white minds 第一部 ―邂逅到達―

第一章「影の呼び声」6

 道に沿って建物が並んでいると称すべきなのか、建物の間を通路と呼んでいるというべきなのか。青葉たちが派遣された無世界という場所には、とにかく人工物が溢れている。それでも全ての自然が姿を消したわけではなく、公園という存在にはかろうじて緑が保たれていた。
 買い出し中であった青葉とよう、サイゾウは、ちょうど大きな公園の横を道なりに歩いていた。灰色の建物に囲まれた空間はどうにも落ち着かず、公園らしきものを見かけるとその傍を通ってしまうことが多い。今日もそうだった。だがスーパーまであともう少しというところで、買い出しを中断せざるを得ない状況に陥った。技使いの少年を見かけたからだ。気を隠していたのが幸いしたのか、その違法者少年は青葉たちには気がついていないようだった。
 顔を見合わせた青葉たちは、少年の後を追った。無世界にいる技使いは、神技隊でなければ違法者だ。しかし何も悪さをしていない子どもまで取り締まるつもりは、現時点ではなかった。この世界に悪影響がなければ目を瞑ってもいい。そう思うようになったのは梅花の影響もあるだろう。上は派手に活動していない者については実はどうでもいいと思っていると、彼女は何度か口にしていた。だから青葉たちはただひっそりと、少年の様子をうかがっていた。
 だが姿を追えたのは、公園の入り口までだった。日が沈みかけた夕刻ともなれば、まだ帰りたがらない子どもやら帰宅途中の学生やらの姿が目立つ。距離を取っているうちに、違法者少年の姿はその中に紛れ込んでしまった。それでも気は隠されていない。奥に見える木の生い茂った方へ向かうのが感じられた。
「ま、追いかけるだけな」
「散歩の振りだね」
「無駄骨かもしれないなあ」
 小さな噴水の脇を進みながら、青葉たちは目を合わせる。ようは足取り軽く陽気な顔をしていたが、長髪の青年――サイゾウは、うんざりとしたため息を吐いた。帰りが遅くなることを懸念しているのだろうと青葉は予測する。ちょっと尾行しただけでは、相手が無害かどうかなど判別できない。
 彼らはのんびりとした歩調で奥の林へと向かった。夕陽を遮る木々へ何気なく視線をやりながら、神経を集中させる。子どもの気には覚えがあるような、ないような。明らかに技使いのものだと確信できていた強さが徐々に弱まっていた。一抹の不安を抱いた青葉は駆け出したい欲求を抑え込む。何かがおかしい。
「お腹すいたねー」
「もう夕方だからな」
 少しは早足になっていたのか、ようとサイゾウの会話が遠くなった。だがもうしばらく進んだところで、懸念は確信に変わった。突如として気が消えた。まだ子どもたちの姿がまばらに見える状態でのことだ。青葉は思わず顔をしかめそうになったが、それでもサイゾウとようへ一瞥をくれただけで走りはしない。そもそもが様子見だ。完全に見失ったと判断した段階で諦めたらいいのだ。
「青葉、そろそろ帰らないか?」
「んーあともうちょっといいだろ」
「僕もまだ帰りたくないー。寄り道したいー」
 どうでもいい会話を交わす振りをして、互いの意思を確認する。少しずつ、行き交う人の数が減っていった。賑やかな声も遠ざかった。木々に囲まれた場所というのは、どうしてこう不思議な静寂が染み込んでいるのだろう。風の音も心なしか優しく、また空も何故だか高く思える。少しだけ神魔世界の空気を思い出した。足の裏の土の感触にも懐かしさを覚える。
 さらに進んでいくと、若者の姿がなくなった。最後に一人、犬の散歩をしていた子どもとすれ違った後は、完全に人気が途絶えた。静けさがますます身に染みる。かすかな葉のさざめきが鼓膜を揺らす程度だ。
 無言で歩き続けてどれくらい経っただろうか? そろそろ引き返そうと青葉が提案を考えた時、異変は生じた。前方で、ぶわりと気が膨らんだ。何の前触れもなく空気が膨張するように、ただ純粋に気が強くなる。はっとした青葉たちは顔を見合わせ、頷き合うと駆け出した。この気は技使いのものだ。言いしれぬ違和感を覚えながらも、青葉はとにかくその源を目指す。
 その気の主――青年は、木の上にいた。人が乗るにはやや不安のある細い枝の上に、器用に腰掛けていた。青年と目があった瞬間、青葉はあんぐりと口を開ける。頭が理解を拒否した。何が起こっているのか把握できなかった。声を出そうにも動揺してうまく言葉にならず、仕方なく隣にいるサイゾウとように視線を向ける。
「青葉……?」
 サイゾウが首を傾げた。彼の双眸も木の上の青年へと向けられていた。青葉の視界の隅では、ようが不思議そうな顔をしながら青年と青葉を見比べている。
「青葉が二人?」
 サイゾウの間の抜けた声が辺りに漂う。その発言を聞いて、ようやく青葉も現状を受け止める覚悟ができた。木の上にいた青年は、青葉と同じ顔をしていた。髪は青年の方がやや長めだろうか? 違いはそのくらいで、体格も似たようなものだ。黒ずくめの服なため、首に巻いた赤い布がやけに目立つ。額の赤い布も、無世界の人間らしからぬ風情を強調している。その気怠げながらも威圧感のある眼光は、青葉たちへと向けられていた。
「うわ、本当に来たね」
 ついで、青年の座る木の下から声がした。それは聞き慣れたものだった。太い幹の陰からにっこり笑顔の青年が顔を出す。ややくすんだ蜂蜜色の髪を揺らして、彼はにっと口の端を上げた。その人懐っこい茶色の瞳を、青葉はまじまじと見つめる。
「ようが二人?」
 先ほどのサイゾウと同じ反応だ。驚くと語彙も乏しくなるらしい。木の幹に張り付いているのは、ようと瓜二つの青年だった。顔はもちろん体格も、髪の長さもほとんど変わらない。二人が並んだら双子と勘違いするだろう。けれども、ように兄弟はいないはずだ。
「アースの言う通りだ。大成功! わかりやすく気をだだ漏れにしてたら絶対引っかかるってのは本当だったんだね」
「だが面倒なのを引っかけてしまったな。本当にそっくりだぞイレイ」
 青葉と瓜二つなのはアース、ようの方はイレイというらしい。つまり、先ほどの少年の行動は罠だったのか? あれはこの二人の仲間の仕業だったのか? 青葉はぐっと拳を握る。
「お前ら、何者だ?」
 青葉が低く声を抑えると、イレイがようそっくりの表情で眼を見開いた。何だか不思議な気分だ。ようは隣にいるのに、どうして目の前にもいるのか。恰好が同じだったら見分けがつかないかもしれない。気もよく似ている。
「わ、声も同じだー。面白いねアース」
「うるさい。われはそいつのような間抜け面はしない」
「あはは、そうだねー。アースはいつも不機嫌そうな顔してるもん」
 青葉たちが言葉を失っている間も、アースとイレイの会話は続く。ずいぶんと失礼なことを言われていると思うが、そこに反応する余力がなかった。一体彼らは何者なのか? わざわざ神技隊をおびき出そうとしていたのか? 何のために?
「それで、どうするの? ねえアースどうする? やっちゃっていいのかな? 倒しちゃっていいのかな? ここなら人は来ないよねー」
「知るか。相手がオリジナルたちでは色々と面倒だぞ」
「えーでも神技隊には違いないんだし、いいんじゃないかな?」
 楽しそうに笑いながら、イレイは幹の陰からひょこっと飛び出してくる。両手を振り上げて木の上を見上げる姿は、無邪気な子どものようだった。けれどもその発言は純粋どころか物騒で、聞き捨てならない。青葉は固唾を呑んだ。枝に座って幹に背を預けているアースは、大儀そうに額の布を押さえている。
「ちょっとならいいよね? やっちゃうよー」
「おいイレイ、まずは結界を張ってから――」
 はっとしたように、アースは幹から背を離した。同時に、イレイが地を蹴った。咄嗟に青葉は構えをとる。隣にいたサイゾウとようが小さく息を呑むのがわかった。大きく跳躍したイレイの手のひらに、光が集まったせいだ。
「まさか技を使う気か!?」
 一歩後退したサイゾウが叫ぶ。青葉も信じがたい思いでイレイの手を見つめた。薄黄色の光を帯びた手のひらからは、気が膨れあがるのが感じ取れる。精神を集中している証拠だ。技を放つつもりだ。
「本気かよ」
 こちらも同様に技で防ぐなんて真似はできない。神技隊は公で技を使うことを禁じられている。いくら人気がないとはいえ、騒ぎになれば誰がやってくるかわからない。犬を散歩させていた子どもが戻ってくる可能性もある。
 イレイは前へと拳を突き出した。その先から、人の頭ほどの黄色い光球が放たれた。青葉は咄嗟に強く地を蹴り上げる。ようとサイゾウの悲鳴が、辺りに響き渡った。
 青葉の足下すれすれのところを、黄色の光球が擦り抜けていく感触。ほんの少しでも遅れていたら、どちらかの足は黒こげにでもなっていただろう。後方でジュッと焼けるような音がした。避けられたと気づいたイレイは半身を引いた。続けて技を放とうと構えたその足下を、青葉は狙う。跳んだ勢いを利用して、駆けながら低く身をかがめた。
「イレイ!」
 頭上から怒気を滲ませた声が降り注いだ。その主が動いたのを認識するや否や、足払いを避けられた青葉はそのままイレイの背後に回り込む。そして広い背を蹴って距離を取った。
「青葉!」
 ようの声が響く。先ほどまで青葉がいた場所に、何かがめり込んだのが見えた。それが細身の剣であることを認めて、彼は奥歯を噛む。 一体そんな物をどこから取り出したのだろう? 疑問を口に出すこともできず、着地した彼は体勢を立て直した。
 剣の後を追うように、アースはイレイのすぐ傍へと降り立った。その鋭い眼差しが青葉、続いてサイゾウ、ようへと向けられる。剣をすぐに引き抜こうとする様子はない。だが柄に乗せられた手には、苛立ちが込められているようだった。すると黙ったままのアースへと、イレイは唇を尖らせる。
「もうアース、邪魔しないでよー。このままじゃあ僕、運動不足でますます太っちゃう」
「どこがだ? 大して変わらないだろう。まったく、派手な技まで使って。騒ぎになってもわれは知らないからな」
 アースのため息が辺りに染み込んだ、その次の瞬間だった。
「いや、そこで知らない振りをされても困るのだが」
 皆を閉口させる、軽やかな声が降り注いだ。口調の重みとは相反して、優しさと朗らかさの滲んだ女の声。思わず青葉は構えを解いて空を見上げた。そして目を疑った。
「……え?」
 ふわりとまるで風に乗って降りてくるかのように、一人の少女が現れた。木から飛び降りたにしては距離がある。体重を感じさせない動きは、おそらく技によるものだろう。しかしそうとは思えぬ自然な気の流れを、彼女は纏っていた。
「お願いしただろう?」
 ちょうどイレイとアースの手前、青葉に対して背を向けた状態で、すとんと小柄な少女が地に降りた。頭の上で一本に結わえられた髪が、反動で揺れる。白い上衣に包まれた腕が伸びて、細い指先がイレイの額をつついた。
「今は騒ぎにはしたくないから、結界と目くらましは必須だ。忘れてしまったか?」
 つつかれたイレイは相好を崩した。幸せそうな表情だった。「えへへ、ごめん」という形ばかりの謝罪に、少女は苦笑混じりに嘆息する。そんなやりとりを、青葉たちは立ち尽くしたまま見守った。動悸が止まらない。つい数日前に聞いた話を、青葉は思い返した。
『上は白っぽくて、薄い色のスカートで、確かブーツで。何かちょっと変わってた』
 少女の服装は、先日ミツバが報告していたものと合致した。白い上着に薄紫色のスカート。ほっそりとした足を包むのは白いブーツ。髪はおそらく梅花と同じくらいの長さだ。その艶やかな黒髪はよく見慣れている。
「最近暴れ足りなくてさー。ごめんねレーナ」
「今度からは気をつけてくれよ。今は間一髪、結界を張れたからよかったが」
「さっすがレーナ!」
 イレイは満面の笑みで両手を振り上げた。少女の名前は、どうやらレーナというらしい。青葉はその背中を凝視した。まさかという思いがある一方で、ミツバの証言を思い出して納得している自分もいる。青葉とようそっくりの青年がいるのならば、梅花と同じ顔をした少女が現れても不思議ではない。
「レーナ、お前はしばらく休んでいろと言ったはずだが。見張っていたな?」
 地面に突き刺さっていた刃を引き抜き、アースが問いかける。怒気が滲んだ、それでいてどこか気遣いにも似た響きが含まれている声に思えるのは、青葉の気のせいだろうか? そんなアースから、レーナはわずかに距離を取る。その拍子に、ようやく青葉からも彼女の顔が見えた。微苦笑を浮かべた横顔は、やはり想像した通りのものだった。梅花と瓜二つだ。
「見張っていたなんて、人聞きが悪いなアース。休んではいたよ? 気になったから見守っていただけだ」
「それは休んでいるうちに入らんだろう」
 呆れたアースの視線から逃れるためか、レーナは青葉の方へと向き直った。白い頬を縁取る長めの前髪が、さらりと揺れる。さらに青葉の鼓動が跳ねた。梅花と同じ顔で見慣れない挑戦的な視線を向けられると、瞠目するしかない。彼女は余裕溢れる不敵な笑みのまま、やおら口を開いた。
「挨拶が遅れて申し訳ない、神技隊」
 あえて低く抑えたと思われる声が辺りに響いた。表情でこうも印象が変わるのだなと、事態とは関係ないところで青葉は感心する。確かにミツバの言っていた通り、そこら辺を歩いていそうにはない。額に巻かれた白い布が特に風変わりに映る。そして何より眼差しの力強さが印象的だ。不機嫌そうなアースの横でも、彼女は動揺一つ見せなかった。
「われの名はレーナという。以後お見知りおきを」
「僕はイレイだよ!」
 余裕綽々、朗らかに微笑んでみせたレーナの隣で、イレイが片手を挙げた。正直、名前だけならすぐに把握できていたのでどうでもいい。それよりも気になるのは彼らの正体だ。何故青葉たちと同じ顔をしているのか?
「ほらほら、アースもー」
「名前なら散々お前たちが呼んでいたのだからいいだろう」
 イレイに促されたアースは、手にしていた剣の先へと一瞥をくれた。その間に、ようとサイゾウがいそいそと青葉の方へ近づいてくる。青葉はレーナたちを睨み付けながら、周囲に張られたという結界へ精神を集中させてみた。
 確かに、いつの間にやら結界が張られている。規模としてはさほど大きくないが、注意しなければわからないほど『薄い』結界だ。技としての気配がほんのわずかしか感じられない。その精度の高さには感服した。そんな能力まで『同じ』だというのか?
「お前ら、一体何者だ」
「たった今名乗っただろう?」
「そういう意味じゃあない」
 青葉は声を絞り出す。応えたレーナも意図は理解しているらしく、悪戯っぽく笑っていた。厄介な相手であることを彼は悟る。もし本当に『同じ』なら、頭だってよく回るはずだ。気から感情を察知することも得意だろう。
「そんな顔をするな。問われて簡単に答えるとも思っていないだろう?」
 ほらこの通りだと、青葉は歯噛みする。まるで全てが見抜かれているかのようだ。居心地の悪さを覚えてつい視線を逸らしたくなる。真後ろまでやってきたサイゾウとようを、青葉はちらりとうかがった。二人ともこの状況についていけないようで、困惑した顔をしている。
「ねえねえレーナ。結界あるなら暴れちゃ駄目ー?」
 すると期待の色を瞳に浮かべて、イレイが疑問を投げかけた。まるでようが食べ物をおねだりする様子を見ている気分だった。ただし、内容が内容なのでそんなに可愛らしいものではない。レーナはわずかに頭を傾けると、イレイを一瞬だけ見やった。
「結界は、あくまで結界だ。進入を拒むだけ。全ての痕跡をなくすわけじゃない。暴れるにしても限度がある」
「えー」
「やりたいなら、もっと下準備が必要だってことさ。今日は我慢してもらおうかな」
「はーい」
 行儀正しくイレイは返事をした。その反応に、レーナは満足そうに頷く。にこやかな笑みを浮かべたまま、彼女は周囲へと視線を巡らせた。普段、梅花から微笑みかけられることがないだけに、青葉は不思議な感覚に陥った。幻とまではいかないが、見てはいけないものを見ているような心地とでも言うべきか。しかしそう呑気なことを考えてもいられない。アースの鋭い視線に射貫かれて、青葉は喉を鳴らした。
「では、もう今日はいいだろう。あいつらにこれ以上情報をくれてやる必要はない」
 アースは吐き捨てるようにそう告げると、レーナの腕を掴んだ。即座にイレイが「はーい」とまた元気よく返事をする。レーナは捕らわれた手へちらりと目を向けたが、そこには文句を付けず、アースの方へと向き直った。
「そうだな。人が集まっても困るしな」
 首を縦に振ったレーナは、再び肩越しに青葉たちの方を振り返った。妖艶と表現したくなるような眼差しに、青葉は思わず固唾を呑む。黒い瞳の奥には何かが潜んでいるはずなのに、一切読み取れない。
「それでは今日はこの辺で失礼する。オリジナルによろしくな」
 レーナの薄い唇から、滑らかに挨拶の言葉が飛び出した。「よろしくー」と続けたイレイの声が、場違いなほど呑気に響く。アースは何か言いたげにしていたが、結局口を開かなかった。その前に、異変が生じた。彼女があいている方の腕を掲げたことで、即座に結界が解かれる。それとほぼ同時に、青葉の視界は白く染まった。思わず目を瞑ると、瞼の裏で赤や黄色の目映い光が明滅する。

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