white minds

第三十章 宇宙へ‐8

 海は深い藍色をしていた。揺れる波間は光を反射し、その存在を主張している。
「無事着水、か」
 モニターからその光景を見つめて、滝はほっと安堵の息を吐き出した。大気圏突入の際の揺れを思い出すと、今でも身震いがする。
 船は無事アーデスに降り立った。北はほとんど海という話だったがそれは事実だった。見渡す限りの藍色。陸などないのではないかと思えてくる。
「そうね。次に目指すのは南だったかしら?」
 滝のつぶやきを聞き立ち上がったレンカが、彼の方へと近づいてきた。彼は顔を上げて、その言葉にうなずく。
 南へ行けば陸地があり、人が住んでいるらしかった。また神界もそこにあるとのことだった。入り口はレーナが教えてくれるようだから何も心配はいらない。
「じゃあ船をとにかく南へ」
「わかりました」
 滝のかけ声に、アキセが爽やかに答えた。その半分以上を水の中に静めていた船が、ゆっくりと動き出す。
 しばらくは何も見えなかった。
 星の中ではさすがに無茶なスピードは出せないのか、それともこの海が大きすぎるのかはわからない。一面藍色の世界は距離感を失わせた。時が進むのが遅く感じられる。
 モニターの先に茶色い何かが見えたのは、それから一時間後のことだった。一体どれだけ移動したか定かじゃなかったが、それなりの距離はあっただろう。
「そろそろ止めようか」
 そこでレーナがそう声をかけた。慌てたアキセがパネルを叩き、船の速度が落ちていく。
「まだ陸は大分先だぞ?」
 滝は振り返ってレーナへと疑問の声を投げかけた。彼の左へと近づいてきた彼女は、微笑を浮かべながら口を開く。
「こんな船が見つかったらまずいだろう。不必要に人間たちを警戒させてしまう」
「そ、そうか……。あ、でも降りてきた時点でばれてるんじゃないのか?」
「大丈夫、そんなたいそうなシステムはこの星にはない」
 彼女は不敵な笑みを浮かべた。その横顔を見つめながら、彼は今さらながら不思議になる。
 知りすぎている。
 宇宙にどれだけの星があるかは知らないが、しかしその全てを訪れたなんてことはないはずだ。ファラールがたまたまだったとしても、ここアーデスのことまでそんなに詳しく知っているなんて。
 疑問を目で訴えかけてみれば、彼女は怪訝そうに首を傾げた。
「ん? どうかしたか?」
「いや、何でもない」
 だが今考えなければならないことは別のことだ。彼は椅子から背を起こして姿勢を正す。
「ここで止まるってことは、陸までは飛んでいくの?」
 そこでそれまで黙っていたレンカが不意に尋ねた。レーナは首を縦に振り、困ったような笑みを浮かべる。
「本当は転移させてやりたいところなんだが、万が一のためここに残ってる必要があるし」
「ああ、アースも怒るしね」
「当人そこにいるぞ。って話が逸れる。まあそういうわけだから陸までは飛んでいってもらう。買い物班と神界突入班にわかれた方がいいかな。あとは留守組と」
 彼女は周囲をぐるりと見回した。人数がいつもより少ないので、適当につぎ込むわけにはいかない。悩んだ彼女は一瞬眉をひそめると、びしっと人差し指をつきだした。
「我々ビート軍団と青葉、梅花が留守番組だ」
「い、いきなりすごいメンバーが!?」
「オリジナルを休ませないとな。滝とレンカ、それからシン、リンが神界組だな。残りは食料調達」
 一方的に決定した彼女はまた不敵に微笑んだ。有無を言わせぬその調子には、誰も逆らうことができない。
「まあ怪しまれずできるだけ多くの食料を、と考えれば妥当な人員配置だよな」
 滝は苦笑しながらそう言った。食料が重要なのは地球にいる時と変わらない。いや、より死活的な問題である。
「だろう? ああ、そうだ。金が問題だったな。この辺は……確かセルクかな」
 そうつぶやくようにしながら彼女は頭上へと手をやった。そこにある金色の髪飾りが薄紫色に光る。次の瞬間、その手の中に何枚かの紙切れが存在していた。茶色くすすけたような色のそれを、彼女はたまたま左隣にいたアサキへと手渡す。
「これで食料分ぐらいは十分買えるはずだ。だが一気に数枚出すなよ? 驚かれて怪しまれたらたまらないからな」
 いたずらっぽく微笑んで彼女はそう付け加えた。どうやらここで通用するお金らしいが、かなりの額なのだろう。
「はぁーい、わーかりました」
 アサキは笑顔で受け取った。その様子を見ていた滝の口から、押し込んだはずの疑問が飛び出してくる。
「レーナはこの星にも来たことがあるのか?」
 尋ねると彼女は振り返った。彼が何を不思議に思っているのかわかったのだろう、やや困ったように微笑むと手をひらひらとさせる。
「まあな。というかわれは……ほとんどの星を回ったからな。途中で断念せざるを得なかったレーナ連合以外は制覇してるはずだ」
 その答えはさらなる驚愕を引き起こした。目を見開いた滝は、傍にいるレンカと顔を見合わせあう。
「まあちょっとした調べ物をしていたからな」
「ちょっとした、じゃないだろそれは。お前と話してるとレベルの違いに頭が痛くなりそうだ」
 滝は前髪をかき上げて、口の端をつり上げた。
 いつもそうだ、言ったのが彼女でなければ嘘だと決めつけたくなる話ばかりが出てくる。信じがたい話ばかりが。
「われの歩んだ道が特殊すぎるだけだ、気にするな。そう言うお前たちだって十分すごい道を歩んでいるのだがなあ」
 彼女はどことなく影のある笑みを浮かべた。
 その言葉に、彼らは何も答えることができなかった。




 日に照らされて輝く白い教会を、リンは見上げた。赤茶色の三角屋根に真っ白な壁。庭では手入れされた樹木が来訪者を迎え入れている。
 このアーデスはまだ昼前らしかった。傍にある市場では、人々が賑やかに話しながら買い物をしているようだ。雰囲気といい、のどかな印象を受ける場所である。
「この教会が、神界への入り口か」
 彼女の隣でシンがそうつぶやいた。ファラールでぼろぼろの教会を見た二人は、何だか不思議な気分になる。
 神界にも色々あるらしい。地球のは宮殿の上にあるとのことだ。神界といっても神の拠点ぐらいの意味なのだろうと、思うしかなかった。
「みたいだな。この辺にこんな建物は他にないし」
 その後ろでは滝とレンカが辺りを見回していた。町の名前も聞いてきたのだから、間違いはないだろう。
 四人はレーナに言われたとおり神界を目指していた。ファラールでの活動に万が一のことがあった場合、他の星への影響を抑えてもらうためだ。
『プレインの目的は精神を集めること。より広範囲へ恐怖を蔓延させることも狙いかもしれない』
 そう彼女は説明していた。以前にも似たようなことを部下が企んでいたとの話だ。一つの星を生け贄にして周囲への不安をあおるのは、常套手段らしい。
「それにしても私たちが、というか私が行って大丈夫なのかしら」
 教会の入り口に立ちながら、リンはため息をついた。
 滝とレンカはいい。なんといっても恐れ多い転生神なのだから。シンに関しもユズが転生神だとか何とか言っていたのだから、事実かどうかはともかくまだいいだろう。
「私は人間なのに」
「いやいや、十分人間離れしてるから大丈夫だと思うけど」
「ってそれどういう意味よ、シン。私のどの辺が人間離れしてるのよっ」
 慰めようとするシンを、リンはにらみつけた。前から転生神組と同じような扱いを受けていることは自覚していたが、だからといって今のは聞き捨てならない言葉である。むっとする彼女へ彼は手をひらひらとさせてみせた。
「いや、精神量は人間離れしてると思う。少なくともオレよりは多そうだし」
「……もう、いいわよ」
 彼女は諦めてとぼとぼと歩き出した。特別扱いされるのは小さい頃から慣れていた。無論特別扱いといっても、悪い意味での方が多いのだが。
 扉を開けると中はしんと静まりかえっていた。ひんやりとした空気が肌に触れて、一瞬鳥肌が立つ。それは地下独特の空気に似ていた。彼女はちらりと後方を振り返り、滝たちを見る。
「右の階段、っていうのはあれだな」
 滝の指先が右手にある石の階段を指した。それ以外にらしきものはない。うなずいたリンは右へ向かい、ゆっくりとそこを上っていった。
 階段は螺旋状に続いていた。
 思っていたよりも長い。横幅の狭さと湿った空気が嫌な緊張を誘った。四人の足音だけが、冷たい空気の中響いていく。
「どこまで続くんだろう」
 そうシンがぼやいた時だった。薄暗い空間の先に、出口があるのが見えた。白い光が溢れ出すその後ろには、何があるかまだわからない。彼らは一度視線を交わらせると、大きくうなずき歩き出した。
 出口は次第に近づいてきて――
「ここが……」
 辿り着いたその先には、真っ白な空間が広がっていた。
 白い床に白い空、白い建物。いや、光を照り返すその様は真珠色とでも言うべきか。
「眩しい」
 シンは手をかざしながら辺りを見回す。薄暗い世界と比べてそこは光に溢れた場所だった。
「ここが神界か」
「みたいね。こうあっさり入れていいものかわからないけど」
 後ろでは滝とレンカが目を細めながらそう口にする。ここまでこれといった防御機構が働いている様子はなかった。人事ではあるが、いささか心配である。
「行きましょうか」
 リンがそう言って歩き出そうとした時、
「あー!」
 甲高い声が、四人の鼓膜を震わせた。
 それは驚きに満ちあふれた声だった。四人は恐る恐るその方へと振り返り、瞬きをする。そこには二十歳程の女性が、棒立ちになっている姿があった。
 不法侵入を咎められるか? 追い出されるか? それとも神だとすぐにわかってもらえるのか?
 彼らの頭の中を幾通りもの可能性がよぎっていく。できることなら今すぐ逃げ出してしまいたかったが、それもままならなかった。
 その女性は驚愕の表情のまま走り寄ってくる。
 皆の喉が鳴る。
 だが次の瞬間起こったことは、その予想全てを裏切るものだった。
 彼女はそのままの勢いでリンに飛びつき、
「レイス様ーっ!」
 そう歓喜の声を上げた。
「……はい?」
 固まりきったリンは抱きつかれたまま、間の抜けたつぶやきをもらす。あまりの衝撃に三人は何も答えることができなかった。
 それはまるで時が止まったような瞬間だった。

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