white minds 第一部 ―邂逅到達―

第一章「影の呼び声」11

 早朝のランニングを終えたシンを待ち受けていたのは、見覚えのある金髪の青年だった。アパートまであともう少しという曲がり角の先に、青年――よつきはたたずんでいた。すぐに名前を思い出せた自分を内心で褒めつつ、シンは足を止める。ピークスのリーダーがこんな朝早くにどうしたのか?
「シン先輩! 無事に会えてよかったです。この辺りだと聞いてまして」
「本当、早くに見つかってよかったなー」
 柔らかく微笑んだよつきの隣には、もう一人男性が立っていた。銀の髪に青い瞳の、童顔な男だ。この周辺ではさぞ目立つ容姿だろうに、屈託のない笑顔が異境者の印象を和らげている。癖のある髪をわしゃわしゃと掻いて、男は口の端を上げた。
「よう、初めましてだな。オレは第十五隊フライングのリーダー、ラフトだ」
 男――ラフトはそう言って手を差し出してきた。分厚い手のひらだ。半ば反射的に握手したシンは、周囲に人がいないことを確認して口を開く。
「どうも初めまして。オレは第十七隊スピリットのシンです」
 アパートの近くとなると、顔を合わせたことがある近所の人間がいてもおかしくはない。気軽に引っ越す財力はないので、余計な話を耳にされるのはまずかった。しかし早朝なのが幸いして、辺りに人影はなかった。気も感じられないので挨拶くらいは大丈夫だろう。込み入った話がしたいなら別だが。
「それで、今日は何か?」
「いや、顔合わせのための打ち合わせ? みたいなのをしておきたくてさー」
「朝早くにすみません。わたくし、日中は自由な時間が限られていまして」
 へらへらと笑ったラフトについで、よつきは申し訳なさそうに首をすくめる。ピークスはあの立派なお屋敷で住み込みの仕事をしているのだから、それも仕方のないことか。それでどうやって違法者の捕獲をするつもりなのかは疑問だが、今は深く追及しないことにする。シンはラフトとよつきの顔を順繰りに見て、首を縦に振った。
「それじゃあちょっと場所を変えましょう。立ち話は目につきますし」
 二人の返事を待たずにシンは歩き出した。不思議そうな顔をしたラフトの背を叩き、よつきがついてくる。先輩であるはずなのに、一見するとラフトの方がよつきよりも年下に見える。実際のところはどうなのだろう。性格は、よつきの方がしっかりしてそうだ。
 もっとも、技使いの外見というのは実に当てにならない。技使いは年を取りにくいというのが一般的な見解だった。正確に言うと、強い技使いはある一定以上には老けて見えない、というものだ。二十代くらいの外見でとどまっていることもあるらしい。
「どこかいい場所があるのか?」
「歩きながら考えます。この時間だと、近所の公園も犬の散歩とかしてる人が多いですし」
 ラフトの問いかけに答えながら、シンはどうしたものかと首を捻った。思い当たる場所が見つからない。これならアパートの部屋に入れた方がよかったのではとも思ったが、すぐに考えを改めた。この時間はまだ仲間たちも仕事に出かけていない。あの狭い部屋に二人も、しかも慌ただしい朝方に招き入れるのは無謀だ。
 シンたちスピリットは、仕事をして生活費を稼ぐ者と、違法者取り締まりを主に行う者とで役割分担をしていた。気の察知に長けたシンとリンが違法者組であり、残りの三人が仕事組だ。色々試してみた結果、こうするのが効率がよいという結論に至った。住んでいる部屋が狭いという問題を除けば、今のところは比較的うまくいっていると思う。
「シン先輩はこちらに来ても訓練を怠っていないんですね」
 悩んでいるシンの耳に、穏やかなよつきの声が届いた。肩越しに振り返って、「ああ」とシンは曖昧な笑みを浮かべる。ランニングウォーム姿だったからわかりやすいのか。そう言うよつきは灰色のジャケットに薄緑のシャツを合わせている。だぼっとしたトレーナーを着たラフトよりも大人に見えるのは、服装のせいもあるかもしれない。よつきは立派な家に住み込んでいるので、身なりにも気を遣っているのだろう。それだけの金銭的余裕もあるに違いない。羨ましい限りだ。
「体を動かさないと鈍るからな」
「そうだよなー。オレも動かさないとなあ」
 苦笑するシンに、ラフトがそう続ける。シンにとっては時間があるというのも一つの理由だ。仕事がないとつい生活が乱れがちになるし、一度崩れると立て直すのも難しい。何か日課でも作っておかないと堕落する一方なのだ。いつ違法者が動き出すかわからないのに、そんな風では困る。
「走るくらいならお金は掛かりませんからね」
 やや自嘲気味にシンがそう説明した、次の瞬間だった。突然、視界がぐにゃりと歪んだ。思わず足を止めると、今度は世界が白んでいく。腑の底を刺激されたようで、酸の味が喉元へと迫り上がってきた。シンは頭を振りつつ一度固く目を瞑る。
 何が起きたのか? 疑問に思いつつ目を開いた時、視界に飛び込んできたのは真っ白な世界だった。空も建物も道路もない。距離感を失わせる無慈悲な白だけが続いている。その中にシンとよつき、ラフトは立っていた。足下には固い感触があるため、地面は存在しているらしい。
「ななな何だー!?」
 横でラフトが素っ頓狂な声を上げている。そのおかげでシンは取り乱さずにすんだ。こんなことができるのは技使いだけだ。瞬きを繰り返したシンは、それまでは感じられなかった気が現れたことを察して振り返る。
「青葉……じゃなかったな」
 喉からため息混じりの声が漏れた。突如現れた三つの気には覚えがあった。振り向いた先にいたのは、青葉そっくりの青年と梅花そっくりの少女、そしてネオンだ。先日青葉から聞いた彼らの名が何であったか、シンは思い出そうとする。
「アース……さんとレーナさん、ですかね?」
 シンがその記憶を掘り起こすより早く、よつきが口を開いた。確かにそんな名前だった。それにしても、よつきは自分たちを狙っている者に対してもさん付けらしい。面白い。するとネオンがむっとしたように眉根を寄せ、こちらを睨みつけてきた。
「どうしてオレが省略されてるんだよ! ネオンだネオン!」
「え? だってわたくしは、あなたと同じ顔と思われるシークレット先輩の一人を知らなくて」
 何故か申し訳なさそうに弁明するよつきへと、シンは一瞥をくれた。敵に対しても礼を欠かない性格なのか。ラフトが反応しないのは、おそらくシークレットの誰とも顔を合わせていないからだろう。話にしか聞いていないに違いない。だがそれより何より、シンには気になることがあった。腕組みするネオン、そして不機嫌そうなアースと笑顔のレーナを、彼は順繰り見る。
「どうしてオレたちのことがわかった?」
 狙われないように気を隠していたはずなのだ。それなのに突然襲われたのは何故だろう? そもそもここはどこなのか? 疑問ばかりが胸の内で渦巻いていく。するとレーナはその質問を待ってたとばかりにくすりと笑い、頭を傾けた。
「こんな時間に集まっている、気が全く感じられない人間がいたら、それは神技隊だろう」
 なるほど、たまたま気が全く感じられない人間を見つけたので神技隊だと推測したということか。しかし本当に「たまたま」見つかってしまったのか? あまりにタイミングがよすぎではないだろうか。シンが奥歯を噛んでいると、ついでよつきの声が白い空間に響いた。
「ここは一体何なんですか!?」
「これは亜空間だ。だからいくら技を使っても一般人や建物には被害が出ない。騒ぎにもならない。絶好の場所だと思わないか?」
 一歩踏み出したよつきを見て、レーナはまた悪戯っぽく笑う。まるでシンたちの事情がわかっているかのようだ。全てが見透かされているわけではないはずなのに、そう錯覚させる眼差しにどきりとする。シンは固唾を呑んだ。亜空間というのは聞いたことがある。安定して存在することのできない小さな閉鎖空間のことだ。それを一時的にとはいえ安定化させる技術を持っているのは、ごく一握りの人間だと聞いている。
「亜空間……」
 よつきは呆然としていた。その単語だけで、彼女の技使いとしての力は想像できる。もちろん、実戦でも強いかどうかまではわからないが。シンたちが言葉を失っていると、不満顔をしていたネオンが襟足をがりがりと掻いた。
「くっそー、またオレは無視かよ。腹立つな。なあアース、オレにあいつをやらせてくれよ。他の二人は任せるわ」
「かまわん。ああ、わかってるとは思うがレーナは手出しするなよ。亜空間の方だけやってろ」
 瞳をぎらつかせたネオンは、よつきへと視線を送っていた。先ほどの発言がよほど気に障ったらしい。頷いたアースはレーナの方へと首を巡らせ、何故だか釘を刺していた。傾けていた頭を戻したレーナは「もちろん」と言ってアースの肩を軽く叩く。
「わかってる。アースがいるから手は出さないよ」
 レーナの返答に、アースは満足そうに口の端を上げた。戦闘の予兆を感じて、シンは構える。おそらく最も警戒すべきなのはアースだろう。根拠はないがそう思える。すると白い光と共に、レーナの手の内に突然長剣が現れた。前触れもなかった。シンたちが呆気にとられている中、レーナはその刃を一通り眺めてからアースへと差し出す。
「はい、これ。もう調整は終わってる」
「早いな」
「おーいいな! レーナ、オレのも頼むよー」
「ネオンのは今度な」
 剣を受け取ったアースは、その刀身を見下ろした。羨ましげなネオンへとレーナは手を振り、「順番だから」と答えている。そんな三人のやりとりを見ている内に、シンの中に違和感が生まれた。うまく言葉にならないそれは胸の奥でわだかまり、何かを訴え続ける。しかしその正体に辿り着くより早く、アースが動き出した。
「試し切りだな」
 アースがそう囁くのを、シンの耳は捉えた。同時に、彼は右手に炎の刃を生み出した。亜空間では遠慮はいらないというのだから、ここは全力で迎え撃つしかない。実力まで青葉と同じだとしたら、油断などできるわけもなかった。
 刃の重さを確かめるように、アースはまず単調にそれを振り下ろしてくる。シンはそれを炎の剣で受け止めた。揺らめく不定の刃と煌めく刀身が触れた瞬間、耳障りな音が響く。やはり『精神』を込めることができる武器なのか。シンは刃を横薙ぎしながら後ろへ飛んだ。脇見をする余裕はないが、おそらくネオンはよつきへと向かっているはずだ。そしてラフトは――。
「おりゃー!」
 叫んだラフトは右手から、アースへ向かって拳を繰り出してきた。補助系の技で強化してあるのだろうが、剣に拳で対抗しようという姿勢には驚きだ。だがその一撃を、アースは軽く身を捻ることでかわす。そして体勢を立て直そうとするラフトの肩を、左の肘で強打した。うまく受け身を取ることができずに、ラフトは地面を転がる。シンはその行く先を目で追う暇さえ惜しく、左手から炎の渦を生み出した。
「行け!」
 渦から伸びた一筋の流れが、アースに向かって突き進む。それでもアースは狼狽えもしない。ラフトの方は一顧だにもせずに、向かい来る炎の中心へと剣を突き出した。否、突き出したのではなく叩き切った。二つに裂かれた炎の波が、白い空間へと霧散していく。
「おいおい」
 思わずシンは苦笑した。技に対抗できる武器というだけでも珍しいのに、一振りで真っ二つとは、常識破りもいいところだ。これが「調整」の成果なのだろうか? 仕方なくシンは炎の剣を構え直した。ラフトが立ち上がるのを待って同時攻撃したいところだが、アースがそれを許してくれるとも思えない。
 案の定、アースは強く地を蹴った。一気に距離を詰められ、シンは剣で対応するしかなくなる。実戦となるとしばらく経験していない。感覚の鈍りはどうしようもなく、繰り出されるアースの剣を受け流すだけで精一杯だった。赤と銀の刃が交わる度に、甲高い悲鳴が鳴り響く。せめて他の技が使えるくらいには離れたい。
 アースの踏み込みに対し、シンは剣を横薙ぎにして右へ飛んだ。ほぼ同時に、アースの向こう側でラフトが飛び上がったのが見えた。構えた彼の両手には薄水色の光球が生まれつつある。水系、いや風系か。
「おりゃ!」
 ラフトの威勢のいい声が白い空間にこだまする。アースは振り返りざまに、向かい来る光球へと剣を振るった。薄水色の球が二つに割れ、その一方がシンの方へと弾かれてくる。迫る光に慌てるも間一髪、咄嗟に結界を張ってシンはそれを防いだ。精度が甘かったせいで風の残骸が髪を揺らす。反応が遅れたら顔面直撃の軌道だった。
 瞳をすがめたシンは、消えかけていた炎の刃の形を整える。その間にも、アースはラフトへと向かって駆け出していた。
「ちょっと待てよ」
 ぼやくように舌打ちしてから、シンは顔を歪めた。炎球を放つことも考えたが、アースの向こう側にはラフトがいる。当たりかねない。まさかアースは全て計算してやっているのか? 光弾の片割れがシン目掛けて飛んできたのも、偶然ではないのか? アースの背中に向かって駆け出しながら、シンは内心で唸った。アースは戦い慣れしている。しかも一対一ではなく、複数を相手することにも。
 シンがアースに追いつくよりも、アースがラフトと交戦する方が早かった。足払いを狙ったラフトに対して、アースは軽い跳躍でそれを避ける。そして身を屈めたラフトの頭上へと剣を振り下ろした。シンは息を呑んだ。かろうじて掲げられたラフトの腕に、刃がのめり込む。いや、ぎりぎりのところで結界がそれを防いだ。薄い膜が今にも爆ぜ割れそうな嫌な音を立てている。
「アース!」
 シンは右手に力を込め、アースの背に向かって剣を振るった。炎の刃が一際大きくなる。ラフトを足蹴りしたアースは、その勢いのまま身を翻した。再び銀と赤の刃が交わる。空気の震えが感じられて、シンは奥歯を噛んだ。揺らめく炎の輝きが増した。飛び散る火の粉の熱気が肌に痛い。
 舐めるように燃え上がる炎が、銀の刃を包み込んだ。わずかに細身の銀剣がアースの方へと引かれる。シンはさらに手に力を込めた。だがそれは間違いであったと、気づいた時にはもう遅かった。片足を引いたアースは炎剣をいなすと、柄でシンの腹部を強打する。一瞬息が止まり、視界が歪んだ。数歩後退したシンの手から炎が消える。
 それでも追撃されずにすんだのは、ラフトが立ち上がろうとしたためだった。手をついて上体を起こしたラフトを、アースは右足で踏みつける。「ぐえっ」とラフトの喉から潰れたような悲鳴が漏れた。
 空っぽになった手で、シンは腹部を押さえる。喉元へ迫り上がってくる酸の味に、喉がひりりと焼けた。片足に体重を乗せてどうにか倒れずに持ちこたえた彼へと、アースの視線が向けられた。わずかに口角を上げ、笑っているようだった。アースにはまだ余裕がある。とんでもない男だ。
 このままでは負ける。焦りにシンが歯噛みした時、異変は生じた。白い亜空間が揺れ、気の乱れを感じた。片膝をついたシンは辺りを見回す。妙な気があるのはレーナがいる辺りだ。
「滝さん!?」
 白い空間の上方に、人がいた。目に入ったのは懐かしい青年の姿だった。どこからともなく飛び降りてきた青年――滝の持つ黄色い刃が、その下にいたレーナに向かって振り下ろされる。彼女はその不定の刃を左の手のひらで掴み、右手を空へと掲げた。同時に、空から薄青の矢が複数降り落ちてくる。それはレーナの頭上で透明な膜によって弾かれ、光の粒子となった。
 滝以外にも誰かいるらしいが、シンには把握できない。それが誰にせよ、亜空間に進入してくるぐらいだから実力者だろう。シンが吐き気を堪えていると、ラフトを踏み台にしてアースが駆け出した。
「レーナ!」
 アースは真っ直ぐレーナたちの方を目指す。シンも追いかけようとしたが、痛みのせいで速度が上がらなかった。ふらついた足取りのままラフトの方へ一瞥をくれると、両腕をぴくつかせながら地面に伏している。よつきはまだネオンと交戦中のようだった。二人の気は少しずつシンたちから遠ざかっている。
 一瞬躊躇った後、シンは方向転換してラフトの方へ駆け寄った。今の状態ではまともにアースとやり合えるとは思えないし、滝の実力があれば心配はいらない。近くに寄って名を呼んでも、ラフトは倒れ伏したままだった。踏まれたトレーナーの跡が痛々しい。どこも折れていないといいのだが。
 彼方では、技と技がぶつかり合った際の耳障りな音が響いていた。膝をついてラフトの肩を叩きながら、シンは顔を上げる。レーナは右手に白い刃を生み出し、滝へと向けていた。白い火花をほとばしらせる刃を見て、滝は大きく後ろへ飛ぶ。だがレーナはそれを追わない。踏み込んだ足を軸に舞うように体を半回転させると、横薙ぎにされた白い刀身が何かを弾いた。
「息がぴったりだな」
 レーナが笑うのが、シンの目にもはっきり映った。その言葉で、もう一人技使いがまだ空にいるのことにシンも気がつく。目を凝らすと、今度ははっきり姿が見えた。白い空間に浮かんでいたのは一人の女性だった。おそらくは滝の仲間――第十六隊ストロングの一人だろう。
 レーナの気が逸れたのを見計らって、滝が再び剣で切り込んだ。アースが辿り着く前に決着を付けようという魂胆だろう。シンは息を呑んで見守る。ヤマト一と言われる剣の使い手であり、技使いとしても一流の『ヤマトの若長』が相手では、レーナも敵うまい。しかし、彼女は全く慌てなかった。白い刃を振るって降り注ぐ透明な矢を叩き落としながら、滝を迎え撃つ。

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