未来の魔法使いたちへ

第六話 黄色い人形

 階段まで走っていけば、上からうっすらとした明かりが差し込んでいた。けれども誰かがいて魔法を使っているわけではない。そんなに強い光じゃない、これは月明かりだ。いつの間にかすっかり日は暮れてしまったらしい。
 早く、早く調査団の人たちを呼ばなくちゃ。
 棒のようになった足を、私は叱咤した。ふらふらしながらも一所懸命に階段を上ると、乾いた空気が肺に入ってくる。昼間のような熱を含んではいないけれど、それでも地下にいた時のような冷たさは感じなかった。夏独特の生ぬるさが染み込んでいる、穏やかな風だ。
「あっ!」
 地上へと出れば、薄闇の中でも数人の魔法使いたちがやってくるのが視界に入った。ほうきに乗って飛んでくる魔法使いたちが数人、既に校庭へと下りてるのが数人。皆黒いローブに身を包んでいる。
 よかった、間に合った。
 私は胸をなで下ろして思わず足を止めてしまった。すると何だか体の力が抜けて、その場に座り込んでしまう。乾いた土が舞って深緑のローブの裾が白い砂に染まった。いつもなら気にするところだけれど今はどうでもいい。これでみんな、助かるのだ。先生も私も助かるのだ。
 けれども、私の耳は捉えてはいけない何かを聞いた。
 悲鳴でもない、叫びでもない、それでも空気を震わせる強い何か。言いようのない何かを確かに鼓膜が捉えた。
「せん、せい……?」
 私は肩越しに振り返り、階段の下へと視線を向けた。さっきみたいな爆発音は聞こえない。地面が震えるわけでもなく、煙が上がってくるわけでもない。だから何の心配もいらないはずなのに、ローブを握った右手が震え出して止まらなかった。喉が鳴って、心臓が高鳴る。私は動けないまま、薄暗い階段をじっと見下ろしていた。
「ナハル!」
 刹那、背後から切羽詰まった声がした。この聞き慣れた声はセペフルのものだ。足音は一つじゃあないから調査団の人たちと一緒だろう。でも私は振り向くことができなかった。座り込んだまま唇を震わせて、じっと入り口の先を見つめる。
 ぶわりと、風の動く気配がした。間近で起こった強い風に私は思わず目を閉じた。瞼越しに感じる黄色い光に、背中を冷たい汗が落ちていく。あの時感じたものと同じだ。最初にあの黄色い人形と出会った時と、同じ感覚。
「うわあぁっ」
「何だ、これは!?」
 背中に降りかかったのは、セペフルと別の誰かの叫び声だった。私はおそるおそる瞼を持ち上げて空を見上げる。
「翼……?」
 呆然とした声がもれた。黒い空を背にして浮いていたのは、先ほどの黄色い人形だった。纏った黄色い光は遺跡の中で見たよりも強く輝いている。けれども何より目に付くのは翼だ。鳥のような大きな翼が、その背中から左右に生えている。
「せんせい、は?」
 つぶやきながらも答えは頭に浮かんでいた。いや、浮かんでいたからこそ、それを誰かに否定して欲しかった。
 人形の手は薄闇でもわかる程紅く染まっている。あの時地下で見たよりもずっと鮮やかな赤が、黄色く輝く両手を包んでいた。きっとそれは、ハスティー先生の血。私を守ってくれた、かばってくれた先生の血。遺跡で聞いた男性の悲鳴が頭によみがえってきた。先生も同じ目にあったんじゃないかと、心の中で誰かの囁く声がする。
「い、や……」
 私は必死に首を横に振った。そんなこと考えたくもなかった、信じたくもなかった。自分の身くらい守れるんじゃなかったの? 私がいなければ大丈夫じゃなかったの? 胸の中でそんな言葉が何度も繰り返される。夢なら覚めて欲しいと願いながら、私はもう一度空を見上げた。
 見上げる先の人形は、無表情のままだった。血に濡れた右手が前へと突き出されて、その指先に白く光る球が現れる。
「来るぞ!」
 どこかで魔法使いが叫んだ。また空気がぶわりと揺れて、風に煽られた砂が目に入ってくる。私は腕で顔をかばって、襲い来る砂の嵐に耐えようと瞳を閉じた。細かい粒が肌に突き刺さるように当たり、風の強さを訴えかけている。
 数人の悲鳴が聞こえた。誰かがやられたんだと理性は認識したけれど、感情が追いついてこなかった。それはまるで遠い世界のできごと。夢の中の、想像の中だけのできごと。目の前で起きていいことじゃあない。
 だってちょっと火が使えて空が飛べて、暑い時は日差しよけができて。それが私たちの知る魔法で、よく見る魔法使いの姿だった。こんな風に簡単に人が殺せる魔法なんて知らない。それはお話の中でのできごとだ。
「魔法使い、発見。ただちに、排除」
 風に乗ってかすかに人形の声らしきものが聞こえてきた。あの時聞いた無機質な声と同じだ。なのに何故だか先生の声が重なって聞こえてくる。優しく明るかった先生の声が。
 どうして?
 不思議に思うけれど答えは浮かんでこなかった。先生の姿はどこにもなくて、薄目で辺りを確認しても希望は打ち砕かれるばかり。悪戯っぽい顔が階段から覗くこともなかった。
「ナハル、そこ退けろ! 調査団が魔法使えないってっ」
 でもそこで泣きそうなセペフルの叫びが、私を一気に現実へと引き戻した。真上を見上げれば、彼の言葉の意味はすぐに把握できる。黒いローブを着た調査団の人たちはまだ、空の上にいた。降りようとしていたのに人形が空へ飛び立ったから、どうするべきか躊躇していたのだ。
 彼らがあの黄色の人形を攻撃すれば、そのすぐ下にいる私のところにも余波が及ぶ。だから調査団の人は反撃できないんだ。
 理解はできたけれど、でも体は全くいうことを聞いてくれそうになかった。足がすくんで動かない。それにすぐ傍には遺跡への入り口がある。ここが崩れたら地下にいる先生が出てこられなくなるのだと思うと、さらに体が重たくなった。
 どうしよう。
 混乱した頭は適当な答えを導き出せなかった。体が震えるばかりでセペフルへと叫び返すこともできない。どうしてこんなに私は弱いんだろうと、ますます泣きたくなった。
 その間も、爆発音と悲鳴が交互に聞こえていた。藍色の空に赤い光が瞬いて、その度にほうきに乗った人たちがゆらゆらと地上へ落ちてくる。あの人形は強い。このままでは調査団の人たちが皆死んでしまうだろう。きっと為す術もなく、それほど時間もかからずに。
「……え?」
 けれども次の瞬間、私は見てはいけないものを見てしまった。空に残っていた数人の魔法使いの手から、人形へ向かって赤い火の玉が放たれる。
「やっ!?」
 私は咄嗟に頭を抱えその場に伏した。背中に感じるのは火の粉の暑さで、かろうじてそれをローブが守ってくれている。
「ナハルーっ!」
 地上でセペフルがわめいているのがわかった。いつもとは違う切羽詰まったわめき声が聞こえてくるけれど、もごもごとしていてよく聞き取れない。暴れているのを取り押さえられているみたいだ。
 見捨てられたんだ。
 私も、先生も。
 そのことだけを感じ取った。降りかかってくる火の粉は止まなくて、むしろその量はどんどん増えていく。
 熱さに頭がもうろうとしてきた。深く息を吸っても肺を焼くような空気に咳き込んでしまい、ますます意識が遠のいていく。苦しくて苦しくて仕方がない。
 そうだよね、私みたいな見習いの魔法使いなんかよりも調査団の人の方が大事だもんね。優秀な人がいなくなったら大変だもんね。
 震えながらそんなことを思うと涙が出てきた。それが悲しさのせいなのか生理的なものなのかどうかは判断できない。瞼を開けても、はっきり見えるはずの校庭の土さえ霞んで見えた。
「ナハル、避けろー!」
「え?」
 それでも金切り声のようなセペフルの叫びに、私はかろうじて頭を上げた。空から近づいてくるのは赤い光の玉だった。炎をまといながら真っ直ぐ私の方へと落ちてくる。次第に大きくなって。
 流れ弾。
 そんな言葉が頭をよぎった。でもやっぱり体は動かなくて、迫ってくる熱い球を凝視することしかできない。
 こんなところで焼け死ぬのかな?
 せめて一瞬で死にたいなと思いながら、私はぎゅっと目を瞑った。痛いのが続くは嫌だ。飛行訓練の怪我でさえできれば避けたいところなのに。
 あれ?
 けれどもなかなか予想していた衝撃は訪れなかった。代わりに聞こえたのはじゅわっと何かが蒸発するような音で、それでも痛みは感じなかった。
 何があったのだろう?
 私はおそるおそる瞼を持ち上げた。涙で歪んだ視界に映るのは、黄色い光に包まれた人形だった。翼を片方なくした人形が私の前に立っている。
「どう、して……?」
 呆然とつぶやくと、一瞬だけその人形は振り返った。無表情なはずのそののっぺりとした顔にふと微笑みが浮かんだ気がする。ハスティー先生が笑った時みたいな、温かくて懐かしい笑顔。
「先生?」
 私はつぶやいた。でも続けて訪れた衝撃が、意識を現実へと引き戻した。次々と飛んでくる赤い火の玉が人形の体を直撃する。私が後ろにいるのに調査団の人はお構いなしだ。まるで私なんか存在していないみたいに攻撃してくる。
 地面が震えて、私はまたその場に頭を伏せた。でも先ほどまであった空気の熱さが今はなかった。おかしいなと思って横を見てみれば、虹を薄い膜にしたような不思議な膜が周りを覆っているらしい。きっと熱気を防ぐための魔法だ。この黄色い人形が生み出したんだ。
『ナハルなら大丈夫、あいつ何もしないから』
 そう言っていた先生の言葉が脳裏をよぎった。どうしてこの人形は私を攻撃しないんだろう? いや、守るんだろう? 魔法使いたちをあんなに簡単に攻撃してるのに、先生でさえ容赦なく攻撃してたのに。ますます頭の中が混乱してきた。
 頭をもたげると、黄色い人形の右腕がなくなっていた。右腕だけじゃあない、左手首もなくなっていた。翼が片方だけになってしまったから飛べないんだ。いや、私をかばっているせいかもしれない。この人形はさっきから動こうともしていない。
 私は守られてばかりいる。
 地下で見た先生の顔が頭に浮かんできた。先生はどうなったんだろう。本当に死んでしまったのだろうか?
 答えを求めるように入り口を見たけれど、そこから先生が顔を出すことはなかった。すると突然大きな衝撃が訪れて、囲んでいた薄い膜が一瞬で消えた。熱気が、火の粉が、一挙に押し寄せてくる。
 人形は負けたんだ。私、死ぬんだ。
 空気を求めて喘いでも本当に欲しいものでは満たされなかった。涙がにじんで瞼が重くなり、乾いた土に指をかける。
 ごめんね先生。せっかく守ってくれたのに。
 唇を動かしたけれど、喉から声がもれたかはわからなかった。体の要求に任せて、私は意識を手放した。

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