white minds 第一部 ―邂逅到達―

第一章「影の呼び声」5

「行っちゃったわね」
 皆が呆気にとられて声を失っている中、リンがそう呟いた。シンは頷いて同意を示す。一体何が起こったのか。あの青年たちは何がしたかったのか。突如現れて通り過ぎた嵐に、冷静な思考が追いつかない。するとコブシをどうにか引っ張り上げたジュリが、おもむろにシンたちの方へと近づいてきた。
「リンさん、彼らは一体何者なんでしょうか? 違法者……にしては妙な感じでしたけど」
 戸惑いながらも問いを投げかけてきたジュリは、衝撃から早くも立ち直りつつあるようだ。さすがはリンの知り合いだとシンは感服する。ピークスのリーダーもさぞ心強いことだろう。シンは横目でリンを見やった。カイキたちが去った建物を見上げていた彼女は、まずジュリを見て、ついでシンへと視線を転じてくる。
「勝手に無世界に来てるって意味では違法者ね。でも、他の違法者と目的が同じとも思えないわ。シンはどう思う?」
「同感だな」
 カイキたちの口ぶりから、わざわざ神技隊を探しているといった様子がうかがえた。ネオンが「また」と言っていたところをみると、他の神技隊にも接触している可能性がある。そんな違法者など今まで聞いたことがない。
「神技隊に直接喧嘩売ってくる違法者なんて聞いたことある?」
 首を傾げるリンに、シンは首を横に振ることで答えた。よほど腕に自信があったとしても、普通はできる限り顔を合わせないようにするだろう。戦っても何も得られるものはない。その影で何かをやるのが目的だったとしても、リスクが大きい。するとうーんと唸ったジュリが頬に手を当てた。
「初期にはいた、と聞きました。まだ神技隊が一隊とか二隊しか派遣されていなかった時の話ですね。ここ最近のことであれば、ないと思います」
 記憶を辿るよう、ジュリは空を睨み付けた。そう言われると派遣前にそんな話を聞いたような気がするなと、シンも思い出す。すぐさま答えられるのは、さすが派遣されたばかりといったところか。あの長々とした講義のことを思い出すと、シンは今でもうんざりとした。無世界で生活するための知識だけでもとんでもない量だった。今こうしてみると、それらも役立っているわけだが。
「そうよねー。これだけ異例なこととなったら、やっぱり上に報告しないとまずいかしら」
 ジュリの言葉を受けて、リンはため息を吐く。上に報告と聞いただけでシンの気持ちも暗く沈んだ。普段使用している腕時計型の通信機では詳細を伝えることができないから、報告するとなると会って話をしなければならない。つまり神魔世界に戻り、あの『宮殿』に足を踏み入れることになる。それは神技隊なら誰もが避けたい事態だった。あそこはとにかく息が詰まる場所だ。
「それじゃあシークレット先輩に連絡を取りましょう」
 そこで助け船が出た。上空から視線を戻したジュリが、柔らかに微笑んで提案した。「シークレット」という聞き慣れない響きに、シンは首を傾げる。リンと顔を見合わせてみたが、同じく心当たりがないのか怪訝そうな表情を浮かべていた。
「シークレット?」
「えーと、先輩ってことは――」
「はい、第十八隊シークレット先輩です」
 ジュリは頷いた。シンたちの次ということは、つまり去年派遣された神技隊に当たる。だがどうしてシークレットに連絡を取ればいいのか? そんなシンたちの疑問を察したようで、ジュリはさらに説明を続けた。
「シークレット先輩にはジナル出身の方がいて、頻繁に上とも連絡を取っているはずです。他の神技隊とも協力するようにと言われてますし、先に接触しておきましょう。もしかしたら既に何か情報を掴んでいるかもしれません」
 なるほどそういうことかと、シンは納得した。単にジナル出身ということなら実はシンたちスピリットの中にもいるのだが、彼はずば抜けた変わり者なので、数に入れてはいけないだろう。それに宮殿に行かずにすむのならばありがたいことなので、特に異論はない。
「そうなると、まずはシークレットとの合流ね。技使いの気にはさらに注意しておきましょう。どのみち、さっきの二人のこともあるから警戒しなきゃいけないし」
 リンは再び建物の上を見やる。先ほどカイキたちの去った方向だ。シンは二人の後ろ姿を脳裏に描いた。一瞬だけ補助系の技を使ったところを見ても、それなりの使い手には間違いない。慣れている。あれでは傍にいたシンたちはともかくとして、よほど気の探知が得意な者でなければ見逃してしまうだろう。他の神技隊はまだこのことに気づいていないと考えるべきだ。
「とりあえず、今日は一度帰ってまた出直しましょう。またあの二人がやってきても困るし。しばらくは気を潜めていた方がいいかもね。ジュリも仲間たちにそう伝えておいて」
「わかりました」
 こんな状況でもやはりリンは落ち着いている。シンたちへと向き直った彼女はそう述べた。気から技使いであると見抜かれたのだとしたら、ひとまずはそれで対処できるだろう。その間にシークレットと接触しなければならないことを考えると、問題は山積みだが。気を隠してしまえば、あちらに見つけてもらえるという可能性を切り捨てなければいけない。カイキたちに襲われたシークレットが既に隠れているといった事態になっていたら、合流するのはますます困難となる。
「何だか困ったことになってきたわね」
 ぼやいたリンの言葉に、反論を示す者はいなかった。今までとは違う何かが動き出しているという予感に、シンは漏らしかけたため息を飲み込む。気が重い。
 ジュリたちと別れると、シンたちはまず当初の目的地であったスーパーを目指した。買い出ししないまま帰るわけもいかない。また、万が一つけられでもしてアパートを突き止められたら困る、という意図もある。
 路地を抜け出し大通りに出ると、シンは少しだけほっとした。ネオンとかいう青年が「騒ぎになるのは困る」と言っていたのだから、さすがに人通りの多い場所で襲ってくることはないだろう。夕刻が近づきつつあるためか、制服姿の学生もちらほらと目立ち始めている。楽しげな集団を横目に、シンは瞳をすがめた。
「一体、何がどうなってるんだか」
 つい、愚痴が漏れる。恨みがましいリンの視線を感じつつも、彼は笑顔を繕う気力もなかった。妙な気を感じて駆けつけてみたら、そこで謎の青年に喧嘩を売られたという、想定もしていなかった事態に困惑するばかりだ。いつもなら微笑ましく見送っている賑やかな笑い声さえも、今は何だか遠い。
「私が感じた技の気配も、彼らの仕業だったのかしら」
 足下を見つめたリンが、ぽつりと呟いた。否定も肯定もできずにシンは首を捻る。
「神技隊をおびき寄せるためにか?」
 そうだとしたら、ずいぶんと手の込んだことをしてくれる。異様な気を感知したら、神技隊が調べに来るとわかっていたことになる。だがカイキの言葉を振り返ると、そこまで神技隊に詳しいとも思えなかった。それでは偶然だったのか?
「そうかもしれないと一瞬思ったの。でも、それにしてはあのネオンとかいう仲間が来るタイミングが変だったわよねえ。慌てていた感じだったし」
 歩きながらリンは唸った。いくら推測したところで答えは出ないのだが、つい考えたくなるのはシンも同じだ。とにかく情報が足りない。これはできる限り早く他の神技隊とも顔を合わせておくべきだろう。脇を擦り抜けていった子どもたちを尻目に、シンは囁く。
「リンの知り合い、他に神技隊に派遣されてる奴はいないのか?」
「急にどうしたの?」
 不思議そうに瞳を瞬かせて、リンは歩調を緩めた。必然的に先へ進む形となったシンは、一旦立ち止まる。肩越しに振り返ると、完全に足を止めた彼女の髪が風に煽られ、揺れた。柔らかな黒髪の向こうに、傾きつつある陽が見え隠れする。
「知った気がある方が探しやすいだろう? オレは、第十八隊に誰が選ばれてるかは知らない」
「後の神技隊のことは私だって知らないわよ。前にも……少なくとも今活動している中には、知り合いはいないわ。ジュリの気はよく見知ってるから、近くにいるってことがわかればよっぽど徹底的に隠しでもしない限りは見つけられると思う。シンは?」
 問われたシンの脳裏に、一人の男がすぐさま浮かび上がった。彼よりも一年早く神技隊に選ばれた、ある意味伝説的な青年。ヤマトの元若長――滝だ。滝ならばこのような状況にも、グチグチ言いつつも落ち着いて対応するだろう。熱を秘めた深い眼差しを思い出しながら、シンは口を開く。
「今も活動している範囲での知り合いってことなら、一人いるな」
「誰?」
「第十六隊ストロングの滝さん。元ヤマトの若長って言ったら、聞いたことあるだろう?」
「それはもちろん! そっか、シンってば若長の幼馴染みなのよね。前にも聞いたはずなのにすっかり忘れてた」
 リンはふわりと微笑んだ。幼馴染みという響きにむずがゆさを覚え、シンは微苦笑を浮かべる。自分はそんな大それた存在ではないと、即座に否定したい心地になった。しかし長年の付き合いであることには変わりなく、その気になれば互いの気を探すことも可能であろう。この大都会の中では、なかなか『その気』にはなれないが。
「幼馴染みっていうのとは、ちょっと違う気がするけどな。オレの方が年下だし」
「たった二つでしょう? 大して変わらないわよ。そんなこと言ったら、私よりもジュリの方が二つも年上よ?」
 再び歩き出したリンは軽く肩をすくめる。彼女がそのまま彼の横を通り過ぎようとしたので、その速度に合わせて彼も足を踏み出した。リズミカルに揺れる髪の先が、視界の端を行ったり来たりする。
「リンの方が年下だったのか。その割に、お前の方が偉そうだった気がするけど」
「偉そうで悪かったわね。ジュリは誰に対してもあんな感じなのよ。私にはどうしようもないの」
 文句を言っているようにも聞こえるが、彼女の声には親しみが込められていた。ただの顔見知りというよりは、仲良しといった間柄に近いのかもしれない。困惑すること続きだったが、その事実は少しだけ彼の心を軽くした。そういった存在が仲間にいるのは心強い。
「って、話が逸れたわね。じゃあシンには頑張ってストロング先輩を探し出してもらいましょうか。元若長が協力してくれるならずいぶん気持ちも違うわ。ただ問題はシークレットよね。何とか合流できないものかなぁ」
 風に踊る青いスカートを、リンは軽く手で押さえた。シンは瞼を伏せる。こんなことが起きるなら、前もって他の神技隊とも連絡を取っておくべきだった。無世界に来た当初も、念のため接触しておくべきかと考えたことはあった。ただ滝と顔を合わせるのは何だかこそばゆかったし、その後も協力を要請しなければならない事態にはならなかったため、あえて提案はしなかった。それがまさかこんなことになるとは。
「ジナル出身の技使いがいるってことは、ローラインに聞いてみても……無理か。ローラインを頼みにするのは間違ってるわね」
「ああ、それは止めておいた方がいい。誰が第十八隊に選ばれているかもわからないんだしな」
 一瞬だけ足を止めたリンは、ついで大きく頭を振った。彼女が出した仲間の名前に、シンは複雑な笑みを浮かべる。仲間の一人ではあるのだが、ローラインは変わり者だ。その思考も行動原理も、いまだシンたちは掴めていない。花好きであり、そればかりが優先されているようだ、という一点だけが把握できていることか。宮殿に住んでいた頃も知り合いは少なかったと聞いている。
「そうね、ローラインに聞く案は却下。あ、ゲート付近へ注意を払っておくって手もあるわね。上と連絡を取っているなら、そのうち利用するでしょうし」
「ああ、なるほどそうか」
 そちらの方が現実的だと、シンは相槌を打った。神魔世界へ出向くには必ずゲートを通らなければならない。ゲートの場所はわかっているから、闇雲に神技隊の気を探すよりは効率がよかった。無論、あの謎の青年カイキたちがその事実に気がついてしまうとまずいのだが。
「何にせよ地道な作業ね。ということでしばらく買い出しは控えた方がよさそうだから、今日は買い込んでいきましょ」
 悪戯っぽく笑ったリンは、少しだけ早足になった。便乗して余計な物まで買うつもりといったところか。このよくわからない状況の中でも前向きなのは、たくましい精神だと感心すべきなのか否か。シンは長く息を吐くと、彼女の背中を追った。すれ違う子どもの笑い声が、先ほどよりもはっきり耳に響いた。

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