white minds 第二部 ―疑念機密―

第三章「誰かのための苦い口実」10

「え、待って、本当にこっちに向かってくる?」
「ええ、ミケルダさんの気もそうですね」
 リンとジュリが忙しなく視線や言葉を交わしているのを横目に、シンは一つ息を吐いた。
 もし本当に新しい神技隊がやってくるのだとすれば、滝たちの仕事はますます増えてしまうだろう。部屋を決めるのは問題ないが、当番や二人組の話もある。大体、新しい神技隊にはどの程度の情報が伝わっているのだろう? それが一番の気がかりだ。
「あ、どうしよう、何だか緊張してきた」
「リンさん落ち着いてください。私も無意味に緊張してきます」
 吹き抜けの広間に、二人の声が響く。そんな様子を見ていると、シンはむしろ段々と面白い気分になってきた。こんな彼女たちを見る機会はもう訪れないかもしれない。当人たちには絶対知られてはいけない心境だ。
「……本当に近づいてきたな」
 うっかり顔に出してしまわないように、シンは意識を外へと向ける。リンたちが騒ぐのを裏付けるよう、確かにミケルダの気がこちらに向かってきていた。その傍に五つの気がある。本当に新たな仲間が加わるのか?
 ようやくこの基地での生活が軌道に乗ってきたかというところ。さらに変化が訪れるのは喜ばしいことなのか否か。シンには判断が難しかった。
 それぞれが思い思いの表情で待つ時間は、異様に長く感じられた。期待と不安を裏切らないよう、ミケルダたちの気はゆっくりこちらへ近づいてきている。宮殿からこの基地までだとそこまで距離はないが、徒歩ではある程度の時間がかかるだろう。
 入り口の扉が動いたのは、それからしばらく経ってからのことだった。無駄な緊張とそわそわ感に疲れてきたところで、かすかな音と共にそれは開いた。
「どうもー」
 まず顔を出したのはミケルダだった。特徴的な狐色の髪に生成り色の布を被った彼を見て、そういえば外は雨だったことをシンは思い出す。
 なるほど、気を隠していなかったのは結界でも使っていたのか。無世界とは違い、ここでは傘を持っている人間は少ない。
「ってあれ? こんなところに人がいる」
 シンたちの顔を見てミケルダは目を丸くする。滴を払うように――実際さほど濡れていないからやはり結界を張っていたのだろう――して中へと入ってきたミケルダは、きょとりと首を傾げた。まるで純真な子どものような反応だ。
 外からだとこの基地内の気はわかりにくいらしい。位置までは掴めないのか。
「はい。ミケルダさんたちの気を感じたので」
 驚くミケルダを見て、頷いたジュリが苦笑をこぼす。こういう様子を見ていると、とても上の者とは思えない。するとミケルダは垂れた瞳をさらに優しく細め、相槌を打った。
「ああ、そうだよね。気を隠すつもりだったんだけど、雨が降ってたからそういうわけにもいかなくなっちゃって」
 布を首に提げつつそう口にして、ミケルダはちらと後方を振り返った。そこに人が立っているのは、シンの位置からでもかすかに見えた。まず目に入ったのは、肩につくかといった程度の黒髪――濡れているのかどことなく深い緑にも見える――の、線の細そうな青年だ。先頭にいるということは、彼がリーダーだろうか?
「ジュリちゃんたちにもばれてるんなら、ケイル様たちにもばれてるかな。やばい。また怒られちゃうかな。先走ったって」
「もしかして勝手に連れてきちゃったんですか?」
 おどけて肩をすくめるミケルダに、そう問いかけたのはリンだ。笑いながら一歩詰め寄った彼女へと、ミケルダは視線を転じる。
 彼の眼差しに悪戯っぽい感情が滲んでいることは、気からも裏付けられた。怒られることを心配しているようで、その実は全く動じていないことがうかがえる。全部わかった上でわざと動いているのか。彼もなかなかの性格らしい。
「うん、そう。本当は明後日。でもそれまで待ってるとまたジーリュ様たちがあれこれ言い出しそうだから、オレの独断でね。これは内緒にしておいて」
 茶目っ気たっぷりに片目を瞑ったミケルダを、シンは信じがたい思いで凝視した。時折耳にするジーリュという名は、かなり上の存在ではなかったか。とんでもない度胸だ。
「あ、まずは入っていただきましょう。寒いですよね?」
 するとジュリがはっとしたように手を打った。確かに、いつまでも結界で雨をしのいでいる場合ではないだろう。急いでリンたちが下がると、困ったように微笑んだミケルダがさらに一歩中へと入ってくる。カツンと甲高い靴音が白い廊下に響いた。
「じゃあ紹介するよ。ほら、入って」
 ミケルダに続いて、まず先ほど見えた男性が顔を出した。すらりとした体躯が印象的な好青年だ。その顔がどこか強ばって見えるのは緊張のせいだろうか?
 その後に男性が二人、女性が二人次々と入ってくる。全体として年齢は低めだろうか。まだ十代のようにも見える。――本来はもう半年ほど経ってから派遣されるのだと考えれば、それも致し方ないことか。
「彼らが第二十隊ゲット。順にアキセ、レグルス、スイ、ときつ、サホ」
 扉が静かに閉まると、ミケルダは手のひらで指し示しながらそう簡素に紹介した。続いて「よろしくお願いします」という挨拶が不揃いに響く。
 アキセが最初にシンの目に入った青年だ。やはりゲットのリーダーなのだろう。レグルスと呼ばれたのは赤茶色の髪の、やや小柄な青年だった。顔立ちに幼さがまだ残っている。
 一方、スイと紹介された男性は、五人の中ではやや年上に見えた。非対称な黒髪が印象的だ。ときつと呼ばれた女性は比較的長身で、勝ち気な顔立ちをしていた。最後のサホがふわふわとした少女のように見えるのとは対照的だ。
 これで自分の仕事は終わりとばかりに、ミケルダはにこにことする。返答に窮したシンは、一体どう対応すべきかと逡巡した。代表者のような顔をするのも気が引ける。しかし受け入れないわけにもいかない。
「えーっと……」
 ジュリもどこか戸惑ったように視線を彷徨わせ、最後にリンの方を見た。結局、助けを求める先はそこなのか。そのリンは先ほどまでのそわそわが嘘のように悠然と微笑み、一つ大きく頷く。
「ミケルダさん、ありがとうございます。ここからは私たちが案内できますけど。ミケルダさんはどうします? お忙しいですよね?」
 よどみなくそう申し出たリンのたくましさには、感嘆の声を漏らしたくなる。シンには真似のできない芸当だ。するとミケルダは何か悟ったように息を呑み、ついでますます顔をほころばせた。その気に滲んだのは安堵と、わずかな懺悔のようで。シンは少しばかり引っ掛かりを覚える。
「あーお気遣いありがとう。本当はついて回りたいところだけど、ますます怒られちゃうからここらで退散するわ。できるだけ他の人には気づかれないようにね」
 ぱちりと片目を瞑ったミケルダは、大袈裟に肩をすくめてみせた。なるほど、その懸念もあるのか。レグルスと呼ばれた青年が不安そうな視線を向けたが、それも意に介さずにミケルダは手をひらひらと振る。
 ゲットのことを思えば付き添いたい気持ちもあるのだろう。それでもミケルダがここに長居することは、よい結果を生まない可能性がある。もしかしたらリンは、ミケルダがいると梅花が動き出すことも心配しているのかもしれない。
「それじゃあリンちゃん、後はよろしく。本来の予定日だった明後日にはまた顔を出すよ。一応、証拠作りで」
 おどけたように言ったミケルダは軽快に踵を返した。被り直した生成り色の布が揺れる。開いた扉が再び閉まると同時に、ぷしゅぅと気の抜けた音がした。そのまま雨音が聞こえなくなると、奇妙な静寂が辺りに満ちる。
 皆は何も言わずにじっと白い扉を見つめた。ゲットの面々は、まるで雑踏に取り残された迷子のような気を漂わせていた。シンは言葉を探す。こんな時、どんな風に声を掛けたらよいのだろう。
「と、いうことで予定外かもしれないけれど、一応ようこそって言うべきかしら。私は第十七隊のリン。よろしく。まずは実質の総リーダーに紹介するわね。それからこの中を案内するわ」
 その沈黙を打ち破ったのは、やはりリンだった。自然と皆の視線が彼女へと集まる。彼女には物怖じという概念がないのか。誰もが彼女を見つめたところで、その両腕が唐突に広げられた。ゆったりとした袖がふわりと揺れる。
 一体何事かとシンが顔をしかめると同時に、一人の少女がその腕に飛び込んだ。長い銀髪がふわりとなびく。
「リンさん、お帰りなさい!」
 鈴のような声が辺りに響いた。勢いよくしがみついてきたその少女を、リンは笑顔のまま受け止める。
「あはは、どっちがお帰りでどっちがただいまなのかわからないわね。そっちも色々あったみたいだけど、無事でよかった」
 リンはぽんぽんと少女――サホの背を叩いた。シンは不意に、リンとジュリが再会した時のことを思い出す。感じる微笑ましさもどちらが迎えてるのかわからない状況も同じだ。シンは頬を掻きつつ、ちらとジュリの方を見遣った。破顔したジュリは安堵したように胸の前で手を組んでいる。
「え、ということは、あなたが旋風!?」
 するとゲットのもう一人の女性――ときつが声を上げた。その反応を見る限り、ゲットの中では既にリンのことは話題に挙がっていたらしい。それもそうかとシンは内心で相槌を打つ。あちらとて、知り合いがいる方が心強いのは間違いないだろう。口にするのは当然か。
「あーうん、そうね。そんな風に呼ばれてたりもしたわ」
 サホの体をゆっくりと離し、リンは苦笑した。まるで「そういえばそうだった」と言わんばかりだ。このところ、彼女は自分が異名持ちであることを忘れているようだった。それはより巨大な敵と相見えたからだろう。自分が特別だと思えないのはシンも同様だ。
「じゃあついでにみんなを紹介するわね。彼が私と同じ第十七隊スピリットのシン。で、こっちが第十九隊ピークスのよつきとジュリよ」
 体が自由になったところで、リンはそう簡潔に説明する。シンは軽く頭を下げた。先ほどよりも明らかに周囲の空気が和やかになっている。
 それでもリーダーとおぼしきアキセは顔を強ばらせたままだった。どうしたのかとシンが首を捻ると同時に、よつきが一歩前に出る。その顔に今まで見たことがない類の笑みが張り付いていることに、シンは気がついた。
「いやぁ、そんなにびくびくしなくてもいいんですよ、アキセ」
「お、お久しぶりです……」
 よつきは真っ直ぐにその青年、アキセに向かって微笑みかけた。が、その声は穏やかさとは無縁だった。一種の威圧感を伴う何かが含まれている。シンが呆気にとられていると、はっとしたようにジュリがよつきの隣に並んだ。
「もしかしてよつきさんのアールのお知り合いですか? 私は同じピークスのジュリです。よろしくお願いしますね」
 よつきが何かを言い出すより早く、ジュリは笑顔でそう告げた。よどみのない口調だった。そして彼女はまるで牽制でもするようよつきとアキセを引き剥がし、二人の視線が交わるのを遮る。
 何が起こっているのかシンにはわからないが、それは残りのゲットの面々も同じようだった。ただ一人、サホだけが困ったように微笑んでいるのが目に入る。
 シンはよつきとアキセの顔を交互に見比べた。よつきの出身であるアールも、技使いの多い地方の一つだ。そうか、二人は知り合いなのか。
「さあ、こんな場所で立ち話もなんですから、まずは滝先輩のところに行きましょう。今はどうやら訓練室にいるみたいです。あ、レーナさんも一緒ですね。ちょうどいいです。ねえ、リンさん?」
 ジュリは口早にそう告げると、アキセの肩をぐいと押した。そしてリンの方を振り返った。ジュリの双眸にはどこか有無を言わせぬ強さが宿っている。
 何かを察したようにリンは即座に頷き、ぽんとサホの肩を軽く叩いた。こうして並ぶと、二人の体格はほぼ同じだ。年の頃もそう変わらないように見える。
「そうね、滝先輩に報告しないと。あ、もしかして荷物ないの? 部屋が決まったら家から持ち込んでもいいわよね。その件もついでに相談しちゃいましょう」
 リンは朗らかに微笑んだ。まるで口裏を合わせたように話を進めていく二人から、シンは完全に取り残されている。よつきが何とも言いがたい笑みをたたえたままたたずんでいることだけが妙で、気がかりだった。これは一体どういう状況なのだろう。
 知り合いがいるからといって、仲が良いとは限らない。そんな当たり前の事実にシンが気がつくのは、しばらくしてからのことだった。早くも波乱の予感だけが、強くなっていく一方だった。

◆前のページ◆  目次  ◆次のページ◆