white minds 第二部 ―疑念機密―
第六章「疑惑と覚悟が交わりて」4
何だか騒がしい朝だ。そう感じたシンは、食堂を出るなり中央制御室へと向かった。
日中はシンたちが当番となっているが、まだそこに集まっている仲間は少ない。リンたちくらいだろうか? 交代の時間までは少しあるから、そうであっても不思議ではない。
朝食時だが、廊下に出ている者は少なかった。一応形ばかりであっても本来の当番制に戻っているが、まだまだ本調子でない者もいた。
だから買い出しなどは臨機応変になっているし、食事当番を手伝っている者もいた。誰かが倒れては困るという切迫感があるせいだろう。動ける者はいつもどこか忙しない。
しかしこの騒がしさは、それだけが理由ではない気がした。明確な根拠のない、胸騒ぎのような感覚に近い。歩きながらシンは顔をしかめる。
中央制御室の大きな扉が開くと、リンとサホの姿が見えた。一歩中へと足を踏み入れれば、梅花がモニター下のパネルをいじっているのが目に入る。制御室の操作はレーナくらいしかできないと思っていたが、いつの間にか扱えるようになっていたらしい。
「何かあったのか?」
急ぎ足で彼女たちの方へ寄っていくと、リンがつと振り返った。それでも梅花はパネルに向かったままだ。シンはもう一度気を探ってみたが、魔族の襲撃のような明らかな異変はない。それでもリンとサホの表情を見れば、何もないはずがなかった。
「うん、魔族とかではないんだけど。ただイダーの方で妙な気の動きがあるのよね……って梅花が」
リンは眉をひそめながらそう説明する。シンは首を捻りつつ、イダーの方角と思われる方へ意識を向けてみた。
広範囲に渡る気の検索は、あまり得意な方ではない。ここからイダーまでは距離があるから、どれだけ必死に精神を研ぎ澄ましてみてもよくわからなかった。
「やっぱり遠くの気の動きまではこの機械では捉えられないみたいですね。反応するのは巨大結界の傍や、この基地の近くなど、一定条件のみのようです」
と、顔を上げた梅花がこちらを見る。調べようとしていたのはそれだったのか。いくらこの基地が高性能でも、そこまで万能ではないらしい。
「イダーで何か起こっているのか?」
シンはリンと顔を見合わせた。イダーは大河の東側だからとんでもなく遠いというわけではないが、バインよりもさらに南に位置している。北斗の出身がイダーだったはずだ。どちらかというとのどかな雰囲気の町だと記憶している。
「はい。イダーで技使いが技を使っているようなんです」
「……それはいつものことだろ?」
「いえ、それがどうもそれなりの強度の技を、町中で使用しているらしいんです」
訝しむシンへと、そう説明する梅花の顔が曇った。そんなことまで読み取れるのかと、彼は喫驚する。気の把握が得意であるのは知っていたつもりだが、これは尋常ではない。
「リンにはわかるのか?」
「わかんないわよ。これはさすがに梅花くらいでしょ」
肩をすくめたリンは、梅花の方を見遣る。よく見ると梅花も戦闘用着衣なのは、異変を感じ取ったからなのだろう。一体いつ気づいたのか?
「あ、私は子どもの頃に、遠方の気の把握の訓練を受けているので」
梅花は控えめにそう説明したが、訓練しただけでそんなことが可能になるとは到底思えなかった。とはいえ、レーナの気の察知能力を考えれば、梅花のそれがずば抜けていても不思議ではない。
「つまり喧嘩か何かってことか? でもそれはイダーの長がどうにかする話だろ。それでも無理なら宮殿か」
顔をしかめたシンは腕組みをする。本当に技使いが町中で大技を使っているのだとすれば、それは由々しき事態だ。
しかしそれは長か宮殿が対処すべき問題であって、シンたちが心配してもどうしようもない。上から神技隊に声がかかるのは、魔族絡みの時のみのはずだった。
「そうですね。この人数だとイダーの長のところだけでは無理でしょうから、本来なら宮殿が動く事態だと思います」
頷いた梅花はそう続けながらも、何か言いにくそうに視線を逸らした。その横顔を見つめながらシンは考える。彼女が憂うものは何だろう? まさか魔族が関わっているとでも言いたいのか?
「ねえ梅花、こういう時って宮殿は誰が動くの?」
そこではっとしたようにリンが問いかける。その双眸に焦りの色があるのは、シンの目からも明らかだった。梅花はちらとリンの方を振り返りつつ、軽く指先でパネルを叩く。
「えーと、規模によりますね。基本的には外回りの仕事に就いている技使いが多いですが。彼らで対応できないような大規模な騒動であれば、上が動きます。つまり、ミケルダさんたちです」
そこまで聞いたところで、シンは固唾を呑んだ。現在、上の者で動けそうなのは誰だろうか? それぞれがそれぞれに負傷していたはずだった。先日ラウジングは宮殿の外に出てきていたが、それでも調子が万全とは言い難そうだ。
「え、ミケルダさんたちはまだ動けないでしょう?」
「そこまではわかりません。全く動けないということはないと思いますが。それより私が懸念してるのは、先日のバインの人たちの騒動と同様のことが起こってるんじゃないかって点です」
梅花は声を潜めた。しんと、部屋の中が静まりかえった。梅花が伝えようとしている危惧の中身を掴み損ね、シンは黙り込む。
バインの人たちの騒動というのは、シンたちが見たあの宮殿前での騒ぎのことだろう。戦闘を目撃してしまった人々が、宮殿を疑っているらしいという話だ。
「え、ちょっと梅花、私には話が飲み込めないんだけど」
「普通の人たちが、戦闘が起きているのを見たらどんな印象を抱くと思います? 技使いが交戦しているように見えたりしませんか?」
そう指摘されてシンは息を呑んだ。その通りだろう。技使いと魔族の違いなど、たぶん普通の人間にはわからない。遠目ならなおさらだ。とすればどのように思うか? 一部の技使いが何か行っていると疑る可能性がある。
「それで責められた技使いが応戦した可能性があるってこと? 冗談じゃないわ」
「これはあくまで予測です。でもできるなら騒ぎが大きくなる前に収める必要がありますが、たぶん今の上にそれだけの力はありません。人手が、足りません」
ざわりと、シンの内に不安が広がった。かつては自分たちも宮殿の対応に違和感を抱いていたし、反発していた。その裏側の事情を知って、ようやく全てが腑に落ちたところだ。
何も知らない人々が普段何を思っているのか、知ることはできない。それでも底知れぬ不安にさいなまされているだろうと想像することは容易かった。その感情がどこか一点に向かって噴き出したとしても、おかしくはない。
「何はともあれ確認が必要ってことね。わかった、まず私たちが行くわ。梅花は宮殿に確認とってくれる? サホは戦闘用着衣を着てる人たちを集めて、事情説明してつれてきて。できれば、滝先輩にも伝えて」
事態の深刻さを理解したリンの決断は早かった。梅花とサホが同時に頷き、走り出す。リンはついで腰の短剣に触れながら、シンを真っ直ぐ見上げてきた。決意の宿った、力のある眼差しだ。
「シン、行けるわよね?」
「ああ」
今の話を聞いて躊躇う理由はない。何事もなければそれでよいが、何かがあった後では手遅れになるかもしれない。
技使いとそうではない人間が亀裂なく過ごしてきたのは、暗黙の了解があるからに他ならない。
技使いは不必要な技を使わないこと。特に町中では使用しないこと。周りに迷惑を掛ける者があれば、他の技使いが抑え込むこと。――普通の技使いに対処できない場合は、長や宮殿が動くこと。
これらの鉄則が崩された時にどんな事態が生じるのか、考えたくはなかった。
取り越し苦労であればよい。そんな願いを抱きながら、シンは唇を引き結んだ。あの日宮殿で見た人々の後ろ姿が、ふいと思い起こされた。
イダーの中心街は、大きな噴水を囲む広場と、そこから放射状に伸びる道で構成されている。人々で賑わう活気ある広場として有名だったが、そこが今は無残な姿となっていた。
噴水こそ元の形を保っているが、その所々が焦げて黒くなっている。民家の壁もそうだ。広場隅に片付けられた屋台のテントも、傾いて破れている物が多かった。
それらを横目にシンは走った。目指す集団は、広場から伸びる一本の通りの先にある。ぱっと見ただけでは数えられない。数十人では足りないだろう。その中から時折強く膨らむ気を感じる度に、シンの鼓動は跳ねた。
「この気配は結界ね」
コートを揺らして走りつつ、前を行くリンがそう口にする。つまり今あの中に巻き込まれている技使いは身を守っているだけなのか?
瞳をすがめれば、人々の中に棍棒のような何かを持っている者がいるのが見えてきた。背筋をぞくりと冷たいものが這い上がってくる。
武器を持っている人間がいるということは、ただ人々が集まっているだけという可能性を排除してしまう。やはり騒動が起きているのか?
「お前ら何企んでるんだ!」
「違法者のせいってどういうことだ!? お前ら、ミリカの町のようにここも破壊するのか!」
距離が近づけば、騒ぐ人々の怒号が聞こえるようになった。憤怒の満ちた気の集まりに、目眩を起こしそうだ。
シンは額に手を当てつつ辺りを見回す。すると道の端に座り込んでいる者たちがいることに気がついた。石畳の上で泣く若者、足首を押さえた者。どう考えてもただ事ではない。
「リン、ちょっと待て」
「何?」
「怪我人がいる」
シンは慌てて足を止めた。よく見れば、座り込んでいる者の中には、奇妙な方向に足がねじくれている者までいた。あの騒動に巻き込まれたのだろうか? ぐったりと蒼い顔をしているのを見てしまえば、そのままにはしておけない。
立ち止まったリンは騒がしい集団を気にしながらも、意を決したように怪我人へと駆け寄った。彼女がまず近づいたのは、足が折れていると思われる女性だった。
シンも息を整えながら傍へと寄る。ぜいぜいと荒く息を吐く女性の肩を、リンは軽く叩いた。
「大丈夫ですか? 巻き込まれたんですか?」
「ま、巻き込まれたというか、お、弟の店に、あの人たちが乗り込んできて」
女性はわななく唇で必死に何かを伝えようとした。店という予想外の単語に、シンは眉をひそめる。人々が店に押しかけてきた? その理由が推し量れない。
「何事かと思って、私も仲裁に入ろうとしたんです。そうしたら、宮殿に協力してる技使いだろうって、言われて。私まで詰め寄られて」
ぞくりと、シンの肌を冷たい感覚が立ち上った。女性の話は、梅花の予測を裏付けるものだった。
もしや、この女性の弟は宮殿に協力している店を営んでいたのか。食料や衣類の提供を主に行っている店が、各地にあるはずだった。技使いが関わっているところはそれほど多くない印象だったが、それ故に目をつけられたのだろう。
「弟がまだあの中に。他にも、止めに入った人たちが巻き込まれています」
女性の震える指先が、わめき立てる集団の方を指した。救いを求めるような声音だった。
「お願いします」
暗に助けてくれと告げて、女性は唇を強く噛みしめた。そうか、彼女も技使いなのか。だからこちらが技使いであることにも気づいたのだろう。――もしかしたら宮殿の者と勘違いされたのかもしれない。
「まずは、傷を治しますね」
「いえ、それよりも弟たちを助けてください。あの先は長のいる建物なんです」
困ったように眉根を寄せたリンへと、女性は首を振ってみせた。彼女は必死だった。押しかけてきた人々の様子が、それほど危険だったのか。彼女の弟が無事であればよいが。
と、不意に通りの向こう側で、技が放たれる気配がした。シンは片眉を跳ね上げる。
これは結界ではない。追い詰められた技使いが牽制のために何らかの技を使ったのか? 自暴自棄になっていないことを祈るばかりだ。もし誰かが怪我を負うようなことがあれば、溝は深まるばかりとなる。
「リン」
疑心暗鬼に駆られた人々は、不安から恐慌状態になっているのかもしれない。心当たりがないのに疑われた技使いは、徐々に憤っているに違いない。
怪我人も気になるが、まずは暴徒と化している人々を止める方が先のようだ。