩き出した。お昼寝じゃあなくて永遠の眠りだったら洒落にならない。いや、『気』が感じられるってことは生きているのか。まさか閉じ込められている? そうだとしたらどうして?
 できる限り足音を殺していても、安心なんてできなかった。僕は『気』を隠すのが下手な方だ。ここが技使いの訓練所を名乗るのなら、教えている方も鍛えられている方も技使いだろう。どんなに注意を払っても『気』を隠せないなら意味がなかった。こちらの存在には気づかれていると思った方がいい。
「焦るなってよ、トロンカ。ったく、これだからガキは仕方ないよなあ」
 カイキの声が背中から追いかけてくる。緊張感の乏しい口調だ。僕は振り返らずに唇を引き結んだ。そう言うカイキは幾つなんだか。見た目だけだと僕とそんなに変わらない気がするが、技使いは年齢不詳な容姿の人もいるから不明だ。先日見かけたとびきりの美少女は、後で聞いた話だと僕の倍以上は生きているらしかった。
 広間からは、ひたすら真っ直ぐ灰色の廊下が伸びていた。僕らが歩いていた外の道と平行しているみたいだ。窓の数が少ないせいで、ますます辺りは薄暗い。
 途中、幾つかの扉を素通りしたが、その中に『気』は感じられなかった。調査するとしても後回しだ。まずは帰ってこない技使いの行方を確かめないと。
 しばらく歩いたところで、完全に窓がなくなった。この薄闇に慣れてきた目でも、さらに奥は暗闇に見えた。自然と喉が鳴る。汗の滲んだ手のひらをマントにこすりつけて、僕はカイキ、サンテイスじいさんへと一瞥をくれた。それまで気負いない様子でついてきていた二人は、思い思いの表情を浮かべている。
「ようやく気配があったな」
「この線の細さはおなごかな。若い子だといいんだが」
 眉根を寄せながら口角を上げたカイキに対して、サンテイスじいさんは真顔で変なことを口にする。『気』で性別がわかるとでもいうのか? そんなの聞いたことがない。
「訓練所に老人はいないだろうサンテイスさん。だからきっと若い!」
「そうか、美人であればなおよいな。閉じ込められているのかな? それならば私が助けてやろう」
「技使いを閉じ込めるって難しいぞ。やっぱり昼寝だ昼寝」
「ふーむ、美女のうたた寝は絵になるなあ。金髪の色白、華奢な子が理想だな」
「おい、だから技使いだって。オレは黒髪の凛とした背の高い美女を推す。湯浴み中とか最高だな」
「言うな若造。水音はしないがな」
 サンテイスじいさんの軽口にカイキも乗った。まるで示し合わせたかのようだった。これだから男って奴は仕方がない。僕はため息を吐いて、短い後ろ髪を掻き上げる。頭が痛い。調査に向かった技使いは誰一人帰ってきていないという事実を忘れているのか? そんな楽しい状況になるはずがないのに。
「金髪は浪漫だよ」
「それはオレも認める。ただし美少女に限る」
「これだから若造は。年齢による色気もなかなかよい――」
「行くよ」
 二人の返事を待たずに、僕は足を進めた。聞いているだけでイライラしそうだった。先ほどよりも甲高く響いた靴音に小さく舌打ちしていると、「ガキにはわからないか」と嘆くカイキの声が耳に届く。わかってたまるものか。そんな浪漫で死んでも馬鹿みたいだ。
 大股で歩いていった先の右手に、目指す扉はあった。先ほどまで通り過ぎていた物と何ら変哲はない。しかし、気配はその中にあった。僕は扉の横に張り付くと、壁に頭を寄せて耳を澄ませる。水音どころか全く何も聞こえない。動いている様子もない。ここで行われている訓練が「動きを読ませない」ってものだとしたら合格だ。僕が認めてやる。
 勢いをつけて乗り込むか? それとも、もう少し様子をうかがうか? 僕は悩みながらカイキとサンテイスじいさんを横目に見る。一人ならば慎重に動くところだけど、三人っていうのは難しかった。それぞれの実力も把握できていないし。
「くっそ、まどろっこしい!」
 僕が考え込む時間は、長くはなかった。心の準備ができる前に、一歩踏み出したカイキが扉を引いた。一瞬、息が止まるかと思った。眼を見開いた僕をよそに、素早くカイキは室内へと転がり込む。ダンと床を蹴り上げる音が頭に響き、ついで、静寂が生まれた。
「ふぅ」
 カイキの吐息が湿った空気に染み込んだ。僕は恐る恐る中をのぞき込んだ。そこには何もなかったし、誰もいなかった。光源になるはずの四角い物体が天井からぶら下がっている、真っ暗な部屋だ。いや、目を凝らすとその奥にも扉が見える。どうやら僕らが感じた『気』はその先にあるみたいだった。
「お前さん、早死にするぞ」
「悪い悪いサンテイスさん。気配が遠かったもんだからつい」
 室内へ足を踏み入れたサンテイスじいさんに、僕も続いた。カイキは片膝をついて腰の短剣に手を当てている。そして何故か照れ笑いしながら、振り返って立ち上がった。
「本番はこの先らしい」
 カイキが指さした部屋奥へと、僕らは視線を向ける。再び緊張感が高まった。今度こそ何もない部屋ってことはないだろう。あちらに技使いがいるなら、ここに僕らがいることは筒抜けのはずだ。それでもカイキは気負った様子もなく、奥の扉へと進んだ。僕は握った拳にさらに力を込める。
 本当に『気』までの距離がわかっているのだとしたら、カイキの実力は想像以上ってことになる。僕はそこまで『気』の察知が得意ではない。それとも『気』に対する感覚だけが優れているんだろうか?
「さあさあ、どんな女の子が現れるかな」
「この際、女の子であれば私は満足だ。いや、女性ならかな」
 ここに来てもまだ、二人はそんな冗談を言い合っていた。僕はもう文句を言う気にもなれなかった。向こうにある気配にだけ注意を払い、余計なことは考えないようにする。
 カイキは、今度はゆっくりと扉を開けた。その先もやはり暗い部屋だった。そして不気味なほどの静寂が、室内を満たしていた。
「わお、サンテイスさん、正解だ」
 言葉とは裏腹に神妙な声でカイキはそう告げ、中へと入る。何が正解なのか? サンテイスじいさんが動くより先に、僕も部屋へと踏み込んだ。ひゅっと吸い込んだ冷たい空気が、胸の中に染みる。
 真四角の部屋の真ん中には、無愛想にベッドが一つだけ置かれていた。墓石を思い出させる、飾り気のない灰色のベッドだ。その上に、少女が横たわっていた。白いシーツを被せられた彼女は、目を瞑ったまま固く両手を組んでいる。それは祈りを捧げているようにも見えた。
 僕たちが部屋へ足を踏み入れたというのに、微動だにしていない。浅い呼吸を繰り返しているため、胸が緩やかに上下しているだけだった。『気』からもわかる通り死んでいるわけではないようだ。
「本当にお昼寝中? そんな馬鹿な」
 勝手に眼が見開かれていく。先に入り少女を見下ろしていたカイキの方へ、僕はやおら近づいた。彼女の緩く波打つ金の髪は、日の光の下では見事な美しさを見せつけてくれることだろう。病的な青白い肌がサンテイスじいさんの好みかどうかは知らないけど、僕にはまるで人形のように見えた。
「金髪色白美少女さんだぜ、サンテイスさん。しかも華奢ときた」
「少しばかり白すぎるがな」
 ここにきてまでカイキは戯けた口調だ。でもその表情には、先ほどにはない懸念の色があった。この弱々しい『気』だけでは、少女が技使いかどうか判断できない。でもこの状況が異常であることは明らかだった。訓練所の何もない一室に横たえられている少女。しかも僕らが近づいてもいっこうに目を覚ます様子がない。
「こういう子には腹一杯何か食わせたくなるな。栄養失調だろ」
「だが、そのためには起こさないとな」
「そのためじゃなくても起こさなきゃいけないだろう? 事情を聞きたいんだし」
 揃って腕組みするカイキ、サンテイスじいさんに、僕はうろんげな眼差しを向けた。いつまでこの二人はふざけ続けるつもりなんだろう。この町で初めて顔を合わせたはずなのに、こんなに気が合っているのは何故なのか。僕は二人を割ってずいと前へ進み出ると、少女の華奢な肩を揺さぶった。僕の小さな手でも容易に掴める細さだった。その冷たさが生きている人間の温度とは思えなくて、つい喉が鳴る。
「おい、聞こえてるか? おい、起きろって」
 少しだけ声を張り上げても、少女は身じろぎ一つしなかった。瞬きをすることもなかった。ただ寝ているというよりは、まるで気を失っているみたいだ。僕は眉根を寄せてカイキたちへと一瞥をくれる。昼寝にしては深く寝入っている。もちろん、ただの昼寝なわけがないことはみんな勘づいているだろう。……たぶん。
「起きないけど、どうする?」
「相当疲れてるんだな。それだけきつい訓練なのか」
「僕には、とてもじゃないけど訓練なんて受けられる体じゃあないように見える」
 これは困った。目を覚まさない少女とご対面して帰ったとしても、任務完了とはならない。これじゃあ何が起こっているのかわからない。とりあえず現時点で予想できるのは、帰ってこない技使いは何故か寝ているらしいということだけだ。
 変な病でも流行っているのか? そうだとしたらここにいる僕らもまずい? ついつい眉間に皺が寄る。するとカツリと靴音をさせて、カイキがベッドから離れた。
「じゃあ、さらに奥へと行ってみますかねー? そこになら、起きている人間も一人くらいはいるだろう?」
 口角を上げたカイキに向かって、サンテイスじいさんが頷いている。カイキが指さした方にはまた扉があった。その向こうには、複数の気配があった。僕はベッドの上で眠っている無数の技使いを脳裏に描く。なんて奇妙な光景だろう。まさに嫌な予感は的中だ。
「全員眠っていたらどうする? 若造。一人ずつ起こして回るか?」
「それもいいな、サンテイスさん。全員この子みたいな美少女ならなおいいな」
「夢のような光景だな」
 どうしてこの二人は楽観的な予想しか立てないんだろう。僕は嘆息したいのを堪え、おもむろに首を回した。自分たちは美少女じゃあないから仲間入りしないとでも思ってるんだろうか? 町長さんの話だと、ここに来た技使いには男性もいたはずなんだけど。
「あれか、キスすれば目覚めるとかだったりして。オレ試してみてもいい?」
「許可を取るなら町長殿にだ、若造。私は責任などとらん」
「そんなこと言ってー。サンテイスさんも試してみたらいいだろう?」
「金髪色白美少女に触れてはならない。遠くから愛でるものだ」
「それなら金髪じゃない美少女に試してみたらいいだろう?」
「ふむ、なるほど」
 何が「なるほど」なんだか……。僕は段々帰りたくなってきた。この頭に描かれた予想図と、二人が思い浮かべている光景は、どうやら相当違うらしい。危なくなったら二人に押しつけて僕は逃げることにしよう。この会話を聞いていたら躊躇いもなくできそうだ。
「それじゃあ行くぞ」
 カイキはさらに向こうの扉へ近寄り、手を伸ばした。耳障りな金属音と共に、それは開いた。奥からは細長い廊下が続いていた。天井が高いせいで、より狭さが際立つように思える。幸いなことに、今度は両脇に明かりが取り付けてあった。蝋に火を灯して箱に入れただけの簡素な作りだ。でも薄闇に慣れてきた目には少し眩しい。カイキもそうなのか、少しだけ時間をおいてから一歩を踏み出した。
「あんな美少女と一緒に訓練できたら楽しいだろうなあ」
 歩きながら、カイキは慎重な足取りには似つかわしくないことを口にする。緊張感があるんだかないんだか。答えるのも面倒になり、僕は黙って後に続いた。明かりの揺らぎにあわせて、カイキの上着が踊っているように見える。
「あの子、何歳くらいかな? サンテイスさんはどう思う?」
「うーむ、技使いの年齢はわからないからな。まだ子どものようにも見えたが」
 僕が反応しないためか、カイキはサンテイスじいさんにそう問いかけた。くどい。でもサンテイスじいさんは何の疑問もなさそうに神妙な口調で答えている。僕を挟んでのこの会話にはもう辟易だ。『気』でばれているだろうからといって、いくらなんでも堂々としすぎじゃないか?
「見た感じだとな。あー、でも訓練所だから子どもはあんまりいないかなあ。ということは、この先に待ち受けてるのはやっぱり凛とした姉さんだよな。トロンカはどんな女の子が好みだ?」
 晴れやかな笑顔で、カイキは僕の方へ視線をよこした。あまりに爽やかなものだから、僕は思わず呆気にとられた。鬱々とした建物の中であることさえ忘れそうだった。だがそれも一瞬のことで、現実に戻った途端、今度は苛立ちが湧き上がって来る。
「はあ? 僕、そういう趣味はないし」
 本当にしつこい。しかもどうして僕を巻き込もうとするのか? 続けたいなら放っておいてくれ。でも予想していた以上にうんざりとした声が出たので、自分でも少し驚いてしまった。今のはちょっと大人げない。
「え? おい、もしかしてトロンカって男の方が――」
「もう、うるさいから言っておくけど、僕は女だからね」
 今の僕は冷静じゃない。そう認識した途端、変な焦りが出た。つい余計なことまで口に出してしまった。やってしまったと思ったけれど、もう遅い。前方を歩いていたカイキの足がぴたりと止まり、僕も立ち止まらざるを得なくなる。ぎぎぎと音がしそうなぎこちない動きで振り返ったカイキを、僕はねめつけた。
「え、嘘……だろ?」
「何で僕がそんな嘘を吐くのさ。本当だよ」
「騙してたのか!?」
「いつ僕が男だって言った? 自分の目が節穴なのを僕のせいにしないで欲しいな」
 顔を引き攣らせているカイキにそう言ってのけると、少し気分がすっきりする。女っぽい恰好を避けているというよりは、流れの技使いとしての動きやすさを目指していたらこうなっただけだ。女を前面に出したってろくなことがないんだし、今までこれで不自由はなかった。勝手に勘違いする人間はたくさんいたけど。

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